7-5節

 住処に着くと、どっと疲れがでた。全員くたくただったので少し眠り、起きるとムトが立っていた。

「ムト!」

 飛び起きて呼びかけると、いつもの眠たげな眼差しで応えた。

「私なら心配いらない」

「よかったあ」

 吉男が大きく息を吐き、皆一様にほっとした。

「そっちは大丈夫なの」ゆかりが湊を見た。

「まだちょっとぼんやりするけど」額をさわった。「大体は回復したよ」

「よかった」

 ゆかりは隠し立てすることなく、安堵の表情をみせた。

「それでよ、あいつは何者なんだ?」

 十吾が眉間にしわを寄せる。「おっそろしい奴だった」

「察しはついているかもしれないが、私の同族だ。名前はギイという」

「やっぱりそうか」湊がうなずく。「でも、同じ星に二人もなんてすごい偶然だね」

「そうだな。私も会うまでは気付かなかった。ギイは昔から気配を隠すのに長けていて、不意をうって我々を驚かせることがしばしばあった」

 ムトは少しだけ下をみた。「もっともそれは彼にとって一種の交流であり、不快がる者もいなかった。しかし故郷を離れてからは少し変わったようだ。君達も見ただろう。あの暗黒を」

 思い出そうとしなくても、消えるはずのない景色だ。四人は黙ってうなずいた。

「あれは私が君達に見せる映像と同じ、彼の記憶だ。ギイは二千年以上、たった一人であの星に居たのだ」

 もはや想像もつかないほどの年月だった。とはいえ、ほんの末端だとしてもあの暗き世界を体感した者からすれば、とても常人には耐えられないであろうことはわかった。きっと自我を保てない。永劫の孤独。ムトが少し変わったといった意味が理解できた。

「ところがそれほど長い時間をかけたものの、ついに適合はしなかった。しわがれ、虚脱状態のまま流れ着いたのがこの星なのだ。私は眠っている間、彼の記憶を見ていた」

 同情すれば良いというものではないが、一方的に悪と断じることもできなくなっていた。やはり知ることが肝要だ、と湊は思った。

「この星に来てからも数年は抜け殻のようになっていたが、生命の息吹、大気の瞬きを感じるうち、動けるようになったらしい。しばらく瞑想に適した地を求め、世界中を渡り歩き、辿り着いたのがこの町だ。もっとも私と違いギイの場合は地下水道だったがね、ともかく彼はようやく安心して一つ所に居を構えた」

 ギイのことを聞くにつれ、抱いていた得体の知れない気持ち悪さは少し和らいできた。

「だが、彼はやがて気付いてしまった。生命があり、文明があり、風や雲や豊穣の大地があるこの星において、自分はやはり独りだということに。闇の中に居るときあれほど求めていたそれら差異があるばかりに、一層己の孤独が浮き彫りになった。彼はさんざ思い悩み、足掻いた。逆説足り得る何かを見つけようとした。しかし空っぽだった。最初から単純なことだった。そして、とうとうこの星も適合しないと判明した頃、私を発見した」

 淡々とした語り口だが、内心違うことはわかっていた。

「ギイは星を去る前にどうしても旅の仲間が欲しかった。この時点で交渉という選択肢はなく、連れ去ることしか頭になかったようだ。とはいっても、私が住処から出ないことには適わない。住処は、同族間でも不可侵の領域だったからだ。そこで第三者に焚き付けさせようと考えた。選ばれたのは君だ、ヨシオ」

「え、ぼく?」

 いきなり指名され、吉男は動揺した。ところが湊は逆に合点がいったというふうに「そうかっ」と手を叩いた。

「違和感があったんだ。いや、正確にはあったことを思い出した。彼に会ってからね。吉男くんはどこでムトの噂を聞いたんだろうってさ」

「あっ」どきりとして胸を探ったが、手ごたえはなかった。「本当だ。心当たりがないや」

「そうだ。ヨシオは記憶を改竄かいざんされた」

 改竄の意味を湊がすかさず説明する。

「学校からの帰路、いつも未確認生物の話をしていただろう。あの十字路の中心、すなわちマンホールの直上でだ。地下から町中の様子を探っていたギイは、ある時ヨシオに目をつけた」

「で、でもなんでぼくだったの」

「ギイにも選定基準があったようだ。それは、実際に私を捜索するという行動込みに好奇心の強い者、それから私の警戒心を引き上げない、比較的善良な人間。そして、万一騒ぎ立てられた場合になるべく被害が小さく収まりそうな、社会的地位の低い者、つまり子供だ。ヨシオは条件を満たしていた。蓋の穴から魔手を忍ばせ、ヨシオの足を始点に記憶を書き換えたのだ。さすがに一度でとはいかないが、毎日の刷り込みで可能にしたらしい。私のように力の弱い者にはできない芸当だ」

「人面犬の話をしていたのに、急に話題が変わったのはそれが原因なんだね」

ううむ、と湊は唸った。「しかし気付かないものだなあ。僕も近くに居たのに」

「気配を殺すのがギイの真骨頂とも言えるほどだからな。とにかく彼が現れたのはそういう経緯だ。もっとも結局は私が外に出たいと言いだしたのだから、私の好奇心こそが最大の無用心と言える。すまなかった」

 頭を下げるムトに、ゆかりがすぐさま否定する。

「ムトは悪くないわ。無用心というなら、あたし達だってそうだもの。誘拐なんて企てる方が悪いんだから」

「そうだな……彼の計画は理に適っており、よく練られていた。だが、私をさらうという行為に疑問を持たない辺り、狂気に囚われていたのかもしれない」

 ムトは目を伏せた。

「まあ、いいじゃねえか。無事におわったんだからよ」と十吾がわざと能天気に言ってみせた。「解決だぜ」

「ところがそういうわけにもいかない」

 ムトが同じ姿勢のまま言った。

「かつて我々は同じ星で暮らしていた。それは、星との適合が各人ごとではなく、種族共通の相性で決まっていたからだ」

 湊はまた嫌な予感がした。でも、口に出さなかった。

「つまりギイにこの星が適合していないのなら、私にも適合していないということになる」

 聞いてから、理解が追いつくまで少し時間があった。理解したくない気持ちが遅らせた。しかし、ムトは続けた。

「私はこの星を去らねばならない」

 突然の宣告に、しばし茫然とした。救出したばかりで安心していたのも相まって、衝撃は重かった。仕方ないことだとしても、拒否したい気持ちの方が強かった。

「それにだ。ギイはまだこの星の近くに漂っている。未練があるらしい」

 と、ムトは少しだけ前を見た。

「私は、彼についていこうと思う」

「なんで」吉男が悲しそうな声で言った。「あんなひどい目にあったのに」

「そうだな自分でも不思議だ。しかし……」

 遠くを見、侘しげな目をした。

「私にとっては、彼はやはり同族だ。広く深い宇宙に散り散りになった、二度と出会えないかもしれない仲間に違いないのだ。何をされても、それは変わらない」

 普段自分たちと話しているムトも、ギイと同じ境遇の孤独な旅人なのだ。その長大で険しい独りの旅路を思えば、行かせないことが正しいとも言い切れない。むしろ自分たちの言い分はわがままでしかないのだ。受け入れる、という考えがよぎりはじめた。ただ一人を除いては。

「いつ行くんだよ」十吾がぶっきらぼうに訊いた。

「明日には発とうと思っている」

「おれはやだからな! そんな急に言われて納得できるかってんだ」激昂し、声を上げた。

「ちょっと山野くん……」と言いながら、ゆかりにも強く止めることができない。それは吉男も同じだった。

 湊が近づいていき、声をかけた。

「気持ちはわかるよ。でも、しょうがない」

「しょうがないだと」

 がばっと湊の胸ぐらをつかんだ。

「みなとてめえ、ムトと別れてもいいってのかよ。いきなり言われて、納得できるっていうのかよ!」

「僕だっていやだよ!」

 湊の叫びに、十吾すらたじろいだ。

「納得なんて……」

 拳を握りしめ、うなだれた。それから十吾を見上げたとき、湊の瞳にはもう、悲愴な決意が宿っていた。

「でも、ムトの命のためだ」

 命。口にすれば重みが増した。こうしている間にもムトの命は蝕まれている。湊も吉男もゆかりも辛いのだとわかった。以前までの十吾なら、この場面においても駄々をこねたかもしれない。でも今は違う。命の守り方は一つじゃない。傍を離れないことだけが守る方法ではないのだと、気づくことができた。

 十吾は腕を離した。そして背を向けたままムトに言った。

「見送りはさせろよな」

「ああ」

 ムトもはっきり答えた。様々な思いが巡ったその夜は、誰もまともに眠れなかった。

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