第8話

学校に登校するといつもとは違う変化が生じていた。

「よう!」

「あ、本田君おはよう」


あのカラオケの日から城島達に毎朝のように挨拶をされる事が増えた。これまではひっそりと登校し、ひっそりと俊哉、太一と合流。三人で普通の声のトーンで話しをしていても、以前城島に言われたように全く目立たない、そこにいる事さえ認識が薄い俺が、クラスで眩しい人達に声を掛けられる事で光が当たる。他のクラスメートも最初は不審がり、一時は「城島に頭を下げさせた男」から「城島を倒し従えた男」に変わりつつあったため、慌てて全員の前で城島にぺこぺこして必死に危険な誤解を覆した。


「光ちゃん出世だねえ」

「お前も陽の光を浴びる側に立つのか」

「安心しろ。俺は、変わらねー」

三人で気味の悪い笑みを浮かべる。やはり自分にはこの二人の波長が合う。ただ実際、日常の行いを変えているのは事実。結果、短期間で体験した事の無い出来事や交流があった。それ自体は決して悪い事ではないし、運気が変わるならととりあえず一年は取り組むつもりだ。


そんな三月に三年生は卒業式を迎えた。涙を流し友人や教師と名残惜しむ人、笑顔で再会を誓う人、解放感に満ち違う意味での笑みを浮かべる人、さっと荷物をまとめて足早に去って行く人。来年の自分はどんな卒業式を迎えるのだろうか。

そんな卒業生の姿を見た宮間さんが「やだなー卒業。」とぽつりと呟いていた。

というかいつの間にか隣にいて自分の下唇が震えだした。何だろうかこの緊張感は。

そして更に気付いたのがいつも彼女の横にいる高木さんと水嶋さんがいない。なら彼女は誰に向けての呟きなのか。経験値の少ない自分は鈍感という範囲を超えていた。


「渡部君はー?」という指名があって初めて自分に向けられた会話であると答えを知った。


「自分も、あの、寂しいであります」

「あはは!兵隊みたい!」

変態ではなく兵隊で良かったと前向きに捉えよう。ただ寂しいかは、今のところは何とも言えず、どちらかと言えば高校生という看板が外れるという所に寂しさを感じるのかもしれない。

進学する人、就職する人。人生の分岐の一つが高校生活だと自分は思う。毎日を楽しそうに過ごし、多くの友人に囲まれて意気揚々と学生生活を送る宮間さんにとっては「みんなとの別れ」、これが寂しさの理由であろう。


「進路は?」

「あ、はい?進路は‥実は未定で」

進学か就職か、実は親にも聞かれて困っていた。

進学したい。何となくでしかなかった。何かを学びたいとかこんな専門学校でこんな資格を取りたいなど、具体的な理由が無く、ただまだ働きたくないという甘えでしかなかった。


「あ、宮間さんは?」

宮間さんは考える素振りを見せてから「多分、進学かな。専門学校行きたいかな」

という事は具体的に絞った目標があるという事か、必要な資格、知識を欲しているのか。などと名探偵を気取っていると特に隠す訳でもなく教えてくれた。


「私さー服好きだからアパレル行きたいんだ。できれば裏方の仕事。才能あればデザイナーやりたいんだけどね‥」

似合っている。そして何よりもう前から夢を固めていたのだろう。自分なんかより立派だ。


「才能、あるかなんて、まだ、決めつけない方が」

「え?」

「良い」

「良い?」

刻みすぎておかしくなっているのは承知だ。


「決めつけない方が、良い」

「偉人みたーい!」

鼻の下に髭を蓄えたくなった。偉人とはまた贅沢な褒め言葉だ。褒め言葉という事にしてほしい。

こんな偉人がいたなら何を成し遂げるのか気になるところだが。


「才能を磨いたり見つけたりしに行くんだって考えれば良いかな?」

小首を傾げるのはやめてくれ。自分はそれに弱い。自分の弱点を突かれよろけそうになるのをなんとか踏ん張れた。


「あと‥才能を、生みだすため。です。」という知的な付け足しも忘れずにしておいた。

俺みたいに最初から諦めるタイプの人間が口が滑っても言える事ではないが、今だけはつるつるに滑らせてほしい。一応真剣に答えたつもりでもあるからだ。


急に現実的な話をして、ただなんとなく毎日を過ごしてきた自分と、明るく陽気に過ごしていたが実はしっかり先を見据えていた宮間さんに対して少し尊敬してしまった。

自分なんかとは随分とかけ離れているんだと、いよいよ本気を出してきた花粉に侵された目をこすりながら溜息をついた。


そしてそんな進路が決まる三年生となった四月。

新学期早々に俺は白目を剥いて硬直する事態となった。教室内は騒然とし、注目は俺に集中した。


今から数分前、クラス内の学級委員長というクラスの頭、代表を決める時間が設けられた。言わば真面目であり、人間性も評価された人物がなるに相応しい役職だ。このクラスでは二年連続で選ばれた絶対的な人物がいた。

曽根一そねはじめである。ソネイチというあだ名で呼ばれ、真面目で秀才だがあだ名も受け入れ気さくであり、気配りもできる。そして誰からも不満を聞いたことがなく、二年間通しで学級委員長を任されたまさに最高の人材だった。


そんな彼が開口一番に「今年はやらない。」と言い出した事がこの騒動の始まりだった。ただ彼は不貞腐れたり、不満気に言ったのではなく何か納得したかのような顔でそれを宣言したのだった。


そんな彼が次に言い出した事が更にとんでもない話だったのだ。


「自分は渡部君を推薦しますよ」


さあ荷が重いぞ渡部君よ。なにせ超が付くような適任の彼に任されたのだから、責任重大だぞ渡部君。

しかし、頭の中にあるクラス名簿には渡部は一人しかいない事にすぐ気付いたが、認めたくなかった。渡部は、自分だ。


「おーいいじゃん渡部で」などと城島が無責任な同意を笑みを浮かべながらした。

「ソネイチの推薦じゃあ断れんでしょー!」と本田の拍手をきっかけに教室内が拍手の伝染だった。


「まままま待ちましょ‥待ちましょって」

最早、自分の声は届くはずも無い。やがて無情に響くチャイムによって強制的にこれは終了。それぞれが休み時間になった瞬間に騒ぎ出す。当然自分のか細い声など打ち消され、哀れな姿が教室の窓に薄っすら映っていた。何故か目を合わせてくれない俊哉とそそくさと教室から出て行った太一を恨みつつ、曽根に目を向けた。曽根は気付いたのか少し微笑みながらゆっくりと頷いた。

いやいや、これでは「後は任せろ」「頼んだ」のやり取りにしか見えないではないか。そうではない!


やがて裁判のような時間が再開された。

「おーしじゃあ渡部で良いかあ?」

大杉先生の終わりを告げる一言に盛大な待ったをかける。

「待たれ待たれください!」

「色々とおかしいぞ渡部」

助けを求めるように曽根に視線を送ると、曽根は右手を上げた。よし、立候補だと勝手に安心した。


「ここ最近の彼は前とは違う行動をしていて、結果として他の人が良い思いをしています。雑用でも自分から取り組んで、まして人助けなんかもして。」

曽根は自分をじっと見たまま語る。

「自分は本気で推薦してます」

見事に言い切った。何も言い返せず、いやここまで言ってもらえたらこれ以上の否定は曽根に失礼だと思った。この瞬間、学級委員長長渡部が誕生したのだ。俊哉と太一は笑顔で拍手を送ってきた。今日はこの二人とは口をきかないと決めた。


これは単なる大凶の一種なのでは。逆にそんな疑問が生じてしまった。

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