第7話

「ほー」

思わず店の前でそんな声が漏れてしまった。学校帰りに城島に連れられて辿り着いた喫茶店は、「カフェ」と呼んだ方がぴったりなほどお洒落な店だった。比較的賑やかな通りに近い位置にあるこの店は、正直高校生というより大学生かもしくは若めの社会人、そして女性が主体の客層で賑わっていた。

なので当然、我々の入店は少し注目を浴びる事になった。


「これよこれ!」と無邪気に指をさしたメニューには「たっぷりホイップふわふわパンケーキ」と書かれており、白に近い色のパンケーキが更にホイップの白に覆われ、更に白いバニラアイスが添えられている写真も掲載されていた。はちみつまでかけられるようだ。


「食いたかったんだよ。お前も食えよ!」

んートッピングに岩塩はないかい?と聞きたくなるような甘い見た目をしているが、ここは素直に応じる。というより、城島がこんなにも乙女な部分があるのが驚きすぎて、あまり言葉が浮かんでこなかった。

「その、なんか意外ですね」

「ん?あー、やっぱ?」

言われ慣れているのか自覚があるのか。そんな反応が返ってきた。

とりあえずそのパンケーキを二つ頼み、笑顔が素敵な店員さんに心を奪われつつも、油断禁物な現状に、勝手に許されざる恋のような悲壮感をこれまた勝手に店員さんを交えて頭の中で脚本を組み立てた。


「なあ」

「はむ!」

はい!と返事をしたかったのだが、くだらない妄想と急な呼びかけへの対応がこんなお茶目な噛み方を生み出した。下を向きながら城島が少し笑っていた。


「いや敬語いらねーよ。改めてありがとうな」

城島は膝に手を置き頭を下げた。

いやいや、と首を振りパンケーキ早く来ないかと厨房を見た。


「いや大した事してないから本当に」

「いや、これは兄としてしっかり言わないと。あいつのした事は許される事じゃない」


確かに金額どうこうではなく、万引きは犯罪である。それを未然に防げたのは良い事だった。ましてやあのお婆さんでは仮に万引きに気付いたとしても追いかける事などできないだろう。


「お前、なんか少し変わったか?」

城島が水を飲みながらそんな質問を投げかけてきた。変わった?というのは人として、という事だろう。さて、理由を話すのがこれほど恥ずかしい事だとは、こういった予防線を張らないでいたのは問題だった。


「いやいや、何も」

「えーそうか?なんか‥なんつーか」

言わずとも自分には理解できた。失礼無いように言葉を選んでくれているのだろう。しかし適した言葉が見つからない、そんな城島の困った様子が伝わってきた。城島は諦めたのかそのまま口に出した。


「あの、目立たないっていうか‥地味?なんつーか、喋んない?あ、喋るけど‥なんか俺なんかからしたら‥あ、いたの?みたいな。なんつーか」


もう分かりましたから勘弁してください。絞り出した城島の言葉たち全てに無慈悲な攻撃力があった。城島はそんなつもりがなく懸命にオブラートで包もうとしているが、包んだ結果がこれである。城島は悪くない。自分の生き様が彼をここまで苦しめたと。


「パンケーキ、まだかな」

場を凌ぐように城島がパンケーキの登場を心待ちにした。

間も無く二人分のパンケーキが届くと、先ほどまでの地獄のような時間に光明が差し込んだ。

すぐさまスマートフォンを取り出した城島は御構い無しにシャッターを押す。数枚連続で撮影した後、俺にスマートフォンを渡して城島とパンケーキの写真を撮らせた。


「いやーこれ絶対美味いって!」とはしゃぐ城島に呆気にとられつつ、フォークで少しバニラアイスを崩し、ハチミツとホイップを混ぜ、主役のパンケーキを崩して口に入れた。


「ふぉー」

思わず甘さと予想以上の美味しさに感激の声が漏れた。虫歯が加速しそうな甘さでもあるが、ただ甘いのではない。なんというか絶妙なのだ。優しいパンケーキにマイルドなホイップ、甘く冷たくパンケーキに溶け込むバニラアイス、そして満遍なくまた違う甘味を演出するハチミツの合体技だ。これには数分前までに疑惑を抱いたままにこのパンケーキに挑もうとしていた自分が恥ずかしい。


「どうだ?うめーだろ?」

「いや、美味い。びっくり、です。」

「だろ!パンケーキって神だよなあ」


後ろにいる大学生らしき女子二人に笑われながらも男二人でこのパンケーキを食す。

食後のコーヒーの苦味がまた甘味に支配された口内に新たな大人の広がりを披露する。


「カハ!」と城島が咳き込んだ。

「にっげー」

そう言いながらミルクと砂糖を追加する、なるほど、ただの甘党だったのか。


「あーお前、まだ時間あるか?」

まだ何かあるのか、慣れない時間の延長を告げられると城島には申し訳ないが、去る理由を先に考えてしまったが、下手に嘘がばれてしまうとおこらせてしまうため、「大丈夫、だけど」と延長を受け入れるしかなかった。

城島はスマートフォンをいじりながら「了解ー。じゃあ一緒に行くか」と次の予定を告げてきた。


「え、まだパンケーキを?」

いやいや、と城島は手を振った。

「死んじまうよもう食わない。カラオケ行こ。あいつらがいるから」


あいつら?自分の脳内に描かれたのは眉毛が無い金髪でモヒカンの男や、黒いマスクを着用して赤毛の長い髪の男など危険さを兼ね備えた輩が集まるカラオケという名の地獄に向かうのだと思い、勝手に両親への感謝、反省を向かう道中で念じていた。


「え、何泣いてんだ?」

気付けば両親に対しての申し訳なさに涙している事に気付いた。我に返ったが城島が自分を追い詰めようとするような行動をしているわけでもないのに何を勝手に妄想を膨らませているんだと城島にも申し訳なくなった。しかしそう思ってしまう事に関しては仕方ない状況だ。

やがて着いたカラオケ店の店員に人数の追加と部屋の番号を聞く城島と、この後の展開に予想がつかず、もし本当に怖い人達がいるのなら、せめて場を盛り上げて、こいつは生かしておく価値があるな。と少しでも思っていただけるようにとタンバリンとマラカスを拝借した。城島はそんな自分を二度見た。


辿り着いた部屋は一〇五号室。扉の向こうには情熱の薔薇を歌う男の人の声が聞こえる。

歌声が大きくなったのは城島が扉を開けたからだろう。俺は満を持してマラカスを強く握った。


「来た来た!ってえーー!」と女の人の叫び声と騒つく男の人の声が耳に入る。あれ、身に覚えがある。そう自分は顔を上げると部屋にいたのはクラスメイトだった。しかも城島がいつも一緒にいるあの賑やかなグループの面々だ。自分は怖い人達がいた方がまだ良かったと一瞬だけ思ってしまった。

非常に厳しい展開を迎えてしまったようだ。そんな自分の心境を察する事もなく宮間さんが小さく手を振っていた。


この賑やかなグループは六人で編成されている。男子は城島に平良、そして本田拓也ほんだたくやという爽やかなスポーツ大好きで運動神経抜群な男。球技大会では女子の視線と冴えない男達からの妬みの視線を浴びている。

女子は宮間さんと高木麻衣たかぎまい、水嶋さゆという三人だ。


高木さんは本当に賑やかな性格で、宮間さんよりも明るい。よく先生達からも注意を受けるほどよく喋る。水嶋さんはいたって冷静なタイプで、密かに人気があり、ここだけの話俊哉の一押しだった。


「珍しい奴来たなー!」とマイクを渡してくる本田に手で断りの動きをするが、持ってたマラカスをしゃかしゃかと音を鳴らす結果になってしまい、盛り上げ役がやりたいのかと大きな勘違いを生んでしまった。

「いやてか歌えし!ほら!」

曲を入れる機会を高木さんから受け取り、震えながら機械を操作する。色々な形式で曲を探せるのだが、こんな状況で歌える最適な曲。という自分を助ける検索機能はさすがに備わってはいないようだ。


彼らが好きそうな今人気のあるダンスグループの曲にしようか?あ、一つも分からない。音楽は好きなのでよく番組を見るが、あのグループを意識して見たことがない。適当に歌えば特に好きそうな高木さんに本気の蹴りをお見舞いされそうだ。

歌を歌うというのはこんなにも重圧を背負うものなのか、これが本当のカラオケという行事なのか、と一人で盛り上がったところで、いつも俊哉と太一と行く際に歌う曲を入れる事にした。

自分の大好きなバンドの曲だ。自分の歌が届いてくれるよう強く祈った。本物の歌手はこんな想いでステージに立つのだろう。きっと俺が好む歌手やバンドも色々なものを背負い、色々な事が届くようにと。まさかこんな時にアーティスト達の心情を理解できるとは、既に前奏が流れて手を叩く城島達、出だしは英語で始まるこの曲はいつも俊哉達が合いの手のような「おい!おい!」と盛り上げてくれる。


しかし英語の歌詞を眉間にしわを寄せて理解しようとしているのか食い入るように画面を見ている面々。

そして迎えたサビの部分で盛大にやらかした。

みんなが自分を見上げていた。自分はサビになると立ち上がる癖があった。声を張る時は立ち上がると出やすいという自分ならではのやり方。そしてサビと共に気持ちを高めるための起立だった。

それも靴を脱いでソファの上に立ち上がるという高さも増量中である。

でも歌は止まらなかった。というより歌う事がせめてもの気の紛れになっていたためだ。歌い終わったらどうかこの場から静かに消える方法を与えてほしいと祈るばかりだ。


しっかり歌い終え、ソファからゆっくり降りた。某大物アイドルが引退する際に歌い終えたマイクをステージに置くように、俺もそっとマイクをテーブルに置いた。ゆっくりと扉に近付き、一礼をした。そのまま部屋を出ようとした時だった。


「めっちゃ良いじゃん歌えんじゃん!」

「ちょっとかっこよかったんだけど!」


我が耳を疑うような称賛だった。本田はマラカスを鳴らしながら自分の周りを回っていて、高木さんも口笛を吹いて俺の歌を称えてくれた。


「これ、RIVERって曲でしょ?兄貴がよく聴いてる」

「出た!水嶋のロックな兄貴」

水嶋さんに兄がいるという情報を手に入れ、思いがけない反応の数々に顔の緩みが制御できなくなっていた。拳を固く握り、直立で下を向き小刻みに震えた。


「え、泣いてんの?」

にやけそうなのを堪えているなんて言えず、くしゃみをするふりをして誤魔化した。


そして自分は暫くこの時間を彼らと共有した。やはり緊張感は拭えないままだったが、高木さんと宮間さんによるアイドルグループの曲の歌唱と場の盛り上がりを見て、こういうのも歌っていいんだと嬉しくなり自分も応援しているアイドルグループの曲を入れて熱唱した。


「いやー彼女が急に脱退して四人になって、自分が好きなメンバーなんで最後のライブは泣いちゃってーまあ四人になっても応援するんだけど前より熱が出るか心配でーそれから‥」


自分は興奮のあまり先ほどまでの緊張感が抜けきっており、つい城島達の顔が俊哉や太一の顔に見えてしまったほど緩みきっていた。口調や歌唱後のコメントに関しても俊哉と太一と一緒にいる時そのままの俺が出てしまっていた。


自分は再びそっとマイクをテーブルに置いて、床に正座した。その姿はまるで斬首を待つ侍のようだったと後に宮間さんが教えてくれた。


「いやいや面白すぎるだろー!」と正座する自分の周りを本田がまたマラカスを鳴らしながら回った。本田がいつのまにか救いになっていた。

他の人も笑い出し高木さんは親指を立ててくれた。その後はアイドルグループの曲を三人で歌ったり、平良の物真似しながらの歌をみんなで笑ったり、普段の城島達のグループの過ごし方を体験させてもらった。


終了後にはみんなでスマートフォンで写真を撮ってから解散した。俺は緊張感からの解放で途端に疲労に襲われた。それと同時に今までに無い不思議な感情がある事に気が付いた。

普段感じる「楽しい」とはまた違う「楽しい」があった。

楽しめた事にも驚いたが、城島達の人間性に対しても数々の誤解をしていた事を反省した。ただ今回は城島の弟の件でのお礼を兼ねた出来事だ。自分とはやはり住む世界が違うし、これっきりだろうと貴重な経験に感謝した。


ポケットの中のスマートフォンから通知を知らせる音が聞こえ、すぐに取り出した。

城島から先ほど撮影した集合写真と一緒に「月一でカラオケな」という意味深な文章が書かれていた。


月一。月に一回。

俺は今までの日常からある意味外れた方にも踏み出していたようだ。

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