第100話「番外編その10『セシルとレギィと、ないしょの拘束具』」

 びりっ。


「……あ、やっちゃいました」


 布がやぶける音がして、わたしは服をつまみます。


 奴隷服の裾の部分が裂けちゃってます。


 柱から出てた釘にひっかけちゃったみたいです。


「どしたの、セシル」


「はい。ちょっと奴隷服が破けちゃって……」


 リビングで資料を読んでいたナギさまが立ち上がり、わたしの方にいらっしゃいます。


 わたしの奴隷服の裾は、大きく裂けて、腰のあたりまで肌が見えてます……恥ずかしいです。


「すいませんナギさま。お見苦しいところを」


「別に見苦しいってことはないだろ」


 ナギさまは、わたしの好きな、ちょっと困ったような顔で言いました。


 よかったです。ナギさま、肌が見えてることに気づいてな──


「むしろぎりぎり肌が見えるのがいい感じだから」


 気づいてました!


「だから、僕はまったく気にしない」


「わたしが恥ずかしいですっ!」


 ナギさまがよろこんでくださるならこのままでもいいですけど……。


 でも、だらしない格好をしていたら、ナギさまに失礼ですから。


「アイネさんに針と糸を借りて、つくろっておきます」


「そういえばセシルって、普段は奴隷服を着てるよね」


「はい。『見習い魔法使いの衣』はクエスト専用にしてます」


「だったら、せっかくのお休みなんだから、別の服を買いにいこうよ」


「い、いいです。わたしは……この服で」


「奴隷の福利厚生ふくりこうせいを考えるのは、ご主人様の義務だろ」


 ナギさまはときどき、よくわからない言葉を使われます。


『ふくりこうせい?』ってなんでしょう。


 ナギさまがこだわるくらいですから、異世界の重要な儀式でしょうか。


 今度教えていただいて、わたしもナギさまに『ふくりこうせい?』してさしあげないと。


「それに、他のみんなは普通の服を着てるのに、セシルだけ奴隷服ってわけにもいかないだろ」


「わ、わたしはこれでいいです」


 奴隷服は、そんなに生地が丈夫じゃないです。今だって、あちこちほつれてます。


「……でもこれは、ナギさまと初めて出会ったときに、着ていたものですから」


 ナギさまが「あ、そういえば」ってうなずいています。


 思い出してくださったみたいです。


 わたしが王都にいたときの奴隷屋さん。


 あそこで、この服を着ていたわたしを、ナギさまは見つけてくれました。


 それからふたりで旅にでて、リタさんと出会って、メテカルの町で冒険者をはじめて──わたしはこの服を着て、ナギさまの隣にいました。ナギさまと一緒にいる間、この服を着ていた時間が、一番長いです。


 これはただの奴隷服じゃないんです。


 セシル=ファロットが、ソウマ=ナギさまのものになった証のようなものなんです。


 だから、どうしてもこだわりがあるんです。


「それに、ナギさまはこの姿のわたしを、一番長い時間見ていてくださってます。一番覚えててくださるはずです。そしたら……もしも……もしも」


 考えたくない可能性、ですけど。


「ナギさまと、わたしがはぐれても、この服を着てれば、見つけやすいんじゃないかなって、思います」


「え? はぐれたら『奴隷召喚サモニングスレイブLV1』を使うけど」


「はぅっ!」


 そうでした。


 ナギさまは、わたしたち奴隷を呼び出せるスキルを持ってるんでした。


「そもそも、僕とセシルが離ればなれになるシチュエーションってのが、あんまり想像できない」


「クエストとか。あるいは、難しいお仕事、とか……」


「セシルと離ればなれになるようなクエストは受けないよ」


「はぅぅあっ!」


「戦闘能力の低い僕には、セシルの魔法のサポートが必要になる。セシルの知識や助言も、僕を助けてくれてる。だから、お互いの居場所がわからなくなるようなところには行かない。というわけで、僕とセシルが離ればなれになるシチュエーションは考える必要なし。

 そもそも、服が変わったくらいで僕がセシルを見つけられなくなることはない。いつも側で、銀色の髪と褐色の肌を、自分でも気づかないうちに見ちゃってるんだから。セシルのぜんぶは脳内に焼き付いてる。はい、論破……って、セシル。あれ?」


「……ぷしゅー」


 かお、あついです。


 からだ、ぽかぽかします。


 なにかナギさまがおっしゃってますけど、頭に入ってきません。


 声が耳からまっすぐ、胸と、おなかに降りて、わたしの全部を熱くしちゃってます。


 わたしより、少し高いところにある、ナギさまの顔。


 それが心配そうにわたしの顔をのぞきこんで、優しい手が、額に触れてます。


 ……わたし、いけない子になりそうです。


 ご主人様の言葉にはきちんと答えないと。ぽーっと、ときめいていてばかりではいけないです。


「み、見つけてくださるにしても、奴隷服のときより遅くなるかもしれないじゃないですか」


 わたしは反論をこころみます。


「た、たとえば、十秒? いえ、五秒? ナギさまと離れている時間が長くなるのはいやです」


「十秒くらい我慢しようよ」


「その間、ナギさまがわたしにとって大切なお言葉をくださってたらどうするんですか」


「大切な言葉?」


「た、たとえば『セシルは僕にとって大切な奴隷だ』とか……」


 わーわーわーわーっ!


 わ、わたし、なにを言ってるんですか!?


 頭がぽっぽして、言葉が暴走しちゃってます。こんなこといったら、ナギさまに呆れられてーー


「え? もちろんセシルは僕にとって大切な奴隷だけど?」


「はぅあっわわわあっ!」


 どっくん。


 わたしの中で心臓が跳ねました。


「いや、大切な言葉を聞き忘れたら嫌だっていうから、今のうちに言っとこうかと思って」


「ちょ、待ってくださいナギさま……いま、だめ……」


「僕にはセシルが必要で、側にいてくれないと困る。この世界で僕が生きて行くにはセシルと、みんなの力が必要で、ご主人様だけど、ちゃんとブラックじゃない雇い主になってるか、いつも心配してる。でもセシルがちゃんとついてきてくれるから、安心して僕は指示が出せるんだ。

 そういう意味では、僕がセシルを見失うってことは絶対にないわけで、きれいな褐色の肌も、長い耳も、僕にとってはこの世界で生きていくための目印でー」


「すぎました! 十秒とっくにすぎました! もうやめてくださいナギさまぁああああああああ」


 心臓がばっくんばっくんいってます。


 身体が熱くて溶けちゃいそうです。


『再構築』していただいているときとは違って、魂がゆさぶられてるみたい。ここちよくて、せつなくて。ナギさまってば……『魔族』の弱点を攻めすぎです……。


 困るのは、ナギさまがたぶん今の言葉を、本気でおっしゃってることです。


 ご主人様は、ご自分が本当に奴隷のわたしたちに助けられていると思ってらっしゃいます。


 本当は、わたしを救ってくれたのはナギさまなのに。


「ずるいですナギさま。わたしの弱いところ、全部わかってて攻めてきてます……」


「嘘は一言も言ってないけど」


「わかります。わかるからこんなになっちゃってるんです。どきどき、ふわふわ……ああもう。奴隷をこんなにどきどきさせてどうするんですか、ナギさま。新たな奴隷虐待方法でも開発するつもりなんですか!?」


「それはさておき」


「さておかないでください!」


「そういうわけだから、これから服を買いにいこう」


「…………わかりました」


 考えてみれば、わたしがナギさまに勝てるわけがなかったのです。


 ナギさまとはじめて出会って、手をつないで歩き出したときから、わたしはナギさまのもので、身体と心と、魂だけでお仕えすることを決めています。


 そのナギさまに優しいことを言われた時点で、わたしの敗北は確定していたのでした。


「今着てる奴隷服だって捨てるわけじゃないから。思い出に残るようにしたいなら別のことを──」


「そこで我に考えがあるのじゃ──っ!」


 ぽんっ!


 ──って音がして、壁にかけておいた黒い剣から、赤い髪の女の子が飛び出しました。


 その女の子は、赤いツインテールを、くるん、と揺らして一回転。


 しゅたっ、と、わたしとナギさまの間に降り立ちます。


 わたしは思わず拍手します。


 この方は、ナギさまの愛剣、魔剣のレギィさん。


 100年以上を生きた魔法の剣で、ナギさまの奴隷です。


「魔族娘は、主さまとの思い出を大切にしたい。主さまは、魔族娘に新しい服を買ってやりたい。どちらの願いも叶える方法があるぞっ!」


「「それは?」」


「簡単じゃ。思い出になるように、主さまと魔族娘が、らぶらぶな感じで手をつないで、服を買いに行けばいいのじゃよ。そうして買った服なら思い出深いじゃろうし、主さまにとっても印象に残るものになるであろう?」


「なるほど」


 なるほどじゃないですーっ!


 わたしは心の中で叫びます。


 そんな恐れ多いことできません。


 それに、今、わたしの魂はじんじん震えてます。ナギさまと共鳴しすぎて怖いくらいです。それなのに仲良く手をつないでおでかけなんかしたら、幸せすぎて──


「わたし、明日死んじゃうんでしょうか」


「死なないから。服を買いに行くだけだから!」


 そういって、ナギさまはわたしの手を握ってくれました。


 はじめてのときと、おんなじです。


 ナギさまは、こわれものに触れるように、わたしの指に触れて。


 それから、それから呼吸を合わせるように、わたしと一緒に、手を握りあいます。


「レギィもつきあってくれるか? 僕だけじゃ、どんな服がいいかわからないし」


「ふっ! しょうがないの! 本当に主さまは我を頼りにしておるのじゃな!」


「うん。してる」


「わたしも頼りにしてます。レギィさん」


 これは本当のことです。


 魔剣のレギィさんが一緒だから、わたしはナギさまやリタさんが戦うところを、おとなしく見ていられるんです。


 そうじゃなかったらわたしが最前線に出て、魔力と身体がこわれるまで、古代語魔法を連発してます。


「……いつの間にか我の扱いがうまくなりすぎじゃろう!」


 でも、レギィさんの顔は真っ赤になってます。


 ちょっとえっちだけど、頼れるわたしたちの仲間のレギィさん。わたしも大好きです。


「と、特に主さま。ふわふわするから頭をなでるなーっ。いつ隙を見るのがそんなにうまくなったのじゃ!」


「ナギさまですから」


「それで済ますな魔族娘──っ」


 そんなわけで、ナギさまとわたしとレギィさんは、一緒に服を見に行くことになったのでした。 






「そういえば、わたし、ナギさまにお聞きしたいことがあったんです」


 ナギさまと手をつないで歩きながら、わたしは言いました。


 今は真昼どき。


 日差しの強い保養地の道を、わたしたちは服屋さんに向かって歩いてます。


 ナギさまとつないだ手は、少し汗ばんでいて、でもそれが心地よくて。


 照れくさくなっちゃったので、わたしは前から気になっていたことを聞くことにしたのでした。




「ナギさまって、いつの間にか世界を救ってませんか?」




「……いきなりなにを言い出しますかセシルさん」


 ナギさまは、目をまんまるにしています。


「あのね、僕は勇者でもなんでもない、ただの初心者冒険者だよ」


「そうじゃぞ。主さまは王になるよりも、奴隷を愛することを選んだお方じゃ」


「わかります。大好きです」


「そういう話じゃない」


 そういう話でもいいんですけど。


「僕は、そもそも王様からの使命を拒否しちゃってるし、魔物ともあんまり戦ってないのに、なんで世界を救っとかいう話になるんだよ。セシル」


 ナギさまは、あきれたようにわたしを見ました。


「だって、ナギさまは『天竜の魔力』を解放されましたよね?」


「したよ? だって、そうしないとシロが悪夢を見続けることになるから。そういうのって嫌だろ。一応、僕を『おとーさん』って呼んだ女の子なんだから」


「でも、『天竜の魔力』が解放されたことで、怒りがとけて、凶暴化してた魔物がおとなしくなったんですよね? ということは、戦いで怪我をしたり、死んじゃったりする人が少なくなるわけですよね? もしも凶暴化が長引いてたら、魔物の軍勢との戦いになっちゃってたんですから」


「……それだけで世界を救ったってのはどうかなぁ」


「イリスさんのことだってそうです。『海竜の祭り』が失敗してたら、海竜ケルカトルさんの加護がなくなって、港町イルガファはおかしくなってたはずです。結果として、物流も止まっちゃって、この保養地や魔法実験都市にも物がいかなくなってたかもしれません。飢餓とか、下手をしたら食料をめぐって争いが起こってた可能性だってあります」


「いや、イルガファの流通が止まったら、他の港町が仕事をするだけだろ?」


「その切り替えにだって時間がかかるじゃないですか」


「まぁ、確かに」


「それに、シロさんのことだってそうです。もしもシロさんがあのまま成長してたら、人間やデミヒューマンを嫌いになってたかもしれないです。天竜が闇に堕ちて、人を害する魔竜になってたら、どんな災害が起こってたかわかりません。ナギさまは、それを事前に防がれたんですよ!?」


 わたしは一気に話し終えました。


 ナギさまは少し首をかしげて、考え込んでいるようです。


「確かにそうじゃ!」


 レギィさんが、ぽん、と手をたたきました。


「我も気づかなかった。主さまは、世界の災いを事前に防いでおったのじゃな!」


「そうです。さすがナギさまです!」


「英雄じゃ! 伝説となる英雄がここにおったとは!」


「領地をいただいてもいいくらいです!」


「それじゃ。奴隷の皆で交渉しに行くとしよう。国王は危険じゃから、上位の貴族と接触して、事情を話すか!」


「広い世の中、話のわかる貴族さんもいるかもしれません!」


 わたしとレギィさんは手を握って、思わずぴょんぴょんします。


「あのねぇ、ふたりとも。世界を救うってのはそういうことじゃないだろ?」


 そんなわたしたちを見て、ナギさまは困ったように言いました。


「世界を救う勇者ってのは、伝説の武器を持って、魔物を倒して、そして魔王の城にたどり着いて、幾多の困難を乗り越えながら姫君なんかに愛されて、でもって魔王を討ち果たして『勇者さまばんざーい』って拍手喝采を浴びたりするもんだろ? 僕はただ、したいことしてただけじゃないか」


「でも『霧の谷』を攻略して『天竜シロさんの卵』を手に入れましたよね?」


「あれはラフィリアの正体をつきとめるついでだろ?」


「『シロさん』を人の味方にできたのは……?」


「あれはリタとアイネのお手柄。ふたりがシロの『おかーさん』になってくれたから」


「イリスさんのことは……」


「ブラック労働させられてるのを救いたかった。というか、友だちだからね」


 そうなんですけど……。


 ナギさまはいつもそうです。


 すごいことをされているのに、全然いばったり、自慢したりしないです。


 そういうところを見ると、ついつい「ナギさまのことを自慢したい」って思っちゃう自分の小ささに、落ち込んでしまうのです。


「まぁ、わかりあえる貴族を見つける、ってのはいいアイディアだと思うよ」


 そんなわたしの髪を、ナギさまはなででくださいます。


「レティシアみたいな貴族もいるから、もしかしたら上位の貴族で、僕たちの味方になってくれる人もいるかもしれない。そうなったら楽だよね」


「はいっ!」「そうじゃな」


 そうなったら素敵です。


 ナギさまを認めて、それに応じた支援をしてくれる、貴族さん。


 そんな方がいたら、ナギさまの夢に一気に近づきますよね?


「そういえば、僕もふたりに……正確には奴隷のみんなに聞きたいことがあったんだ」


 しばらく歩いてから、ナギさまは言いました。


「はい」「なんじゃ?」




「現在の業務内容に不満はない?」




 …………え?


『ぎょうむないよう?』って、お仕事のことですよね?


 不満?


 すいませんちょっとなにをおっしゃってるのかわからないです。


「あと、福利厚生とか、休暇とか、業務用の設備投資──この場合は『装備投資』か──そういうのが足りないとか」


「『ふくりこうせい?』って、ナギさまが一番こだわってることですよね……?」


 奴隷をしあわせにすることだって聞いてますけど……。


 わたし……これ以上しあわせになっちゃうんですか?


 でも、これ以上、ナギさまのことを考えるようになったら、わたし、歯止めがきかなくなっちゃいますよ?


「僕はまだ、この世界のご主人様になったばっかりだから、ちゃんと職場の環境を作れてないかもしれない。だから、不満があったら言って欲しいんだ。ブラックなご主人様にならないためにも……って、あれ? わかりにくかった?」


「そ、そうじゃなくて、ですね」


 心臓が止まっちゃうかと思いました。


 ナギさまは、ときどきわたしの知らない言葉を使われます。


 そんな時、わたしはナギさまとの距離を感じて、さみしくなります。


 どうしてわたしは、ナギさまと同じ世界に生まれなかったんでしょう。


「ナギさまは、どうしてわたしが今の状況に不満がある、って思われたんですか?」


「え? だって、働かせてるし」


「働きますよ! 働かせてください!」


「戦闘させちゃってるだろ?」


「当たり前です! わたしたち、冒険者なんですから!」


「だってさ、今のところ、目指す職場環境をまだ満たしてるとは言えないんだよなぁ」


「『働かなくても生きられる生活』ですか? それはしょうがないと思います」


「そう。だけど今のところ、労働条件がいまいちなんだよなぁ」


 ナギさまは、はぁ、とため息をついてから、


「せいぜい住居支給、食事支給、装備貸与、拘束時間はクエスト時のみに制限してるだけ。行き先を言ってくれれば自由行動も可能にしてるけど、そんなの当たり前のことだし。

 クエストはできるだけ短時間でできるものを選んでる。最長でも10時から4時までの間。長さは6時間以内。どうしても長くなる時は休憩をたくさん取って、臨時にクエストを入れる場合は前後に休みを入れてるけど、それでいいのかって思うし。

 クエストの報酬は、みんなで話し合って決めた生活費を共通の財布に入れて、あとは山分けってのも別にたいしたことじゃない。

 他のメリットとしては、申請すれば休みを無条件でとれることにしてるくらいだから──奴隷の扱いとしては、不満があるんじゃないかと」


「……ナギさまはこの世界の『奴隷』の概念を壊しにいらしたんですか?」


 本当に、もう。


「その条件で文句がある奴隷なんかいるわけないです!」


「そうなの?」


「普通、奴隷と一緒に食卓を囲むご主人様もいませんし、一緒にお洗濯をしてくださるご主人様もいません! ご主人様が通るときは廊下の端に立ったり、同じお部屋にいるときは座っちゃいけない奴隷もいるんです!」


「なにそれ。ひとりで食事しろとか。みんなが突っ立ってるところでくつろげとか。むちゃくちゃさみしいんですけど。それってご主人様への罰ゲーム?」


「ナギさまがおかしなことを言うからです」


 わたしはナギさまの目を見つめて、答えます。


「わ、わたしは、今のお仕事に満足してます。ナギさまと一緒に……みなさんと、こうして暮らせるだけで幸せです」


「我もそうじゃよ。魔剣として召喚された我が、こんなふうに手をつないでおでかけとか、したことないもの」


 レギィさんも同じ気持ちみたいです。


 わたしたちは手をつないで、大好きなご主人様の顔を見つめています。


「うーん。でも、この仕事の将来性とか、安定性とかを考えると。もうちょっと福利厚生を……」


 でも、ナギさまは納得されてないみたいで──


 気がつくとわたしは、ぎゅ、と、ナギさまの腕を抱きしめていました。


『見習い魔法使いの衣』を通して、ナギさまの体温が伝わってきます。わたしの身体はぽかぽか熱くて、ナギさまに気づかれてないか気になります。


『能力再構築』を使うと、ナギさまにはわたしのすべてがわかっちゃいます。体温も、呼吸も、鼓動も──わたしが、どこに触れて欲しがってるかも。


「そ、そんなに『ふくりこうせい?』にこだわらないでください」


 だから、わたしはナギさまを抱きしめる腕に力を込めます。


 わたしの半分──100分の1でも、ナギさまがわたしに、どきどきしてくれるように。


「ナギさまがそれで無茶したら、なんにもならないんですから」


「わかってるよ」


「ナギさまが死んだら、わたしも死にますから。ナギさまのいない世界で生き延びるつもりはないですから!」


「我は生き延びるつもりじゃけどな」


 そうなんですか、レギィさん?


「そして、あることないこと言いふらすのじゃ! 昼間から奴隷を全裸ではべらせ、酒池肉林の限りを尽くしておったと! そうじゃ、主さまが無茶しようとしたら、それを現実にしてしまえ。そうすれば我のこの脅迫を思い出すじゃろうよ! やれい、セシルよ!」


 あ、レギィさん、わたしを『セシル』って呼んでくれました。


 こちらを見て、にやりと笑ってます。


 すぐに無茶するご主人様をお助けする奴隷として、仲間意識がめばえたみたいです。


「いいですか。無茶しようとしたらわ、わたし、ナギさまの側ではだかになって『しゅちにくりん?』させちゃいますからね! 悪評が残りますからね! ナ、ナギさまと同じ世界のひとが聞きつけて、噂になっちゃうかもしれないですよ!」


「わかったって」


 ナギさまは、わたしとレギィさんの頭をなでてくださいます。


 そうするとわたしはすぐに心が、ふわり、とやわらかくなって、こわいのも、怒ってるのも、どこかに行っちゃいます。ご主人様、ずるいです。


「無茶はしないよ。できないことはしない。無理もしない、ってのがうちのパーティのモットーだから」


「はいっ!」「じゃなっ!」


 わたしとレギィさんは声をそろえて答えます。


 そしてわたしたちはまた、手をつないで、服屋さんに向かうのでした。








「ふむ。予算と、褐色ちびっこ娘の体型から考えると、候補は……そうじゃな」


 実はレギィさんは、服や装飾品には詳しいそうです。


 ずっと、王様の宝剣として、宝物庫や王様の部屋にいたから、お姫様や王妃様の服をみる機会が多くて。それで服の善し悪しは簡単にわかっちゃうそうです。


 ナギさまいわく「ふっかけてきた」店主さんをにらみつけて、レギィさんが選んだのは3着の服でした。


 ひとつは丈の短いワンピース。


 もうひとつは、上が丈の短いシャツで、下は短いズボンのようになっているもの。


 最後のひとつは、子供向けのメイド服でした。


「さてと、主さまはどれがお気に入りかのぅ」


 レギィさんはにやにやしながら、ナギさまとわたしを見ています。


「もっとも普通にかわいいのが、このワンピースタイプじゃ。袖が短いので、脇が見えそうで見えないのがポイントじゃな。下がショートパンツになっているものは、それぞれ別に脱がせるという楽しみがある。メイド服は……すでにメイドがひとりおるからおすすめはせぬが、並べて楽しむのもありじゃろう」


「僕の意見を聞いてどうするんだよ。セシルの好みのほうが大事だろ」


「あ、はい。でも、実は、服を買うのってはじめてなので……」


 両親と一緒だったときは、服はお手製のものを着てました。


 だから、お店やさんで服を買うのなんて、これがはじめてです。


「試着はできますか?」


「……え、ええ。構いませんよ。奥の部屋をお使いください」


 ナギさまのお言葉に、店主さんは快くうなずいています。


 店主さんの手の隙間から、銅貨が数枚はみ出してます。ナギさまってば、いつの間に……。


「じゃあ、試しに着てみますね」


「我もつきあおう。楽しみにしているがいい。主さま!」


 そうしてわたしとレギィさんは、奥の部屋に入っていきました。





「……ナギさまのお好きな服はどれでしょう……」


 3枚の服を前に、わたしは悩んでいました。


「レギィさんは、わたしがどんな姿でいれば、ナギさまが喜ぶと思いますか」


「男の子じゃもの。全裸に決まっておるじゃろう」


 ……あぅ。


 レギィさん、真面目な顔で言わないでください。


「じゃが、安易に全裸に走ってはいかぬ。それまでの経過が大切なのじゃ」


「経過、ですか?」


「さよう。常に全裸で暮らしているものが、同じ格好で迫ったところでときめくまい。普段は肌を服で隠し、いざというときに、主さまの前でのみ肌をさらすからこそ価値があるのじゃ」


「な、なるほどぉ!」


 さすがレギィさんです。100年を生きた魔剣さんです。


「じゃ、じゃあ、そのために一番いいのは……?」


「ふっ。我が答えを言ってもお主のためにはならぬ!」


 レギィさんは、なぜか視線を逸らしました。あれ?


「ここから先は、お主自身の手で確かめるがいい!」


「はいっ!」


 そうです。これはわたしが、ナギさまのお心によりそうための機会です。


 レギィさんに頼りっぱなしじゃいけないです。


「ナギさまになった気持ちで……考えましょう」


 まず、ナギさまは実用性を一番に考える方です。


 わたしはナギさまを守る立場ですから、動きやすい服でなければいけません。


 そういう意味では、このワンピースはだめです。スカートの部分が長すぎます。


 動きをじゃましてしまうかもしれません。


 そのせいでナギさまになにかあったら、とりかえしがつきません。


「このワンピースは……だめですね」


「ふむ」


 レギィさんは目をそらしたままうなずきます。


 たぶん、正解だったのでしょう。


「次に、すぐに着ることができる服でなければいけません」


 わたしは真夜中、服を脱いで体操をするくせがありますから。


 そんな時、ナギさまがピンチになっても、すぐに駆けつけることができなければいけません。


 そういう意味では、上下分かれているこのショートパンツは駄目です。すっぽり身体を通す服と違って、着るのにひと手間かかります。


「このショートパンツも、やめておいた方がいいですね」


「わかっておるの、セシルよ」


 レギィさんは親指を、ぐっ、と立てました。わたしも同じ動作を返します。


 最後に、メイド服です。


 これはアイネさんがいつも着ているもので、わたしも、かっこいいと思っています。


 けれど、これは袖が長すぎます。肌からの魔力吸収の邪魔になります。


 わたしたち魔族の魔力が強いのは、世界から魔力を吸収しやすい体質になっているからです。腕が隠れてしまったら意味がないです。それに、長いソックスもだめです。


「というわけで、メイド服もいまいちで──」


「ちょっと待てセシルよ」


「……あれ?」


 着られる服がなくなっちゃいました。


 おかしいです。ナギさまはこの中から選ぶようにおっしゃったのに、ナギさまの思考に寄り添ったら、なにも着られなくなってしまいました。


 どうしましょう。


 すべての条件を満たして、それで、ナギさまが喜んでくれる服はないでしょうか……。


「……あ」


 部屋の隅のテーブルに放り出してある服に、わたしは目をとめます。


 売り物のようです。本日入荷の札がついています。


 あれなら、わたしにぴったりです。


 動きやすくて。


 着やすくて。


 適度に肌があらわになって、魔力を吸収しやすい。


 そして、ナギさまが覚えていてくださる、最高の服。


「これにします。レギィさん」


「……なるほどのぅ」


 その服を手にしたわたしを、レギィさんは呆れたように笑います。


 とってもやさしい笑顔で。


「お主にとっては、結局、それが一番お気に入りなのじゃな」


「はいっ!」


 だからわたしもその服を身体に当てて、笑い返したのでした。







「『じょうとうなどれいふく』……でよかったのか?」


「もちろんです。ナギさま!」




『じょうとうなどれいふく。


 通常の奴隷服より丈夫な布で作られている服。


 仕事がしやすいように袖はなく。動きやすい。


 すぐに着られるようになっている。


 手足もむき出しで、魔力を取り込みやすくなっている。


 胸元のリボンがチャームポイント』




「セシルが満足ならいいんだけどさ。ご主人様としてはもうちょっと『福利厚生』を」


「『ふくりこうせい?』は、充分ですよ。ナギさま」


 わたしはナギさまの顔を見上げて、宣言します。


「だって、わたしのためにたくさん、お時間をいただいたじゃないですか!」


「……そっか」


「はい。そうです。『ふくりこうせい?』おなかいっぱいです!」


 ちょっとだけ勇気を出して、わたしはナギさまの手を、自分のお腹に、当てました。


「今日はありがとうございました。ナギさま」


 そうしてナギさまとわたし、レギィさんは、並んでおうちに向かいます。


「……セシルよ」


 わたしの隣にやってきたレギィさんが、こっそりと耳元にささやきました。


「その服は、もしかして、お主にとってのいましめなのか?」


「わかっちゃいましたか?」


「主さまが聞いたら気を悪くするぞ。『ふくりこうせい?』がわかっとらん、ってな」


「……そのときは、ちゃんと怒られます」


 それもわたしにとっては、ごほうびですから。


 レギィさんの言うとおり、奴隷服は、わたしにとってのいましめでもあります。


 首輪と、奴隷服があれば、わたしがナギさまの奴隷だってことを、忘れずにいられますから。


 よくばりなんです、わたしは。


 ナギさまと一緒にいると、ついつい、もっともっと、ナギさまに触れたい、近づきたい……声を聞きたい……体温を感じたい……って、思っちゃいます。


 奴隷という立場は、それをおさえるためのものでも。


『奴隷服』は、わたしにとって拘束具みたいなものです。


 ナギさまを好きすぎて、なにもかも忘れて、暴走しちゃわないように──。


 だって、ナギさまはちゃんと、わたしを『予約』してくださったんですから。


「めんどくさいのぅ。人も、デミヒューマンも」


 レギィさんは、ふっふーんと、鼻を鳴らします。


「じゃが、それだからこそ、共にありたいと思うよ」


「はい。これからもよろしくお願いします。レギィさん」


「……ふたりでなに内緒話してるんだよ」


 気がつくと、ナギさまが不思議そうにわたしたちを見ていました。


 いけないいけない。


 わたしがよくばりなことは、内緒です。


 知られたら──歯止めがきかなくなっちゃいますから、ね?


「どっちが長く、ナギさまにお仕えできるか、話してました。ね、レギィさん」


「そうじゃよ。まぁ、圧倒的に我に決まっておるがな!」


「そうなんですか?」


「ああ。最終的に主さまは謎アイテムで不老不死となり、愛剣である我をたずさえて、世界の秘密を解き明かす旅に出る予定じゃもの!」


「そんな予定はねぇよ!」


「むぅ。だったら、生まれ変わったわたしも一緒に行きます。世界の果てまでお供します!」


「セシルも、なに言ってるの? 不老不死になる予定とかないから。世界の秘密も興味ないから!」


 ナギさまはわたしと手をつないだまま、困った顔されてます。


 だけど、ここは引くわけにはいきません。


 確かに、ひそかに世界の危機を救ったかもしれないナギさまは、これから神話クラスのなにかを手に入れることもありえます。


 だって、もう『海竜の勇者』と『天竜のおとーさん』の称号を手に入れているのですから。


 ナギさまがどこまで行かれても、ついていけるようにしないと。


「負けませんよ。レギィさん」


「ほほう。ならば勝負じゃ。どちらが長く、主さまと共にあるか」


「うけてたちましょう!」


 そうして100年を生きた魔剣さんと、最後の魔族は、ご主人様を挟んで手をつなぎます。


 まぁ、先のことなんか、わからないんですけどね。


 これは、ただの決意表明です。


 せっかく、新しい服をいただいたんですから。忘れられない思い出になるように。


「ナギさま、お願いがあります」


「いいけど。なに?」


「新しい奴隷服で、ちゃんと動けるかどうか確かめさせてください」


 わたしは思わず、ナギさまに、抱きついていました。


 ぎゅー、って。


 動きやすさ。


 着やすさ。


 魔力の取り入れやすさ。


 それより、もっと大切なことは──ナギさまのぬくもりを、肌で感じることができること。


 奴隷服は、手足がむき出しですから。直接触れ合える面積が多いんです。


 だから……わたしのお気に入りの服だったりします。


「……この策士め」


 レギィさんには気づかれちゃってますけど。


「これって……『福利厚生』?」


「はい。『ふくりこうせい?』です!」


「だったらしょうがないな」


「しょうがないです!」


 わたしはナギさまの顔を見上げて、言います。


「なので奴隷の『ふくりこうせい?』のひとつとして、これから毎日、ナギさまをぎゅーっとする時間を設けることを提案します!」


「それはいいな!」


「よくねぇよ! 『福利厚生』ってのはもっとこう。休暇とか時給とか。ちょっと待った。なんでふたりとも走り出すの?」


「リタさんたちにも提案してみます!」


「奴隷たち全会一致のお願いなら、主さまも聞かざるをえまい!」


 ナギさまの手を引っ張って、わたしたちは走り出します。


 みんなが待つ、おうちへ。


 そして、教えてあげます。今日一日が、どんなに素敵な日だったか。


 みなさんにも同じくらい、いい日がありますように、って。





 奴隷の証の首輪を、ちりん、と鳴らして、わたしはそんなことを思ったのでした。

 

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