第2話(完) そしてもふい日々は未来へ続く

 遠征地までの間、私のゴッドハンドによるブラッシングを楽しみにしていたらしい坊ちゃんの部下さんたちをわしわしもふもふする。

 というかブラッシングよりなでなで依頼の方が多い。至福。


「そこをもう一回頼む」

「はい」


 キリッとした厳ついしっかり者でうさぎ族の副官さんは、額をなでられるのが大好きだ。

 彼は今テントの下に広げられた厚手のカーペットの上に座る私の隣で、うつぶせになっている。つり気味の赤い目をとじているが、なでるのをやめると目を開けてじっと私を見つめてくる。

 かわいい。なでなでなでなで。


 うささん獣人の特徴的なその可愛く長い耳は、実は触ると嫌がられる。敏感らしいので奥様限定もふポイントだそうだ。ざんねん。あとお腹はたとえ奴隷といえど専属ではない私には触らせてもらえない。獣人の心は見た目に反して繊細だ。


「はい。終わりです。ご満足いただけましたか?」


 うさぎ副官さんはゆっくり立ち上がった。


「うむ。また頼む」

「ようございました」


 キリリと表情を引き締め、背中まで守る騎士服に身を包んだうさぎの副官さんが姿勢よくテントを出ていく。すぐ次の人が入ってきた。


「アシャちゃん! やっと遠征だよ楽しみにしてた! はいここここ! ここお願いね!」


 黒い毛皮の素敵な犬族の騎士は、座っている私の太ももの上に顔をのせ、横向きになって寝た。しかもこちらに腹を向けてである。

 犬族だけは専属でなくても奴隷であればお腹なでなでに抵抗がないらしい。獣人とはまこと不可思議な生き物である。もふもふ。


 背中も耳も黒いがお腹だけ白いこの方は、なでるだけでなくお腹のブラッシングも好きだ。毛が切れないようにそっと少しずつお腹の毛をとかしていく。

 ふすーっと、私のひざの上の顔から満足気な鼻息が出た。


「やぁっぱアシャちゃんが一番上手〜」

「ふふ、光栄です」

「いいなぁ隊長いつもアシャちゃんにブラッシングしてもらってるんでしょ。うらやましいなぁ」


 すんすんと股の間に鼻を近づけて匂いを嗅がれた。

 青年男子と年頃乙女のいかがわしい関係か!? と事情を知らない人は誤解するらしいけど、獣人は他種族に欲情しない。

 人としての好きという想いは持つが欲情はしないし恋もしない。


 坊ちゃん夫妻のように、熊族ならその色違いの熊族までを同族と感じるし、犬も猫もうさぎもたぬきもみんなそう。極々まれに心で惚れて欲情までたどり着く人もいるそうだが。


 この国で人族は重宝されているけれど、人族は獣人と違い、他種族に恋をして問題を起こしまくるめんどくさい種族だと認識されている。だから奴隷をやめるときは死ぬか人の国に行くときです。

 異種族との間に子供もできやすいので、数が減った種族の婚姻相手として有用な種族でもあり、そこから種族の間にいる存在という意味で人間という言葉も生まれた。

 けど、誰にでも恋するというのは平時は混乱を招くのだ。恋は人を狂わせる。


 奴隷の隷属契約魔法の中に、人族以外に恋心を抱いたら嫌な夢を見まくって恋心がついえるようにするという魔法が組み込まれてもいる。


 私も悪夢を見たことがある。ちょっとときめいちゃった相手は親切にしてくれた茶色い犬族だった。

 あれは心折れる。とってもホラーだった。百年の恋も冷めるわ。思い出したくない。


 そんなわけで私は獣人に恋はしない。そして獣人も私に恋はしない。お互いに癒し合うだけです。


 なお犬族は種族問わず異性の股の匂いがとても好きである。薔薇の香りを好きな女性が多いのと同じ感じ。とくに男性犬族が。仲良くなると「嗅がせてくれる?」ときらきらした目で頼まれることになるぞ!


 お腹をなで、ブラッシングし、背中に首に頭に耳にしっぽ、のどは重点的にとなでさすってブラッシングをしたら、黒いワンコは満足して頭を私のお腹にぐりぐり押し付けてきた。


「ありがとー! またよろしくね!」

「はい。また来てくださいね」


 私の頬をぺろんとひとなめしてから黒いワンコは去っていった。


 そんなこんななブラッシングなでなでの日々を過ごすこと5日間。遠征地の砦待機中もふくめての期間である。

 怒濤のなでもふ期が過ぎ去ったら、坊ちゃんたちが帰ってくるまでは比較的穏やかな時間がおとずれるはずだった。




 洗濯物がよく乾くポカポカ陽気の日にそれは起こった。

 近隣を騒がせている巨大な盗賊組織の討伐のために坊ちゃんたちが出払い、砦の守りは坊ちゃんたちがいるときよりは薄かったせいか。


 ベッドシーツをほしていた私は、背後にやってきた何かにがばっと布をかぶせられ「え、なに!?」と言っている間に抱き抱えられて高速で移動させられた。


 そして坊ちゃんたちのベッドシーツより質が悪い茶色の布が取り払われたとき、目の前にいたのは洗いが足りなくてゴワゴワしてそうな獣人たちだった。


「よう、奴隷の人間」


 一際大きな体でごわごわしていそうな犬族の男が、私の前にやってきて腰を落とした。灰色の毛並みは薄汚れている。


「なぁ、お貴族さまんとこで飼われてる人間のブラッシング技術は、思わずもっとやってくれと頼みたくなるほどだっつーんは本当か?」


 うん?

 見た目的にたぶん坊ちゃんたちが討伐している盗賊組織に人質としてさらわれたのかと思ったけれど、なんか雲行きが良い意味で怪しいぞ?


「どうでございましょう。そうあれるよう日夜努力いたしておりますが、自称して良いものか」


「はっは! なるほど分かった。ならやってもらって決めようじゃあねぇか。なぁ! お前らも気になるだろう!」


 おお! と応える手下らしき獣人たち。その中から、この中にあっては美しい毛並みを保っている三毛猫族が出てきた。


「ん」


 三毛猫の男性は私に背を向けてごろんと寝転がる。思わず伸ばした手で触れた毛質はやや硬かったが汚れてはいない。そんな私たちを他の男たちが見ている。

 よく分からないがせっかくだ、存分にもふろう。


「ブラシはございますか?」

「ん」


 三毛猫の彼がスッと高級ブラシを渡してきた。

 興味なさげに見えて準備万端だな三毛猫くんよ。ゆらりゆらりと床をなでている三毛猫の尻尾に気を取られつつ、そっとブラシを入れていく。背中、頭、のど、と猫族が好きな箇所からはじめていくと、のどをかいているときゴロゴロと満足げな声が聞こえてきた。猫のゴロゴロは最高の褒め言葉である。奴隷冥利どれいみょうりに尽きる。


「いいようだなぁ、どれ、俺もやってみろ」


 頭らしき灰色の犬族が立ち上がると、ゴロゴロ言っていた彼はすっと場をゆずった。

 ごろんと私に背中を向けて寝る巨大な犬族。そっと触れる。


「こ、これは……」

「どうだ」

「かたすぎる……! これではブラシが通りません。最後にお風呂に入ったのはいつですか?」

「さぁてなぁ、いつだったかな」

「獣人のみなさんは丈夫だといっても病気にならないわけではないんですよ。お風呂入りましょう!」

「ふん、ならお前のなでっぷりが気持ちよかったら入ってやるよ」

「受けて立ちましょう。失礼します」

「おう」


 そっと背中から触れ、手に汚れをつけながら犬族の好きなのどへ向かってなでていく。毛が硬いから少し力がいるわ。でも入れ過ぎてもダメ、適度に、気持ち良いと感じてもらえるほどの加減で。最終的に腹を出してもらえるくらい満足させられればいいかな。

 もふも……いや、ざらざらとなでこすります。

 ふすーっと大きな犬族が満足げな息を吐き、腹を少し上に向けた。

 おおーと周囲から歓声が上がる。俄然やる気がでる私。ざらざらざらざら。

 ふすーっとまた満足げな息を吐き、灰色の犬族は起き上がった。


「風呂入る。またやれ」

「はい、かしこまりました」

「おら野郎ども。この人間いいぞ。ゴッドハンドを味わいたけりゃあ全員風呂入れ!」


 うおおー! と野太い歓声ののち、どこかへと全員いってしまった。

 よく分からないが危機を乗り越えた感じ?

 ほっとしていると、一人残った先ほどの三毛猫の彼が、また私の前にごろんした。


「ん」

「ふふ。かしこまりました」


 でも私は考えもつかなかったのです。

 まさか真の試練はこの先にあっただなんて。


「も、無理……」


 あれから3日。用意されている寝床へばたんと倒れ込みました。

 あれから私はずっと綺麗になったもふもふたちをブラシしてはなでブラシしてはなで。もう時間の感覚もよく分からない。3日と分かるのも夜の数を覚えていただけでなんかもう、あれー?

 私、ほぼ休憩なし3日労働でガタがくるほど体弱かったのか……。坊ちゃんたち大事にしてくれていたんだなぁ。


 死んだように眠りに落ちそうになっていた私の部屋に、ぎいと扉を開けて入ってくる誰かの気配。顔をあげてそちらを見る元気もない。


「アシャ……逃してあげる」


 静かに聞こえてきたのは、聞き覚えのない声。逃がす。逃がす!?

 はっと意識を覚醒させてそちらを見れば、いつも「ん」しか言わないあの三毛猫の彼がいた。


「三毛猫さん」

「アシャ、このままじゃ死んじゃう。行こう」

「でも、それでは三毛猫さんが責められませんか」

「バレないから平気。バレても平気。人間の扱い方がわからなくて、このままじゃ殺しちゃいそうって頭も悩んでた」

「そうなんですか……」

「心配してた。だから平気。行こう」

「はい……ありがとうございます」

「ん」


 そして私は目隠しをされると三毛猫さんに背負われ、坊ちゃんたちの砦が見えるところまで運ばれました。

 運ぶときは乱暴に、しかしおろすときは優しくそっとおろして、目隠しを外される。


「元気で、アシャ」

「本当にありがとうございました。三毛猫さん、お名前をおうかがいしてもいいですか?」

「教えない。アシャとはこれから敵だから」

「あ、そうですよね……ありがとうございました」

「ん」


 最後に軽く抱擁ほうようし、私の首にぐいーっと頭をこすりつけてから三毛猫さんは風のように去っていった。私は遥か遠くに見えてはいる砦を目指して、最後の力をふりしぼって歩く。


 三毛猫さん、騎士たちに見つかりたくないからだとは思いますけど、遠過ぎます!

 疲れた人間の足にこの距離はつらい。そういうさじ加減が分からないからこそ解放されたのだけれども!


 息も絶え絶えに砦へ近づくと、私に気づいた騎士たちが駆け寄ってきて、坊ちゃんへ知らせにも走って行ったみたい。

 無事でよかった! と口々に言ってくれるもふもふ部下さんたち。

 ゆっくり抱き上げられて砦まで運ばれると、砦の中から白い極上のもふもふが転がるように出てきた。


「アシャ! よかった!」


 部下さんにそっと地面に立たされたのだけど、力が体に入らなくてかくんと膝が折れ、私は倒れてしまった。


「アシャー!?」


 坊ちゃんの悲鳴のような声。

 大丈夫です生きています。至高のもふもふたちのためならたとえ火の中水の中敵の中生き抜いてもふってやりますとも。元気アピールでグッと親指をたてましたけど見えていただろうか。

 頭上から坊ちゃんの取り乱した声が聞こえる。


「アシャ!? アシャ!? 死ぬのか!? 死ぬのか!? どどど、どうしよう! 死ぬな! 医者! 医者! 医者を呼べぇ!」

「俺行ってきます!」


 黒ワンコの声が応じて去っても、みんなてんやわんや騒いでいる。そんな気にしないで欲しい。

 疲れただけ。

 ただの過労です。

 坊ちゃん見たら安心して緊張の糸が切れちゃっただけなの。

 そおおっと壊れ物のように私を抱き上げた坊ちゃんの毛がもふい。しあわへ。

 落ち着いて、と言えたかも分からないまま私は意識を手放した。



 ふかふかのベッドの中で目を覚ました。

 見慣れたお屋敷の自室の天井。あれ、さっきまで何してたっけ。


「目が覚めたか。大丈夫か。意識ははっきりしているか?」


 なぜか私の部屋に黒髪の先輩がいた。


「先輩? あれ、私遠征中じゃなかったっけ」

「アシャが倒れたんで旦那様が急ぎこちらに帰したんだよ。あの様子じゃあ、アシャ、次は遠征行けなくなるかもしれないな」

「え゛!? う゛そ!」


 そうだ思い出した。私は誘拐されてそれで倒れて。


「あれでは難しいぞ。医者とよく話し合って旦那様を説得するんだな」

「そんなぁ私の楽しみが、天の国が……!」


 ぽすぽす、と頭に手を置かれた。

 お嬢様専属奴隷の先輩の頭なでなでもハイレベルなでなでだ。私は人間なのになんか嬉しい。くっ、ときめきよおさまれ!


「俺も心配した。もうあんな無理はしないでくれ。しばらくはこっちで安静にな」

「えええー」

「それで、何があったんだ。思い出しても平気か?」

「あ、なんか盗賊たちのブラッシングをしまくっただけでした。すっごく疲れた」

「ああー……なるほど。人間の扱いを知らずにこき使ったら死にそうになったんで近くに捨ててったってところかな」

「違うよ! 心配して戻してくれたんです!」

「そうか。とにかく無事でよかったよ」


 ほっとしたように笑う先輩に、私もほっと笑い返す。


「あの盗賊たちは捕まっちゃうのかな」

「情がうつったのか? どうだろう。組織が大きいから逃げおおせる可能性もあるし。もっと本格的な討伐になるまでは無事じゃないかな」

「そっか……」

「盗賊やってるのはそいつらの責任だ。気にしなくていいんだよ」

「はい」


 と話していると「ねぇじぃや」という奥様の声が扉の方から聞こえてきた。

 見れば私の部屋の扉は少し開いていて、そこに奥様の桃色の素敵な毛がもふもふと陣取っているのが見える。その隣には執事で羊族のじぃやさんもいる。

 いつから見てたの!?


「あの二人いい雰囲気ではない?」

「思います。よく二人でいますし、お互い満更でもなさそうで。同じ人族ですし、ねぇ?」

「ふふふふ、わたくしと夫のひそかな夢が叶う日が来るかしら」


 夢?

 心あたりがなくて先輩を見ると、先輩も首を傾げた。


「夢ですか? どのような?」

「わたくしたちの奴隷の子供が、わたくしたちの子供の専属奴隷になるの! 家族みんな一緒、一つ屋根の下でいられるのよ。人の奴隷は恋の封印の副作用で恋愛に臆病になって結婚しない人が多いらしいけど、二人なら……!」


 なにを言っちゃっているの奥様!? 坊っちゃま!?

 あわあわしている私に反して、先輩の明るい声がした。


「いいですね。俺もそうしたいな」

「へ!? センパイ!? なに、何言ってるんですか!?」

「俺はいいと思うよ。ここの暮らしは穏やかだし、奴隷ではあるけど裕福だし。子供も人の国で生きるよりさ、いいんじゃないかな」

「そ、そこじゃなくて」


 する、と巧みな優しい力加減で先輩の手が私の頬に触れた。かっと顔に血がのぼって心臓がどくどくと騒ぎたてる。


「俺の希望はお嬢様と同じ。ってことだよ」


 ま! と奥様の黄色い声が聞こえた。な、な、なにを。


「告白は人目がないところでしますね」


 奥様の方を向いてにっこり笑う先輩の横顔を見て、顔がさらに熱くなる。


「ま! そうね! お邪魔だったわ。うふふふ、わたくしたちはちょっと急用ができたのでおいとまするわね。うふふふ」

「奥さま、嘘ばればれですよぅ……」

「おほほほほほ」


 扉はパタンとしめられた。

 しんと静かになった部屋に先輩の声が響く。


「はっきり言葉にしてほしい?」


 にやりと笑って言われ、恥ずかしくて顔を隠してうつむいたけど、うん、ってうなずく。くすっと笑う先輩の気配。


「アシャ」


 顔を隠していた手をつかまれて、むりやり顔を外気にさらされる。

 先輩は私の手を解放すると、私が動く前に私のアゴに指を当てた。そして真っ赤になっているだろう私の顔を、くいっと先輩の方へ上向かせる。

 目の前には、さらさらの黒髪に青い目の先輩の、優しげに笑んだ顔。ちょっとだけ緊張しているって分かるくらい私はもう先輩のことをよく知っている。見ている。


「好きだよ。アシャ。俺のつがいになってくれる?」


 ひゃあああ、と声にならない心の叫びがでた。

 先輩が輝いて見えるよう……!


 故郷では人の男女がくっつくことを付き合うとか表現していた。けど同じ人族と言っても生まれた国がそれぞれ違うしこの国になじんでいるしで、奴隷の人族たちは人同士の交際のことも獣人のようにつがいになると言う。


 番、つがい……先輩と私ツガイ……!

 もふもふ以外のためには初めて使う特大の勇気を総動員して冴えた青色の瞳を見つめた。

 自分の目が恥ずかしさでうるんでくる。


「はい。私も、好きです……」


 私がんばった。

 はは、と明るく笑った先輩に抱きしめられる。先輩の温もりは、もふもふじゃないのにすごく幸せで、私は獣人たちみたいに先輩の肩に頭をぐりぐりさせてしまった。


「かわいい」


 幸せそうな先輩の声に私の胸も熱くなる。

 あなたのお嬢様とどっちがかわいい? という禁断の問いかけは、もうちょい後に取っておこう。

 なお私は、好きの種類が違うのは置いといて、坊ちゃんと先輩のどっちのがより好きかと聞かれたら……。


 すみません100年ほど悩ませてください。

 坊ちゃんの至高のもふもふが私を誘惑するの……!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もふもふの奴隷になりました。全力でお仕えするもふ F @puranaheart

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ