第15話


何だかんだ家に帰ってくるのは昼過ぎだった。久しぶりにこんなに家を空けた気がする。家に入ると莉緒の靴が玄関にあった。また勝手に来たのを悟った私はソファに座っている莉緒を見つける。


「先生お帰りなさい。どこ行ってたんですか?」


「泊まってた」


莉緒はすぐに嬉しそうに私の元にやってきたけど一瞬で目の色を変えた。


「女の人ですか?甘い違う匂いがします」


「そうだけど」


「彼女ですか?それともセフレですか?」


笑っているのに莉緒の目は笑っていない。莉緒のこんな様子を見るのは始めてで、私は少し動揺していた。


「友達」


「朝帰りなのに本当ですか?」


「本当だよ。それに、こないだ付き合うって話したじゃん。彼女は莉緒でしょ」


あれは軽く言ったけれど不誠実な事はしない。莉緒は私の腕を強く掴んだ。


「そうですけど……私、魅力ないですか?」


莉緒は必死そうだった。


「正直へこんでるんです。いつも通用してた事が先生には全然通用しなくて、頑張っても空回りして……人に好きになってもらうのって難しいんだなって実感してます。言葉だけ特別になっても私の立ち位置は先生の中では変わってませんよね?…知ってますよ。それでも嬉しいからいいんですけど…。…でも、私、もしかして嫌な事してますか?それだったら教えてほしいんです。私なりに先生を愛していくつもりですけど先生の嫌がる事はしません……」


要は不安だって事か。私はすぐに解釈していた。莉緒はポジティブな方だが今までと勝手の違う相手に自信がないようだ。私は嫌なんて言ってないが分かりにくいんだろう。これは私のせいでもあるので少し悪く思いながら莉緒にキスをした。付き合うと言ったし、言ったからにはそれがどういうものか分かってから終わりにしたい。


「莉緒の事はそれなりに好きだよ。でも、まだ恋愛的に好きではないしそんな風には見れてない。だけど私は付き合ってる以上やましい事はしない。自分がやられて嫌な事はしないよ」


莉緒が信じられないならそれまでだがどうだろう。冷めた気持ちで見つめていたら莉緒は笑って抱きついてきた。


「じゃあいいです。先生が私を少しでも好きでいてくれるならいいです」


「……そう」


この子が私を疑わないのは私を見抜けているからなのか。莉緒は私の言葉を聞くといつも嬉しそうにしている。見ていたくなるものじゃなかった。


「……あと、嫌な事も特にないから」


それでもこの関係には意味があると思うから継続していく。なにか得られるのであれば欲しいんだ。喉から手が出るほどに。


「分かりました。先生私にしてほしい事はありますか?」


「…特にないけど」


「じゃあ、私からお願いしてもいいですか?」


今度はなんだ?めんどくさい事を言われそうな予感がする。莉緒は体を離すと私を見つめた。


「なに?」


「私に触ってくれませんか?」


やはり私の思った通りだ。仲の良い気心知れた相手ならいいが莉緒はまだ違う。


「……勝手に抱きついたりしてるんだからそれでいいでしょ」


「先生からも触ってほしいです。頭撫でたり、抱き締めたりしてほしいです…」


笑っていたのにもう不安そうな悲しそうな顔をする。私はそれに流される事もなく普通に答えた。


「デリヘルで散々やってるでしょそういう事は。別に私じゃなくたって…」


「デリヘルは辞めますよ」


「え…?」


生活のためにやっていたはずなのにそれは私を戸惑わせた。莉緒はそれでもいつも通りだ。


「先生のために辞める予定です。代わりに有料のデートコースはしますけどね。あとキャバクラも。これだけはお金が必要なので辞められませんけど、私は先生だけのものになりたいんです。先生を愛するのに誰かとセックスしてる場合じゃないので」


「……生活は?大丈夫なの?」


「はい。キャバクラの出勤増やしてますし有料デートにデリヘルのお客さん流れてくれましたからそこまで問題ありません」


本気なのは前から気づいていたがここまでやるとは思わなかった。この子は本当に私のために行動している。こんな私のために行動するのはいったいなぜだ?


「……なんでそこまでするの?」


異様に好かれている理由が分からない。私は好感度を上げようと行動していない。莉緒は私の首に抱きつくと愛おしそうに囁いた。


「好きだって感じたからです。最初から……私はこの人だって思ってました。私には先生しかいません。……本当に好きです。…全部、全部よく見えます」


「……死のうとしてたのに?」


腰に腕を回して顔を近づける。私を否定しろ。そう思っても莉緒はうっとり笑ってキスをするだけだった。


「それも魅力的ですよ先生?…綺麗なのに消えちゃいそうな光みたいで……本当に、綺麗で…大好きです………」


なんで否定しないんだ。この子は私を嫌いにならないのを証明しているみたいだった。

莉緒の目が語っている。心酔しているかのように私を見るのは私を受け入れて、魅力を感じて好きでいるからだ。じゃなきゃ心酔したような眼差しなんか向けないし嬉しそうな顔もしない。底が見えない深い想いをぶつけられた事がない私は戸惑っていた。



「先生……キスしてくれませんか?……キス……したいです……」


もう吐息が触れる距離にいる莉緒は興奮したように私を見つめる。初めて見る莉緒のその顔は魅力的だと思うが何もする気はない。私はその興奮を抑えるように顔を逸らした。


「さっきしたでしょ」 


「……じゃあ、あの時みたいに首を絞めてください」


衝撃的な発言を嬉しそうにする莉緒は私の手首を掴まえると自分の首に押し当てた。莉緒はまだ女の顔をしている。


「先生……首、絞めてください。キスがダメなら私を苦しめてください」


「なに言ってるの?嫌でしょ?」


あの時の顔が目に浮かぶ。この子の嫌がらない姿が狂気的に見えて恐怖を感じる。



「嫌じゃないですよ?あの日の事思い出すと濡れちゃいます。……先生に見下ろされて、暖かい手で首を絞められて、苦しかったのに嬉しくて……本当に気持ちよかったです」


「…死ぬかもしれないのに?」


「はい。死んだっていいんですよ私は。先生に殺されるなら幸せな事です」


この子の喜びは歪んでいる。嬉しそうに話す莉緒は自分の命すら私に差し出している。何とも言えない不信感を感じたけれどこの底無しの想いを持つ莉緒には応えてみたいと思っていた。


莉緒の気持ちは嘘じゃないし自分の欲のためでもない。


莉緒は私を愛してくれるんだ。


それが私を莉緒から離れさせない。私は莉緒を強引にソファに押し倒した。


「んっ、先生……」


「してあげる」


殺されて幸せだなんて感じてみたい気持ちだ。幸せすら分からない私は莉緒の上にまたがると首に手を添える。


「先生、素敵です。もっと私を見てください」


「見てるよ。ずっと見ててあげる」



私は莉緒から目を逸らさなかった。

あぁ、早く喜びを感じる瞬間を私に見せてくれ。そして感じさせてくれ。好きでいてくれる人を喜ばせると言うのがどういう事なのか。




嬉しそうに私を見つめる莉緒の首を両手で絞めた。指に力を込めて息ができないように、押し付けるように首をキツく絞める。細い莉緒の首に私の指は食い込むようだった。

莉緒はそれでも抵抗も何もせずに私を穏やかに見つめた。


「気持ちいいの?」


「……はぃ……きもち…いい…です」





苦しそうに発した莉緒は首を絞める私の手の上に優しく自分の手を重ねてきた。莉緒のその言動に私は心が冷えるような感覚を覚えて緊張した。だが手は緩めなかった。

幸せのためなら離したくないんだ。



「……け、……景子……さん」


私を呼ぶ莉緒は穏やかな表情を少し歪ませる。



「なに?」



「苦しめて…くれて…ありがとう……ございます」


「……」



理解できない。

一歩間違ったら殺してしまうかもしれないのに私は何も言えなかった。なぜ苦しそうなのにお礼を言うんだ?心が揺れる。莉緒はまた私を呼んだ。



「けい…こ…さん」


「……なに?」


「め、……そらさ…ないで?……」


「分かってるよ」


もうそろそろ離さないと本当に死んでしまうかもしれない。しかし嬉しそうな顔を見ると離してはいけない気がしてしまう。私が迷っていたら莉緒は苦しそうににっこり笑った。















「……あい…してます……」




その言葉に衝撃を受けた私は手を緩めてしまっていた。


殺されるかもしれないのに、苦しい状況の中で心から発したような言葉にしか聞こえなくて酷く動揺してしまったのだ。


なぜだ?首を絞めて殺すかもしれない私を愛しているだなんて……おかしい。

莉緒は少し咳き込んで荒く呼吸をしながら私の頬に手を伸ばして触れてきた。


「……なんで泣いてるんですか?」


「え…?」


私は莉緒に言われてから自分が泣いている事に気づいた。無意識に流れた涙を拭う莉緒は穏やかに笑っている。


「可愛い景子さん。怖くなったんですか?」


「……莉緒は怖くないの?」





怖かったのかは分からない。涙の理由が自分では分からない。でも心は動揺している。今までにないほどに。


「怖くないですよ。景子さんがいるから私は怖くないです」


「……そう」


ここまでの信頼をおかれるのは好きだからなのだろうか?莉緒が近くにいるのに理解できない。莉緒は私の目元にキスをすると微笑みかけた。


「気持ちよかったですよ景子さん。セックスと同じくらい興奮して気持ちよかったです。ありがとうございます」


「……莉緒」


「はい?なんですか?」


笑う莉緒が儚く見えてよく分からない気持ちに流されて私は莉緒をキツく抱き締めた。セックスと同じくらいだなんて、あれはいけない事じゃないのか?私はどうにかなりそうだった。


「こうやって抱き締められるのはどう思う?」


「そんなの嬉しくて幸せに思いますよ。それに景子さんが暖かくて気持ちいいです」


「じゃあ、キスは?」


体を離して莉緒にキスをして目を見つめる。もう流されてしまいそうだ。莉緒の気持ちがいつも本当だから、おかしく感じても受け入れてしまいそうなんだ。莉緒は私に自分からキスをすると恥ずかしそうに答えた。



「気持ちいいです。……景子さんが好きだからキスも嬉しくて気持ちよく感じます」


「そう……」





……そうか、もう抗わなくていいのか。

これが愛なのか。これが愛情に応えるという事なのか。私は笑った。疑問はいらないんだ。



おかしいと考えるのは私が知らなかったからだ。




「景子さん?…んっ……はぁ!…あっ……んんっ!……」


私は莉緒に強引にキスをして口腔内をまさぐった。これが愛なら、これが愛する事ならもっと知りたい。もっと見せてほしい。抵抗をしない莉緒は私の頭を抱き締めるといやらしい声を漏らしながらキスに応えた。


「景子さん……はぁ…んっ…はぁ……景子さん…好き……」


「はぁ……んんっ……はぁっ……」



舌を絡めて吸い付いたと思えば奥まで舌を侵入させて味わうように舌を這わせる。キスをする音は卑猥に聞こえるが性的な興奮よりも違う興奮を感じる。


私の知らなかったものを教えてくれる莉緒は今の私にはたまらなく欲しいものだった。この子の近くにいれば分かるんだ。唇を離すと莉緒は恍惚とした眼差しを向ける。


「景子さん……キス、うまいですね……。キスで初めて感じちゃいました」


「……嬉しくて幸せになった?」


「はい。……ドキドキして嬉しくて……本当に幸せで頭がおかしくなりそうです……」


キスが喜びに繋がる感覚は分からないが私は愛せているかのようだった。でも私は莉緒の上から退いた。近くにいて、触れているだけでよく分からない気分になってくる。ふわふわしたような嫌ではない何かは形容しがたい。





「景子さん?しないんですか?」


ソファに座り直した莉緒は立ち上がった私を見つめる。興奮が冷めていない莉緒の頬を撫でた。




「今はまだできない…」


私はまだ理解できない気持ちがあるから怖かった。セックスをするのなら確実な気持ちがほしい。じゃないとまた疑いそうで、がっかりしてしまいそうで嫌だ。莉緒は私の手を握ると指にキスをした。


「分かりました。じゃあ先生をもっと愛しますね?いっぱい愛して幸せにして…ちゃんと我慢して待ちます」


「……ありがとう」


莉緒は小さく首を横に振る。さっきまで興奮していた彼女は落ち着きを取り戻している。


「お礼なんて私が言いたいくらいですよ。あんなキスまでしてくれて……忘れられません。もっと好きになりました景子さん。景子さんが首を絞めてくれたおかげです」



そう言って笑う莉緒の笑顔が私には魅力的に見えた。


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