第11話
多田の口から出た「学校の責任」という言葉。何故なのか理解が出来なかった。まさに今は自分達の責任だと思い行動をしようとしていたからだ。
「お前達がこれで失敗して、余計な救助をする事態を招いてみろ!責められるのは学校だぞ!危険な事をした!二次災害を招いた!」
多田は身振り手振りで声を荒げた。
「でも見てらんないだろ」
太一が多田の前に出る。多田は太一を睨みつけながら続ける。
「もうすぐ救急が来るんだ。素人は見守るしかないんだよ!責任を負えない事はするな!」
太一が多田に掴みかかろうとするのを見て俊哉が咄嗟に止めに入った。男の子に目をやると歯を食いしばりながら必死に耐え、それを見ているしかない母親は泣きながら懸命に声を掛ける。
もう限界を迎えている男の子は苦しそうな声を出している。
「太一、俊哉‥行こう」
「おい!待て!おい!」
太一は多田を払い除けてホースを持ち、俊哉もそれに続いた。そしてホースを自分の腰に二周ほど回してしっかりと縛り付ける。しっかりとしたきつさが腰に伝わってくる。これならいけるか、隙間は大丈夫かと手で確認した。ホースの巻き取り機をなるべく川ぎりぎりの所に置く。男の子が手を離してしまい流れてくるのを前提とした賭けだ。その前に救急が来れば一番良いのだが。
「いい加減にしろよ!」
多田は巻き取り機を二人から奪おうとし、二人はそれに抵抗していた。やがて俺に対して再び声を荒げた。
「さっきも言ったよな?責任が起きるんだぞこれは!何かあったら‥学校に」
「責任は取る」
まるでそれは口から溢れ出たような言葉だった。それほどにこれ以上は多田の話を聞いていられず、自分の中で底上げされたように外に出た言葉だった。
「どうやって取るんだ?」
「学校なんて辞めればいい」
多田は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐさま眉間にしわを寄せ直した。
「いや、そんなんで‥責任が」
「責任を取ってるだろ?そもそも‥そんなのなら学校なんてこっちから辞めるよ。」
多田はそれでも引き下がらなかった。多田が訴える内容は分からなくもない。ただ今、それが正しいとは自分には思えなかった。
「お前が辞めたって学校が責められる!その場にいた俺や‥こいつらもだぞ!お前だけじゃないんだよ!」
多田が掴む手を力一杯振り払った。
「あんたの口からあの子の心配は一つも出ない!学校が責められる?だから何もしないのか?あの子を見てもあんたは学校の立場と自分の役割を尊重してあの子の安否は何でもいいのか!」
離れた所にいる他の人達がこちらを見てざわつき始めたのが分かった。
「今この状況で‥学校の立場を考えられるあんたは凄いよ。でも、俺はあんたみたいになりたくない。人としてあの子を助けたいだけだ。この状況に直面した事の責任を今取る」
沸々と高まるものがあったからか、多田に対しての怒りからか、普段よりも言葉がすらすら出てきていた。
直後に悲鳴が上がったのを聞き、我に返った。
「やばいぞ渡部!」
太一が指差す先を見ると、男の子の手がちょうど岩から離れたところだった。間も無く流され始め、こちらに向かって近づいてきていた。
「入るぞ!二人とも頼む!」
「任せろ!」
慌てて川に入る。浅瀬は流れが緩やかだったが奥に進むほどに膝下に 感じる水流の勢いが増すのが直に伝わってきた。男の子はどんどん流されてくる。川下にいて正解だった。
「うわ!」
目の前がいきなり濁った水中の世界になり、右耳には水流の音が入り込んできた。急に深い位置に入ったようだ。体は水流に押されるように流れたが、ぐっと腰に巻かれたホースが締まるのを感じた。太一達が引いてくれているのが分かった。
冷静を失いつつも、僅かな閃きを頼りに足を下に伸ばしてみた。足先に感じたのは川の底、土の感触だ。柔らかいが踏ん張りは効く、これなら大丈夫だろうか。
「ぶわっはあ!」
勢いよく顔を上げてありったけの空気を味わった。
「こーちゃん見て!」
俊哉の声にすぐさま周りを見ると、男の子がすぐ近くまで流れてきている。
「太一!ホース伸ばせる?」
太一は首を振った。僅かだが届かない事を太一に位置からも理解できたのだろうか、その顔には絶望の影が見えた。
慌てて辺りを見渡すと、何かにすがる自分に神からの手助けか三十センチほどの太くなく頼りのない、それでも今の現状には神器とも言える小枝が俺に向かって流れてきた。それを掴み、溺れながら流れてくる男の子にできるだけ簡潔な言葉を叫ぶ。
「捕まって!捕まって!」
水流で体が回り、偶然にもこちらに体ごと向いた男の子と目が合った。「捕まって」の言葉の意味と、自分の手に握られた枝を男の子の目は捉えていたようだ。
「よし」
男の子は枝をしっかりと掴み、流される体の動きが止まった。
見守る人達の歓声が聞こえてきたが、安心は全くできなかった。これ以上の力が加われば枝が折れる。曲がっている枝に「頼む」と強い念を送った。
「渡部!引いていいか?」
太一や俊哉の他に、見守っていた人達が数人、ホースを引く態勢に入っている。
「ちょーー待て待て!折れる絶対!」
このまま引けば確実に枝が折れる事は明らかだった。今少しでも手首を捻ったり余計な力を入れたりすればすぐにでも折れる。そんな予感に煽られている。確証は無いが確実、そんなところだ。
このまま耐えて救助を待ちたいが、そんな時間も無いはずだ。川底に足はついているが流れの速さに踏ん張るのが精一杯の状態なのが悔やまれる。というよりほとんど爪先立ちだ。
「ううー」
男の子の手が枝の先の方を掴んでいるが、握り直したりすれば折れる。それを男の子も感じているのだろう。辛そうな表情に胸が痛かった。
「他に無いかー!何か方法!」
太一達の方から解決案を述べる声が聞こえてこなかった。万事休すとはこの事かと、初めて意味を実感しかけた時だった。
「おおおお!」
それはまるで野性の獣のような雄叫びであり、その場にいた誰もが雄叫びの主に対して驚きを隠せなかった。まさかの多田の雄叫びだった。漫画のように雄叫びの直後に木から鳥こそは飛び立たなかったが、それは周りの人が硬直するような行動だった。
「多田君!ちょっと!」
他のクラスの学級委員達が次々と声を上げる。気になって体を捻り後ろを見ると、なんと多田が川の中へと入ってくるではないか。
「え、ちょっと何して」
多田は下唇を噛み締めながらどんどん中へと入ってくる。やがて一瞬で多田の体が深い位置へ沈み、冷静にホースを掴んだ。
「うわ、うわ、そのままいろ!俺があの子の腕を掴む」
まるで政治家の言い訳のように早口でそう言う多田の顔はかなり強張ってはいるものの、どうしても自分に弱さを見せたくないのか眉間にしわが寄りつつも口はへの字に曲がっていた。
「な、何笑っとる!」
「いや、あの、ありがたいかなって」
笑って揺らせば一大事、ここはなんとか耐えてみせた。やっと聞こえてきたサイレンの音も、今の自分と多田にはもう引き返せないところまで来ていて、嬉しさを感じなかった。
徐々に多田がホースを伝って男の子に近付いていく。
「頑張って!もうすぐだ」
男の子は力無く頷く。これ以上は耐えられないだろう。
多田が自分の肩に手を置き、追い越すように男の子の目の前へ、男の子に手を差し伸べる。しかししがみ付くのに精一杯の男の子は多田の手を掴む事ができない。
「大丈夫だ。もう終わる!帰ろう」
多田が体を更に伸ばし、男の子の手首を掴んだ。
「おーし引いて引いて!」
太一の掛け声により、男性陣がホースを引く。三人の体が陸へと近付いていく。多田はしっかりと男の子を抱えていた。そんな多田と目があったが、多田はしらっと顔を逸らした。ここで互いに頷けば漫画のような美しい友情の展開なのだが。
陸に上がるとすぐに救急隊が駆けつけては男の子を連れて行った。
「君達は凄い事をした」という褒め言葉を添えてくれた。プロに褒め言葉を頂けるのは貴重な事だ。本当は無茶をするなと言いたいのだろうけれど、そこまで深さが無かった事もあってか、特別注意される事は無かった。一連の緊迫する展開を乗り越えて、体に疲れが侵食し始めた。
「なあ、おい」
真横にいる多田から声を掛けてられた。多田も全身ずぶ濡れであり、白いティーシャツも汚れていた。俺は特に返事をせず、多田の言葉を待った。
髪の毛から垂れる水が川の石へと落ちた時、多田が口を開いた。
「何なんだお前、何をしている」
「は、はひ?」
何をしているとは?さっきまで二人で男の子を、と思い返していると多田が下の方を指差した。
「何の、つもりなんだ?」
固く握られた自分と多田の手。握手を交わすとは程遠く、まるで誰もが羨む恋人同士の繋ぎ方をされていた。太一や俊哉が自分に近寄って来なかったのはこれが原因か。
「いや、多田‥くん?」
「お前だー!」
繋がれた手を力強く振り解き、放たれた大声により、漫画のように鳥が木から飛び立ったのを俺は確かに見たのだった。
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