第20話
ロータリーに車を停めると莉緒は携帯をいじりだした。
「お母さんは?」
莉緒のお母さんはどんな人だろう。莉緒に似ているんだろうがネグレクトに近い事をしていた人だ。少し興味がある。莉緒は携帯をいじりながら駅周辺を見渡していた。
「もうついたみたいですけどお母さんどこだろう……あっ!いました!すいません先生、ちょっと行ってきますね?」
「行ってらっしゃい」
どれがお母さんか分からなかったが莉緒は急いで車を降りると駅の出入り口付近にいた女性に話しかけた。
莉緒に少し面影が似ている小綺麗な女だ。無造作に髪をまとめた感じが年齢を感じさせるがあれがあの子の親か。それなりに身なりを綺麗にしているのは男のためなのだろうか?私はそのまま二人を見ていたが次第に信じられないくらい激しい憤りを感じてしまった。
莉緒は私と話す時のようににこにこ笑って話しかけているのに莉緒のお母さんは特に表情を変えない。それは子供に向ける態度ではなかった。一言二言話したと思ったら莉緒はそんなやつに笑いながら銀行の封筒を渡していた。私は遠くから見てすぐにそれが金であるのが分かった。
あぁ、酷い気分だ。
それですぐに悟ってしまって心が冷静でいられない。
莉緒は家を出たのにこんな事をされていたのだ。これは親子の関係じゃない。あの親はなんなんだ?あの子に興味もなかったくせに今さらあんな事をして、莉緒をなんだと思ってるんだ?それに莉緒はなんで金をたかられているのにまだ好きでいるんだ。見ているだけでそれは苦しかった。
莉緒のお母さんは金を受け取っても口を開かない。そんなやつに莉緒は笑いながら話しかけているのに金を確認してちょっと口を開いたと思ったらすぐに行ってしまった。
……なんなんだよ。なんなんだよあの態度は。あの子より男を取っていたくせに都合良くあの子に金をせびるなんて…。
莉緒は望んで作った子じゃないのかよ。
世の中あんなやつばかりだ。
あんなの親でもなんでもない。
私の家族みたいな最低なやつじゃないか。
一人残された莉緒を見ていると怒りも悲しみも収まらなかった。
莉緒はそれでも笑顔で車に戻ってきた。
「先生待たせちゃってごめんなさい。じゃあ、早速海に行きましょう?楽しみですね」
あんな事があって、あんな態度をされたのに莉緒は変わらない。それにすら私の心は乱れる。私は車を走らせながら分かっていたのに訊いた。
「なにしてたの?」
「お母さんにお金を渡してたんです。ちょっとお金に困ってるって言ってたので三十万渡してきました」
「……いつも渡してるの?」
莉緒は至って普通に話してくるから聞いているだけでさっき見ていた時よりも憤りを感じる。それでも私は訊いた。
「はい。定期的に二、三ヶ月に一回くらい渡してます。助けになるといいんですけど…」
「……あんなのいいように使われてるだけでしょ」
莉緒に対してここまで何かを感じるのは初めてだ。でも、これだけはいつもみたいに流せない。何も言わないなんて無理だ。これはおかしい。親が子供に多額の金を要求するなんて間違っている。
莉緒はまだ笑っていた。
「そんな事ないですよ。お母さん今まで私に頼ったりしてこなかったから本当に困ってるんだと思います」
「……なんで無条件で信じてんの?」
私は冷静になれなくて近くのコンビニに車を停めた。
この純粋さが見ていられない。親だからって無条件で何かくれる訳じゃないんだから期待するなよ。今まで何とも思われてなかったんだから今さら何か思う訳がないだろう。
ちょっと考えれば分かるはずなのになんで分かってないんだよ。
私はエンジンを切って莉緒を見つめた。
「おかしいでしょあんなの。困ってるからって普通子供にそんな大金要求しないでしょ?なんで分かんないの?あれは頼ってるんじゃなくて都合良く利用されてるんだよ」
端から見てもあれは絶対に違うと思う。家族なら、普通の家族ならあんな態度もしないしもっとちゃんと話すはずだ。それに普通なら逆だろう。それでも莉緒はいつもの表情を崩さない。
「利用してるならお礼なんて言いませんよ。お母さんいつも忙しそうだから私と話してくれませんけどありがとうって言ってくれますし、私の体を気にかけたりしてくれるんですよ?」
「……」
気持ちがどんどん乱れてくる。なんでさっきから笑っているんだ?もう笑わないでほしかった。莉緒が前に私に笑わないでと私に言った理由が今なら分かる。だけど、一切否定的な事を言わなければ受け入れない莉緒が可哀想で怒りが増す。家族だって、血が繋がっていたって、気持ちがなかったら他人と一緒だ。
「言うだけなら簡単なんだよ。そんな事誰だって言えるよ。だいたい今まで男に夢中だったのに気が向く訳ないじゃん。莉緒に貰ってるお金も男に貢いでるんじゃないの?なんで今まで何もされなかったのに信じてんの?おかしいの分かるでしょ?」
「…違いますよ。お金を何に使ってるかはっきり分かりませんけどお母さん一人で生活するのは大変だし、お母さんは…」
「生活するのが大変なのは皆一緒でしょ?いい大人が自分一人なら最低限の生活はできなきゃおかしいんだよ。私の言ってる意味分かるでしょ?」
あいつは、莉緒のお母さんは莉緒の話しかける声なんか何にも聞き入れていなかった。そして莉緒を見てもいなかった。金にしか興味なんか無さそうだった。それだけでもう物語っている。黙った莉緒は苦笑いをすると口を開いた。
「…でも、それでも私のお母さんなんです」
その無償の愛はただ胸を締め付ける。
それでも私は認めたくなかった。
あんなの……、あんなのお母さんになんて見えない。
「親だからって何でもしていい訳じゃないでしょ」
「でも……でも、私には、お母さんしか家族がいません。私にはお母さんしか無条件で何か思いあえる人はいません。お母さんは、お母さんは……私より何も思ってくれていないかもしれないけど私は、……私にとってお母さんはただ一人の人なんです」
莉緒の気持ちにさらに心を揺さぶられてしまう。
莉緒は分かっている。私に言われなくてもお母さんにどう思われているか。でもお母さんだから、親だからどうしても期待して求めてしまうのだ。
あんな事をされても子供だから。家族だから。
親子の血がそうさせるのか、はたまた一緒にいた時間が長かったからなのか、……呪縛のようなそれに囚われている莉緒は哀れに見えた。
私は断ち切れたのに、莉緒はそれを大切にしている。
なぜだ?
莉緒も私と同じように愛に飢えているのに愛をくれもしない人にいつまでもすがっている。
莉緒の顔を見ていると涙が出そうだった。
まるで小さな子供のようにこの子は本当にただ純粋なんだ。
何に対しても、私みたいに汚れて壊れていないから純粋に捉えている。
この子の心はとても綺麗なんだ。
莉緒はいつもみたいに嬉しそうに話した。
「お母さんたまに笑ってくれるんですよ?お金渡す時にお母さんのために甘いもの買って行くと喜んでくれて、ちょっといつもより話してくれるんです」
「……」
「それにこないだはお母さん体調悪いみたいだったから色々買い込んで渡したらこんなにいらないって言われて、……ちょっと怒られちゃいました。お母さん意外に…」
「もういいから…」
純粋なこの子をあの親が汚しておかしくしているみたいで胸糞悪い。
子供なだけで何でこんなにも都合良く利用されないといけないんだ。
分かっているのに笑う莉緒を見ていると私は息苦しさを感じて辛かった。
莉緒は私みたいに壊れてほしくない。
この子は、この子はあんなやつに育てられても綺麗で壊れずにいるんだ。
この子だけは普通に幸せになるべきだ。
いや、ならないといけない。
だから私が守ってやる。
私は無言のまま車を走らせながら決意していた。私は遅かれ早かれ必ず死んでしまうけれど、死ぬまではこの子を人でなしから守らないときっと私のように狂ってしまう。
私のようなおかしい人間にはどうしてもなってほしくないんだ。
きっと人に対しても、生きる事に対しても絶望してしまうだろうから。
莉緒にはあの気持ちを味わってほしくない。
私達はそれから海につくまで一切会話をしなかった。
ただ車を走らせて無言で目的地に向かう。
そして海についてから駐車場に車を停めると砂浜まで莉緒と歩いた。
「綺麗だね」
海を見ながら話しかけるも莉緒はずっと気まずそうな、不安そうな顔をしている。
「はい…。綺麗ですね」
「疲れたからちょっと座ろう?」
「はい…」
砂浜に一緒に座って海を眺めながら休憩する。海の匂いと音がして心地いい。私は莉緒の腰に腕を回した。
「……私は…莉緒を愛せてるんだよね?」
私は唐突に問いかけた。
以前私に莉緒が言ってくれた言葉だ。莉緒は戸惑いながら頷く。
「…はい。…先生は、私を愛してくれていると思います」
親の愛を信じたい莉緒の気持ちがそうさせているのが今なら分かる。これは本当にしないと絶対にダメだ。
「……私はいつか自殺すると思うけど死ぬまでは莉緒と愛しあえる関係になりたい。期間は短いかもしれないけど、それこそ無条件に想いあえる仲に本気でなりたいと思ってる」
私は本気になる事すらなくなって、誰にも何も思わなくなってしまったけど莉緒は違う。
莉緒は最初から私に本気でいてくれた。私もそれに本気で応えたい。じゃないとこの子を本当の意味で失くしてしまう。
「……本当ですか?」
莉緒は驚いていたが私ははっきり伝えた。
「本当。……私はまだ好きって思ったり愛したりする事についてちゃんと分かってないけど莉緒の気持ちに応えていきたい。…莉緒を大切にして、莉緒を愛して…幸せにして、それで莉緒の全部を受け入れて守ってあげたい」
私は使命感に駆られていた。これに気づいた私がどうにかしてあげたい。このままだと私みたいになる。黙って見てるなんてできない。
この子を今さら手放して自分本意なやつには渡せない。
「……嬉しいです。初めて言われました…」
莉緒は嬉しそうに涙を溢した。
「なんか……夢みたいで信じられません」
「夢な訳ないでしょ…」
「分かってますけど…先生がそんな事言ってくれると思ってなかったから…。すごい嬉しいんです」
「………あっそう」
こう泣かれると対応に困る。莉緒は私に凭れかかってきた。その温もりは鬱陶しく感じない。
「先生が本気になってくれるなら私も今まで以上に頑張りますね?先生だけのために尽くしていっぱい幸せにして愛します。私は先生を一番愛してるので、先生に負けないくらい愛しますから覚悟しててくださいね?」
「そう」
「ふふふ。先生が死ぬ時までずっと幸せにして愛しますよ。…ずっと愛して、好きでいますからね?」
「うん。……莉緒」
「なんですか?」
無邪気に笑う莉緒に一つだけお願いした。
「もうお金渡すのはやめて」
あんな事はもうさせたくない。あんなやつに好意を向けさせたくないんだ。莉緒はさっきは否定していたのに、今は笑って頷いてくれた。
「…分かりました。先生が言うならやめます」
「会いたいなら会ってもいいけど、お金は本当にやめてよ」
「はい」
それでも妥協はする。純粋な気持ちは潰せない。
私はそのあと綺麗な海を見ながら莉緒とデートを楽しんだ。莉緒は嬉しそうに腕にくっついてきて、私はそんな莉緒を連れて近くの露店で甘いものを買って食べたり、ちょっとしたお菓子も買ってあげた。
莉緒はずっと嬉しそうに笑っていたが笑う莉緒を見て私は気づいたら少しだけ笑っていた。
私はこの子の存在のせいで何かが変わってきている。それを実感できるくらいその日のデートは充実していて楽しく感じていた。
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