第10話
私が死のうとした日から数日、莉緒はまた勝手に私の家にやって来た。あの日から変わらずに仕事をしてなぜ受け入れてしまったのか考えていたが莉緒とは連絡を一切していない。それにあの日から莉緒には会っていなかったから莉緒は部屋に入ってくるなりソファにいた私に抱きついてきた。
「先生会いたかったです!来れなくてごめんなさい!」
「……分かったから、邪魔だから離れて」
「分かってますよ」
莉緒はにこにこしながら離れると机にビニール袋に入った箱を置いた。
「先生にお土産です。すっごく美味しいシュークリーム買ってきました。一緒に食べませんか?」
「ありがとう。明日食べる」
あまり興味がない私はテレビのチャンネルを変えながら答えた。今日は面白いのがやっていない。
「今食べましょうよ?先生驚きますよ美味しくて」
「莉緒だけ食べてたら?私はいいよ」
「んー、じゃあ私も明日先生と食べます」
莉緒は残念そうに冷蔵庫に持って行ってしまった。食べたいなら一人で食べてたらいいのによく分からないやつだ。
「先生お風呂借りていいですか?」
「勝手にしていいよ」
「ありがとうございます。じゃあちょっと借りますね」
今日は泊まるんだろう。ごねられると面倒だから聞かない事にする。莉緒は荷物を置くとそそくさとお風呂に向かった。私はその間テレビを見ていたのだが仕事の疲れで少しうたた寝をしていたようで気づいたら眠っていた。
「先生?」
しかし体を揺らされて目を覚ました。莉緒はもう寝巻き姿だ。最近疲れのせいでこんな事が多い。莉緒がいなかったらこのまま寝ていただろう。
「ここで寝たらダメですよ?ベッド行きましょう?」
「うん……」
あくびをしながら立ち上がると一緒にベッドに向かった。
「今日は忙しかったんですか?」
ベッドに入ると仰向けの私の腕に抱きつきながら莉緒は話しかけてきた。
「まぁまぁ」
「そうですか。お疲れさまです先生。よく頑張りましたね」
「……なんなのいきなり」
すぐ隣からまるで子供にするように頭を撫でられても反応に困る。莉緒は嬉しそうに笑っていた。
「先生の疲れがなくなるようにしてるんです」
「…あっそう」
よく分からないしこれ以上何か言ってもめんどくさいのでとりあえずじっとしていた。
「先生?」
「なに?」
「これから会える時は好きって言ってキスしてもいいですか?先生が嫌ならしませんけど…」
理由をつける莉緒は莉緒なりの愛情表現をしたいのだろうか。あまり賛同をする気にならないがこの子がどうやって私を愛してくれるのか見てみたい。
「勝手にしたらいいんじゃない。愛してくれるんでしょ?だったら好きな事したら?」
「もちろんです。ありがとうございます先生」
莉緒は横から私の頬にキスしてきた。
「私は強要してる訳じゃないので答えなくていいですからね。これからする事は全部私なりの愛を伝えてるだけですから」
この申し出はこの子なりに私を気にかけてくれてるようだ。私は頷いた。
「うん……」
「ふふふ。先生今日も大好きです」
嬉しそうな莉緒はまた私を呼んできた。
「先生?」
「なに?」
「こっち向いてください」
「なんで?」
まためんどくさい事を言っている。一応問いかけるもよく分からない返答をされた。
「私の事見てほしいんです。それに私も先生が見たいです。体こっちに向けてくれませんか?」
「…見てどうすんの?」
これだけ近くにいれば変わらないだろう。しかし莉緒はむきになっていた。
「先生の事癒してあげたいんです。それに先生を愛してるって伝えたいんです」
「……別にこのままでもよくない?」
「よくないです。ちゃんと見ないとダメなんです。先生こっち向いてください」
「めんどくさい」
「めんどくさくないです。ちょっと横になるだけです。先生早く見てください」
どうあがいても引き下がる気がなさそうなので私は言われた通り莉緒の方に体を向けてやった。めんどくさいこだわりだ。
「これでいいの?」
莉緒は嬉しそうににっこり笑った。
「はい!先生ありがとうございます。大好きです」
「よかったね」
「ふふふ。先生頭撫でてあげますね」
莉緒は私よりもはるかに年下なのにさっきから年上ぶりたいのかなんなのか……。撫でてくるのを受け入れていたら嬉しそうに私を見つめながら呟いてきた。
「先生?私はこうやって目を合わせて触れるだけでも嫌な気持ちは無くなると思うんです。先生は嫌な事を思い出さなくていいですからね?考えるだけ苦しいだけです」
「……そうだね」
莉緒の言っている事は分かる。でもあの忌々しい記憶は私の頭に不用意に幾度となく現れて苦しめてくる。莉緒にこうされてもあいつらの残像が目に浮かぶ。苦しくなった私は莉緒をじっと見つめながら話しかけた。
「莉緒」
「なんですか?」
「ちゃんと宗教を信じてなかったから愛とかそういう事も分からないし幸せになれないのかな私」
莉緒は撫でる手を止めて切なそうな顔をすると私の手を握った。
「…なんでそう思うんですか?」
「物心ついた時から宗教が嫌だったから信仰してなかったんだけどいつも怒られてたんだよね。不幸になる不幸になるって言われて信じないのはおかしいって家族皆に言われててさ。でも今でもカルトみたいでおかしいと思うから信じられないんだけど、この年まで生きて幸せになれないってそうなのかなって思って」
心から幸せを感じる瞬間なんてなかった。誰といても、誰と付き合っても、あぁこんなもんか程度の気持ちしか芽生えなかった。
だから考えてしまう。
あの時反発せずに信じていたら違う未来になったのかもしれないと。
「……違いますよ。私は先生の幸せのタイミングが遅かっただけだと思いますよ?」
莉緒は目を潤ませながら私を見つめた。
「皆タイミングがあると思うんです。初めて付き合う時とかセックスする時とか、仕事を始める時とか、それは人それぞれですよね?皆違います。その都度感じる事も全部です。私は幸せも同じだと思うんです。二十歳で幸せを実感する人もいれば三十歳で幸せを実感する人もいます。だからそのタイミングが今やっと来ただけですよ。これから私が絶対に幸せにしますから間違いありません」
莉緒は小さく笑うと目にいっぱいに溜めていた涙を溢した。莉緒がなぜ泣いているのか分からないけれど言っている事は私を納得させてくれた。その前向きな考え方は嫌いじゃない。
「………じゃあ、期待しないでいるよ」
それでも期待するのは嫌だ。何度も裏切られて嫌な思いをした。自分が思ってるよりも相手は思っていないのを嫌なくらい理解した。だから期待というよりは様子を伺ってみるのだ。
今が私の幸せのタイミングかはまだ分からないはずだ。それなのに莉緒は泣きながら笑った。
「期待してください。私がいっぱい愛して幸せにしてあげますから」
「泣いてるのにできるの?」
「できますよ。これは違いますから」
違うって何が違うんだろう。私はこの子と似ている部分があるのにあの日から理解できない。莉緒は涙を拭った。
「先生いつも顔に表情が出ないのにすごく苦しんでたんだなって思うと涙が出るんです。先生が好きだから私もすごく苦しくなるんです」
他人なのに、私の心は見えないはずなのに何を言うんだ。莉緒は涙を拭いながらますます泣いていた。
「先生ごめんなさい。愛してるのに全然理解してあげられてません私。知らない事ばっかりで…ごめんなさい」
「……莉緒が謝る事じゃないでしょ?」
なんでこんなに泣くんだろう。私は動揺していた。謝るのも泣くのも違う気がするのに自分の事みたいに泣くなんて疑問しか浮かばない。
「だって先生が可哀想で……胸が痛いです。……うまく先生を癒してあげられません」
私の事なのに莉緒は本当に辛そうに泣いていた。それを見ていたらなぜか胸が痛む感覚がして私は莉緒の背中に腕を回していた。
「寝れないから早く泣き止んで」
言葉とは裏腹に私は優しく背中を撫でてやった。この気持ちは分からない。でも泣いているのを放っておいていいはずがない。莉緒ははいと言いながら私に強く抱きついてきた。
私はそのまま莉緒が泣き止むまで背中を撫でてやっていたら莉緒はしばらくして泣き止んだけどそのまま眠ってしまった。こうやって人の温もりを感じるのは久々で少し戸惑ったけど悪い気はしない。腕の中にいる莉緒の温もりが心地よいものに感じたから。
その日から莉緒は私にくっつくようになった。家にいる時は常に密着してくるし寝る時は莉緒の方を向かないと怒るから莉緒の方を向いている。そして莉緒はいつも私に好きと言ってキスをしてきた。
私はそれでもまだ分からなかった。これは愛なのかどうなのか。これが愛するという行為なのか私には全く理解できない。まだもう少しこの子といないと私はこの子の気持ちを理解してあげられない。
莉緒は私の中で興味の対象になってきていた。
そうやって莉緒に強い関心が芽生えながら今日も仕事中の暇な時間に携帯をいじっていたら莉緒から連絡がきた。
[先生今日は飲み会ですよね?お仕事頑張ってからいっぱい楽しんできてください!私は先生が心配だから先生の家で待ってますね!自力で帰れなかったら私がタクシーで迎えに行きますから言ってください。今日も大好きです]
私は返事をしない事が多いのに連絡を寄越す莉緒は非常にまめで記憶力が良くて水商売をやってるだけあるなと思う。でもキャバクラで営業があると思うし莉緒が面倒だと思うから連絡しなくていいと言っているのに莉緒は嫌です!と即答してきた。
これも莉緒の愛し方の一つなのかなと思った私はそれですぐに頷いたがたまには返さないと悪いかなとも思った。まともに返した事が今までない。
「先生三番に夢ちゃん通しました」
莉緒に返信しようとしたら助手の子に呼ばれてしまった。私は返事をあとにする事にして医局から出ると三番ユニットに向かった。
カルテを確認すると今日は痛みが出たから来たみたいだ。
「夢ちゃんこんにちは。今日はどっか痛くなっちゃったの?」
私はユニットに座っている八才のお喋りの女の子に話しかけた。夢ちゃんは小児のくせにお喋りで純粋だ。
「うん!昨日転んだから膝が痛いよ」
「膝?なんか遊んでたの?」
「うん。鬼ごっこしてたら転んじゃった」
歯の事を聞いたのに子供はこれだから苦手だ。私は笑いながら椅子を倒した。
「もう気を付けないとダメだよ。じゃあちょっと見せてね」
「うん!あっ!そういえば上の歯が唐揚げ食べたら抜けたよ?」
指を差しながら教えてくれる夢ちゃんはいつも面白い事を言ってくる。私は笑っていた。
「唐揚げ?面白いね。痛かった?」
「ううん。あれ?って感じだったから平気だった!」
「そう。痛くなくてよかったね。じゃ開いて?」
私はそれから診療を始めた。
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