第7話


打てなかった事にしょげているこの子を連れて、私は近くのアイスクリーム屋さんに入ってアイスを買ってあげた。そしたらすぐに嬉しそうにしていたからほっとした。


「今日はもうこれで解散ね」


私はアイスを食べ終わって駅まで来てから言った。なんだかんだもう夕方だ。


「え?もうですか?まだ一緒にいたいです」


「疲れたからまた今度ね。それより家はどこらへんなの?」


「●●駅の近くです」


●●駅はここから三駅程の所だ。案外私の駅からも近くに住んでいたみたいだ。私は財布から五千円取り出した。ここからならこれくらいで足りるし余る。


「これタクシー代。お釣りでなんか買っていいから気を付けて帰るんだよ」


「景子さんって本当に大人ですね。でもいりません」


受け取ろうとしない彼女に私は無理矢理お金を持たせた。


「ダメ。今使わなくてもよくタクシーは使うだろうからその時使っていいから」


この子みたいな子はタクシー移動を頻繁にするだろう。それに、こんな若くて可愛い子にタクシー代も出さずに帰すなんてできない。


「景子さんいつもこういう事してるんですか?」


「いつもじゃないけど私もいい年だしこういう心配りは当たり前にできないと恥ずかしいよ」


大人数ならまだしも一人だし年下だからして当たり前だ。彼女は嬉しそうに笑った。


「なんかまた好きになりました」


外でもめんどくさい事を言うなんて。私はため息をついた。


「もう分かったから。さっさと帰りな?」


「はい。景子さんまた会いに行っていいですか?」


その問いかけは意味があるのか?私は呆れながら言った。


「どうせ勝手に来るんでしょ。勝手にしたら?」


「はい。また勝手に来ます」


「鍵失くさないでよ」


「キーケースに入れてるから絶対失くしません」


「はいはいそうですか。じゃあね」


この様子だと鍵を返す気はないらしい。困った話だがそこまで害がないからいいだろう。その日別れた私はまた平凡なつまらない日々を繰り返した。



仕事をしてゲーセンに行って新しくバッティングセンターに向かう。そして休みにはジムに行ったりドライブをしたりとても暇だった。でも、バッティングセンターは教えてもらってからゲーセンよりも頻繁に行った。たぶんストレス発散になっていたんだろう。しかし、私の誕生日までもう一週間を切った。今の楽しくない状態だとまずい。私の誕生日がつまらないものになってしまう。私は朝の仕事に向かう途中に色々考えながらネットでも検索したが行き詰まっていた。


あの子のおかげでバッティングセンターというものは見つけられたがあとはなんだ?考えても思い付かない。私は職場についてから白衣に着替えてコーヒーを飲みながらどうしようか悩んでいたら同期のドクターの飯田裕実が話しかけてきた。


「景子また女から指名されたの?景子どんだけ女キラーなの?」


裕実は大学の同期で昔仲が良かったのだが偶然今の職場で一緒に働いている。昔から気さくなやつだ。裕実は結婚しているのに昔から変わらない。見た目も話し方も若々しい。


「…勝手に言われるだけだから」


「私全然指名なんかされないのに景子女の患者さんにいつもされてんじゃん。今日の朝一の新患も景子指名の女の人だって伊藤ちゃん言ってたよ」


羨ましがられても私はあんまり嬉しくない。


「…髪が長いと診療中邪魔だから私は苦手だけどね女性は。足にかかるし。裕実も小児に人気じゃん」


裕実は小児には大人気である。私は小児が苦手なので伊藤ちゃんにお願いして大体裕実に回してもらっている。


「だって私は前小児専門で働いてたし。小児に好かれてもな~……嬉しいけどさ…」


「小児私は嫌いだから助かってるけどね。あ、もう時間だ」


「あ、本当だ」


くだらない話をしていたら診療時間になってしまった。私はコーヒーを置いて医局から出た。裕実に言われた通りだと朝一の患者さんは新患の女性か。私はアポを確認した。なんかめんどくさくないといいなと思っていたら助手の子が話しかけてきた。


「永井先生新患四番です」


「あ、うん。ありがとう」


私は言われた通り四番のユニットと言われる椅子まで向かった。そしてカルテを持って名字を確認すると椅子に座りながらお決まりの台詞を口にした。







「山本さんですね、初めまして歯科医師の永井です。よろしく……」


カルテから目を離して患者さんに目を向けるとそこには莉緒がいた。驚きと共に呆れてしまう。まさか職場までやってくるとは。名前を確認すると山本莉緒と書いてあるし、いつ知ったんだろう。莉緒は可愛らしく笑っていた。


「先生よろしくお願いします」


「……なにしに来たの?」


「検診です。悪いところがないか見てください」


わざわざ私を指名して予約を取るなんてこの子の行動力は筋金入りだ。もう呆れを通り越してしまった。私はユニットを倒した。


「あとで色々聞きたいんだけど」


「じゃあ今日家で待ってますね」


「そうして。……はい開いてください」


私は少しイライラしながらもミラーを口の中に入れながら歯をチェックした。特に所見は見られない。口腔内の状態は良いしよく磨けている。私はユニットを起こした。


「山本さん歯をあまり直した形跡もないようですし今も虫歯はなさそうですね。今日は久しぶりの歯医者さんですか?」


仕事なのでちゃんとやる事はやる。莉緒は嬉しそうにしていた。


「いえ、前に行ったのは三ヶ月くらい前です。定期的にクリーニングで行ってるんですけど先生が良いって聞いたのでこちらに移ろうと思ってるんです。私どのくらいで検診とクリーニングを受けたらいいですか?」


そこに行けよと思うが莉緒はもうそこには行かないだろう。迷惑な話だ。


「一応は三、四ヶ月に一回は受けられた方が良いかと思います。初期の虫歯は痛みがないのでそのくらいの頻度でいらしていただいてチェックした方が安心かと思います」


「じゃあそうしてください。先生にお任せします」


にこにこ笑うこいつが気に入らない。私はそれでも私を指名している以上断れないので一応レントゲンを撮ってから莉緒の歯をクリーニングした。莉緒は歯並びも綺麗だし歯ブラシもよくできている。歯科医師としてそれを説明したら喜んでいたが、莉緒が帰ったあとに伊藤ちゃんに聞かれてしまった。


「永井先生、山本さんって知り合いなんですか?帰り際に差し入れ貰いましたよ。さっき医局に置いときました」


あいつそんなもんまで持ってきたのか。とても詳しく言えるような関係じゃないので私は適当に嘘をついた。


「あの子親戚の子なの。なんか好かれてて」


「そうなんですか。あの子凄い礼儀正しい子ですね。今時にしては珍しいです」


「あぁ、あの子はね。……いい子だから」


今日は本当にどういうつもりなんだ。色々聞いてやらないと収まらない。私はその日の仕事を莉緒のせいで悶々としながら頑張った。

そして仕事が終わった私は幾らか急いで家に帰った。まずは何を言ってやろう。言いたい事がありすぎて何から言ってやればいいのか。私は家の鍵を開けると莉緒が中から急いでやってきた。


「景子さんお帰りなさい。歯医者さんだったんですね。白衣姿も素敵でした」


「なんで勝手に来た訳?ていうかどうやって知ったの?」


私は嬉しそうな莉緒をスルーしながら荷物を置いてソファに座った。莉緒はすかさず私の隣に密着してきた。


「平日にお休みがあって土曜日仕事で日曜日は休みって医療系かな?って思ってたんですけど景子さんが教えてくれないから跡をつけました」


普通に嬉しそうに言われたがストーカーに近い事をされていて引く。しかし莉緒だ。やりかねない。


「……いつつけたの?」


「初めてお泊まりした日です。景子さんが何も教えてくれないから気になってつけちゃいました」


「だからって私とあなたは…」


「景子さんあなたって呼ばないでください。莉緒です私。ちゃんと名前で呼んでくれないと嫌です」


やたら名前にこだわる莉緒はむすっとしている。一々イライラするがため息をついて落ち着く。


「……莉緒との出会いは風俗なんだから勘弁してくれる?ばれたら大変な事だよ」


「景子さんが困る事はしませんよ?私景子さんの白衣姿が見たかっただけです。景子さんかっこよかったです。あんなに近寄られたらドキドキしました。これから先生って呼んでいいですか?」


「そうじゃなくてさ……」


莉緒はまるで惚気ているかのような表情をしていて頭が痛い。気持ちは分かったがこの子は結構ヤバイ子みたいだ。


「先生ってやっぱりモテますよね?仕事してる先生素敵でした。思い出すとにやけます」


腕にくっついてくる莉桜を離そうとしても離れないのでそのまま話した。


「私はただ仕事してただけだから。莉緒の方がモテるでしょ」


「今は私よりも先生の話です。先生仕事でも綺麗だし優しいから絶対モテますよ。はぁ…ライバルできたらどうしよう」


「モテても結婚する気ないから無駄だよ」


莉緒はそれに安心したように笑った。


「良かった。じゃあ私の入り込む隙はありますね」


「……入り込むも何も付き合う気もないから」


「それは分かりませんよ?私先生に好きになってもらえるように頑張りますもん」


これは好意なのか、こういうやり方なのか分からないがめんどくさいやつに目をつけられたのは確かだ。たまに面白い事を言うからまだいいが。


「先生それよりご飯作りましたよ。うまくできたから美味しいです今日は。食べますか?」


また勝手にやったらしい莉緒に私はもう特に何も思わずに頷いた。


「あぁうん。食べる」



その後莉緒が作ってくれたご飯を食べてお風呂に入ってすぐにベッドに入った。だが、莉緒は帰る気がないみたいで私と一緒にベッドに入ってきたと思ったらまた質問攻めされた。


「先生いくつですか?」


「忘れた」


「じゃあ、先生の嫌いな食べ物は?」


「さぁ」


「じゃあ、先生の好きなものは?」


「忘れちゃった」


適当に流してるのに莉緒は全くめげない。寝たいのに、早く寝ないかなと思っていたら莉緒は手を握ってきた。


「先生」


「なに」


「先生美人なのになんで結婚する気ないんですか?」


結婚結婚ってこの年になるとよく言われるがなんでそんな事ばっかり皆気にしてるんだろう。私は少しいらっときたので逆に訊いてみた。


「なんで結婚したら幸せになるって思ってんの?」


結婚しても離婚してる人なんて腐るほどいる。それなのに皆結婚したら幸せって、一人ってそんなに幸せに見えなくて恥ずかしい事なの?無理して誰かといるくらいなら一人でいた方が何倍も良いだろうに。莉緒は戸惑っていた。


「え?……それは、……なんでだろう。私がレズだから僻んでるのかもしれません」


「そんなに幸せそうな人いなくない?莉緒って子供ほしいの?」


うちの親でさえ幸せそうには見えなかったけど羨ましいと思う結婚してる人がいるのか、子供が羨ましいと思うのか、莉緒は少し黙ってから答えた。


「子供はほしくないです」


莉緒はできたら子供がほしいと思っているのかと思いきや違った。なんで?と聞こうと思ったら莉緒は詳しく話してくれた。




「私、母子家庭でいつも寂しくて嫌な思いしてたから……もし男の人を好きになったとしても子供はいりません。女同士でもほしくないです。私みたいな思いして私みたいな子になっちゃったら嫌だし…」


なるほど、そういう事か。私は妙に納得していた。この子は私と似ているという事だ。類は友を呼ぶと言う言葉は間違っていないみたいだ。




「お母さんの事嫌いなの?」


私とはまた違う家庭環境だから気になった。うちは両親がいたけどどうしても他人の家庭は何でもよく見えてしまう。


「……先生は?」


話したくないかのように私に聞いてくる莉緒に教えた。


「私は嫌い。お母さんだけじゃなくて家族は皆嫌い」


あんなやつら消えてなくなればいいと思うくらい私は嫌いだった。小さい時から皆嫌だった。今でさえ自由になれたけど家族といた日々は地獄みたいに苦痛だった。


「なんで嫌いなんですか?」


「普通じゃないから。普通じゃない人に育てられたから私も変わってるじゃん」


ちょっとした自虐を莉緒の顔を見て笑って言ったのに莉緒は暗い顔をして笑った。


「変わってるのは私です。私のお母さんも……普通の一般的なお母さんじゃなかったです」


「……どんな人だったの?答えたくなかったら答えなくていいよ」


私は莉緒に体を向けた。皆私よりもよく見えた家庭環境が初めて私と同じ嫌なものに見える。私はその闇が気になった。一部の人には必ずあるだろう家族の闇が。莉緒は嫌がらずに話してくれた。


「……私にはあんまり興味がない人でした。お金だけくれて話はあんまりしてくれなくて、……それでいつも知らない男の人を家に連れ込んでその人に夢中そうでした。私がいるのにキスしたりセックスしたり……心なんか休まらない嫌な家でした。遠回しに邪魔だって言われてるみたいで嫌だったから高校を出てからすぐに一人暮らしを始めたんですけど……あの時の事忘れられません。嫌な思い出です」


莉緒が風俗をしている理由がなんとなく分かった。親が親じゃなくて女としているのは性かもしれないが、ネグレクトが頻繁にニュースになっている世の中だ、何も成長せずに大人になってしまった末路なのかもしれない。こんな身近にもうちの親みたいなのがいるのが残念に思う。人の気持ちも考えないで思いやれない人が多すぎる。


「じゃあもう会ってないの?」


「たまに会いますよ?でも、本当にたまにです。……お母さん私の事そんなに好きじゃないと思うから用がある時だけ会ってます。出て行く時も何も言われませんでしたから。でも、やっぱり親だからお母さんどうしてるのかなって思うんです。私はあんまり好かれてなかったけど、私にはお母さんだから……ちょっとだけ気になるんです」


莉緒は痛々しく笑った。

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