第110話「番外編その11『チート嫁軍団(おるすばん組)の、ご主人様おもてなし計画』

今回は番外編の日常回です。

冒険者の手助けをしたあと、アイネ、イリス、ラフィリアは、ご主人様の帰宅を待っていたのでしたが……。






──────────────────



 アイネたちの作戦が終わったあと──


「『意識共有マインドリンケージ・改』で返信がきました。お兄ちゃんは、今日の夕方くらいに戻られるそうです」


 リビングで早めの昼食を取っていたアイネとラフィリアに、イリスが言った。


 アイネはメイド服の胸を、ほぅ、となでおろした。


 よかった。


 なぁくんは強いし、セシルちゃんもリタさんも『ちぃときゃら』だから、大丈夫なのはわかってる。だけど、側にいないと心配になる。これは本能みたいなものだから、しょうがない。アイネはなぁくんの『お姉ちゃん』で『魂約者』なんだから。


 そんなことを考えながら、アイネはナギとの『魂約エンゲージ』で生まれた指輪に、こっそりと口づけた。


 ラフィリアは「ひゃっほー! マスターの伝説がまた1ページですぅ!」って怪しいダンスを踊ってる。イリスも巻き添えになってるけど、楽しそうだからいいかな。


「アイネさま、イリスはひとつ、思いついたことがあるのです」


 ラフィリアの腕から逃れたイリスが、アイネの側にやってくる。


「なぁに? イリスさん」


 そんなイリスに食後のお茶を差し出してから、アイネは聞いた。


「疲れて帰ってくるお兄ちゃんを、異世界のやり方でおもてなしするのはいかがでしょう」


「どういうことですぅ? イリスさまぁ」


「はい。お兄ちゃんはいつも、この世界のやり方にあわせてくださってます。イリスたちを扱うときも、そ、その──身体を、調整──強化、してくださるときも。まるでイリスたちの触れて欲しいところに合わせてくださってる……ような」


「……う、うん。そうなの」


「……そうでしょう?」


「……そうなの」


 アイネは思わず顔が赤くなる。


 スキルを『再構築』するとき、ご主人様は奴隷の状態を『もにたー?』してる。


 呼吸とか、感覚とか、鼓動とか……アイネたちの負担にならないように、合わせて、くれてる。


「だから、今度はイリスたちがお兄ちゃんが元いた世界のやり方に合わせて、もてなして差し上げるのがいいように思うのです」


 ぱん、と手を叩いたイリスを、アイネは呆然と見つめていた。


 天才あらわる。


「その発想はなかったの。さすがイリスちゃん、賢いの」


「さすが竜の眷属けんぞくですぅ」


「イリスは前線では戦えません。お兄ちゃんのために考えることしかできませんから、これくらいは当然でしょう」


「それで、具体的にどうするですぅ?」


 ラフィリアの言葉に、ぴたり、と、イリスの動きが止まった。


 天才返上。


 考えてなかったらしい。


 でも、それも無理はない。彼女たちのご主人様は、元いた世界のことをあまり話したがらない。


 それはあんまりいい思い出がないからで、だからその分、あっさりこの世界になじめたというのもあるのだけど、こういうとき、すごく困る。


 だって、どうすればご主人様がよろこんでくれるのか、わからないから。


「……もっとなぁくんの世界のことを聞いておくべきだったの」


「……そのうち機会を見つけて、いろいろお聞きしましょう」


「……古代エルフが自白剤でも作っていればよかったのですぅ。使えない種族でごめんなさいです」


「……それはいいの。今できることを考えるの」


「……イリスたちがこれまでに聞いた情報を総動員しましょう」


「……そこから、マスターがくつろげる環境を作り出すですね? 作戦名は『やっぱ奴隷のそばが一番』です!」


 ひそひそひそひそ。


 アイネ、イリス、ラフィリアは、おでこをつきあわせて話し合う。


 別荘には他に誰もいない。声をひそめるのは気分を出すため。


 そして3人の知識から浮かび上がった、ナギが喜んでくれそうなものとは──




 ナギの世界の食べ物:「おすし」


 ナギの世界の娯楽:「てれび」


 ナギの世界のアイテム:「えあこん」




「『おすし』は難しいの。『ちらしずし』が比較的簡単みたい。魚介類を使った料理らしいの」


「『てれび』は、壁に映像を映し出すものだそうです。これはイリスのスキルでなんとかします」


「『えあこん』は涼むためのものらしいですぅ。保養地は暑いので、ちょうどいいですねー」


 アイネ、イリス、ラフィリアは誰ともなく手を重ね合う。


 互いにうなずき合い、作戦開始。


 目的はご主人様に喜んでもらうことと、くつろいでもらうこと。


 タイムリミットは、ご主人様が帰ってくるまでだ。


「それじゃ、まずアイネがお買い物に行くの。それから──」




「申し訳ありません。ホリア=ドルゴールです。イリスさまにお会いしたくてうかがいました」




 アイネが言いかけたとき、家の前から声がした。


 知り合いの商人さんの娘、ホリアさんだ。


 お休みの間、彼女の家にはお世話になっている。居留守を使うわけにはいかない。


 仲良しの奴隷3人は、とっさにアイコンタクト。


 イリスは来客対応。アイネはその補助。ラフィリアは買い出しと役割を分担することに。


 とりあえず着替えと準備のため、ラフィリアは自室に向かった。


 イリスは応接間で『幻想空間』を起動。護衛役のナギがいないのは不自然だから、よく似た幻影を作り出す。


 ディテールは完璧だ。自室に戻りかけたラフィリアが、思わず「ますたー!」って駆け寄るくらい。アイネはその腕をつかんでお部屋にぽーいっ。


 そのままアイネは玄関に向かい、ホリアさんを招き入れた。


 イリスはナギの幻影に背後に立ってもらい、部屋の奥──上座かみざに座った。


 立場が上のもののための席だ。港町では当たり前だったその場所が、なぜかすごく落ち着かない。今のイリスは、ただ大事にされるだけの巫女じゃない。ご主人様──お兄ちゃんの奴隷だ。だから一番えらい席にいるのに違和感がある。


 それはきっと、いつの間にか自分が変わってしまったということで──たぶん、いいこと。


 なんとなく楽しくなり、イリスはやわらかい笑みを浮かべた。


「いらっしゃいませ。ホリア=ドルゴールさま」


「……イリスさま……」


 アイネの案内で応接間に入ってきたホリアさんはイリスを見て、深々と一礼。


「……お礼を、させてください」


「お礼?」


「友人から聞きました。『冒険者のお庭』……略して『ぼうテラス』という謎の組織に助けられたって」


 商人の娘、ホリアさんは説明をはじめた。


『天竜の代行者』を名乗る者によって『砦攻略クエスト』の情報が流されたこと。


 冒険者ギルドのルールに詳しい『冒険者のお庭』のおかげで、クエストのキャンセルと調査ができるようになったこと。


 追い詰められた子爵家令嬢エデングルが、宿代を払わされるはめになったことを。


「みんな疑ってたみたいですけど……実際に宿代は払われたそうです。すっごい嫌そうな顔、だったそうですけど」


「よいことですね」


「イリスさまが、手を回してくださったんですか?」


「いえいえー」


「天竜の代行者が関わっているという噂も聞きます。イリスさまは、海竜の巫女です。竜に連なる者として、お力を貸してくださったのではないかと」


「いえいえー」


「……も、もちろん、誰にも言いません。『契約コントラクト』してもいいです。私はただ、お礼をしたいだけで……」


「ホリアさま」


 イリスはホリアさんに、優しく声をかけた。


「イリスは海竜の巫女です。天竜の巫女ではないのです。同じ竜であっても、海竜と天竜はまったく別のものでしょう?」


「そ、そうですね。すいません。失礼なことを申し上げて」


 ホリアさんは、ぺこり、と頭を下げた。


「確かに天竜と、海竜さまとでは、大きさも全然違いますものね」


「ええ。卵と小島ほどの違いがございます」


「……具体的すぎませんか?」


 ホリアさんが不思議そうな顔になる。


 おっといけない。


 イリスは思わず口をおさえてから、ホリアさんに語りかける。


「それにしても天竜の代行者とは……まさに神話の再来のようですね」


「はい。きっとその方は、とても素敵な方だと思います」


「ええ、おそらくその方は天竜に信頼されているのでしょうね」


「どのような方ですかね」


「きっとすごく偉大で、かっこいい方だとイリスは思います」


「私も同感です」


「きっと強くて、優しくて、でも時々無茶することがあって。目が離せなくて。側にいてほしいけれど、独り占めするのはいけないような気がして、とても大切で、たぶん、その方のためなら自分の命を投げ出してもいいと思える……そんな方だと、イリスは思います」


「あ、あの、イリスさま、その方をご存じで」


「いえいえいっぱんろんでしょう?」


「……あの」


「いっぱんろんでしょう?」


「……」


「いっぱんろん」


「は、はい、一般論です」


 イリスの言葉に、ホリアさんは首の関節がこわれたように、こくこくこくっ、とうなずく。


「イリスさまが、天竜の代行者と無関係なことはわかりました」


 彼女は胸の『契約のメダリオン』を握りしめた。なにかの約束をするように、それをイリスに示す。


「でも、昨日イリスさまにお話を聞いていただいたことで、私はとても気が楽になったんです。そのお礼をさせてください」


 真剣な顔で告げるホリアさんの前に、メイド服のアイネがお茶を置いた。


 そして幻影のナギに寄り添うように、イリスの後ろに立つ。


 小さくつぶやいてるのは、異世界のレシピを忘れないようにだろう。──「ちらしずし。おこめと、おさかなと、こうしんりょう」──って。


「お礼など。気にならさないでください」


「おこめ」


「いいえイリスさま。私も父の仕事を手伝っている身。少しのたくわえはあります。そうです。穀物などいかがですか?」


「おさかな」


「イリスはもうすぐイルガファに戻ります。荷物を増やすのは、ちょっと。もちろん、おさかなは好きなのですが……」


「こうしんりょう」


「でしたら、この地の名産品などはいかがでしょうか。香辛料の効いたおいしいものを食べて、それでお帰りになられるのは?」


「おすし」


「いえ、今日のメニューはちらしずし──いえいえ、決まっておりますので。おこめ──特に必要なものは──こうしんりょう。家のものがすでに買い物に出かける手はずを──」




「いってまいります、イリスさまぁ」


 玄関から、ラフィリアの声がした。


「市場に買い物にしてくるです。必要なものは────」




 沈黙が降りた。




「──────────────まぁいいです。行ってくるです!」


「「ちょっと待ってください(なの)!!」」





「……あの、イリスさま。おこめと、お魚と香辛料なら、私の方で準備できますが」


「……お願いいたします」


 イリスとアイネ、そして幻影のナギは、そろってホリアさんに頭を下げたのだった。





 ホリアさんが帰ったあと、3人はテレビの用意に取りかかることにした。





「『てれび』……つまり壁に映像を映せばいいのですよね? でしたらイリスのスキル『幻想空間』を使いましょう」




『幻想空間LV1』


 頭の中に浮かんだイメージを、周囲の空間に映し出すことができる。


 実体はないが、見た目、質感ともに現実と区別がつかない。リアルな音を出すこともできる。




 イリスは幻影のナギを名残惜しそうに消してから、壁に映像を映し出した。


 とりあえず、自分が一番なじんでいるもの。海竜の伝説についての物語だ。


 影絵のような『海竜の勇者』と『海竜の娘』が動きはじめる。完璧な人形劇だ。


 けれど──


「これでお兄ちゃんは、喜んでくださるでしょうか?」


 今回の目的は『ご主人様に、元の世界のようにくつろいでもらうこと』だ。


 イリスが楽しくても意味がないのだ。


「なぁくんの興味のありそうな映像を流した方がいいの」


「マスターが興味あることといえば『働かないで生きる』ことですぅ」


「わかりました。ではそれで」


 アイネとラフィリアのアドバイスに従い、イリスは『幻想空間』を調整。


 壁に、ごろごろするナギの姿を映し出す。




 朝、ベッドから起きないナギ。


 アイネに朝食を運んでもらい、イリスに食べさせてもらうナギ。


 ラフィリアとイリスに着替えさせてもらうナギ。


 お昼になったので、ご飯を──(以下繰り返し)。




「「「……ああ」」」


 イリス、アイネ、ラフィリアはうっとりとため息。


 ずっと見ていたい。というか、ご主人様の映像ならなんでもいい。


「これではイリスたちが楽しいだけです!」


 イリスは『幻想空間』を解除した。


「「えー」」


「お兄ちゃんは、ご自分の姿に見とれるようなお方ではありません」


「確かに……なぁくんは自分より、奴隷のことを気にかけてくれるの」


「あたし、思いつきました。ここはイリスさまの映像を流すといいですよぅ」


「わかりました。では──」


 イリスは再び『幻想空間』を起動。


 壁をスクリーンにして、ベッドで眠るイリスを映し出す。




 朝、目覚めてすぐに今日の予定を立てるイリス。


 朝食の前に身だしなみを整えるイリス。


 着替えるとき、セシルに教えてもらった『胸が大きくなる体操』のことを思いだし、カーテンをしっかりと閉めてから、少しためらいながら寝間着を脱ぎ捨て、下着に手をかけるイリス──




「わ、うわわ、あわわわあわあっ!」


 ぷちっ。


 イリスは『幻想空間』を解除した。


 真っ赤になった顔を押さえて、そのまま床に座り込む。


「……こんな恥ずかしいところ、お兄ちゃんに見せられません」


「……映像記録というのに問題があったのかもですぅ」


「……なぁくんの世界の『げぇむ?』をイメージしてみるの」


「『げぇむ』……なるほど」


 ラフィリアとアイネの言葉に、イリスはふたたび立ち上がる。


 壁に映しだしたのは、前にナギに聞いたことがある『げぇむ』の画面だ。


 画面中央には平面的なナギの姿。


 その下に文字が浮かび、選択肢というものが表示されている。


『はなす』『ちかづく』『あいをささやく』──


「お兄ちゃんの世界ではこうやって誰かを『攻略』するようです」


「まずは『はなす』がいいと思うの」


「ここは『あいをささやく』一択ですよぅ。それより『おしたおす』がほしいです」


 あーでもないこーでもないと、ご主人様の攻略をはじめた3人。


 やがてそれは段々とリアルなものになっていき、ご主人様のセリフも複雑化。


 最終的に、奴隷全員で相談して、この『げぇむ』を完璧なものにしようと決めたとき──




 ──気がつくと、2時間が経過していた。




「イリスさま、いらっしゃいますか? 食材を届けにまいりましたー!」


「「「はっ!?」」」


 正気に戻してくれたのは、ホリアさんの声だった。


 いけない。これは「ひとをだめにする『げぇむ』だ」


 イリスは幻想空間を解除。『てれび』は後回しにして、ラフィリアと一緒に『えあこん』の準備をすることに。


 アイネは荷物を受け取り、ホリアさんを見送ったあと、キッチンへ。


 気を取り直して『おすし』の作成にとりかかる。


 どういうものかはなんとなく聞いている。あとは高レベルの『お料理』スキルにお任せだ。


 イリスさんに『意識共有・改』でメッセージを送ってもらって、ご主人様にレシピを聞くのもいいけど、やっぱりびっくりさせたいから。


「お魚は新鮮だけど……生だと危ないかもしれないの。ご主人様の健康のためにも、火を通すの」


 アイネはお魚をすばやく切り身にして、油を入れた鍋に投入。


「長粒種の穀物は──『炊く』……やわらかく、スープを吸い込むように」


 お米っぽい穀物は、水分たっぷりになるように。


「香辛料は──香り付けなの」


 緑色の葉っぱをぱっぱっ。


『おすし』『ちらしずし』──どっちになるかわからないけど、アイネの『料理スキル』が、すごくいいできだって教えてくれる。おいしいのはまちがいない。


 こっちはOK。たぶん。


 さてさて、ラフィリアさんの『えあこん』はどうなったのかな?





「とにかく、空気を入れ換えればいいわけですよねぇ。じゃあ発動なのです『竜種旋風LV1』」


 窓をいっぱいにあけて、ラフィリアは微調整した竜巻を発生させる。


 サイズは最小。強さも最弱。


 空気を入れ換えればいいだけだから、弱めに。


「師匠。角度をもうちょっと浅めに。強さは、上の方を強く。下の方は弱くした方がいいでしょう」


「はいはーい」


 ささっ、と、ラフィリアは魔法を調整。


 風向き、室温、日の射す角度。


 すべてを計算したイリスの指示通りに、『竜種旋風』の竜巻を動かしていく。


 さわやかな風が吹き込んでくる。


 完璧だ。これなら、ご主人様もよろこんでくれるはず。


「……こんなすごいことができるのに、どうしてお買い物の内容が覚えられないのでしょう、師匠は」


「ひとには向き不向きがあるのですよぅ」


 照れくさそうに、ラフィリアはエルフ耳を震わせた。


「魔法の調整なんて、どってことないのです。あたしにとって重要なのは、好きな人が笑ってくれることなのです。そのための最短距離を、あたしは行きたいのですよぅ。だから、ついつい途中経過を、すぽーん、ととばしちゃうのです」


「その生き方は、イリスも見習った方がいいのでしょうね」


「イリスさまは、そのままでいいですよぅ」


「いいのでしょうか?」


「あたしは細かいこと、見落としちゃいますから、そしたらイリスさまがあたしの落っことしたもの、見つけてください。そうすればあたしも安心です。代わりにあたしは、マスターとイリスさまが笑っていられるようにがんばりますよぅ」


「師匠」


 イリスはほわほわしたラフィリアを見て、笑った。


「師匠が側にいてくれて、よかったです」


「あたしも、イリスさまがマスターのもので、よかったです」


「でも、イリスは……こんなです。胸も、ちっとも成長いたしません……」


「気にすることはないのですよぅ」


 ラフィリアは優しく、イリスの肩に手を載せた。


「アイネさまが言ってました。『わたしたちのそこは、マスターに使っていただくためのものだから、価値はマスターが決める』って」


「アイネさまが?」


「はい。それに、イリスさまががんばっているように、アイネさまもマスターの隙をうかがっているはずですぅ。

 ……アイネさまのメイド服の襟元、ボタンが少しゆるくなってるのに気づきましたか? あれはマスターに胸の谷間を見ていただくためにわざと……すいませんアイネさま。ちがうです。あたしも同じ作戦を考えていただけですぅー!」


 いつの間にか背後に近づいていたアイネに気づいて、ラフィリアが真っ青になる。


 不思議なくらい優しい笑みを浮かべたアイネは、なぜかモップを手にしていた。


「ラフィリアさん」


「は、はいです!」


「それにイリスちゃんも、お風呂、入ってきたらどうかな?」


 モップをくるくる回しながら、アイネは言った。


「なぁくんが戻って来る前に、身体を綺麗にしていた方がいいの。こないだの蒸し風呂、まだ使えるはず。ご主人様の許可は取ってあるから、ふたりで汗を流してくるといいの」


 イリスとラフィリアは『お姉ちゃん』に従うことにした。







「「はふー……」」


 別荘の建物の陰にある、大型の物置。


 そこを改造して作った即席の蒸し風呂で、イリスとラフィリアは汗を流していた。


「イリスさま。蒸気を足しますよぅ」


「はい。この程度でまいっていては、お兄ちゃんの奴隷はつとまりません……」


 床に座ったまま、イリスの小さな身体がゆらゆらと揺れる。


 身につけている『ちょうこうきゅうなゆあみぎ』はセシルのものと共有だ。


 イリスにはちょっとだけ大きいから、胸の上半分が見えてしまう。肌にぺったりと張り付いているのに、谷間さえも見えないこども体型。目の前でどどーんとボリュームを誇っているラフィリアと比べると、やっぱり引け目を感じてしまう。


「イリスも、いつかは師匠くらい立派になれるのでしょうか……」


「おむねですかぁ?」


「はっきりおっしゃらないでくださいさみしくなります!」


「大丈夫ですよぅ。イリスさまも、あたしくらいの年齢になれば、成長しますぅ」


「そうでしょうか……」


「まぁ、あたしは古代エルフの時代に作られたから、たぶん数百歳なんですけどね!」


「いきなり絶望いたしますが!?」


「え? イリスさまは『海竜の血』を引いてらっしゃるから、長生きなのではないですか?」


「そんな設定はございません」


 ないはず。


 イリスの母は、イリスを生んでからすぐに亡くなってしまった。


 海竜の血は、あんまり寿命には関係ないのだ。


「では、覚醒するですぅ」


「その一言でなんでも解決すると思ってらっしゃいませんか、師匠」


「マスターにお願いすれば『海竜の血』が大覚醒するかもしれませんよ?」


「……確かに、お兄ちゃんなら、それくらい簡単かもしれませんが」


「するとあら不思議、謎の効果でイリスさまの寿命が延びるです。数百年の寿命を得たイリスさまは、長き生の果てに、あたしをも超えるおっきなお胸を手に入れるのですよぅ」


「いくらなんでもそんなに成長が遅くはございませんが!?」


「ゆっくりでいいのですー。そうするとお兄ちゃんは『今のイリスさま』『やや成長したイリスさま』『巨乳のイリスさま』のすべてをすみずみまで知ることができるのですよぅ。すばらしいと思わないですか?」


「かかる年月コスト利益メリットと見合っておりません……」


「残念ですぅ……」


 はふぅ、と、イリスとラフィリアは同時にためいき。


 話題がいつの間にか『ご主人様』のことになってしまうのは、奴隷の──ううん、恋する女の子の本能だからしょうがない。お兄ちゃんに触れられたときのことを思い出して、身体がじんじんするのも。


「イルガファに戻ったら、しばらくは屋敷でおとなしくしていなければいけませんね……」


 イリスはぽつり、とつぶやいた。


 前はそれがすごく重荷だったけど、今はもう、なんとも思わない。


 本当の居場所はご主人様のところにあるし、領主の屋敷なんか『チートスキル』を使えばいつでも抜け出せる。師匠も側にいてくれる。それはすごくぜいたくで、幸せなこと。


 それに『お姉ちゃん』も言っていた『じらすのも女の子のスキルのうち』って。


 別の家に住むということは、予想外の手段でお兄ちゃんを奇襲できるということでもある。


 寝付いたところに忍び込んで、抱きついて、そして……。


 じゅるり。


 おっといけない。


 作戦はまだ立案段階。もっと煮詰めて、完璧なものにしなくては。


「がんばりましょう、イリス=ハフェウメア……」


「はい。がんばるです」


 意味はよくわかってないみたいだけど、ラフィリアは笑ってうなずいた。


 イリスは胸を押さえて、お得意の悪だくみ。


 イルガファに戻ったあとのことを考え始める。巫女の地位は利用できる。お兄ちゃんの『働かなくても生きる』生活を作り出すために、お助けしましょう。


 そして、ふふふふふふ。


「イリスは、がんばります」


「いえイリスさま。そろそろ上がった方が」


「がんばります! お兄ちゃんのためにも」


「……しょうがないですねぇ。あと少しですよぅ」


「イリスはこれからもがんばります……絶対です。見ていてください、お兄ちゃん……」


 大好きなお兄ちゃんとのいろんなことを妄想しながら、ラフィリアと一緒に蒸し風呂を楽しんでいるイリスは、満足で、こんな時間がずっと続けばいいな──って思っているうちに──





 当たり前のように、真っ赤になってのぼせたのだった。





「……むしぶろ……あつい……おにいちゃん…………ふふふ」


「イリスさま、しっかりしてくださぁい!」


「アイネは濡らしたタオルを持ってくるの。ラフィリアさんは、イリスちゃんの身体を冷やしてあげて!」


 アイネは急いでキッチンに走る。


 自分がついていながら、こんなことに。『お姉ちゃん』失格だ。


 料理に集中しすぎてた。


 イリスちゃんは身体が小さいから、のぼせやすいってことに気づかなかった。ラフィリアも、彼女にしては珍しくあわててる。イリスを湯浴み着から寝間着に着替えさせて、小さな身体を窓際に運んでる。そして「今『えあこん』を点けますからねー」って、魔法を発動──ってちょっと待って!


「発動なのです。『竜種旋風LV1』(弱風)」


 しゅごー。


 リビングに風が吹き荒れた。


「そこまでなのラフィリアさん! ていっ!」


「え?」


 振り向いたラフィリアの顔めがけて、アイネは濡らした布を投げつける。


 狙いはあやまたず、水をたっぷり含んだ布はラフィリアの顔面に、べちゃ、と張り付く。口と鼻をふさがれたラフィリアは、もがーもがー、と、そのまま倒れた。


 幸い『竜種旋風』は本当に弱になってたみたいで、リビングの椅子が倒れて、テーブルクロスが落ちただけ。転がった食器は洗えばいい。寝間着が吹っ飛んだせいで、イリスちゃんがすっぱだかになっちゃってるけどそれはそれ。お姉ちゃんはあわててる暇なんかない。なぁくんたちが帰ってくる前に片付けないと──




「ただいまー。アイネ、イリス、ラフィリア。留守番ごくろうさまー」




 ──って思ってる間に聞こえてきたのは、大好きなご主人様の声。


 アイネの心臓は高鳴って、でも目の前はめちゃくちゃで、頭の中もぐちゃぐちゃで、もうどうしたらいいかわからない。


 この状況、ご主人様にどうやっておわびをすれば……!


「──!」


 アイネはいちもくさんにキッチンに走り、できあがったばかりのそれを手にした。



「そ、そうなの! なぁくんのために『ちらしずし』を作ったの!」


「うん。美味しそうなピラフ……いや、パエリア?」


 間違った!?


 慌ててキッチンから持って来た鍋の中には、ほかほかの海鮮料理。


 火を通したお魚と貝のスープがしみこんだお米に、香辛料で味をつけたもの。


 ご主人様はうれしそうな顔だけど、これは『ちらしずし』じゃないみたい。


 アイネの頭が真っ白になる。ご主人様のお留守に、こんな失態をするなんて。


 イリスさんは湯あたりして、ラフィリアさんはリビングをちらかして、アイネ自身はご主人様の故郷の料理を作るのに失敗。信頼しておるすばんを任せてもらったのになんてこと。


 アイネは頭を抱えようとして──その前に鍋をしっかりキッチンに戻して、ナギの前に戻ってきてから、あらためて頭を抱える。事情がよく飲み込めないのか、呆然としてるご主人様。


 ああ、困らせちゃった。どうしよう。どうすればいいんだろう……。


 ご主人様の後ろには、奴隷仲間のセシルちゃんとリタさん。ふたりを見たとき、ぴん、と来た。


 そうだ、ここは奴隷の先輩のリタさんにならって──




「おかえりなさい、ご主人様」




 アイネは、ナギの前で正座した。




「いけないお姉ちゃんに、おしおきしてください」




 ご主人様の目が点になりました。








番外編「おるすばんチート嫁たちの『ご主人様おもてなし計画』」おしまい。

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