第175話「変装イリスの『はじめてのおつかい大作戦(後編)』」

 ──イリス視点──




「はむはむ……少しこげてるけど、串焼くしやきおいしいです」


 イリスは、シロさまと串焼きの入った袋を抱いて、歩いています。


 食べ歩きをするなんて、生まれてはじめてです。


 これって、身体のバランスを取るのが難しいものなのですね。食べるのに集中すると、身体が串焼きを持ってる方に傾いてしまいますし、かといってまっすぐ歩くのに集中すると、串焼きを落としそうになります。


 なかなか高度なものです。今まで許可してもらえなかったのもわかります。


 イリスはまだまだ、知らないことがいっぱいです。


「でも、お兄ちゃんには串焼き3本を買ってくるように言われましたからね」


 余った分は、ここで食べてしまわないと。


 大変ですけど、がんばります。食べ歩きしながら、精一杯通行人さんを避けます。ふらふらします……って、とととっ。


『イリスおかーさん。シロが「しーるど」張る? 通行人さん防げるよ?』


「いけませんよ。シロさま。そのお力はお兄ちゃんのためのものでしょう?」


『でもでもー』


「それに、イリスもかなり、歩くのになれてきましたから」


 だんだん人の動きが読めるようになってきたようです。


 イリスが左に移動すると、人波が右に。イリスが左に移動すると、人波が右に動いてくれています。まるでイリスを、人々が避けて歩いてくれているようです。


 そういえば少し前方を、黒いローブを着た女性が歩いていますね。顔をフードで隠しています。その方も、イリスと同じ方向に歩いてくれているようです。その後ろをついていけば問題ありません。


 その方は、手に鏡を持っていらっしゃいます。身だしなみに気をつかう方なのですね。


 鏡に映った顔には『海竜のお面』をかぶってらっしゃいます。海竜ファンでしょうか。


『おかーさん? あそこに』


「……しーっ」


 あれ?


 黒いローブの女性が、口に指を当てております。


 顔は……やっぱり、よくわかりません。


 イリスは慣れない人混みで緊張しっぱなしです。歩くのがやっとです。


 その人も、すぐに見失ってしまいました。いけませんね。こんなことでは。


「集中しなくては……」


 イリスはまだ「はじめてのおつかい」の途中です。


 次の任務は……『冒険者ギルド』で、クエストボードを確認する、でしたね。


 これを終えれば、お仕事はクリアです。


 がんばりましょう。











「……ギルドに来てみたものの……」


 冒険者ギルドに来たイリスは、深いためいきを尽きました。


「クエストボードは……まったく見えませんね」


 予想できたことでした。


『冒険者ギルド』は人が多く、クエストボードの前にはひとだかりができています。


 はっきり申しましょう。


 イリスの身長では、なにひとつ見ることができません。


 前に出ようにも、道を空けてくれるような人はおりません。イリスは小さいですから、隙間をくぐれば通れそうなものなのですが……知らない人に近づくのはこわいです。イリスに気づいていない人たちの「……どうする? 真面目にクエスト受けるか?」「ウサギなんか奪っちまえばいいんだよ」「まぁ、弱そうな相手ならな……」なんて話し声が聞こえてるから、なおさらです。


 さらにこの身はお兄ちゃんの奴隷どれい。愛で縛られております。


 見知らぬ人と肌が触れ合ってしまうのは、あまりよくないのです。いえ、後でお兄ちゃんに身体を洗ってもらう口実にはなりますが……お兄ちゃんには、さっきいろいろ見られてしまったばかりです。またすぐに、というのは、イリスも気恥ずかしいので……。


「仕方ありません。シロさま……お願いいたします」


 イリスはぬいぐるみ状態のシロさんに顔を近づけて、ささやきます。


「……イリスに、協力していただけますか?」


『……いいよー』


 イリスとシロさまは、作戦を立てます。


 この「はじめてのおつかい」には『ちぃとすきる』を使うことを許されております。


 お兄ちゃんの慈悲じひに感謝しながら、『クエストボード』閲覧作戦えつらんさくせんを実行するといたしましょう。





「……では。こっそり発動! 『幻想空間げんそうくうかん』」


『……こっそりつかうよー「れびてーしょん」っ!』




 作戦はこうです。


 まずは「かっこいいもの」を、ギルドに集まった皆さまの前に出現させて、目を引きます。


 その間にイリスが大ジャンプして、クエストボードを見る、というものです。


 そして、イリスが出現させた、かっこいいものとは……。





「「「何者だ! あの黒髪の少年は!!」」」


 イリスのお兄ちゃんですよ?






 突然、クエストボードの前に出現した少年に、ギルドの皆さまは声をあげています。


 皆さんが見ているのはもちろん、イリスが『幻想空間』で作り上げたお兄ちゃんです。


 服装は少しアレンジしてあります。


 顔も、面甲めんこうのついたかぶとで隠してあります。


 それでも、見とれてしまうくらいかっこいいです。


『幻想空間』で作り出したお兄ちゃんは、『魔竜退治物語』に登場する竜騎士のよろいを身につけています。イリスの大好きな本の、挿絵さしえの通りです。


 兜は竜の頭をモチーフにしています。顔の上半分までをおおうものなので、お兄ちゃんの正体も隠してくれています。全身を覆う鎧は竜の角をイメージしたギザギザがついています。


 剣の柄も竜頭りゅうとうしています。刃身とうしんは魔力の輝きを放っています。まさに光の剣です。お兄ちゃんの世界風に言うと『びーむさーべる』とでも申しましょうか。


 本物には遠くおよびませんが、そのりりしい姿に、イリスは思わずため息をついてしまいます。


「「『……かっこいい』」」


 ん?


 イリスとシロさんと、誰かのセリフが重なったような?


 近くには黒いローブの女性がいるだけなのですが……。


 おっと、こうしてはいられません。




「必殺。メロディじゃーんぷ!」




 イリスは床を蹴って飛び上がります。とぅっ。




 ふわり。




 イリスの身体が浮き上がります。


 シロさまのスキル『れびてーしょん』の効果です。『れびてーしょん』は、パーティメンバーを空中浮遊させる力があるのです。


 今のイリスは『謎シーフメロディ』に変装していますからね。まわりからは『ちょっと跳躍力のあるシーフさん』としか、思われないはずです。


 イリスは、普段の身長の倍くらいの高さまで跳び上がりました。


 そのまま空中で停止。そして『意識共有マインドリンケージ・改』の『すくりーんしょっと』で、ぱちり。


 このスキルは目で見たものを、画像として保存できるのです。


 それをお兄ちゃんにお送りして……と。


 今回のクエスト『串焼きを3本買う』と『クエストボードを確認する』は、これでクリアです。


『スクリーンショット』を確認すると……はい、ちゃんとクエストボードが映っています。さっきナタリアさまが教えてくださった『ゴールデンラビット捕獲クエスト』もあります。


 このクエストは……なるほど、商人さんの子どもが大通りで、ペットの『ゴールデンラビット』を逃がしてしまったのですね? 特に受注は必要なくて、捕まえた者にはギルドを通して報奨金ほうしょうきんが出るとか。みなさんが騒ぐのもわかりますね。


 でも『ゴールデンラビット』は警戒心が強く、素早いですから、イリスではちょっと捕まえるのは無理そうです。欲張ってはいけません。


 イリスはまだ、冒険者としては初心者なのですから。お兄ちゃんにいただいた使命をこなすことに集中しましょう。


 ……おっと。そろそろ降りなくては。滞空時間が長すぎますね……。


「……あれれ?」


 気がつくと、イリスの後ろで『黒いローブの女性』が両手を掲げていました。


 不思議です。それに、距離も近いです。


 その位置だと、イリスを抱き上げているように見えますが……。なにか意味はあるのでしょうか。


 とりあえず、イリスは頭を下げます。ぺこり。


 シロさまもうれしそうに、翼をはばたかせています。


 謎は深まるばかりですが、今はお兄ちゃんにクエスト完了の報告をするのが先です。


 この『かっこいいローブの方』の謎は、お兄ちゃんと一緒に解くといたしましょう。




 そんなことを思いながら、イリスは『冒険者ギルド』を後にしたのでした。








 ──ナギ視点──




「ナイスサポートだ。アイネ」


 僕は、ほっ、と息をついた。

 さすがアイネ。タイミングも、イリスの隙もわかってる。


 イリスは『幻想空間』でギルドの人たちの気を引いたつもりだろうけど、あれじゃ無理だ。2、3人はジャンプしたのを見てた。1・5メートル垂直ジャンプするシーフは、さすがに不自然すぎる。


 だからアイネが『抱き上げてるポーズ』でごまかしたわけだけど。


「まったく、僕の姿で気を引こうったって無理だろ。いくら竜みたいなよろいを着てても……」


 ……竜みたいな鎧。


 そりゃ……かっこいいけど。


 …………高価そうだし、動きにくいだろうし。


 …………安くて動きやすいのないかな。ないよなぁ。


「っと、それよりイリスを追いかけないと」


 イリスはまっすぐ、大通りの入り口に向かってる。


 使命を果たして安心したのか、うきうきのスキップ状態だ。


 あとは僕が先回りして、イリスを迎えればクエスト完了だ。




「あと少しだ、イリス。最後まで気を抜かないで……」




 僕が思わずつぶやいたとき、不意に、イリスが立ち止まった。


 人混みの間、地面を近くをじっと見つめている。


 その視線を追っていくと……そこにいたのは……。








 ──イリス視点──






「……あれは?」


 イリスは、人々の足下をさまよう、ちっちゃな生き物をみつけました。


 毛並みが金色で、目が青いウサギです。


 大きさは、普通のウサギよりも一回り小さいくらい。


 飼い主さんを探しているのか、人混みにパニックを起こしているのか、あっちに行ったり、こっちに行ったり。細い足で地面を蹴って、飛んで。人々の間を、行っては戻り、行っては戻りの繰り返しです。


 ……金色のウサギ。


「あれがナタリアさまの言っていた、『ゴールデンラビット』でしょうか」





『ゴールデンラビット』


 希少種きしょうしゅのウサギ。


 金色の毛並みを持ち、他のウサギよりも動きが速い。


 その美しさから、金持ちのペットとして珍重されている。





 他の方は気づいていないようです。


 身長が低いイリスだからこそ、人の足元がよく見えたのでしょう。


 ちっちゃいのにも、たまにはいいことがあるものですね。たまにですけどね。


「……メロディが、飼い主さんのところに戻してあげましょう」


 イリスはしゃがんで、ウサギさんに声をかけました。


「……こわくないですよ。いらっしゃい」


『……!?』


『ゴールデンラビット』は、後ろにささっ、と飛び退きました。


 すっかり、おびえているようです。


 わかります。こわいですよね。この人混み。


 イリスだって、お兄ちゃんが待っているのでなければ、逃げ出してしまったかもしれません。


「……イリス──いえ、メロディはあなたの味方です。飼い主さんのところに帰りたいのでしょう?」


『…………』


『ゴールデンラビット』さんは、動きません。


 人混みはどんどん、流れていきます。


 このままだと、誰かが『ゴールデンラビット』さんを、蹴飛ばしてしまうかもしれません。




『……こわくないよー。おいでよー』




 不意に、シロさまが『ゴールデンラビット』さんの方を見ました。


『このひとはシロの、おかーさん。翼を持つ大いなるものを助けてくれたひと。天空よりすべてをべるものの、おかーさん。あなたに危害は加えないよー』


 シロさんはイリスの腕の中で、『ゴールデンラビット』に語りかけています。


 聞いてると……気恥ずかしくなってしまいます。


 だって、イリスはそんなたいしたものではありませんから。


 イリスは逆に、なんでもないものになりたいのです。将来の夢は、お兄ちゃんにただ愛を捧げるだけの奴隷どれいです。いい響きでしょう? 『愛の奴隷』って。


 シロさまが、大いなるもので、天空を統べるものなのは間違いありません。


 けれど、イリスはただの、イリスです。すごいのはお兄ちゃんと、他の奴隷のみなさまです。


 まったくシロさまってば、イリスおかーさんをかいかぶりすぎですよ?




 でも──




『──キキュ!』


『ゴールデンラビット』さんは、わかってくれたようでした。


 人の足元を縫いながら、イリスの胸に飛び込んできます。


 シロさまの説得が効いたようです。


 イリスはシロさまと『ゴールデンラビット』さん、それに串焼きの袋を抱いて、駆け出します。


 お兄ちゃんにお話をして、『ゴールデンラビット』さんを大急ぎで、飼い主さんに返してさしあげましょう。報酬は……お兄ちゃんにほめていただくだけで結構です。クエストについて教えてくれたのはナタリアさんですから、あの方の成果にするのもいいかもしれませんね。




 ではさっそく、お兄ちゃんに『メッセージ』を……。

 




「止まりなよ。そこのお嬢ちゃん」


 おや?


 イリスの目の前に、ガラの悪そうな男性たちが、立ちふさがりましたよ?


「そいつは、緊急クエストにあった『ゴールデンラビット』だろう。こっちに渡してもらおうか」


 なんだか、聞き覚えのある声です。たしか冒険者ギルドにいましたね、この人たち。


『弱そうな奴が、ウサギを捕まえてたら奪おう』とか言ってました。本気だったのですか……?


「……はぁ」


 イリスは思わず、ためいきをつきました。


 困ったものです。


 こんな無法なことを言う方が、港町イルガファにいたなんて。


 領主家に戻ったら冒険者ギルドに連絡して、取り締まっていただかなければ。


「聞いてんのか? おい!」


 すごまれました。


 でも、あんまり怖くないです。今まで戦ったヒュドラや、イリスの友だちの飛竜ガルフェさん、封印されてた天竜の残留思念さんに比べれば、こんな人たちはなんでもありません。人混みでお兄ちゃんとはぐれる方が、イリスにとってはよっぽど恐ろしいでしょう。


「なんだ。怯えてるのか?」


 黙っていたら誤解されました。


「素直に渡した方が、身のためだと思うけどな」


「……こまりましたね」


「……話を聞いてるのか?」


 ガラの悪い冒険者さんは、イリスに向かって手を伸ばします。


 どうしましょう?


 イリスの両手はふさがっています。戦闘系のスキルは使えません。


 かといって『ゴールデンラビット』さんを渡す気にはなりません。イリスの成果ということは、お兄ちゃんの成果でもあります。奴隷の身で、勝手なことはできません。


 それに、『ゴールデンラビット』さんは震えてます。


 目の前の方におびえているようです。渡したら、逃げ出してしまうでしょう。


『……おかーさん。「しーるどっ」する?』


「ここでの戦闘は目立ちます。ここはおだやかに逃げましょう」


 以前、お兄ちゃんが考えてくださった逃走術がございます。


 それを試して見ることにいたしましょう。


「わかりました。『ゴールデンラビット』さんはお渡しします」


「……ふっ。素直でいいな」


「ただし、こちらを捕まえることができればです。こっそり発動、『幻想空間』!」





 次の瞬間、イリスは10人に、分身しました。





「──なっ!?」



 相手があっけに取られている隙に、幻影のイリスたちが、わちゃわちゃと移動します。


『ちぃとすきる』で作り出した幻想のイリスたちは、悪い冒険者さんの前で右往左往。そのすきに本物は脱出します。


 うまくいきました。さすがはお兄ちゃんが教えてくれた『分身の術』です。


 お兄ちゃんの世界にあった技で、自分の分身を作り出すことで、相手の目をくらますものです。


 でも……イリスはまだまだです。幻影が維持できたのは十数秒でした。分身は、すぐに、ぱちん、と消えました。やっぱり、移動しながら幻影作りに集中するのは難しいです。いつもはお兄ちゃんや、リタさまやアイネさまが守っていてくれていますから……イリス一人では、限界を感じてしまいます。


 けれど、距離は稼ぎました。あとはこのまま大通りを出ればクリアです。


 通りの出口には衛兵さんがいるはず。さすがにそこでは悪さもしないでしょう。


「……なのに……しつこいですね!」


 悪い冒険者さんたちは、イリスを追いかけてきます。


 だったら、もう一度『幻想空間』で分身を──




「なめやがって! 逃がすかよっ!!」「こっちによこせって言ってんだよ!!」


『キキィっ!』『わっ。ウサギさん。暴れちゃだめだよー!』




 イリスの腕の中で、『ゴールデンラビット』さんが飛び跳ねました。


「お、落ち着いてください! あんな頭の悪い怒鳴り声に怯える必要は──」


『おちついてーっ!』


 シロさんが押さえようとしますが、間に合いません。


 ウサギさんとシロさんが、イリスの腕から飛び出します。イリスは慌てて手を伸ばします。集中が、できません。『幻想空間』の発動どころか、つまづいて倒れるなんて。このままでは……。


 ……どうしたら。どうすればいいのですか、お兄ちゃん!




『送信者:ナギ


 受信者:イリス


 本文:そのままナイフを斜め上に突き出して! さやのままでいい。あとは僕がなんとかする!』




 ──お兄ちゃん!?


 反射的にイリスは、腰につけたナイフを取り出していました。


 お兄ちゃんの言うとおり、鞘のままです。


 それをまっすぐ、斜め上に突き出すと──




「発動──『柔水剣術じゅうすいけんじゅつLV2』」




 イリスのナイフを、さやに入ったままの黒い魔剣が受け止めました。


 そのまま、ふわり、と、イリスの身体が浮き上がります。


 お兄ちゃんのスキルがナイフを受け止め、そのまま、斜め上に向かって受け流すのがわかりました。お兄ちゃんの手のひらが、イリスの腰に触れます。


柔水剣術じゅうすいけんじゅつ』は相手の剣を受け流すスキルです。


 全力疾走のまま倒れかけたイリスは、お兄ちゃんに向かって鞘のままのナイフを突き出す格好になりました。お兄ちゃんはそれを剣で受け止め、受け流し、その勢いのままイリスの身体を回転させたのです。


 さっき、天幕テントの中でそうしたように。


 そうしてイリスはそのまま、お兄ちゃんの背中に移動します。せっかくなので、ぴた、とくっつきます。


 あったかいです……。敵に追いかけられてた不安も、すぅ、と消えていきます。


「……シロ。こっそり『しーるどっ』を発動して。ただし、追っ手の足下に向かって」


 いつもよりちょっぴり、声が低いです。


 お兄ちゃんが……怒ってます……。


『しょーちかとっ!』


 ちなみに、シロささまとウサギさんは、お兄ちゃんの隣にいるアイネさまの腕の中です。


『あいねおかーさん』に抱かれたまま、シロさんはスキルを発動させます。


『おかーさんをいじめた罰だよ! 「しーるどっ」!!』




 がっ。ころん。ころ、ころん。




 シロさまが魔法の『円形の盾ラウンドシールド』を地面近くに発生させた瞬間、イリスを追っていた人たちが地面に倒れました。あっさりでした。


 全員まとめて『しーるどっ』につまづいたのです。


 シロさまの『しーるどっ』は半透明です。この雑踏で気づくのは至難の業です。イリスは敵を遮る盾にすることしか思いつきませんでしたが、お兄ちゃんは敵を転ばす障害物として、シロさまのスキルを使ったのです。


 なるほど……これなら目立ちません。


 そのうちイリスも、真似させていただきましょう。


「……う、あ」「な、なにが……」


「……うちの子になにか用ですか?」


 お兄ちゃんが、悪い冒険者たちをじっと見ていました。


 普段は穏やかなお兄ちゃんですが、仲間を傷つけようとする人には怒ります。


 それに気圧されたように、悪い冒険者たちが動きを止めました。


 まわりの人たちもなにが起きてるのか気づいてますからね。悪い人たちも、ばつが悪くなったのでしょう。反省しても手遅れでしょうね。衛兵さんがこっちに向かってきてますから。


「人前じゃなかったら、もうちょっとなにかしてやるんだけどな」


「命拾いしたの。あの人たち」


 アイネさまが、ぽつり、とつぶやきます。


 口調は優しいですが、アイネさまは本気でおっしゃってます。眼光、するどいです。


 その気配に怯えたのか、腕の中の『ゴールデンラビット』さんが暴れ出します。逃げようとしてるようですがが……無理です。アイネさまに完全に動きを封じられています。


 アイネさまのスキル『動体観察どうたいかんさつ』の効果です。


 武術の達人は、手のひらに乗せた鳥を逃がさないと言います。


 鳥が手を蹴って飛び立つのに合わせて、手を上げ下げするからです。おそらく、アイネさまも同じなのでしょう。ウサギさんが腕を蹴って逃げようとするたび、腕を引いてその勢いを殺しているのです。すごいです。アイネさまだけは敵に回したくないものです。


 悪い冒険者さんも、真っ青になってますから。


 はい。素直に衛兵に出頭しますか。その方がいいでしょうね。





「よいしょ、と」


「……あれれ」




 気がつくと……イリスはお兄ちゃんに背負われていました。


「大丈夫か、イリス」


「こ、子どもじゃないんですから、人前でおんぶされるのは恥ずかしいでしょう……」


 と、言いつつ、イリスの身体からは力が抜けていきます。


 今まですごく緊張していたようです。


 ……まだまだですね。イリスは。


「お兄ちゃん……イリスは『はじめてのおつかい』失敗してしまいました」


「クエストはクリアしてるだろ。がんばったね」


「お兄ちゃんはイリスに甘過ぎです」


「うちのパーティでは、奴隷はできるだけ甘やかすことにしてるから」


「愛の鎖で縛るのは反則でしょう?」


「その表現はどうかと思うけど……でも、『チートキャラ』だから。いいんじゃないかな。反則でも」


「……もう」


 やっぱりお兄ちゃんにはかないません。


 お兄ちゃんの背中で揺られていると、百万の理屈だって溶けてしまいます


 イリスはそのまま、お兄ちゃんの背に揺られながら、大通りの入り口に戻りました。


 ナタリアさまがまだいらっしゃいましたから、『ゴールデンラビット』を渡します。情報をくださったのはナタリアさまと、お兄ちゃんですからね。報酬はおふたりに。




「報酬はあとで、あとで必ずお持ちしますからーっ」




 お兄ちゃんと、その背中にいる男装イリスを見て、やっぱりナタリアさまは鼻血をだされてましたけど、それはそれ。


 イリスはお兄ちゃんの背中で揺られているうちに、うとうとしてきました。


 アイネお姉ちゃんに抱かれているシロさまも、眠そうです。


「今日はがんばったね。イリス」


「イリスは……まだまだ……です」


『シロも……まだまだ……かとー』


 ……いいことを思いつきました。


 お父さまは、ロイエルドを救い出した報酬をイリスにくださると言っていましたから、それでスキルを買いましょう。そうしてお兄ちゃんに、新しい『ちぃとすきる』をいただくのです。


 今回のようなミスをしないように。


 もっともっと、お兄ちゃんに、ほめていただけるように。


 そして……うまくいけば……『再構築』のとき、お兄ちゃんと『魂約エンゲージ』できるかもしれません。そのときは……もっと。


「……がんばります……」


『……うん。イリスおかーさんがんばってるところ……シロは、見てるね』


「……見ていてくださいね……シロさま」


『……やくそくー』


 …………おや?


 ということは、イリスはお兄ちゃんにしていただいている間、シロさまに見ていただくことになるのでしょうか。


 シロさま、天竜ですよね? 大きくなったら、何百年も生きるのですよね?


 お兄ちゃんとイリスの……いとなみが……竜の歴史に残ってしまうのでしょうか……。


 ……それは素敵なことでもありますが……むちゃくちゃ恥ずかしいような……。


「……まぁ、いいでしょう」


 イリスにとってお兄ちゃんは、伝説の存在なのですから。


「…………『はじめてのおつかい』がんばったのですから……ごほうびください……お兄ちゃん……」


 お兄ちゃんの背中のぬくもりが、ここちよくて──


「いいよ。目を覚ましたら教えて……」


 背中越しに答えてくれるお兄ちゃんの声が、大好きで──





 イリスはいつの間にか、眠ってしまったのでした。




 もちろん、目覚めたあと、恥ずかしさで真っ赤になってしまうのですけどね。


 今は、このやすらぎを……優先するといたしましょう……。




 おやすみなさい、お兄ちゃん。

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