コタキナバルの夕焼け

 学生時代のある時期、自由の象徴として「夕焼け」を挙げていた。毎日夕焼けを見れることこそが自由なのではないか、そう考えていたのだ。自由という言葉を一番模索していた時期である。

 授業や仕事に追われ夕方の時間を机に向かって過ごし、家路につく頃にはすっかり暗くなっていることが続き、前に夕焼けをぼんやりと眺めたのはいつだったのかすら思い出せなかったりする。夕焼け時しか見られない、あの鮮やかで心が和む景色を見たいと思っても好きに見れないなんて、なんと不自由なことか。

 その瞬間例え何をしていたとしても、夕暮れになれば夕焼けを見る。何にも制約を受けない。それこそが自由なのではないか、そんな風に考えていた。



 その年の一月上旬に面接を受け、下旬には働けることが決まった。仕事は四月一日から始まる。二ヶ月ほど、ぽっかりと時間が空いた。

 仕事は半年ほどの短い契約ではあったが、半年間も身動きが取れなくなるというのは自分にとっては一大事だ。仕事が決まった瞬間には、この二ヶ月は旅をすることしか考えられなかった。

 それなら、ずっとしたいと考えていた短期留学でもしようか。フィリピンなら格安で短期留学があると聞いていた。早速エージェントとコンタクトを取ってみるも折り合いがつかず、それならと、行き先はそのままに、いつも通り気ままに旅することにした。

 セブ島、ボホール島、ルソン島等を巡り約一ヶ月、ノービザでの滞在猶予が迫ったため、世界で三番目に大きい島、ボルネオ島へと飛んだ。東南アジア最小の国ブルネイや、標高4000mを超える東南アジアの最高峰キナバル山を眺めて、旅の終着地点となるコタキナバルに辿り着いた。

 旅程にはまだ少し余裕があったが、既に一ヶ月半旅をしてきたことで、かなりの満足感もあった。自分しては珍しく、残りの五日間を何をするでもなく、この街でのんびり過ごすことに決めた。


 コタキナバルはボルネオ島マレーシア領の中で最大の都市ではあるが、中心街は比較的コンパクトで、半日も歩いて回ればなんとなくの全体像を把握できた。

 大きなモールがいくつも立ち並び、飲食店が立ち並ぶ歩行者専用の大通りも多くある。海からほんの数区画の距離にはもう山道が始まり、少し登れば街を一望できる展望台もあった。なにより大好物の雑多なマーケットが海沿いに広がり、夜になれば新たな屋台が立ち始め、賑やかさがさらに増す、そんな街だった。

 コンパクトかつ都会的な街並みは滞在にはもってこいで、カフェで読書やら、溜まった日記の続きやらで時間を使い、散歩がてら美味しそうなお店をチェックして回った。人生初の海外での映画鑑賞にチャレンジしたりもした。普段のせわしないバックパックとは異なり、なんとも贅沢な時間の過ごし方となった。

 好奇心の赴くままに新たな街、景色を見るのが好きで旅をしているが、同じ街の中で少しだけ新しいものを見つけるのも、また楽しい時間だった。


 そんなコタキナバルでの滞在で、最も満ち足りた時間こそが、夕暮れだった。

 毎日のように、夕暮れが近づくと海へと向かった。目的地はコタキナバルに来た初日にたまたま見つけた海沿いの広場。一人腰を下ろし、夕日が海に沈む瞬間を待つ。辺りを見渡せば、同じように夕日を待っている人たちがいる。一人で来てる人、家族連れ、カップル、あらゆる人たちがこの時間になるとその場所に集った。

 ゆっくりと静かに下りてくる夕日は、海に近づくにつれその速度を加速させ、一端が海に沈んでからはもうあっという間だった。数秒ごとに色が変わっていく夕空を、まばたきの瞬間すら惜しんで眺める。

 この瞬間のために旅をしているんだな、大袈裟だが、確かにそう思えた。

 日が沈んでしまうと、一人また一人とその場から人が立ち去る。余韻に浸りながら、少しづつ暗闇へと近づいていく赤を眺め続ける。

 もう少し見ていたかったな、そう感じて、「また明日、見にこよう」と密かに誓う。

そんな日々を過ごした。


 コタキナバルでの五日間のように、毎日の夕日が沈むその時間を一日の中心に据えた日々は特別だった。生きてるうちにあと何度、海に沈む夕日を見ることができるだろうか。

 あれ以来、夕焼けを見る度にコタキナバルに想いを馳せている。

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