第35話
「さみー」
体育館へと繋がる外廊下をぞろぞろと歩いていると、そんな言葉が所々で漏れていた。吐く息の白さが今年の冬の寒さを物語っている。今日は担任の大杉先生が急遽、体育館で演劇の初合わせを許可してくれた。二時間という限られた時間だが、こちらとしては大変ありがたい助力だった。
「中入っても寒いんだもんな。で、川尻どうすんだ?」
本田が体を暖める為に飛び跳ねながら言う。
「とりあえず‥演者、黒子、道具、照明は舞台に上がろう」
川尻の指示で舞台に上がる。舞台に上がらない班はそれぞれ窓にあるカーテンを閉めて体育館内が暗くなるようにしたり、道具班の手伝いをしたりと分業してやれる事をそれぞれが見つけていた。
「詰まっても良いから通してみようか」
川尻の一声でいよいよという空気が漂った。特に演者は顔が引きつり、陽気な本田さえお手本のような良い姿勢になっていた。そしてそれぞれが定位置に着いた。
「落としてー」
川尻の声で照明が落とされ、やがて舞台にのみ照明が当たった。そこには主役の平良と黒子の自分が互いに直立で向かい合っていた。
「カットカット!」と川尻が手を交差させて出てくる。
「わりー川尻」
「いや、平良以前の問題!黒子いらないでしょ」
舞台下から笑い声が聞こえてくる。
「照明点いていきなり主役と黒子が向かい合ってて意味分からないよ」
川尻の言う通り、自分がここに残った理由が自分でも理解できなかった。ただ緊張がこうさせたのは間違いない。
「馬鹿かあいつ」
俊哉の声が袖から聞こえてくる。台本を見ると自分の出番は主人公の平良がオンラインゲームをする場面まで無かった。それを確認すると、袖から来た城島に襟元を掴まれて引きずり出されてしまった。
「まあ平良の緊張をほぐす役には立ったんじゃねーか?」
「だと良いけど‥」
「いや狙ってやった訳じゃないだろ?」
「はい‥」
袖でひたすら城島に頭を下げた。川尻が平良に色々と説明をしながら緊張しないように時より笑顔も交えていた。川尻の役割の多さに改めて気付いた。あんな立ち回りは自分にはできない。川尻の将来の夢への本気さと可能性を感じる事ができた。
「落としてー」
そして再び照明が落とされ、舞台に一人残った平良に照明が当てられた。
「うわ‥今日も来てる」
平良が窓から外を覗く仕草をし、幼なじみ役の高木さんが袖から現れた。高木さんは登校拒否になった平良を心配する幼なじみの役だ。
「あいつ‥いつまで閉じこもってんのよー」と高木さんが台詞を言うと、少し響めきが起きた。
「麻依、上手いな。てかやる気満タンだったしな」
高木さんは授業中も教科書に台本を重ねて隠し、真剣に読んでいたのは自分も気付いていたが、あれだけ感情を含めて台詞が言えるのはよほどの意気込みがあると言える。短い台詞ながら既に貫禄を見せつけた。
やがて流れを確認しながら劇の練習は進んで行き、平良がオンラインゲームの中に吸い込まれる場面になると、いよいよ黒子Aである自分の出番だ。道具班が作った渦巻きが描かれた段ボールを持ち、平良の後ろに回る。
「わー!」とその場でぐるぐる回り吸い込まれる表現をする平良の後ろで自分も真似るようにぐるぐる回った。
「黒子は回らないよ!手に持った渦巻きを回して!」
「は、はいー」
慌てて川尻の指示に従った。平良の呆れた顔が薄暗い中でも良く分かった。
「お前が何で一番注意されんだよ」
ただ項垂れるしかない自分に小声で苦言を呈す平良といつの間にか横にいて笑う本田と城島の表情に少し余裕があるように見えた。少しでも自分の不徳がその余裕に関わっているのなら、と切に願うばかりだった。
「切り替わろう。次はゲームの中だ」
「待ってたぜ」
城島と本田が意気揚々に袖に戻る。劇はこの後、ゲームの中で戸惑う平良に柄の悪いプレイヤーである城島と本田が絡み、見下したりする。しかしその後に前川達が扮する敵に襲われる所を勇気を出した平良がゲームの腕前を生かして追い払い、その後なんだかんだで行動を共にするという場面まで続いた。二時間という枠はあっという間に終わりを迎え、やはり最後まで劇を通す事はできなかった。たまたま使用できた体育館も、確約が取れている日以外はいつ使用できるかは分からない。当然他のクラスも練習等で使用するのだから自分達だけ、というのは難しい。
「出店の用意もあるし、これ厳しくない?」
そんな声も教室に戻る途中の廊下で聞こえてきた。出店は早めに役目が終わる衣装班が中心となり準備をしてくれる事になっているが、こちらはほとんど任せる形になってしまうため、後ろめたさがある。改めて衣装班の所へ行き、クラス委員長として手伝える事があれば何でも協力するという事、そして感謝などを伝えた。
「大丈夫だよ黒子さん」と心優しい返事が返ってきた事が救いだった。
「そんな事が言えるようになったんだねー」
宮間さんが茶化すように言う。
「川尻君を支えてあげて」
「あ、うん」
「黒子がNGを出さないように」
「あ‥うん」
おっしゃる通りだと思い、もう一度台本を見返す事にした。台詞の無い自分がNGを出す不甲斐なさを改めて恥じる事になった。
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