7-4節
しっかりと方角を見定めてから、公園のマンホールを降りた。静寂と、暗がりの冷えた湿路。
声を出さず、身振り手振りだけで互いの感覚を知らせ合い、調整をしながら慎重に歩いた。彼が移動して鉢合わせする可能性もあるので、せめて足音や気配で
角に身をひそめ、湊は手はず通りトランシーバーを起動した。雑音混じりに通信が確立されると、吉男と共に飛びだした。突撃の合図だ。迫りくる靴音と服の擦過音に反応した彼がこちらを見た。先頭の湊に腕を向ける。しかし、同時に反対側から出てきた十吾らに気付き振り返った。挟撃は予想外だったようで、どっちつかずな動きをしている。両組の距離はほぼ同じまま、一気に彼に接近していく。全員が袋に手を突っ込み振りかぶると、危険を察知したのか、思いきった様子で腕を伸ばした。
激突の瞬間はどちらが先とも言えなかった。だが、気付いた時には彼は止まっていて、ムトの傍らに湊が倒れていた。
「湊くん!」
「う……」
吉男が呼びかけると湊は小さく
一瞬、司令塔を失った衝撃で三人の頭は真っ白になった。しかしすぐに歯を食いしばり、ゆかりが叫んだ。
「山野くん、加瀬くんをお願い! あたしと矢田くんはムトを!」
十吾と吉男ははっとして、二人を抱えた。いつ動きだすとも知れぬ彼から離れなければいけない恐怖も湧き上がってきていた。出口の近い駅側から出たかったが、止まっている彼が道を塞いでおり、再始動する可能性もある以上、下手に触れることもできず、仕方なく皆は吉男の案内で公園側から外に出た。日は落ち、
「住処へ……あそこなら手出しできないはずだ……」
朦朧とした声で湊が言う。
「まかせろ。おまえはゆっくり休んでな」十吾は前を見据えた。
「行くわよ!」
また走りだした。とはいえ、昏倒しているムトと動けない湊を連れたままなので、歩みは決して早いとは言えない。だが、それでも懸命に走った。幸い、吉男は裏道をいくつか知っていたので人目は避けられたし、近道もできた。繁みに入り雑木林を突っ切る。丘を下ると道路に出られた。いつもの十字路だ。あとは東に折れ、道なりに行けばもう駅前商店街。そう思ったときだった。
「うわっ」
いきなり吉男が躓いた。同時にゆかりとムトも倒れる。
「おい、大丈夫、か」
立ち止まった十吾の目に、奇妙なものが映った。吉男の足に黒い
「はなれろよしお!」
咄嗟に叫んだが、吉男は蔦に振り払われる形で身を投げ出され道路を転がった。十吾は電柱に湊を
「大丈夫か!」
「な、なんとか」
いくつか擦り傷はあるものの大した怪我ではなかった。しかし安心などできない。内側から蓋を押しのけ、彼が地上に這い出ていた。暗いが、恐ろしい形相をしていることはわかった。
「このっ」
ゆかりが塩を投げようとすると、細く変形した彼の腕が鞭のようにしなり、袋ごと払われてしまった。ほとんど目で追えないほどの速さであり、十吾と吉男の持っていた袋も
立ちすくむ全員を見回したあと、対抗手段を失ったと判断したのか、道の片隅に倒れ伏すムトの方へ、彼がぬらりと寄ってきた。
「やらせねえぞ!」
十吾が、捨て身で彼にむしゃぶりついていった。しかし少し体勢を崩しただけで倒すまでには至らない。彼は大儀そうに腕を持ち上げると、十吾の頭を掴んだ。空き地でやった攻撃を、今度は直接流し込んだ。
それは闇だった。一条の光も射さない、一片の隙間なく敷き詰められた濁りなき純粋な闇。自身の姿さえ見えない深くも浅くもある暗黒が、十吾の周囲を埋めていた。暑くもなく寒くもない、完結された虚無の世界で理由のない根源的な恐怖が身を震わせ、言葉さえ奪っていった。
だが十吾は力を緩めなかった。五感の薄れゆく中、必死に食らいついていた。たった一つ、後ろに人を感じていたからだ。それはゆかりだった。十吾が飛びかかった直後、ゆかりもしがみついていたのだ。そして後ろには吉男がいた。伝播する闇に蝕まれようとも、三人は互いの存在を感じとることができた。それは完全な世界では異物であり、不必要なものだった。ゆえに彼は苦しんだ。不要因子を排除する為に世界を再構築しようとした。
彼が力を込めると、確かにつかんでいたはずの感覚が剥がれていった。三人は引き離されまいと強く念じた。だが足りない。闇の侵食を止められない。たちまち飲み込まれていく。
朧気な視界の中で、皆の姿が見えた。一番近くにいる十吾の苦しみは計り知れない。ゆかりの心も随分弱っているし、吉男も身悶えしている。ムトはまだ倒れている。いいさ、寝かしておいてやろう。大変だったものな。
でも、僕は。
僕は違うはずだ。
僕は寝てなんかいられない。
そうだ。僕は。僕は……。
湊は立ち上がった。おぼつかない足取りで近づき、吉男の手を握った。
伏していた湊には、闇の流れがわかった。平坦に見える闇の、ある一点の脆い部分目掛けて、四人の心を統一させた。ただひたすらに祈った。何も望まなかった。ひとときも途切れることなく、四人ともが同じ心を持ち続けた。
闇は壊れない。闇は
目を開けると、彼はいなくなっていた。
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