第8話
それでもどこかで好きでいるのを感じ取った私は複雑だった。私は家族が好きなんて感情はない。記憶から消してしまいたいくらい嫌なやつらだった。それなのに莉緒はかけがえのない肉親だから好きなのだろうか?それともちょっとした優しさを愛って感じたから?
あぁ、理解できない。理解できないけど人を好きと思える考え方はとても羨ましかった。変な親のせいで私には好きという事が理解できない。
「そう。莉緒はいいね」
莉緒は親が関心を示してくれなくても自分で探し出せた。私が理解したいと思った事を。そして幸せを感じてきたんだ。私が一番欲しいものを。そう考えると羨ましくて羨ましくて言ってしまっていた。私はこの年になっても分からないのになんでこの子は理解できたんだろう。
莉緒は私の気持ちなんか知りもせずに嬉しそうに話しだした。
「先生の方が良いじゃないですか。歯医者さんで立派なマンションにも住んで、美人で優しくて…素敵です。……いつもあしらってくるけど私にはとっても魅力的です」
こんなに嬉しそうなのは私が莉緒に自分の話をしないからだ。それをずっと感じていた。莉緒は私をイメージ通りの優しくて素敵な人だと思ってるんだろう。
今更話す気もないが勝手にそうやって思っていてくれて構わない。この関係は終わりが見えている。
「金目当てなんじゃないの?」
ちょっとからかって言ってやったら莉緒は真面目に否定してきた。
「違います。私は先生が本当に好きです」
「へぇ」
まためんどくさい事を言っている。莉緒は私の手を強く掴んできた。
「先生本当ですよ?好きじゃなかったら家に押し掛けたり、跡をつけたりなんかしません」
「うん、跡つけんのはやめた方がいいんじゃない?警察沙汰になってもおかしくないから」
莉緒は私の指摘に動揺する。悪いとは思っていたようだ。
「それは……そうですけど…。…先生何にも教えてくれないんだもん」
「……そんなに何知りたいの?こないだ教えたじゃん」
ただの三十過ぎの女なんだけどこの子は私の何にそんなに興味があるんだろう。莉緒はまた拗ねていた。
「……全部知りたいです。先生の事は何もかも全部知りたいんです。……どんな友達がいるとか、何が好きとか嫌いとか……先生が好きなのに私全然知りません」
「知ったらどうするの?」
「知ったらもちろん覚えます。絶対忘れません。それで少しでも先生を理解して喜ばせてあげたいんです」
無邪気な笑顔は眩しかった。この子は風俗をやってるくせに純粋だ。関心も持たれていない親を想っているくらいだ。そりゃそうだ。私は莉緒を見ていると苦しくて体を仰向けにした。莉緒と私は似ているけれど決定的に違う。その違いのせいで自分が汚れて見える。
私の純粋な心はすでに死んでしまった。
「先生?もう寝るんですか?」
「うん。もう眠いからその話は今度ね。明日仕事だし」
「分かりました。先生チューしてもいいですか?」
断っても意味がなさそうなそれは目を瞑りながら流した。
「早く寝て。おやすみ」
「はい。おやすみなさい先生」
莉緒は私の頬に思った通りキスをしてきた。
全く気に入らないガキだ。
莉緒はその日からよく私の家に勝手にやって来た。携帯では私が流すし適当にしか返事をしないから埒が明かないと思ったんだろう。頻繁に訪れては勝手に料理を作ったり部屋の掃除をしたり洗濯をしてくれていた。
それに関しては頼んでないんだけどと言ってもやってあげたいんですと言われて、断っても無駄な事を察した私は特にもう何も言わなかった。
私の部屋にあるのはせいぜいゲーセンの景品くらいで他は特にない。
取るだけ取って満足している私は景品を飾ったりしないから溜まったら売りに行くのだが莉緒は景品を物色したみたいで机にはいつ取ったか記憶にないような可愛らしいフィギュアが勝手に飾られていた。
そうやって莉緒が私の生活に勝手に入ってくる中私は自分の誕生日を迎えた。
ついに今日を迎えてしまったが、仕事をしてゲーセンに行ってバッティングセンターに向かって莉緒とちょっと話すだけで楽しい事や嬉しい事は発見できなかった。
しかし、今日は自分なりに楽しんで充実した日にしようと思う。今日は休みを取っていたから私は朝から出掛けていた。まずは朝一で気になる映画を見て笑ってからバッティングセンターに行って何本か満足するまで打つ。それから昼頃友達と待ち合わせてランチを一緒に取る事になっている。
今日は久々に会うから楽しみだ。
店に入ると果菜美がもう待っていた。
「果菜美久しぶり」
「あぁ!景子久しぶり!会いたかった!本当に久しぶりだね」
「本当だよ。子供はどう?」
私は席に座りながら尋ねた。果菜美は若い時にバーで知り合った友達だ。ずっと事務として働いていたが偶然知り合ったサラリーマンの旦那さんと結婚した果菜美は今じゃ子供が二人もいるお母さんになった。
「もー、全然話聞かないし落ち着きないしうるさいし大変だよ!今日お母さんに預けてるけど何かこんな静かにご飯食べるの久しぶりかも」
「まぁ男二人じゃそうなるよ。ていうか今日何食べる?ここのランチ美味しいらしいじゃん」
「そうそうランチ美味しいんだよ!んー、どれにしよっか」
私は果菜美と悩んだ末にステーキセットにした。ここは肉の味が一味違うらしいので楽しみだったが本当に美味しかった。
「ここの肉美味しいね!幸せ」
「だね。ていうか、果菜美仕事大丈夫?」
私は食べながら気になっていた事を聞いた。果菜美は子供の学童も決まったしお母さんも協力してくれるみたいだからパートとして働きだしたのだが心配だった。
「ただの事務だから平気だよ。昔の勘を取り戻しながらやってるけど結構良いところでさ、子供が熱出ても休みやすいから助かってる」
果菜美の子供は最近小学生になったばかりだから色々あるだろう。理解のある職場みたいだ。
「そうなんだ。良かったね、安心した。久々の仕事は大変でしょ?」
「まぁね。でもこれからまだまだお金かかるし働かないとだからそんなの言ってらんないよ。習い事とかやりたい事はやらせてあげたいしね」
果菜美は笑って言った。果菜美のこういう親として真面目で優しいところは本当に良いなと毎回思ってしまう。私の親はこんなんじゃなかった。
「それより景子は?最近どうなの?」
聞かれたところで私は何もない。平凡でつまらない毎日だ。
「特に何もないよ。私はやっぱり独身を貫く予定」
「景子は絶対曲がらないね。じゃあもうクラブとか行かないか?」
「行かないよ。もうばばあだよ私」
若い時はよく二人で行って朝まで遊んだ。それも今じゃしなくなって時の流れを感じる。果菜美は懐かしそうに話した。
「昔は毎週行ってたのにね。あの頃楽しかったなぁ。しつこいナンパにぶちギレてひっぱたいてた景子忘れられない。あれ本当に今思い出しても笑える」
その話はいつだかの気持ち悪すぎたナンパだ。私も忘れられない。あの頃は若いからキレやすかった気がする。
「あれね。私もあんな事したのあれっきりだわ。アイツすごい驚いてたよね」
「確かに。あんなしつこくしたら殴られて当たり前なのになんで驚いてたんだろうね。あれ本当強烈。私も子供に言い聞かせないと。しつこくしすぎないようにって」
「ふふふ、そうしな。一番大事だから」
私達は笑いながら昔話もしつつランチを楽しんだ。果菜美とは本当に久々に会ったので話が尽きなくて長話になってしまったが楽しくて充実した時間を過ごせた。子供を預けてるからと急いで帰ってしまったが今日会えて良かった。
私はそれからお決まりのゲーセンに向かった。最近行ったばかりだから新しいのがあまり出てないが今日もフィギュアとぬいぐるみを適当に取った。
その時点でまだ夕方だが私はもうやりたい事がなかったからコンビニで甘い物を買って自宅に帰った。
誕生日だから朝から気合いを入れたけど特にいつもと変わらない日になってしまった気がする。景品を置いて甘い物を食べながら考えた。あとは夜まで待ってドライブして星が綺麗に見える山に向かうだけだが、他に何かいい事が思い付かない。
私はとりあえず食べ終わってからテレビを見てお風呂に入ってご飯を食べた。
窓の外を見ると雨も降ってないし、空も雲がなくて綺麗だ。これならよく星が見える。私はワクワクしていた。きっと星が沢山見えて誕生日を締め括るのに最高だ。出掛ける準備も終わったからそろそろ行こう。そう思っていたら玄関の鍵が開く音がした。
折角の誕生日にまで来てしまうとは。中に入ってきたのは莉緒だった。
「先生お邪魔します。あれ?先生どっか行くんですか?」
莉緒は持っていたビニール袋を机に置いて上着を脱いだ。このタイミングで莉緒が来たのは丁度いいのかもしれない。私は自分の鞄を漁りながら答えた。
「ちょっとね」
「どこ行くんですか?私も行きたいです」
「秘密。莉緒これあげる」
私は鞄から通帳を取り出して渡した。莉緒は突然の事に理解できていなかった。
「え?なんですか?」
「通帳」
「いや、それは分かるんですけど…」
私は車のキーだけ鞄から取り出して上着を着ながら説明する。
「その通帳に入ってるお金あげる。それであげる代わりに悪いんだけど私の部屋とか車よろしくね。もう色々してあるんだけどそこら辺は無理だから」
「え?あの、何がどういう意味なんですか?全然意味分かんないんですけど。なんの話ですか?」
私はあと話忘れていた事を思い出した。
「あー、あと印鑑は私の鞄の中に入ってるからそれと暗証番号は通帳に書いといたし……」
あとはないか?私は考えながらペットボトルの飲み物を冷蔵庫から取り出した。たぶんもうないはずだ。
「分かんなかったから鞄見て?だいたい書いてあるから」
「あの、本当にどういう意味ですか先生?どこか遠くに行くんですか?」
莉緒は私のそばにやって来ると私の手を掴んだ。相変わらずめんどくさいなと思いながら私は答えてやった。
「そんなに遠くはないけど山に行くんだよ」
「山?山で何するんですか?」
莉緒はますます困惑しているようだったがそれよりも時間が気になった。今日は道も混んでないと思うが、私は時計を見ながら話した。
「星見てから死ぬの。じゃあもう行くからよろしくね。ちょっと急いでるから」
私は莉緒の手を離すと計算した。今から二時間かけてこないだ見つけた星がよく見える山に行ったら十一時だから星を見る時間はせいぜい三十分だ。今日は空が綺麗だからもう少し星を眺める時間がほしい。これは仕方ないが少し車を飛ばそう。急いでいけば二時間はかからない。
満点の星を見てから死ねるなんて絶対に幸せだ。私は楽しみに思いながら玄関に向かおうとしたら後ろから莉緒に腕を引かれてしまった。
「先生なに言ってるんですか?本気なんですか?」
莉緒は真面目な顔をして聞いてきた。今は時間がないから莉緒に付き合っている暇はない。
「こんな事で嘘ついてどうするの?もう離して?少し遠いから間に合わないから」
私は莉緒の手を離そうとしたら莉緒は嫌がってさらに腕を引いてきた。
「嫌です。離しません」
「ねぇ、今日は本当にいい加減にして。急いでるって言ったでしょ」
「そんなの行かせられませんよ」
「莉緒」
時間に追われている私はついつい口調が強くなってしまった。莉緒は全く離れる気配がない。私はイライラしながら無理矢理手を振り払ったら、今度は私の目の前に来て通さないようにしてきた。本当に勘弁してほしい。私の予定が狂ってしまう。莉緒はなぜか泣きそうな顔をしていた。
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