1-4節

 土手下を流れる浅川の前まで降り、細い白石の上を歩いていく。暗渠あんきょの入り口は上端が台形をしており、陽光が断ち切られている。蜘蛛の巣を避けて身を屈めながら入ると、遠くに見える終点からはまた光が射していて、左右より間接的に明かりを得るために中はさほど暗くない。ただし泥臭く、ゴミが浮いているせいか水の流れが緩慢である。不潔な空間を好む生き物はいるが、人でなくとも、需要がなさそうに思える。何かが潜んでいそうな雰囲気こそあったが、何度か網やシャベルで川の底をさらえた後、これ以上の見込みはないと判断し、引き返した。

 そのほか空き地に置き去りにされた配管の中や、裏山へ至るけもの道の外れなど、いくつか目ぼしい地点を訪れるも、成果は得られなかった。

「まったくよー、本当にいるのかよそんなやつ」

 どっかと公園のベンチに腰を下ろして十吾が言った。

「なあみなと、もっと手がかりとかねえのかよ」

「今のところはそれらしい場所を探してみるしかない」湊も隣のベンチにリュックを置いて一息ついた。「でも、行く場所がなくなってきたのは確かだね。そろそろ作戦を立て直そうか」

「あっ、だったら」ナップサックの中をさぐりながら吉男が言った。「休憩にしない? ぼく、おにぎり持ってきたんだ」

 その手にはラップにくるまれたおにぎりがある。見るなり十吾がさっと立ち上がった。

「おっ、よしお気がきくじゃねえか。おれの分は?」

「ちょっと、急かさないでったら」一度腕を遠ざける素振りをしてから、吉男は持っていたおにぎりを渡した。「ひとり一個だからね」

「へへ、わかってるよ」と言いつつ十吾はすでに包みを開け食べ始めている。なんとなく十吾を訝しみながらも、吉男は取り出したもうひとつを湊に差し出した。「はい、湊くん」

「ありがとう」

 それから吉男は紙コップを三つ並べ、水筒からそれぞれにお茶を注ぎ、差し出すように少しずつ位置をずらした。そしてようやく自分の分を食べ始めるのだった。

 探索に特化して準備をする湊とはまた違った方向性の気配りを、吉男はできた。計画の大半を湊に任せている点へ、他の分野でわずかでも実益をもたらすことで存在を許容させるなどというおもねった主張ではなく、元来細やかな気遣いを自然に実践できるたちなのだ。

 ただそれは気兼ねなく話せる間柄でのみ発揮される長所であり、未確認生物や妖怪や魑魅魍魎の類について語ると、馬鹿にするか嘘つき呼ばわりする一部のクラスメイト相手では、生来の臆病さに加え未だ未発見という劣等性からそもそもまともに言い返すことすらできないため、自然行為の対象とはなり得ない。

 授業中に指されて言い淀むのはその辺りの自信のなさも起因で、衆人の中に苦手とする人物が含まれている場合は特に、感受性の過多により、実際以上に衆目の圧力を感じてしまい、何も言えなくなる。

 吉男は常態ならば仔細なことへの気づきがあるが、外的意識に対する耐性が低いためすぐにちぢこまってしまい、そのうえ一度萎縮してしまうと消沈までが早く、加速度的に視野が狭くなってしまうきらいがあった。なので、気兼ねなくやれる友達との探索の時間は何より楽しく自由で、世界が明るく変わるような気になれた。

「そうだ、地図を見てみよう」

 湊がリュックから町の地図を取り出して広げた。

「僕たちが今いる公園がここ。さっき行った神社がここで、それから川がこう流れている」

 解説しながら、湊は探した場所にペンで印をつけていく。「こうすると、分布図ができていくよね。探していない場所がわかってくる。だから今までの探索も無駄ではないのさ」

 無駄ではなかったと聞いて、吉男と十吾は少しほっとした。あらためて湊に感心し、希望の持てそうな話に聞き入った。

「よし。ここからまた、居そうな所を絞ってみよう」

 地図を俯瞰して湊が言うと、二人も意気込み同意する。

「そんなところには、いない」

 くぐもった声が背後から響いた。驚いて三人が振り向くと、一人の少年が立っていた。

「わわわ、誰?」吉男がのけぞり、一歩下がる。だが、そんな挙動などまるで目に入っていないかのように、また少年は平坦に言った。

「そんなところには、いない」

 穴の開いたセーター。膝丈のズボン。バランスの悪い衣服はずいぶんと汚れていた。目深に被っているキャップには、本来なんらかの文字が書かれていたらしいざらつきがあるが、掠れていて読めない。 年の頃は同じくらいだろうか。少なくとも身長は湊と吉男の間ほどだ。やや異様な雰囲気を感じたのは吉男だけでなく湊と十吾も同様で、しかし発言の内容が気にかかる。

 三人で顔を見合わせたあと、十吾がたずねた。

「なにがだよ」

 ぬらりと腕を持ち上げ、ベンチの上に置いてある地図を指差して少年が答えた。

「きみ、たちが、さがしているもの」

 ひどく喋りにくそうに話す少年の、どこか空洞化した無機質で黒々とした瞳が、つばの下から垣間見える。顔色が悪く、表情が読み取れない。しかし外見や雰囲気よりも重要なことが少年の口から聞こえた。

「ぼく、は、いばしょを、しってる」

「ほんとかよ! なあおい、おしえろよ」

 こういうとき、信憑性を疑うより先に訊くのが子供であり、特に十吾はそのケが強い。

「あんな、いする。ついて」

 公園の出口に向かってゆっくり歩き始めた少年に、十吾は躊躇せずついて行こうとし、動かない湊と吉男に声をかけた。

「おい、なにやってんたよ。知ってるらしいからよ。教えてもらおうぜ」

 遅れて湊が歩きだすと、特に不審がっているふうな吉男が追いついて湊に耳打ちした。

「本当だと思う?」

「わからない。行ってみればわかると思うけど。幸いあっちはまだ探してないし」

「だよね……でもなんだかあの子、変じゃない?」

「確かに、ちょっと変わってるかもしれない。でも、見るからにひ弱だし、それほど警戒しなくてもいいんじゃないかな。あまり考えたくないけど、いざとなればこっちは三人だし、力尽くではどうにもならないはずだよ」

「十吾くんが戦うかな……」ぽそりと呟き、首を傾げる湊に言い直した。「まあそうだよね。行くだけいってみよう」

「ふむ……」

 吉男を慮ってというより、安全性の向上のために、湊は前までいって少年にたずねた。

「なんで居場所を知ってるんだい?」

「となりの、まちで、きいた」

 靴をって歩く弱々しい体つきを見ながら湊は話を続ける。

「君はとなり町から来たの?」

「そう、だ」

 となり町といえば、かの人面犬がいると噂される場所である。もしかしたら、そういう物の怪に関する情報がより多く得られる場所なのかもしれない。今回の話が本当だったなら、人面犬についても訊いてみようと思い、湊はやや警戒心を引き下げる。それから、やはりこの先の展開次第だとも考え、吉男の元に戻った。

「やっぱり行くしかないみたいだ。彼、となり町から来たんだって」

 だったら尚更怪しいんじゃないかと頭をよぎったが、さすがに臆しすぎているかもしれないと感じ、吉男は黙ってついていくことにした。

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