1-3節

 シャベル、地図、双眼鏡、十徳じっとくナイフ、ゴム手袋、インスタントカメラ、スケッチブック、絆創膏、消毒液、懐中電灯、虫網、縄、コンパス、温度計、撒き餌、ライター、虫眼鏡……。

 複数のポケットがある湊のリュックには、様々な道具が入っている。普段の探索では使用する場面が想定できている場合が多いので、これほどまでに詰め込むことはないが、今回は何しろ相手が未知の中の未知のため、守備範囲が広いに越したことはなく、用途が限定的な道具もあるにせよ、過分と呼べるほどの荷物量も致し方ないことだった。

 準備が足りないことで起こりうる不測の事態を回避できるならとの思いもあり、増した重量による負担と比較しても、好機を逃すまいという気持ちが大きい。種類が多いとはいえ、なるたけ混雑しないよう、分類が近しいものを纏める形で収納されており、湊にはいつでも使う準備ができていた。

 吉男は湊ほど便利な道具を持っていないので、家庭科の時間に制作したナップサックの中に、未確認ノートを加えた若干の荷物を携帯する程度である。十吾に至っては手ぶらだ。

 この町の中で湊がいくつか目星をつけた、滅多に人が立ち寄らず、何者かが隠れるのに適した地点を巡るため、一行は歩く。

 探しているのが未確認生物でなくとも、野生動物は臆病か、警戒心が強い例がほとんどであり、人間の居住地にあまり適した環境ではなく、かつ角度や周囲の環境により他の生物の目につきにくい、もしくは遮蔽物や隠遁いんとん可能な一定以上の空間を有する、などの条件を満たすそれらの地点へは、赴くに値するだけの期待値があると湊は考えていた。目標の情報が少ないため、想像で焦点を絞って海中をもりで突くよりは、概要を満たすべく網を投げた方が可能性は増すと思えたのだ。

 神社の背後にある雑木林。社の裏から、木々の間へと分け入っていく。日の光が頭上で交差する高枝によって切れ切れになり、かすかに視界が暗くなった。靴の底に乾いた草木の感触がして、見ると心なしか白んでいる。振り返り、帰路の目印に据えた鳥居の朱を、途切れがちながらも木の縫い目から確実に視認しておく。細かい傾斜と、時おりむき出しになった地面に足を取られないよう、近場の木を支えに歩を進めていく。手についた木の皮を払い、ひとつひとつ針葉樹をくぐっていくと、やや開けたところに打ち棄てられた家屋があった。

 山小屋ではなく、元は民家だったようで、文字の滲んだ表札があり、不揃いな門扉が半開きで傾いている。あちこち草が生い茂ったうえに、塀はひび割れ、家の壁面や戸に傷んだ箇所がいくつも見受けられる。何年も人が住んでいないのは明らかだが、多少の雨風を凌げる程度の耐久値は残っていそうだった。

 出来るだけ物音を立てずに進むため、かかとからそろりと足裏を着地させながら、側面へと回り込む。しくじって小枝など踏み折ってしまったときは、一気に緊張感が湧き上がってくる。何しろ近寄る前に逃げられてはおしまいなのだ。

 北寄りに湊と吉男が、南寄りに十吾が位置取りを決めたあと、湊の指折りに合わせるかたちで、三人は一斉に縁側の下を覗き込んだ。すかさず湊が懐中電灯を照らす。吉男はインスタントカメラのファインダー越しに息を呑み、十吾は果敢にも虫網を構えている。全域に行き渡るように湊の手の先から放たれた光線が、暗闇の中を何度も横薙ぎにしていく。

 この瞬間は、探索の理由や経緯などの事情めいた思考は薄れ、目の前に存在しているかもしれない何者かの実像を映しだすという、ただ現在の己の行為に没入しているといった感覚が大半を占め、年相応に冒険心と期待に身を委ねる少年性が押し出される。三人の中でそれがより露わになるのは、とりわけ知性に富み、理論に裏付けされることの多い湊だった。普段との落差というより、生来の好奇心の強さが顕現する最も単純な場面だからである。宿願が果たされるかもしれないという際にける昂ぶりは、しかし突如、急速に萎んでいく。

「ここには何もいないみたいだ」

 しばらく目を凝らしたあと、懐中電灯の電源を切って湊が言った。抑揚が少ないながらも、その声にはやはり失望感が含まれている。「戻ろう」

「ああ……残念」吉男もしょんぼりと口をすぼめる。「でもしょうがないかあ。次だよ次」

 当てが外れたとき、湊と同じように肩を落とすものの、吉男はよく前向きな言葉を口にした。それは、未だに実在する未確認生物を見たことがないので、本当はいないのでは、と不意に沸き立つ疑念をかき消すためであり、そう思いたくない自分を強調するためでもあった。しかし湊にとっては、仲間から建設的な言葉を聞くことによって失望感が和らぎ、引きずることなく次回へ臨む心持ちになれる効果を与えた。

「そうだね。次へ行こう」

「こんなところまで来たってのに、何もなしかよ。つまんねーの」

 十吾はあっけらかんと不満を口に出し、戯れに虫網の握りで雨戸を叩いた。「ぼろっちい家だなあ」

 そのとき、ガラス戸の隙間から茶色い塊が飛び出して来た。うおっとのけぞる十吾の横からめくるめく速さで駆けるそれは、湊と吉男が身構える間もなく、灌木を飛び越え奥へと抜けていく。木立の影に消えゆく野狸のだぬきの後ろ姿を、一同は呆然と眺めるほかなかった。

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