第10話

ゴールデンウィークという名の、いつも何かの為に精一杯働いている社会人の方へのご褒美は、飲食店でのアルバイトをしている俺には重荷と化して襲いかかった。開店直後から満席になり、景気の良さに店長は「はっはっは」と高らかに笑いながら料理を順番に作る。いつになく手際が良くどんどん料理が完成していった。

その横で補助をしている俺はそんな狂った店長から距離を置きたくなった。


「渡部君ー料理出る?」

「ああはい!出しまーす」


自分もなんとか食らい付き、流れが円滑になるように汗をかきながら努力した。


「渡部さーんサラダ出せますか?」

「あ、うん了解」


高校生バイトの西川がお皿をガチャガチャと並べながらサラダの食器の準備に入る。それがまた煽られているように感じてしまい更に慌てる。

そんな目まぐるしさから解放されたのは三時半だった。一日通しで働く日は昼食となる賄いが出る。

この日は三時半から休憩に入るアルバイトが自分を含めて四人いた。休憩室で四人共、疲労による溜息を一斉につきながら椅子に座っていた。怒涛の混雑からの解放、この時間だけは安らぎを感じられる。

空腹が頂上を超えていたが目の前にあるハンバーグが頂上を超えていった空腹を再び頂上へと引き戻した。


「だー!美味い!」

西川が歓喜の声をあげる。

「びっくりしたなあ大きい声出して」と金井さんが言う。

「いやー混みすぎっすよ!死ぬっす!」

西川と金井さんより歳が一つ下になる五十嵐だ。

五十嵐は語尾に「っす」が分かりやすく付く話し方を年上にする。憎めないムードメーカーのようなタイプで、俺とは真逆だ。


「暑くて汗かいちゃった」

金井さんは言ってすぐにホールより暑い厨房にいる自分に気付き申し訳なさそうにするも、自分は構わないよと手を振った。


「あれ渡部さんは連休はフルで出るんですか?」

西川が自分に言う。

「明日と明後日、二日だけ休むよ。バーベキューするくらいで遠出はしないけど」

すると五十嵐が前のめりになった。


「え、え、てことはそれって女の子と‥みたいな感じっすか?」

何故そうなるか全く理解できないが、申し訳ないほどに大外れだった。冴えない男が三人。小さなコンロを囲んで肉を焼く。それ以外に何も無いし何も生まれない。でも三人だからこその空気と楽しい時間を過ごせる事がとても楽しみだ。


「い、いるんすか?」

気付けば他の三人が前のめりになって沈黙する俺に近づいていた。ゆっくりと言葉を押し出した。


「い、いるわけ‥ないじゃないか」


そして混雑の次にまた混雑というバイトを乗り越えて、女性もいない冴えない男三人によるバーベキューが当日を迎えた。俊哉が一番近所に住んでいるため、このバーベキュー場に早めに来てもらい場所を確保。太一と俺は買い出しという例年通りの段取りで始まった。炭は既に俊哉が面倒を見ていてくれ、太一と自分が到着した時にはもうすぐに肉や野菜が焼けるようになっていた。


「まあまあとりあえず乾杯っと」

軍手をはめたまま紙コップを三つ取り出した俊哉がコーラを注ぐ。周りを見れば相変わらずの賑わいで、早めに場所取りをして大正解といったところだ。学生や社会人同士、また家族連れなどで賑やかで子供達が走り回っていたりとゴールデンウィークらしい活気に溢れていた。


「また今年も‥ここで乾杯ー!」

チンとはグラスのように鳴らない紙コップによる乾杯が行われた。卒業しても社会に出てもこうして集まれるだろうか、高校最後のこの三人によるバーベキューの幕開けと同時に少し暗い思考が働いた。この二人もどこかでそう思っているのかもしれない。


タレが染み込んだカルビやタン、ピートロを次々と網に乗せては口へ運ぶ。毎回食材を買い過ぎるため、朝食はもちろん抜いて昨晩の夕飯も軽めにしておいた。そのため胃袋も長期戦にしっかりと備えてある状態だ。


「二人は連休はどっか行ったの?」俊哉が言う。


「んー親戚が来たくらいか?あとは親父の手伝いとかかな」と自営業の父を持つ太一はアルバイト代わりに手伝いをして小遣いを得ている。自分も何度か手伝わせてもらった事がある。


「俺はバイトバイトよ。今日明日休んで残りもバイトだなあ」


「偉いねー君達は。」などと肉を食べながら俊哉は呑気な事を言っていた。


「で、あちらはいいの?学級委員さん」

あちら?と俊哉が指差す先にいたのは多田率いる学級委員達だった。皆で少し大きめのコンロを囲み和気あいあいとしているのが見えた。思えば曽根のSNSで見た光景だ。確か学級委員バーベキューと題されていたはずだ。


「お前さん完全に除け者なんだな」

「いや、太一。お前あれ交ざりたいか?」

太一はぶんぶんと首を振った。そしてどうやら多田達もこちらに気付いているようだったがお互いそれ以上の干渉は無かった。


「ソネイチはさすがにいないんだねえ」

「委員外れたからだろ。」


きっと誘われはしたのだろう、でも曽根の性格では断ったのだろうと見当がついた。まあそこに曽根の姿があったらそれはそれで少し傷付きそうな気もするが。彼らもまた肉を焼き談笑しているようだった。


「しかし暑いねーこりゃ」

ぱたぱたと扇子で顔を仰ぐ俊哉が見上げた空はまさに快晴であり、夏同様の日差しが照りつけていた。天気予報では最高気温が二十七度。アナウンサーも念入りに水分補給を促していた。

このバーベキュー場は川と隣接しているため、子供達は河原や川の浅瀬に足を入れたりして盛り上がっている様子が見えた。後で我々も、と食後の楽しみとして予定を加えた。


「焼きそばもあるからね!」

俊哉が取り出した焼きそばは塩味の焼きそばだった。

「馬鹿!ソースだろ!塩味って美味いけど普通ソースだろうよ」

「えーなんで当たり前の概念を壊しなさいよー」

太一がやれやれと焼けたピートロを皿に乗せて口に運んだ。


「あ、太一!俺それ食ってないぞ」

楽しみにしていたピートロを太一が次々と皿に乗せていくのを見て俺が苦情を入れるが太一は首を傾げながら口に運んでいく。この澄ました顔がまた癪にさわる。焼肉に関して言えば自分は塩味の肉が好物だ。まさにピートロなんて自分の中では王道であった。


「まだあるよ!」

クーラーボックスにはピートロがもう一パック入っていて、自分は安堵した。同時に太一には禁止令を出しておいた。


「君達、後始末はちゃんとしてってよ。」


声の方に振り返ると多田が腕を組んで険しい顔で立っていた。

「学校の名誉に関わるから。分かるよね?」

干渉しないと思っていたが、多田の方からわざわざ仕掛けてきた。

「散らかすつもりはないけど‥」

情け無い自分の小さな声が多田の耳にも届いたが、自分達の周辺を見ながら粗を探していた。


「そっちのが人数多いんだから気を付けなよ。ゴミ袋、でかいの分けてやろうか?」

太一が雑に一枚のゴミ袋を多田に押し付けた。太一は意外と物を申せるところがある。


「要らないよ。こっちは足りてる」

「こっちも足りてるよ。ならこれ以上はもういいよな?戻んな」


しばらく睨み合いが続いた後、多田が吐き捨てるように俺に言った。

「くれぐれも迷惑にならないように、渡部君」

「あ、うん」

「お前さんが迷惑だから戻れって邪魔邪魔ー」


多田は舌打ちをしながら自分の仲間の元へ戻って行った。

「感じ悪いなあの馬鹿」

「いや太一よく戦えるな‥」

「あいつ怖くないじゃん?城島とかなら黙ってた」

俊哉がげらげらと笑っていたが、確かに太一はそういう男だ。今回は感謝以外に何も無い。自分の不甲斐なさが露呈し、場の空気が最悪にならずに済んだのは太一のおかげだ。自分は太一にピートロ禁止令の解除を告げた。


「いいの?最高じゃん!」

「全部じゃないぞ?」

網に満遍なく広げたピンク色のピートロがやがて白く変わる。焼けた証拠だ。そこに更に塩を振りかければ至福の一口だ。持参したわさびも忘れずに皿の隅に出した。

口に入ったピートロは独特な食感と共に心地良い塩味が口の中に広がった。至福の時間は思いの外、早い終わりを告げた。


「やばい!あれ溺れてるぞ!」


男性が何やら川の方を指差して大声をあげた。やがて次々と悲鳴がバーベキュー場に広がった。

川へ降りていた子供達が泣きながらバーベキュー場に上がって来ては保護者達に飛びつく。その保護者の中に血相を変えて川の元へ向かう女性がいた。


「え、子供か?」

自分達も川が見える方へ移動すると河原で叫ぶ先ほどの女性がいた。その二十メートルくらい先に、水中の何かに掴まりながら川の流れに耐える男の子がいた。最初に子供達が遊んでいた位置からかなり移動している。最初の位置は浅瀬も安全で河原の石で遊んでいたはずだが、好奇心が勝ったのか、そのまま流れが速くなっている方へ行き、浅瀬の緩やかさで油断してしまい突然深くなった部分に足を入れてしまい流された、といった状況だろうか。保護者は川に入らないように散々注意する声は聞こえていたのだが、石で遊んでいるのを見て安心したのか、目を離してしまったといったところか。


見れば我が子の無事を安堵した保護者達も河原へ降りていた。その中に男性はおらず、母親同士での集まりのようで、立ちすくむしかないようだ。


「今!救急に電話しますから!」

社会人らしき男性が河原に向かって叫ぶと、母親は振り返り頭を下げた。それまで耐えられるかは定かではない。

野次馬の中に水泳関係者はいないか、屈強な男性はいないか、他人任せだが時間の問題であり二次災害の出ない救出を無意識に探していた。女性が多く、大学生含む男性は酒を飲んでいたりと頼りになる存在がいなかった。


気付けば野次馬は河原へと移動を始めた。男の子は水中にある岩を掴んでいるのが見えた。

「頑張れ!」

と声援が次々と飛び交い水中の岩を掴み必死に耐える男の子を励まし続けた。

救急のサイレンはまだ聞こえてこない。


「手が‥痛いい」

川の流れる音にかき消され気味だがそんな声が聞こえた。川の流れに対して小さな手で水中の岩を掴めば次第に指先にも限界は来るだろう。時間の問題だと思い、胸がざわつく。救急車のサイレンは聞こえてこない。

「太一、俊哉」

自分は二人に目を向けた。二人も自分を見ていたのは気持ちは同じだからだろう。どうすればいいのかが思いつかない。その不安を共有したい気持ちと、二人はどう考えているのかが知りたかった。


「五分もたないだろ‥」

太一は辺りを見渡したが、足場となる者も無いし水中に入るしか助け出す方法が全く無い。


「人数はいるんだ‥何かあれば」

「ある!あるよ!」

俊哉は勢いよく走り出した。野球ができるグラウンドの方で何かを物色する姿があった。

「やるじゃねーかあれだよ!」


太一が持ってきたのはグラウンド内に水を撒くためのホースだった。巻き付いている量を見るとそこそこの長さが期待できる。それに簡単には切れず安全性もある最適な道具と言える。三人で慌てて戻ってくると男の子は限界を迎えつつあり、見守る人々から励ましの声が飛び交った。


「先回りだ!あそこまで行って水中に入る人のベルト辺りにホースを巻き付けて救助しよう!」


三人で少し川の流れの先へと走り、位置を確認した。剥き出しの河原が少しだけ長いため、距離が多少は稼げるようだ。


「よし!中に入るんは渡部!」

「え!まあ、おう、え!」

途端に恐ろしいほどの不安が押し寄せて、目の前に広がる大きな川がお前も来いと手招きしているように見えてきた。


「おい、渡部いけるか?」

今からやる事は踏み出すとか個人的な運勢を変えるような嫌らしい考えではなく、人間としての行動だ。あの男の子を助けたい。今回は二人がいてくれる事がありがたかった。

「おい聞いて‥」

「押してくれ」

「は?」

自分は二人にお願いした。

「背中‥押してくれえ」

俊哉と太一にだからこそ、本音をこぼした。実は完全に足がすくんできてしまっていた。川の音が恐怖心を更に煽ってきている。しかし時間をかければかけるほど、地面に足が余計に根付いていく感覚があった。


「や、やっぱ自分で行きまーす!」

勢いよく地面を蹴りつけた。

「馬鹿!ホースホース!縛ってないだろ!」

命綱も巻かずにただ川へ入り込むという二次災害を自分で引き起こしそうになり、恥じらいと共に冷静さを少し取り戻してきた。

改めて太一がベルトにホースを縛り付け、いよいよ救出作業に入る用意が整った。目の前に広がる大きな川、正直なところこんなホースで大丈夫か、水を吸った衣服で重さは増し、更に男の子も抱えれば重量は更に増加される。そして川の流れは止まることは無い。これらの悪条件を無事に乗り越えられるのだろうか。


必死に耐える男の子と助けたくても何もできず、涙を流しながら助けを待つしかない母親。

改めて目に入った光景に、自分は決心がついた。

「行こう‥」

「なるべく浅瀬まで、俺達も。」

どこで深くなるのかは見当がつかない。二人は手前まで、奥には俺が行く。二人には手前で踏ん張ってホースを掴んでいてもらう。川に一歩目を踏み入れた時だった。


「待て!勝手な事するなよ!」

慌ただしい足音と共に怒りの形相で現れたのは多田だった。多田は息を切らしなが三人を睨みつけ、自分の右肩を掴み陸に引き上げた。

「なんだよ時間がないんだよ」俊哉が言う。

多田は溜息をつきながら「何かあったらどうするんだ?誰の責任だ?」と三人の顔を見比べるように見ながら言った。


「学校の責任だ」


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