第39話

冬の透き通った青空が広がり、日中は暖かくなる予報である土曜日にいよいよ学園祭が始まった。オープンから多くの人が訪れて何が何だか分からないくらいの盛況ぶりだった。自分のクラスのじゃがバターの屋台はやはり本格的とあり大好評だった。

農協の三木さんも配達がてら立ち寄ってくれて、配達の合間に食べると一つ持って行った。


「渡部君、あれ足りるか?」

「五十個あれば‥そう思ってましたがこれは」

「追加欲しけりゃ電話くれって那美ちゃんに言っといてくれ」

流石に申し訳ないと思いつつも、寛大な三木さんには頭が上がらない思いだった。

「あの、後でお礼させてください」

三木さんはまた高笑いして自分の肩を叩いた。


「そういうのが言えるんは大したもんだ」

そう言って軽トラックに乗り込んだ三木さんは、手を振りながら走って行った。軽トラックが見えなくなるまで深々と頭を下げ続けた。


「渡部!手伝い入れ!やばいやばい」

慌てた笠原の後を追いかけて行くと自分達の屋台には多くの人が並んでいた。他のクラスのタピオカよりも列が長く、結局三木さんに追加を頼む事になるほどの売れ行きであった。学園祭にはアルバイト先の金井さん達がシフトの前に来てくれた、

「渡部さん来ないときついっす」と五十嵐が口を尖らせていた。特に驚いたのは妹の美月が来ていた事だ。友人と三人で来ていて、兄である自分の顔を見ては「げ!」と離れていてもそう言ってるだろうと分かる口の動きをしていた。そして友人の袖を引いて違う方向へと進んでいた。後で知ったが、自分がいない時にじゃがバターを買っていたという。そして変に礼儀正しい美月は、あろう事か「兄がお世話になってます」と自分で兄がいる事、それが渡部光輝である事を自白してしまった。


「私達が兄妹って事、絶対訂正しといてよね!」と、科学的に考えても不可能な要求を後でされてしまう。ただ自分は更なる傷を負う事になる。

「何であいつにこんな可愛い妹が」

「妹が可哀想だ」などとその場に自分がいないにも関わらず散々な言われようだった。


「あの、渡部さん」と突然後ろから声をかけられ振り返ると、そこには一見柄の悪い人が立っていた。血の気が引く思いだったが、彼がすぐに誰かは体が覚えていた。


「き、城島君の弟さん!」

「兄貴は君付けで俺はさん付けなんですか」と笑われた。以前、駄菓子屋で遭遇して彼の万引きを止めた事が懐かしく思えた。何故かお腹を蹴られた事も懐かしい。体が覚えているとはこの事だった。


「あれからああいう悪さは辞めましたよ。弱い立場から何か奪ったり、考えてみたらださいなって」

城島の弟は改めて自分に礼を言うと、そのまま反転してタピオカの列に並んだ。甘党な兄にそっくりなところはやはり兄弟であった。更に今日は自分へのお客様が続いた。店番をしていると小走りで来た大杉先生に呼ばれた。賑わっている場所からは少し離れた職員室に繋がる廊下の近くに案内された。するとそこには中年の女性、そして親子が立っていた。双方共しっかりと覚えていた。


「お、お久しぶりです」

中年の女性はバッグをひったくりに遭っていた所を自分がかろうじで助ける事ができた女性だ。その隣の親子はゴールデンウィークに俊哉と太一とバーベキューをしていた時に、川で溺れてしまったのを俊哉と太一、そして多田と協力して助けた男の子とその母親だった。


「あの時私もパニックで‥お礼も言えてなくて‥」と男の子の母親は泣き出してしまい、慌てて宥めた。男の子も改めて自分に礼を言うと、自分の夢を話してくれた。

「人を助ける仕事がしたい」

真っ直ぐ純粋な目でそう教えてくれた。

「あの時の皆さんを見て、決めたんですって」と母親は涙を拭きながら言う。少し会話をした後、親子二人は手を繋ぎながら学園祭の屋台の方へと歩いて行った。


「西とかとはさっき会えたんだ」

「ああ、そうなんですか」

俊哉と太一は自分の前に親子と会っていた。続けて中年の女性が深々と頭を下げてお礼を言ってきた。あの日、自分もこの女性も何も被害が無くて本当に良かったと今でも思っている。ひったくり犯が平気で刃物を振りかざすような人間だったらと思うと今でも身震いしてしまう。あんな捨て身の体当たりで二人共無事であったのだから何よりだ。やがて女性を見送ると、真顔で自分をじっと見つめる大杉先生と目が合った。


「な、何か?」

「いや‥」

非常に気になる仕草と焦ったい空気感に耐えられなくなる。

「いや、何でしょうか?」

大杉先生は腕を組みながら再びじっとこちらを見てきた。今この場には二人しかいない。万が一危険な迫られ方をされればと退路を確認した。


「おい何勘違いしてるんだ」

「ひえ!え、よく分りましたね‥」

「お前はすぐ顔に出る」

大杉先生はそう言うと「座れ」と花壇のコンクリートに腰を掛けるように促した。


「誇りに思うよ」

そう言い出すと少し思い出すかのように遠くを見ていた。

「お前、変わったなあ。三年間見てきたが、別人かのように」

担任の先生にそう言われると、自分の行いが形になっている事がより実感できる気がした。


「二年生までのお前は‥言っちゃなんだが印象が薄い。悪い事じゃあもちろんないが‥何か自分で自分を薄めてないかって特に渡部には思っていた」

「自分で自分を?」

「そう。一緒にいる西とかはあれがあいつらのそのままの個性だ。でも渡部にはそれが見えなかった」

大杉先生の言葉を以前の自分と照らし合わせながら聞いた。


「まあ城島とかあいつらには当然、でも西と山中にもどっか気にして自分を出さないでいる時が多々あったんじゃないか?常に周りに合わせて、なのに確立していないっていうか‥まあな」

無意識だったからか自覚が無い事もあったが、この先生は良く見ていると思ってしまったのだから事実なのだろう。


「でもお前は変わった。自分の気持ちでしっかり動けるようになった。自分を奮い立たせる事もできるようになった。自分で動けるようになった」

大杉先生は立ち上がり、体を上にぐっと伸ばした。


「それがさっきお前にお礼を言いに来た人達がいたり、今のお前のクラスでの立ち位置だ。全員お前がどんな奴か今なら理解できてるだろ。それが三年間担任として見てきた俺には嬉しい事だよ。一番変わったなあお前が。まあ全員成長したけどな」

そう言うと「明日頑張れよ」と言いながら職員室へと歩いて行った。その背中に深々と頭を下げた。大杉先生とこんな話をしたのは三年生の十二月にして初めてであった。思い返せばどこか自分を引き出そうと声をかけてくれたりしていたような、そんな気がした。他にも学園祭に来たアルバイト先の金井さん達、城島の弟も含め、あの時自分が踏み出したからこその繋がりだろう。


「渡部の野郎!店番すっぽかしてどこ消えてんだ?」と自分を探す殺気立った城島の恐ろしい声に身を隠しつつ、屋台の方へと小走りで向かい、さりげなく戻る途中、再び遭遇した美月にお小遣いの千円札を渡して、自分のクラスの方へと向かった。

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