第36話
学園祭まで後十日に迫った水曜日。宮間さんを中心とした衣装班は既に出店の内容も決めており、買い出しを残すのみになっていた。
「まさかのじゃがバターだからな。てっきりタピオカかと」
「タピオカやるクラスが三つもあるんだよ?激戦区じゃーん」
城島の言う通り、衣装班のメンバーを見る限りでは、お菓子やデザート関係、そしてタピオカなどそういった出店を行うのかと思っていたが、予想を上回りまさかのじゃがバターだった。確かに寒い時期に、熱くてほくほくしたじゃがいもにバターと塩、コーンなどをまぶして口に入れた時のあの幸福感はたまらない。自分はタピオカよりはこちらを支持したい。
「じゃがいもの仕入先は決まってるんだ!知り合いに農協関係の人がいて、頼んである」
すると宮間さんは自分の方を見る。
「渡部君着いてきて!」
「あ、え?いつ?」
「今日!放課後に寄るって連絡してあるからご挨拶に」
唐突だが今日は特にアルバイト等の予定も無く演劇の練習も無いため、断る理由が無かった。
「遠くないから!宜しくー」
正式に返事をする前に予定が決まってしまった。この思い切りの良さが宮間さんの長所だろうと思い、自分も見習いたいくらいだった。
「あ、寄りたい所もう一つあるから!そっちもね」
「あ、うん」
どうせ答えは放課後分かるのだからとここで聞くのは止めておいた。
「お前あいつみたいなんが合ってるよ」
城島が宮間さんを指す。
「ああー、いや何言ってるのか!」
慌てて城島の頭を叩く。
「いて!お前!」
「いや、いや、事故事故!」と逃げるが、すぐに捕まり締め上げられてしまった。
なんとか城島の追撃から逃れ、ふらふらしながら廊下を進むと、窓から外の駐輪場のコンクリートに腰をかけて台本を見る平良の姿があった。昼休みで賑わう校舎内では集中できないからか、人のいない場所を選んだのだろう。本当に熱心だと感心したところで、顔を上げた平良と目が合うと、軽い手招きをされたので靴に履き替えて外に出た。冬の冷たい空気の中、しかも陽が当たらない日陰で台本を読み込む平良に改めて感心した。
「お前出番は大丈夫なん?」
よく見るとやはり寒いのか平良も震えていた。
「うん。台詞は無いから覚えやすいよ自分なんか‥もうほら、ミスできない立場だし」
初めての体育館での合わせの時の失態が頭をよぎる。少しだけ吹いた風も声が出そうになるほど冷たく、とにかく大事な主役に風邪をひかせてはいけないと制服の上着を脱ぎ、平良にかけてあげた。
「いや何何何!やめろ気持ち悪い!」
頭から上着を被せられた。どうやら自分が平良にしてあげた親切は何かが間違えていたようだ。まるで犯罪者の逮捕時のように上着を被せられた自分は、そのままの状態で平良に気になる事を質問してみた。
「あの、恥ずかしいとか、嫌だとか‥そういうのは一切無いの?」
平良は即答した。
「そりゃやりたくねーよ。できればな」
「あ、あら?」
予想外の答えに困惑するしかなかった。真剣に台本に目を通し、練習にもしっかり参加して成功させようという前向きな気持ちが伝わってきただけに少し寂しい答えであった。
「お前が任命されたらどうなん?」
この質問をされた瞬間、平良の事を何か言う権利は無いのだと自覚してしまった。自分なら、断る理由を探してしまうだろう。
「な?俺が俳優志望ならまだしも‥正直言って恥ずかしいわこんなの」
「え、じゃあ何で?」と素朴な疑問を投げかけた。
「最後の学園祭だし、川尻だって友達だ。あいつに恥かかす訳にはいかんだろ」
平良は手に持った台本を二度叩き、自分の方に差し出した。
「あの短時間でこれだぜ?それをやりたくねー、恥ずかしいって突き返されたらさ‥泣くか殴るか、だなあ」
さりげなく恐ろしい回答だが、平良という男を見習いたいと改めて思えた。自分の感情だけで動いたり発言する事をしない彼がますます眩しく見えた。
「川尻の夢の第一歩にしてやりゃ良いじゃん。城島だってアホだけど夜の公園で練習して警察に補導されかけたみたいだからな」
全員が見えない所で一つの完成に向かって進んでいる。自分も黒子として役目を果たす義務があると胸に誓った。
「自分も、アホみたいに夜の公園で練習します!」
やる気が漲り不安や疑問も全ての気持ちが良い方向に進もうとしていた。胸を張る自分に平良は微笑んだ。
「お前、城島に殺されるぞ」
その放課後、約束通りに宮間さんと合流して近くの農協に足を運んだ。仕事が終わった後のようで従業員達が缶コーヒーを飲みながら談笑しているところだった。
「三木さーん!」と宮間さんが手を振ると、三木さんと呼ばれた中年の男性が手を振り返した。
「おー那美ちゃん!隣のは‥ん?彼氏か?」と顔を近付けられたが咄嗟に否定した。
「いや、クラ、クララ」
「クララって名前かあんた?」
「ははは!クラスメイトって言いたいんでしょ?」
頭を縦にぶんぶんと振って、改めて三木さんに頭を下げた。
「クラスメイトの、渡部です!」
三木さんは宜しくと握手をしてきて、そのまま奥へと案内してくれた。様々な農作物がある中、籠に入れられた大きなじゃがいもを見せてくれた。
「すごーい!」
「これは売り物になるやつだ。あげるやつは後でだ。味はこれと変わらんが形とか傷みとか、売れないじゃがいもを手配してある。蒸してしかも切るんだろ?分かりゃしないよ!」
高笑いしながら大胆な事を言う三木さんだが、なんと無料で提供してくれると言うのだからこちらも高笑いをしたいくらいだった。宮間さんはとっくに一緒になって高笑いしていた。便乗して自分も高笑いをした時は既に二人の高笑いが終わっている時で、気まずい空気が少し流れた。
「あ、あのところでお二人の馴れ初めは?」
宮間さんはまた高笑いした。
「おい馴れ初めの使い方間違えてるぞ!大問題だぞ今のご時世じゃ」
「あ、すいません!あのどういうお知り合いで?」
「俺は釣りが趣味で、釣りしてたら那美ちゃんがいきなり話しかけてきたんだよ。釣れますかー?ってな」
なんとも宮間さんらしい思い切りの良さだ。この人のコミュニケーション能力の高さは今の若者世代には貴重な人材かもしれない。
「農業関係のお仕事して、魚も好きなんですか?」
「んー渡部君もなんか不思議な奴だな。釣るんが好きなんだな俺達みたいのは」
横で宮間さんも同意するかのように頷いていた。
「宮間さんも釣りするの?」
「え?一回もやった事ない!」
要するにただ釣りをしていた三木さんを見て単純に気になったから話しかけただけのようだった。
「那美ちゃんがやってみたい言うから竿を貸したらさ、一発で釣ったんだよ!」
「え、凄い」
「俺をね!振りかぶった時に俺の服に引っ掛けてさ!ははは!」
宮間さんも一緒に高笑いしていた。こう見ると宮間さんと波長の合う人なんだと納得がいく。
色々と案内をしてもらった後、前日に学校までじゃがいもを届けてくれるというありがたい約束までしてくれた。仕入れにかかる料金がゼロという申し訳ないほどのありがたさであった。その帰り道、宮間さんが寄りたいと言っていたもう一つの場所、それがここらでは有名な神社だった。ただ宮間さんは神社に行きたかった訳ではなく、その隣にある結婚式場の目の前にあるイルミネーションで飾られた広場だった。綺麗な電飾で輝いていた広場に宮間さんは興奮気味にスマートフォンで写真をひたすら撮っていた。自分もせっかくなので一枚撮ろうとすると、宮間さんがその写真に写り込んできた。
「見せて見せて!」と画面を覗き込むと、満足げにこれを送って欲しいと頼まれた。
「はい、お兄さんも撮ってあげる!」と点滅する電飾を背景に宮間さんが一枚撮ってくれた。
「ははは!何で渡部君の時だけちょうど全部消えるの?」
真っ暗な背景にぼんやり佇む自分の写真を見て大笑いしていた。周りには誰もいなく、今この場は自分達だけのようだった。すると宮間さんがスマートフォンの画面を自分に向け、内側のカメラを起動していた。
「入って入って!」
「え、あ、はい」
画面の中には自分と宮間さんが写り、背景の電飾で明るくなっていた。
「遠くない?寄ってよ!」と体を密着され、画面の中の自分の目がいつもより開いたのが分かった。
「うん!良い写真。送るね!」
「あ、うん」
寒いはずなのに不思議と体が熱くなっていた。こんな経験自分の人生の中で初めてだからだ。決してそういう関係ではないが、外から見たらそういう関係にしか見えない。
「十二月は渡部君の集大成の月でしょ?」
宮間さんが写真を撮りながら言った。
「と言うと?」
「十二月で今年が終わるじゃん。渡部君がおみくじ引いたあの日からもうすぐ一年」
そういう事かと理解した。元旦に引いたあのおみくじ、自分と運気を変えるために踏み出すと決めてから今年の最終月である十二月が目前であった。振り返れば自分らしくない事を重ね、自分らしくない日常を今送っている。あの日、おみくじを引いていなければ、宮間さんに会わなければ、今の自分は何をしていたのだろうか。きっとこれまでと何も変わらない日々を過ごしていたとは思うが。そして来年の自分はどうなっているのだろうか。高校を卒業して新たな進学先で、今年の自分を続けられるのだろうか。来年は来年の不安があった。
「ぼーっとして機能停止してるー」
目の前にある宮間さんの顔に驚き後退りするも、その宮間さんと卒業した後に交流があるのかという疑問も浮かんでいた。
「今年で終わりじゃないよ?」
「え?」
「今の渡部君は、今年で終わりじゃない」
宮間さんに言い切られると、不思議と説得力がある。
「そうかな‥そうだね」
迫り来る最終月、そして学園祭に向けて夜空に浮かぶオリオン座に手を合わせておいた。
「祈るなら神社あるんですけど」
的確な指摘をいただき、改めて神社にて祈願をさせてもらった。小銭が無く唯一あった五百円玉を入れるしかなかった事に抵抗があった事は内緒にしておいた。
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