第102話「ひさしぶりに真面目に働いたから『癒やしイベント』を実行することにした」
「これは、おじいちゃんに教えてもらった伝説なの」
夕食のあと。
たき火を囲む僕たちに向かって、アイネは話し始めた。
「──昔むかし、この地にすむ人にあがめられていた聖女、デリリラがおりました……」
もともと、デリリラは勇者の再来と呼ばれる、強力なパーティに所属する魔法使いでした。
彼女たちは世界を回り、魔物におびやかされている人たちを救い、数々の強力なアイテムを作り出しました。
当時は、天竜ブランシャルカが死んでから、しばらく後。
天竜の加護を失った人たちにとって、彼女のパーティは救世主のようなものだったのね。
デリリラたちはアンデッドの親玉リッチを倒し、魔に堕ちた竜『魔竜』をほふり、人とデミヒューマンの世界に平和を取り戻したかに見えました。
けれど、彼女の最後のクエストは仲間のケンカが原因で、失敗してしまったの。
パーティは壊滅して……みんなちりぢりになりました。
1人になった彼女は、攻撃魔法では人を救えないと考えたのか、魔法使いを
修行の末、彼女は神聖力を高めて神官に転職したのです。
デリリラは誰も知らないところに神殿を作って、そこに住みはじめました。
けれど、苦しむ人たちを救うことはやめませんでした。
ときおり──それは数年に1度のこともあったし、毎週のこともあったけど。
デリリラは町に降りてきて、怪我をした人、病に苦しむ人を救い続けました。
こうして、彼女は慈悲深い聖女として、人々の信仰を集めるようになったの。
けれど、慈悲深い聖女でも、デミヒューマンだけは嫌っていたそうなの。パーティで人間関係のトラブルがあったからみたい。人間は無償で救うけれど、デミヒューマンには厳しかったの。
そうして時は流れ、いつのまにか彼女は人々の前から姿を消していました。
神殿に帰ったのだとも、神さまとして天に昇ったのだとも言われています。
デリリラの神殿の場所は、今でもわかっていないの。
ただ、魔力に満ちた場所に住んでいたのは間違いないみたい。
土地の魔力を利用して、神殿を隠してたんじゃないかな……という伝説が、今でも残ってるの──
「──以上『聖女デリリラ』の伝説でした。おそまつ」
アイネが話し終えるころには、みんな眠っちゃってた。
起きてるのは、僕とアイネと、セシルの3人。
僕たちは廃村で野営をしてる。
飛竜のガルフェは日が暮れる前に帰った。
地図づくりを手伝ってくれた報酬として、甲羅を取ったロックリザードの肉を渡してある。
『汚水増加』で水分を抜いちゃったから美味しくないかも……とは言ったんだけど、飛竜は味にはこだわらないそうだ。ガルフェは大きなかぎ爪で4匹まとめてつかんで、山の方へ飛んでいった。
僕たちの手元に残ったのは、岩のような甲羅が4個。
クエストを達成した証明には、これが残っていれば十分だ。
「それでアイネ。他には、この地方にはどんな伝説が?」
「『暴食の盗賊団』『青き魔竜の信徒』の伝説もあるけど……魔力は関係ないと思うの」
僕とセシルの方を見ながら、アイネは言った。
「アイネがラフィリアさんの話を聞いてまっさきに思い浮かんだのが、『聖女デリリラ』なの。彼女は魔力に満ちた場所に住んでたって、おじいちゃんが言ってたから」
「その場所が、ラフィリアの言う『欠けた魔法陣』のポイントかもしれないってことか」
ラフィリアの話によると、この地方の町と、魔力に満ちた土地が、星座のような特別な配置になっているらしい。
それは魔力を高める魔法陣で──なのに、一番重要な地点が抜けてるそうだ。
でも……一番重要な地点が抜けてるなら、それは魔法陣でもなんでもないんじゃないかな……とは思うけど、やっぱり気になる。
ラフィリアって普段は中二病のほわほわポエマーだけど、たまに鋭いから。
それに彼女の中の、古代エルフの知識は甦ったばっかりだ。
だから、先入観なしで、まっすぐ本質を貫いたのかもしれない。
「町の配置が偶然じゃないとしたら、誰かが古代エルフさんの魔法陣を再現しようとした、ってことですよね? それは大昔に完成していて、今は失われているということで……」
セシルは僕の隣で膝をかかえながら、炎を見つめてる。
魔族にも関わることだからか、不安そうな顔をしてる。
小さな身体が左右に揺れて、こてん、と、僕の脚に寄りかかってくる。
「『古き血』の生き残りのわたしたちに、見つけて欲しがってるのかもしれないです」
「こんなこと、他に知ってる人なんかいないだろうからね……」
僕は焚き火の横を見た。
ラフィリアとイリスはくっついて眠ってる。
イリスの方は毛布にくるまって、ラフィリアに寄り添ってる。ラフィリアの方は両手両脚投げ出して、ぐでーって感じで爆睡状態だ。
リタは獣っぽいスタイルで焚き火に背中を向けてる。
ときどき、びくっ、って尻尾が跳ねてる。なにか夢を見てるみたいだ。
「本当にこれが魔法陣なら、欠けた部分にはなにがあるんだろうな」
「なんでしょうねぇ」
「わからないの」
「……そこそこ高値で売れそうなマジックアイテムや、お宝とか、ないかな」
「……世界に影響を与えないようなものだといいですね」
「……安全で、あんまりレアそうに見えないのがいいの」
魔族はセシルが最後のひとり。
古代エルフも絶滅して、そのレプリカのラフィリアがいるだけ。
なにかが手つかずで残ってる可能性はある。
「セシル。確認だけど」
「はい。ナギさま」
「魔族と古代エルフの魔法陣によると『霧の谷』と『魔力封印の地』が、魔力増大ポイントってことでいいんだよな?」
「それは間違いないです。そして、地図が本当に魔法陣を表しているなら、『霧の谷』と『天竜封印の地』の他に、もうひとつ魔力増大ポイントがないとおかしいんです」
それが『魔法陣の欠けた部分』ってことになる。
実際のところ、そこになにかあるかどうかなんて、わからないけどね。
なにもないかもしれない。
あるいは、伝説上のなにかがあるかもしれない。
ただ、その場所に行ったところで、別に失うものがあるわけでもないんだ。
「保養地ミシュリラの側だから、散歩がてらに行くのもいいよね」
「はい。ナギさまとおさんぽしたいです!」
セシルは勢いよく手を挙げた。
アイネは、ほっぺたに指を当てて、なにか考え込んでる。
「もしも聖女さまに関わるものがあるとしたら、行く前に……身体を清めて行った方がいいの」
「それは……清めの聖女様だから?」
「そうなの。聖女さまは、清潔感にこだわる人だったの。癒やしの力を使う前に、患者には川か泉で沐浴をさせていったらしいの。それを拒んだ人は、治療してくれなかったんだって」
アイネは目を細めて話してる。
弟のナイアスとおじいちゃんのことを思い出すのか、伝説を語るのが本当にうれしそうだ。
僕たちはしばらく黙って、火を見つめていた。
ラフィリア印のジョウロ(側面に墨で『ラフィリアの』って書いてある)から水を汲んで、カップに入れて飲む。馬たちは馬車具を外して、廃村の柱に繋いである。2頭とも眠ってるみたいだ。
クエストが完了したばっかりだから、僕もみんなも、ぼんやりしてる。
『ロックリザード』の甲羅は、全部、革袋に入れた。
アイネの『
あのスキルは指定した袋や箱の中に、大型の本棚 (図書館にあるくらいのやつ)の空間を作り出す。ロックリザードの甲羅はぎりぎり、重ねたら入った。4枚目は『
3枚と半分は商人のドルゴールさんを経由で売ることになってる。
残りの半分は、個人的に使うつもりだ。
そして、クエストが終わったあとの予定は、特になし。
「『魔法陣の欠けた部分』になにもなくても、観光くらいにはなるかな」
「そうですね。わたしも、そこになにがあるのか気になります」
「じゃあ、別荘に戻ったら探索開始なの?」
「いやいや」
僕は手を振った。
「なんでクエストが終わったばっかりなのに、すぐに別のクエストを入れなきゃいけないんだよ。みんなはお休みに決まってるだろ?」
「みんなは……って、ナギさまは?」
「僕は地図をトレースしなきゃいけないから」
今のところ、これが最優先事項だ。
『意識共有・改』のログが消える前に、地面に描いた地図を紙に写し取っておかないと。
せっかく飛竜のガルフェがくれた情報を、無駄にするわけにはいかないからね。
「ドルゴールさんにお願いして、じっくりと休める『癒やしイベント』を用意してある。僕も作業が終わったら合流するから、みんなは先に……って、あれ?」
「ナギさま」「なぁくん」
気がつくと、セシルとアイネが僕をにらんでた。
「ナギさまがお仕事をしてるのに、わたしたちがのんびりお休みできると思いますか?」
セシルはほっぺたを膨らませて、顔を近づけてくる。
「奴隷を休ませて、自分はお仕事するなんて、ご主人様としての自覚が足りないの」
アイネは胸の前で腕を組んで、あきれたように首を振ってる。
「お仕事って……マッピングはただの趣味なんだけど」
そういう細かい作業は好きだし、楽しいし。
「では、わたしはナギさまのお手伝いをするのが趣味です」
「……セシル、最近理屈っぽくなってない?」
「ナギさまに似てきたってことですね?」
セシルはうれしそうに胸を張った。
「それはいいことです。奴隷はご主人様に似るものですから……えへへ」
……僕の影響ですか。
じゃあ、しょうがないな。
「アイネは……」
「弟のお手伝いをしたくないお姉ちゃんなんかいないのっ」
2秒で論破された。早口で。
「わかった。じゃあ別荘に戻ったら、みんなで地図の複写作業。それから癒しイベント。それで身体を清めてから、ラフィリアが教えてくれた『魔法陣ポイント』の探索ってことにしようか」
「はいっ」
「旅行の中休みとしては、ちょうといいの」
なにか見つかればそれでよし。なくても、旅の思い出くらいにはなるだろ。
クエストは終わり。これからは
のんびりと、気楽にいこう。
翌日の明け方。僕たちは馬車で保養地に戻った。
そのまま商人のドルゴールさんの元へ向かい、馬車を降りる。4人がかりで壁を作り、その隙にアイネが革袋から『ロックリザード』の甲羅を出した。
僕は執事の人に話しかけて、みんなから注意を逸らしながら、ドルゴールさんを呼んでもらった。
そして無事に『ロックリザード』を納品して、討伐の報告は完了。
報酬はクエスト達成と、素材の代金合わせて3200アルシャ。
甲羅が綺麗に取れたから、意外と高く売れた。
もうちょっとふっかけてもよかったけど、その分はドルゴールさんに手配をお願いした『癒やしイベント』の手数料ってことにした。
「それでは、明後日の夕方の予約を入れておきます。当日は私の娘が案内いたしますので」
最後にドルゴールさんに『癒しイベント』の予約確認をして、僕は別荘に戻った。
クエスト終了。
野営でくたびれたから、今日は1日、お休みだ。
そして次の日。
僕たちは、地図のトレースをすることにした。
「今回は2種類の地図を作ろうと思ってる」
リビングに集まったみんなに、僕は言った。
ひとつは自分たち用の、細かく書き込んだもの。
これは僕が『意識共有・改』のログを利用して、ひとりでじっくり作ることにする。
もうひとつは、商品化するための地図だ。
「みんなには、港町イルガファ周辺の地図をお願いしたい。地図の画像はあとで渡すから、それを元に作ってくれないかな」
僕が作る地図は、すべての元になるオリジナル。つまり原本。
みんなが作る地図は、港町イルガファ周辺を描いたもの。これはイリスと取引のある商人さんに『試作品』として使ってもらう。
それで、もしも売れそうなら、もっと広い範囲の地図を作るつもりだ。
最初から情報を全部渡してしまうのは、もったいないからね。
「『情報は小出しに、こちらのカードをすべて切ってしまえば交渉力を失う』……港町イルガファのことわざです」
イリスが僕の隣で拳を握りしめてる。
「情報は慎重に扱いましょう。すべて出してしまえば、それまでなのですから」
「そうだな。だからイリスたちには港町イルガファ周辺の地図を作ってもらう。それを試しに、信用できる商人さんに使ってもらって、評判が良ければ『保養地』『魔法実験都市』を含めた全体地図を『売る』ってのがいいんじゃないかな?」
「面白い方法だと思います。お兄ちゃん」
イリスはスカートの裾をちょこん、とつまんで、一礼した。
「イリスにお任せいただければ、地図をイルガファ領主家の専売といたしましょう。領主家の紋章を押して売れば、複製品と本物を区別をすることができるようになります。」
「勝手に複製して売ったら、イルガファ領主家を敵に回すことになるから?」
「その通りです。もちろん、領主家としては、地図が正しいかどうか販売前に確認することになるのですが」
「どっちにしても領主様の手を借りることになるな」
僕たちの家は港町イルガファにある。
できるだけ領主さんとは、いい関係でいたい。
だから──
「最終的に、僕たちは地図の権利を。領主家の方にはその地図を複製して販売する権利を、ってことでどうかな。取り分は4対6くらいで」
「半々でもよいと思いますよ。お兄ちゃん」
「売れ行きがよければ、こっちの取り分は上げるつもりだよ。でも、まずはメリットを示して、領主さんに交渉のテーブルについてもらいたいんだ。
だから試作品ができたら、イリスから領主さんに手紙を出してくれないかな」
「わかりました」
「じゃあ、イリスに僕の中にある地図データを送る。こっちへ」
僕はイリスの手を引いて、廊下に出た。
「どうすればよろしいのでしょうか?」
「イリスに『
彼女を壁際に立たせて,僕は言った。
「────ひゃ、はいっ!」
イリスの顔が、真っ赤になった。
「目的は2つ。イリスにも、このスキルの使い方を覚えて欲しいってこと。もうひとつは、イリスにも僕が描いた地図の画像を送って、トレースしてもらうため。あの地図を実際に書いたのは僕とリタ、イリスの3人だ。イリスなら細かいところまで覚えてると思うけど、どうかな?」
「……ひゃ、はい……おにいひゃん……おぼえてます」
イリスは僕を見上げながら、こくこくこくっ、とうなずいた。
「送った地図のデータは、イリスが『幻想空間』で机の上に投影して。あとは、みんなでそれを紙の上になぞってくれればいい。わかる?」
「わ、わかりました」
イリスは廊下の壁に寄りかかって、目を閉じた。
「昼間から……というのは恥ずかしいのですが……お兄ちゃんの魔力……ください………………いえ……ほしい…………んっ」
僕はイリスの唇に触れて、魔力を送り込んだ。
『意識共有・改』を起動すると、イリスがこくん、と喉を鳴らした。彼女の細い指が流れ込んだ魔力をなぞるように、喉から、胸へ。胸からお腹へと動いてる。唇をはなすと、イリスは──はふぅ……って、熱い息を吐いた。
「……ごほうびを、いただいてしまいました」
「それはまだだよ。この仕事が終わったら、みんなで『癒やし系イベント』に行くことになってるんだから」
「はい! 保養地名物のあれですね!」
「うん。海を見ながら汗を流すやつ」
「……お兄ちゃんは本当に、奴隷の『ふくりこうせい?』にこだわるのですね」
「単純に、僕がお風呂好きってだけだけど」
「ふふっ。そういうことにしておきましょう」
イリスは鱗のついたチョーカーを撫でて、照れくさそうに笑った。
「それでは、イリスはみなさんと一緒にお仕事をしましょう。お兄ちゃんも、無理はしないでくださいね」
イリスはスカートをひるがえし、くるり、と一回転。
その裾をつまんで、再び、僕に向かって深々と頭を下げる。
「無理はしない。それがイリスがご主人様から学んだことでしょう? お仕事は、明るく楽しく……大好きなみなさんと仲良く……ですよね?」
僕は部屋に戻って、自分の仕事をはじめることにした。
リビングではイリスをリーダーに、セシル、リタ、ラフィリアも作業を始めてるはずだ。アイネには、みんなが適度な休憩を取って、のんびり仕事ができるように、お茶とお菓子の準備をしてもらってる。
こっちは、まずは机の上に、さっき買ってきた大きめの紙を広げて、っと。
そして『意識共有・改』のウィンドウを呼び出す。地図の画像を表示する。送信ログは一番上に。さっき、イリスに送ったのが残ってた。
それを表示させて、ウィンドウを指で動かし、机に広げた紙の上に重ねる。
地面に描いた地図は──うん。読める。自分の手で描いたものだからか。
あとは、紙に重ねた画像を元に、トレースしていけばいい。
ただ、羽根ペンは使い慣れてないから、ゆっくりと慎重に、と。
これがすべての地図の原本になるわけだから、ミスしないように。
「…………ふぅ」
深呼吸して、僕は地図を書き始めた──
「……なぁくん……お昼ができたの……」
ドアの向こうから、アイネの声がした。
あれ? もうお昼?
……時間感覚が吹っ飛んでたよ。
「ありがとう、アイネ。一段落したら食べるから、そこにおいといて」
「そう思って、片手で食べられるサンドイッチと、さめてもおいしいお茶にしておいたの」
「さすがアイネ」
「お姉ちゃんだからね」
ドアの向こうから聞こえるアイネの声は、楽しそうだ。
……いいな、こういうの。
元の世界でもゲーム作りのマッピングとかしていたけど、それとはちょっと違う。
ブラックバイトしてたときとも、やっぱり違う。
なんだろう。すごく落ち着く。
これがお金になるかどうかなんて、まだわからないのに。
不思議なくらい「ちゃんと仕事をしてる」気分になってる。
「ありがと、アイネ。ちゃんと食べるよ」
「無理しちゃだめなの」
ドアを、ととん、とノックして、アイネは言った。
「お姉ちゃんは、なぁくんの肩こりはすぐにわかっちゃうんだからね?」
「了解。あと、みんなが無理しないように、アイネが見てて」
「わかったの」
ドアの向こうで、アイネがうなずく気配。
「ちゃんと言うことは聞くの。だけど、そう言ったご主人様が無理しちゃ駄目だからね。無理して倒れたら、アイネが……すごいことするから」
「大丈夫だよ。お姉ちゃん」
僕がそう答えると、アイネの足音は去って行った。
すごいことってなんだろう。
………………………………よし。もうちょっとがんばろう。
僕はアイネが持って来てくれたお茶だけ飲んで、作業を再開。
地形をほとんど書き終えたところで、お昼にした。
羽根ペンの使い方にも慣れて来た。
パソコンみたいに、
集中しよう。
これも『働かないで生きる』ための、手段のひとつだからね。
地図作り。上手く行くといいな────。
そうして時間は飛ぶように過ぎて──窓の外が真っ暗になるころ、地図のトレースは終わった。
「ん────っ!」
身体がばきばきに固くなってる。
できあがった地図は『意識共有・改』と、記憶にある飛竜ガルフェからの証言に基づいて作った、いわばヴァージョン1.1。細かいところを修正して、最後にもう一度『意識共有・改』のウィンドウと照らし合わせて──よし、問題なし。
元の世界でゲーム用に作った地図とは比較にならないほどおおざっぱだ。たとえて言うなら、元の世界の画像は3000万色利用の4Kで、こっちの地図は白黒2階調の線画、って感じ。
それでもこの世界の地図とくらべれば、いいものになったと思う。方向も、縮尺も、できるだけ正確に作ったつもりだ。これを見れば現在、どのあたりにいるかわかる。クエストもかなり楽にこなせるはずだ。
……宿屋待機させられてる冒険者のひとたちにあげたいくらい。
元の世界の地図に比べるといまいちなのはしょうがない。手書きだと限界があるから。パソコンでスキャンして修正すれば、1ピクセル単位で調整を…………いや、それをやると終わらないか。
最後に、ラフィリアが教えてくれた『古代エルフ魔法陣』の欠けた部分を、再確認。
場所は保養地ミシュリラの敷地のすぐ外。小高い岩山があるあたりだ。
明日は1日お休みにして、夕方に「癒やしイベント」を入れよう。
『魔法陣の欠けた部分』に行くのは、そのあとだ。
僕はペンを置いて、部屋を出た。
そういえば、やけに静かだな。
集中してたから、音にはまったく気づかなかったんだけど……。
しゅるん
そんなことを考えてたら──『意識共有・改』のウィンドウに新規メッセージが現れた。
『送信者:いりす
受信者:おにぃちゃ
本文:いりすたちのほうわ、おわりまた。みなさん、がんばりま、た……』
僕がリビングに入ると──
机の上には、できあがった『港町イルガファ周辺地図』があった。
まわりでは、セシル、リタ、イリス、ラフィリアが寝転がってた。
アイネは優しいお母さん──もとい、お姉ちゃんの顔で、みんなに毛布をかけてあげてる。
「……おつかれさま」
「おつかれさま、なぁくん」
そう言ってアイネは、しーっ、と、唇に指を当てた。
「みんなが起きたら、ほめてあげてね?」
アイネの言葉に、僕はだまってうなずいた。
地図は、僕が作ったオリジナルに比べれば簡略化されてるけど、いい出来だった。
この別荘に置いてあった地図にはない村も、森も、岩山も正確に記してある。
範囲は港町イルガファから、翼の町シャルカと、街道の分岐点まで。
試作品としては十分だ。
「……この地図に領主さんが、価値を見いだしてくれるといいんだけどな」
「だいじょうぶなの」
「そうかなぁ」
「アイネだって、こんなわかりやすい地図、見たことないもの」
これで駄目だったら、イリスのお父さんにオリジナルのレプリカ(『霧の谷』『天竜封印の地』を抜いた地図)を見せて交渉しよう。
できるだけ報酬につなげて、働く時間を減らせるように。
まぁ、それも先の話だし、打った手が100パーセント上手く行くとは限らないから──
みんなが今日働いた分の報酬は、ご主人様の方で準備しとこう。
というわけで『癒やしイベント』を開始します。
次の日の夕方。
僕たちは商人ドルゴールさんが予約してくれた、保養地の療養施設に来ていた。
この町に昔からある、身体を癒やすための施設だ。料金さえ払えば、庶民でも貴族でも、奴隷でもデミヒューマンでも使うことができるそうだ。
ドルゴールさんの話によると、ここは蒸し風呂で有名らしい。
部屋の中に焼けた石を置いて、それに水をかけることで蒸気を発生させ、部屋をサウナ状態にする。ほどよく汗をかいたところで、清めの効果があるという薬草の枝で身体を叩く。暑さに我慢できなくなったら、部屋を出て水で身体を流す。それを繰り返すことで、身体の緊張も解けて、お肌もすべすべになるらしい。元の世界風に言うと『薬草マッサージ付きサウナ』だ。
前にちょっと話を聞いたとき、僕もぜひ使ってみたいと思ってた。楽しみだな。伝統的サウナ。
「イリスさまと、その護衛の方々をご案内できるなんて光栄です」
僕たちを案内してくれたのは、ドルゴールさんの娘さんだった。
名前はホリアさん。アイネより少し年上の、おっとりした感じの女性だ。
「護衛の方──ソウマさまのご依頼により、一番よい部屋を予約させていただきました。イリスさまも、皆様も、ご一緒にくつろいでいただけると思いますよ」
「……いっしょ、に?」
ホリアさんの言葉を聞いて、リタがぽつり、とつぶやく。
それを聞いた他のみんなの顔が、はっとなった。
全員、一斉に僕の方を見てる。
いやいや、僕はここではイリスの護衛扱いだから。こっち見るのおかしいから。ホリアさん不思議そうな顔してるから。
特にイリス、ぽーっとした顔で指をくわえるのやめなさい。
「雇い主と護衛仲間のためにクエストの報酬を使われるなんて、ソウマさまは素敵な護衛ですね。イリスさま」
「も、もちろんでしゅっ!」
あ、噛んだ。
「……もちろんでしょう。おにいちゃ──いえ、ソウマ=ナギさんは、このイリス=ハフェウメアが世界で一番信頼するお方なのですから」
「まぁ、イリスさまってば可愛い。まるで恋する乙女のよう」
ホリアさんは両手をぽん、と叩いて、笑ったみたいだった。
「まだ12歳ですものね。大人の男性に憧れるのもわかりますわ」
「…………いりすははやくおとなになりたいです……」
イリスはぽつり、とつぶやいて、真横を向いた。
ホリアさんはそのまま施設の受付へ。
カウンターの向こうにいる男性に声をかけると──顔色が変わった。
「部屋がない!? そんな! 父の名前で予約して、代金もお支払いしたはずでは!?」
「……王子様のお助けする子爵家のご令嬢と、上位ランクのパーティの予約が入られたのです。ご理解ください」
受付の男性があごで、入り口の方を示した。
僕たちがそれにつられて目をやると──そこには。
金色の糸で刺繍がほどこされた、豪華なドレスを着た少女と、それを取り囲むように立つ、5人の男女がいた。
ドレスの少女が、こっちを見た。
彼女は僕たちをさげすむように鼻を鳴らして、一言、
「冒険者はすべて宿屋待機を命じたはず。それに逆らうとは、いかなる所存か」
甲高い声で、そう言ったのだった。
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