第5話
いきなりだが、さくっとした歯ごたえながら中はふんわりしていて黒糖の甘さが染み渡る。そんなふ菓子が俺の好物だ。最近学校での無理な振る舞いが祟り、疲労が倍増している自分には、学校帰りに寄れる場所にあるこの駄菓子屋がオアシスに思えていた。最近ショッピングモールの中によく駄菓子屋があるが、そうではなくお婆さんが営んでいる昔ながらの駄菓子屋だ。
小学生、時には大学生くらいの年代、中にはサラリーマンの人達も利用しているお店だ。サラリーマンの人もまだ子供の頃に利用していたこのお店、今でも通うのはお婆さんの人柄と店への愛着だ。そんな人達のためにもお婆さんは少しでも長くお店を続けたいといつも言っていた。そんな優しいお婆さんをみんなが好きだった。
そんな憩いの場で、あってはならない事が起きていた。先ほど、自分の後に入店してか中学生がいた。見た印象はやんちゃ者、といった見た目をしていた。まだまだ可愛らしい顔つきだが学校でも先生達は手を焼いているのかも、そんな印象だ。
自分は心の中で念仏のように唱えている言葉があった。
(やめてくれやめてくれやめてくれやめてくれ)
これをひたすらに唱えている理由はまさに、その中学生にあった。
不審に店内、お婆さんの様子を伺いながらお菓子を複数個手に取り、戻したり、また取ったりとやたらと落ち着きがない。なんとなく予想できる事が俺の中で浮かんでいた。万引きだ。お婆さんの隙を見てポケット、もしくは袖か着ているパーカーのフードに入れて店から出るつもりか、そんな予想が簡単にできるほど怪しい動きを繰り返していた。さながら監視するGメンのような立場に俺はなっていた。おとなしくお婆さんにお菓子を渡して代金を支払う。本来の買い物をしようじゃないか。
そして中学生は見事にポケットにお菓子を突っ込み足早に去って行った。少年よ、本来の買い物をしようじゃないか。しっかり自分は目を逸らした。ただ自分はふ菓子が食べたいだけだし、自分はしっかりお金を払う。あの中学生はああいう年頃だ。大人になればちゃんと理解するだろう。自分みたいな他人が気にする事じゃないし、彼はこのまま時間と共に成長する。彼の万引きという行いが自分に迷惑をかけている訳でもなく、まあ気分は良くないが自分には問題無いし関わりたいとも思わない。
では何だろうかこの引っかかるような気持ちや迷いは。何も知らず微笑んでいるあのお婆さんは事実を知らない。高齢にも関わらずお店を続ける意義、我々のように通うお客に少しでもこの空間をと思いやり、あのお婆さんに会いに来る学生、社会人になってからも顔を見せに来る大人まで、まるでみんながあのお婆さんの孫かのように。
「大丈夫かい?具合悪いかい?」
はっと顔を上げると、心配そうにこちらを覗き込むお婆さんと目が合った。ふと壁に掛かった鏡を見ると頭を抱えて何故か身体を捻るように立つ哀れな自分が写っていた。
「あーいやいや、ラムネ買おうか悩んじゃいましてぇ」と尋常ではない悩み方をする男だと誤認される言い訳が唐突に飛び出した。
欲しくもないラムネ、細かいお菓子、そして目当てのふ菓子を握りレジへ持って行く。駄菓子なのでありがたい値段を提示された。二百円も出せばこれだけ買える。なんて贅沢な空間だ。何故、駄菓子屋という存在が衰退したのか理解ができない。
駄菓子屋から外に出てラムネの封を開けた。確かにグレープの味がする。久々に食べるとラムネもさっぱりとしていて美味しい。外はまだまだ寒い。お婆さんも風邪をひかないでいつまでもこの空間を与え、守っていてほしい。
「あれ?買い忘れかい?」
「支払い忘れがありました!」
自分は店内に戻った。商品は取らず真っ直ぐにレジへと向かった。お婆さんは不思議そうに俺を見ていた。何も取らずにレジへ行くのはコンビニで煙草を買うような流れだ。
「さっきの中学生‥彼の分でガム、マシュマロ、うまい棒、あとー‥ミニドーナツ!奢る約束なんで!」
お婆さんは首を傾げた後、ゆっくり微笑んでから金額を言った。
「ありがとう。また来てねえ。寒いから身体に気をつけて行ってらっしゃい」
「お婆ちゃんこそ暖かくしてね」
駄菓子達を上着のポケットに入れて押さえながら走った。すれ違った小学生から「あの人漏らしそう!」と笑われた理由が分からなかったが、カーブミラーに写った自分は、駄菓子で溢れそうな上着のポケットを押さえている姿がまるで腹痛でお腹を押さえてトイレへと走る姿にそっくりであった。
まだ後ろから小学生の笑い声が聞こえてくる。
こんな事であそこまで笑えるなんて羨ましいと思いつつ、あそこまで笑われている自分とは?という答えを見つけたくない自問が始まった。
「君ーちょっとぉ‥いいかな?」
呼びかけた相手が不良っぽいという事を思い出し、このように逃げ腰になってしまった。
「は?何すか?」
軽く凄まれているように思え、そーっと逃げられるように姿勢を低くした。
「は?何喧嘩したいの?」と中学生が少し構えた。
「いやいやいや!何もしてないでしょ!」
「いやすげえ構えてんじゃん」
まるで拳法の達人のような構えの自分は、中学生を相手に「逃げる用意です」とも言えなく、ゆっくりと腰を上げて手は腰の横で気をつけの姿勢になった。
「何なんだよ」
「知っているぞよ」
どこぞの国王のような口調になったのもおちょくっていると勘違いされる痛恨の噛みだった。
「さっきから何?舐めてんの?」
「いやいや違いますいやいや!」
両手で異常なほど否定してから、自分は勇気を出して本題に入る事にした。
「言っていいかな?君さ、その、あれ、あの」
「なんだよ!」
「ひえ!あの、ほら、こら!盗んだろー!」
直立姿勢でそう叫ぶと彼は恥ずかしそうに周りを見渡して自分を睨みつける。
「何が?」
「お菓子ー!」
「でけんだよ声が!」と周りを見渡しながら自分を不快そうに見る目には危うさがあった。
気付けば胸ぐらを掴まれているではないか。近くで見ると年下のくせに迫力があるじゃないですか。完全に足は震えていた。
「いいか?チクるんじゃねーぞ?」
「やや、やっぱ盗んだんじゃないですかあ」
「てめーに関係あんの?」
頭をぶんぶんと縦に振った。
「支払いは僕がしたんですわ」
「え、まじ?」
これには少し効いたのか、万引き犯はおとなしくなったように思えた。
「じゃあ金あんじゃん。出せよ」
理解してくれたなんて大きな大きな勘違いだったわけだ。とんでもない中学生もいるんだなあと危うく感心しそうになった。今財布の中に一万円札が二枚ある。しかしこれは差し上げられない。バイトの給料で買いたかったゲームやら何やらに使う貴重な資金だ。
「ミニドーナツ、買ってきましょうか?」
「いらねーよ金出せって。」
色々とはぐらかしてはみたものの、完全に現金を摂取する事しか考えていないようだった。自分はとりあえず話を本題に戻す事にした。
「駄菓子のお金はどうするんだい?自分が立て替えたんだけど」
彼はまた眉間にしわを寄せた。足の震えが胸ぐらを掴んでいる彼の手にも伝わっているのだろう。ちらちらと下を見ていた。
「金払ったんだろ?じゃあ良いじゃんそれで。あんなぼろい店のたかが数円の物盗んでガタガタ騒ぐ必要ねーから」
無意識だった。胸ぐらを掴んでいる中学生の手を思い切り弾いた。自分でも後々考えれば信じられない行為だった。
「いてーな!」
「こんの馬鹿たれがあ!」
まるで某学園ものドラマの教師のような台詞が飛び出し中学生は少し後退した。
「貴様が盗んだこのお菓子!あのお婆さんからしたら生活に必要な資金の一部となる立派な財産だあ!この小さな万引きの被害の積み重ねがあの店を潰す事になるんだあ!」
顔は高揚し、息は荒くなり、目は完全に血走っていたと思う。こんなに怒りが溢れたのは初めてかもしれない。
「あのお婆さんが今まで何人の人の成長を見届けてえ!何人が大人になっても会いに来ると思ってんだあ!そんなみんなの思い出とかをなあ!お前みたいな奴が踏みにじんなあ!おお!」
最後の「おお!」は威圧ではない。みぞおち辺りを足で蹴られたために出た情け無い声だ。そして今の子は伝わらないのか、と無念さもあった。
「殺さないでえ!」
咳き込みながらも必死に命乞いをした。
「わかったから、でけー声出すなよ」
「ふぇ?」
バツが悪そうに斜め下を見る彼には、俺を殺そうとする気は無いように見える。伝わったという解釈で良さそうだった。では、何故蹴られたのだろうか?深く考えるのはやめにした。教育の代償、という格好は良い言葉で無理矢理処理すれば良い。
「何十円で捕まんのもださいし、やめるよ」
今、目の前で一人の少年が改心した。信じられないが、きっかけは自分だ。ただ一つ、彼にお願いしたい事があった。
「これからもあの店で買い物してよ」
あの店、あのお婆さんの優しさと懐かしさ、色々な事を感じてほしかった。彼にとっても癒しになる場所になってほしかった。多感な時期こそ、優しく包み込む大人が必要だと思う。叱るのは親や先生の役目、だけどそれだけでは反発する気持ちが高まるだけだ。
「今日は俺が奢るよ。でも次は自分でね。あのお婆さん話も面白いし、相談も聞いてくれるよ!何度も助けられたよ」
「店員とそんな仲良くするの?」
店員、という呼び方は駄菓子屋のお婆さんに相応しくないのはとりあえず置いておく。
「あそこは落ち着くんだよ。だから昔は子供だった人が今は大人になってもあのお婆さんに会いに来る。俺もそんな感じだよ」
「へー」と短い返事だが、きっと理解してくれたに違いない。俺はポケットから先ほど購入したお菓子を取り出し、腰をかけた。隣には彼も座った。肩を並べてお菓子を食べる。初めて会い、反発され、蹴りまでされた年下とこうして過ごす。不思議な体験だった。
「美味い」
ミニドーナツを頬張る彼が少し笑っていた。中学生らしさがやっと見れた瞬間だった。
「おー何やってんだ?」
「いや今お菓子をだねー‥え?」
頭の上から聞こえる声の方に、首を後ろに曲げて見上げると見覚えのある顔があった。学校でよく見る顔だ。それも同じ教室でよく見る!気付いた直後に立ち上がり姿勢を正した。間違いなく同じクラスの
城島は見た目は不良のように近寄りがたい雰囲気があり、目つきも鋭く実際に悪そうな人達と一緒にいるのを見かけた事がある。
しかし城島は成績も良く、問題も起こさず先生達にも可愛がられているところがあり、見かけによらずの代表格だろう。
しかし自分はほとんど接点が無く、お互いに名前を呼び合った事もない。そんな城島を目の前にして、完全に怯えてしまった。
「兄貴、食う?」
「ん?くれ」
うめー!と言いながら城島はドーナツを食べて、更にもう一つドーナツを貰っていた。
なるほど、こういう所が彼のお茶目な‥と思いかけたところで、流してしまった彼らの会話に今更気付いた。
「おおおお兄さん?」
二人はきょとんとしながら自分を見ていた。
「ああ、弟だよこいつ」
「なん‥ああ」
絞り出す声もこれが精一杯だった。そうなるとこれまでの一連のやり取りは非常にまずい。
「俺の弟にー」なんてありがちな流れで鉄拳制裁もありえる。
「てか何やってたんだ?知り合いだったんか?」
言い訳が見当たらない。
「いや、今日初めてだ。実は俺が」
「バババイトーの時間!またね!」
その場しのぎには十分すぎる言い訳を披露して足早に去った。学校まで言い訳を考える時間はある。なんならマウスピースも咥えて行こうか。やられる前提の思考回路に嫌気が差すも、覚悟するしかなかった。
そんな覚悟と寝る前に考えた十三通りの言い訳を無意味に変える出来事があった。それは登校した朝すぐに訪れた珍事だ。
「俺の弟が悪かった!それで‥本当にありがとう。感謝しきれねえ」
「じ、自分はー駄菓子を広める活動をー‥え、ええ?」と中途半端な言い訳で終わった。なんと目の前であの城島が深々と頭を俺に向かって下げている。もちろんクラス内は騒然、あの城島に頭を下げさせた!なんて噂が広まらない事を祈るも、一日の始まりが衝撃的な幕開けとなった。
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