ピアノに咲く男

根をもたない花でした。

どこもへでも自由に向かい

誰をも魅了し虜にする。


枝葉の細く、薄い花なのです。

力を入れて握ろうものなら

自らを折ってどこかに行ってしまった。


甘く切ない香りの花でした。

人々の胸をときめかせ

けれど、どこか懐かしく安心する

春を思わせる陽だまりの温かさ


多くに慕われ大きな真心で包む

けれど追い求めていると

季節の移ろいと共に

どこか遠くに行ってしまった同じ花に

想いを馳せながら旅に出るのです。


それでも花が唯一足を止めた場所

たんと水で満たされたガラスの花瓶でも

めかしこまれたブーケの中心でもない

白と黒の鍵盤の上でした。


品良く荒々しい音色に枝をそっとおろし

幾本もあるそれを軽快に走らせて

そして朝から晩まで踊るのです。

いつもは語らないことを歌いながら笑い

そこでは花もおしゃべりです。



寒い寒い光のカーテンがかかる国

花が鍵盤の上で踊っているときに、一人の少年がやってきました。

彼は孤高の蕾、冷たい北風が

瞳をおおっている


花は語ります、言葉を使わずに語ったのです。世界の広さと愛の温かさを

日なたの香りは、次第に北風を溶かして、

蕾は燦然と開くのです。

そして彼もまだ見ぬ夜明けの先の色をした

七色の花弁を持って旅に出た。


暗い暗い伝統の国

花が鍵盤の上で踊っていると、一人の少年がやってきました。

彼は優雅な蕾、

大人に遊ばれ瞳はくすんでいた

花は歌います、口を使わず歌うのです。

己の在り方と意志の表し方を

くすんだ瞳は陽だまりを宿して、生まれてはじめて「自分」を語ったのです。

けれど蕾は花を独り占めしようとしました。

なぜなら花の枝葉は更に細く薄くなり、鍵盤の上を踊ることができなくなっていたのです。


蕾は泣きながら必死に引き止めました。

しかし次の日には花の姿はなく、

ひとひらの花弁が落ちているだけ

青年の瞳はまたくもり、

悲しみの淵に暮れてしまう

そのひとひらは花の精一杯の

謝罪の気持ちだったのです。

淡く優しい白だから

何色にも染まることができると

花は管に繋がれた花瓶で願うのです。


長く短い月日が経ちました。

花の灯りが消えかけた寸前に

二輪の立派な青年が

花の目の前にやってきました。

一輪はたくさんの友愛に満ち、

六人の友を連れて

一輪は陽だまりを宿して、

しなやかに咲き輝いたあの時の蕾でした。


花は優しく微笑んで何も言わずに目を閉じ

花は彼らの言葉で天へと昇っていきました。

花が彼らに教えた言葉達

花の周りを泳ぎ、溢れて

響き渡り満たしていくのです。


甘く切なく、品良く荒々しい男の人生の幕引き

孤高な男の話だったのです。


ただそれだけのことだったのです。

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