闇の在り方

7-1節

 冬休みになった。住処へと宿題を持ち寄り、毎日通った。カタカナを習得したムトはいよいよ漢字へと突入したが、均整のとれた字がうまく書けず、苦戦している。しかしそれも楽しんでいるようだ。皆で互いに教えあったりしながら勉強する様は、教室にいる時の雰囲気に近かった。

 だからなのか、ある日ムトが言った。

「学校に行きたい」

「おいおい、何をいいだすんだよ」訝しげに十吾が言った。「人前にでて平気なのかよ」

「私が住処に居続ける理由として、もちろん厄介ごとに巻き込まれないようにというのもあるが、一番は円滑な瞑想のためだ。つまり、人が多すぎる場所を極力避けている。しかし今は冬休みで、学校に生徒はいないのだろう? 校内を見学する又とない機会だ」

 こんなふうにムトが大々的に望みを言うのは初めて聞いた。できれば叶えてやりたいが心配もある。皆が顔を見合わせていると、ムトが「それに」と言った。

「私が宇宙人だと、見分けがつくと思うか?」

 この上なく説得力があった。いつも一緒にいるから意識は薄かったが、確かに見た目だけなら自分たちと変わらない。不足な点は微調整も出来るのだ。

「わかったよ」湊が折れた。「ただし、外にいる間は形態変化を禁止にしよう」

「了解した」

「だったらよ、それどうにかしないとな」十吾がムトの服を指さす。「おめえ、いつも薄着だもんな」

「なるほど。差異だな」

 あまりにも季節感のない服装は悪目立ちの種になる。むろん場所にもよるが、人のいる商店街を通って学校に行くことを考えれば、防寒着は必須だ。

「ふむ」

 四人の服装をじっくり眺めてからムトが動いた。シャツの一部が伸びて首を回りはじめたかと思うと、だんだん柔らかさを帯びて繊維が立ち、布になり、最終的に毛糸らしいマフラーができあがった。さらに、膨らみを増した手が成形されていくと革の手袋になった。おまけに靴下まで履いている。

「こんなものか?」

「やるなムト」十吾が親指を突き立てる。

「でもバランスが悪いよ」吉男が自身の上衣をつまんで言った。「靴もないし、もっと厚着した方がいいんじゃないかな」

「形態変化で賄えるかい?」湊がたずねるとムトは首を振った。「いや、質量が足りない。手袋とマフラーは他を削って補ったが、やりすぎると人間としての形を保てず不自然だ」

「じゃあ靴は僕が持ってこよう」

「あたしは上に着るものを持ってくるわ」ゆかりはムトの体格を宙でなぞった。「うん。サイズは大丈夫そうね」

 翌日、ゆかりが持参したパーカーを着てムトは「おお」と感嘆した。

「良いんじゃないかな」湊が言った。「フードはいざという時、顔を隠す手段になる」

 乳白色に、大きな淡い水玉模様。自分としてはお洒落にも気を遣ったつもりなのだが、機能的な面を褒められて、ゆかりは少し残念だった。全くうれしくないとも言い切れず、なんとも複雑だ。

「そんじゃ、行こうぜ」

 エレベーターに乗ると、どきどきした。何せ、ムトとの初めての外出だ。見つからないだろうか。ばれないだろうか。不安にまみれながら、外に出た。

 人のまばらな商店街を歩く。溶けた雪で地面は濡れ、道の端に除けた雪が固めてある。寒さのために店の戸は軒並み閉まっており、八百屋などは店主が奥に引っ込んでいる。最初は人とすれ違うたびに警戒していた湊たちも、やがて誰も自分たちを気にしていないことがわかってきて拍子抜けした。むしろ、おどおどしていると逆に怪しいということもあり、少しずつ常態になった。四十年ぶりの外はだいぶ様子が違っているらしく、ムトは辺りを眺めまわした。皆からすれば、外にいるムトが新鮮だった。

 念のため、裏門から校内に入った。ぐるっと校舎を周り、玄関へ。皆は上靴に履き替えたがムトの分がない。来客用のスリッパにしようかと相談していると、十吾が靴を投げてよこした。

「それ履いていいぜ。おれが許す」

 その上靴には「竹井」と書いてあった。

 階段の手前で、職員室から出てきた松尾先生とばったり会った。

「お、何してるんだ?」

 迂闊だった、と湊は思った。冬休みと言えど、先生たちは仕事で来ている場合もある。せめて職員室から遠い側の階段を使うべきだった。

「その子は誰かな」

 松尾先生がムトを見た。ムト、とはいかにも風変わりな名前であり、話が膨らむのを湊はおそれた。ともすれば素性へと及びかねず、どこを掘り下げられてもぼろが出そうな気がする。しかし返事にまごついていると、ゆかりが自然に言った。

「親戚です。今うちに来ているので、この辺りの案内を」

「親戚かあ」得心いったとばかり松尾先生がぽんと手を叩く。ムトも黙って首肯する。「でも、あんまり似てないな」

「よく言われますの」ゆかりは媚びない目で苦笑してみせた。

「ふうん」

 松尾先生は、それから吉男を中心にあらためて五人を見回した。

「なんだか珍しい組み合わせだけど、仲いいんだな。お前ら、あんまり遅くなるんじゃないぞ」

 安心したような顔で、先生は玄関から出ていった。吉男が一息つき、十吾が女の恐ろしさの片鱗を感じる中、湊はゆかりに近づいた。

「ありがとう。助かったよ」

 今度は素直にうれしかった。でも、あまり頼りがいがありすぎてもだめかしらと思い、すかさず何がだめなのかと考え、そのうち恥ずかしくなってきたものだから、ゆかりはあわてた。「い、行きましょ」

 休日なので教室は開いていなかった。だがそれでも、扉についた小窓を使い、ムトは角度を変えながら中を観察した。

「ここが、教室。ここで、ミナト達が」

「そうさ。今はいないけど、授業中は一人ずつ席について、前にある教壇に先生が立つのさ」湊も横で覗きながら説明する。

「あれはなんだ」

 ムトが指したのは、壁に並ぶ習字だった。

「字の美麗さを競っているのか」

「そうじゃないよ。優劣はないんだ」

 どう言ったものかなと、湊は喋りながら考える。

「さしずめそうだな、記録みたいなものさ」

「なるほど、悪くない」

 ムトは納得したようだった。

 校内を巡るうち、体育館から物音が聞こえてきた。ムトが興味を示したので慎重に近づき、下部にある格子窓からそっと窺うと、中では選手服を着た主婦とおぼしき数人が円陣を組んでいた。

「バレーの試合をするみたい」

 声をひそめるゆかりに、同じく声を抑えてムトが質問する。

「バレーとは?」

「スポーツの一つよ。ムトはスポーツってわかる?」

「幾つかの規定に則って運動による競争を行うこと、と認識している」

「まあ、そんな感じ。バレーは自陣の床にボールが着いたら相手の得点になるのよ。逆も然りね」

「なるほど。しかし見たところ生徒ではないようだが、あれらは教員か?」

「生徒のお母さんよ。交流のために親御さん同士が集まるの」

「通りで老けている。顔に何か塗っているのは呪術の類か?」

「妙なこと知ってるのね……」

 それ絶対聞こえるように言っちゃだめよ、と言い含められたムトは不可解そうだ。

「そういえば、ムトの親ってどんなの?」吉男が訊ねた。

「君達のような親という存在はない」

「えっ、だったらどうやって生まれたの」

「明確ではない。私が母星の片隅で覚醒した時には既にこの姿であり、精神こそ徐々に備わっていったものの、先にいた同族に訊いても、一様に口を揃えて気がつけば己が存在していたと言う。ただ、もっとも古株にあたる族長によれば、最初はやはり何もなかった空間に自転のたびガスが溜まり、やがて我々が形作られたらしい。それより過去、原初のことわりは誰の記憶にも無いのだ」

「難しいなあ」

 吉男はちょっと頭を抱えた。でも、最初からないのはそんなに悲しくない。失うから悲しいのだと思った。それをいつもわかっていられたらいいのに。

 強烈なスパイクが決まった。無音で拍手する四人を真似て、ムトも手を合わせていた。

「お、雪合戦」

 戻りぎわ、渡り廊下から校庭を見て十吾が言った。二、三年生くらいの何人かが、わいわいとはしゃいでいる。

「何をしているのだ?」

「しらねえのか。雪をぶつけあってあそぶんだよ」十吾が手をこねる。「こう、雪を丸めてな、玉をつくるんだ」

「何のためにそんなことをする?」

「だからあそびだよ。理由とかねえって」

「ふむ。そうか」と言いながら、首を傾げて見るムト。

「ひょっとして、やってみたいの?」

 ゆかりがたずねると、ムトは遠慮がちにうなずいた。

「でも校庭は人がいるから使えないよね」吉男が悩ましげに呟く。

「そうだ」と湊が手を叩いた。「良い場所がある」

 湊の案内で訪れたのは、通学路の脇にある空き地だった。隣接するアパートのために日当たりが悪く、一面に積もったままの雪が残っていた。

「ほら、行ってみろよ」

 十吾に促され、ムトは真っ白な絨毯へ一歩を踏み出した。さく、と音がして、足裏に独特の感触が残る。また一歩。ムトは振り向いて自身の足跡をじっと見ている。湊たちも入って様子を窺っていると、ムトは急に飛び出し、ざくざくと空き地全体を踏みしめはじめた。そして高らかに言った。

「ら!」

「足跡をつけるのが楽しいのかな?」と湊が首をひねった。まるでムトみたいだと吉男は思う。「久しぶりにムトのら! を聞いたなあ」

「よかっぶっ!」

 同意しようとした吉男を、雪玉が襲った。遠くで十吾が得意げに笑みを浮かべている。

「見たかムト、こうやるんだ」

「やったなあ」と吉男が手近な雪をかき集めていると、十吾が「ぶお!」とのけぞった。

 投げたのはゆかりだ。「不意打ちは卑怯よ」

「てめえ、やりやがっぶへ!」すかさず吉男が追撃し、ゆかりとにやりと笑いあった。

「いいかい、こうするんだよ」ムトに雪玉の作り方を教えていた湊が、二人で同時に投げた。玉は、それぞれ十吾のでかい図体に命中した。「うまいうまい」

「うまいじゃねえよ」体を起こしながら抗議する十吾。だがその鼻に雪が見事にくっついていたので、皆は噴き出してしまった。「あはは!」

「まったくよお」

 あきれた素振りをしながら、十吾も笑った。

 それから組分けして、ちゃんと雪合戦をした。慣れてくるとムトは正確無比なコントロールで雪玉を投げはじめ、かなりの活躍をみせた。さすが、自分たちより身体の使い方を心得ているなあと湊は思った。そして何より、ムトが楽しそうなのがうれしかった。雪が積もると空き地に繰り出し、時には雪だるまを作ったり、雪の上に寝転がったりしながら、冬の日は過ぎていった。

 あっという間に年が明け、冬休みも残すところ二日となった。十吾以外はきちんと宿題を終わらせ、あとは新学期を迎えるのみだ。その十吾といえば、ゆかりから小言をくらうたび、よこしまな笑みを吉男に向けた。絶対写させてやるもんか、と吉男は思った。でも、どうせ押しきられちゃうんだろうなあ、とも思った。

 前日に雪が降ったので、その日は空き地に行くことになった。学校が始まれば、しばらく行ける機会もない。心なしかムトも名残惜しそうに見えた。

 いつも以上に張り切り、雪合戦はやたらに盛り上がった。しかし、ひとしきり雪玉を投げ合い、休憩している時だった。

 いきなり、ざあざあと頭が揺らいだ。何か煩雑な乱れが一挙に流れ込んでくるようだった。四人はその場にへたり込み、未知なる感覚にうなされた。身に起こった異変の理由がわからず、ムトを見た。しかしその正体はすぐにわかった。ムトの視線の先、空き地の入り口から、あの不吉な少年が現れたのだ。湊たちをビルへ案内したときと同じ、みすぼらしい格好をして、鍔の下でうつろな目を彷徨わせている。

「あ、あ、あ」と吉男は声を漏らした。湊と十吾も目を見開いている。三人の様子がおかしいのでゆかりは戸惑う。

 雪を抉るようなり足で、ゆっくりと少年が近づいてくる。そして、前方に手を伸ばしたかと思うと、突然ムトは倒れ込んでしまった。反射的に十吾が向かおうとしたが、同じように少年が手を差し出すと揺らぎが大きくなり、とても動けなかった。

「……て……く」

 およそ聞き取れないほどの弱々しい声で何事かを呟いたあと、少年はムトを抱えて去っていった。しばらく、四人は立ち上がれなかった。

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