第90話「ナギとお姉ちゃんメイドの情報収集。そしてアイネの戦い」

 僕たちが洞窟を出て、保養地ミシュリラの別荘に戻ったのは、次の日の夕方だった。


 帰り道は平和で、敵に出会うこともなかった。


 魔物の姿は何度か見かけたけど、みんな遠くで平伏してた。


 近づいてくるどころか、むしろ見守ってるような感じだった。


 夕べ偵察に出てたリタに、なにかあったのか聞いてみたけど、返事はなかった。


 というか話しかけた瞬間、真っ赤になってうつむいて、「わぅぅっ!」って逃げ出してたから。


 ……昨日のことがあったから、無理に聞くわけにもいかないし。


 でも、リタのおかげってのは間違いなさそうだ。たぶん、だけど。


 敵がこないならそれはそれでいいわけで、僕たちはスムーズに別荘に戻れた。


 クエストの後は野宿っていう強行軍だったせいか、別荘に着いたときには、みんなくたくたで。


 屋台で買ったご飯を食べて、そのまま眠ることにした。


 でも、その前に──




「明日、24時間は労働禁止にします」




 食事を終えたみんなに、僕は言った。


「休暇にするって言ったのに、ぜんぜん休めてなかったからね」


 だから、明日は強制的にお休みだ。


 僕の仲間は基本的にはたらきものだから、むりにでも休ませないと。


 ただし、僕を除く。


 僕自身は情報収集とか、いろいろすることがあるから。


 明日は一人で町を回って、伯爵令嬢や王子様のことを調べてみようと思ってる。


「……で、でも、ナギさま」


「反論は許しません。ご主人様権限を発動します」


「……うぅ」


 セシルも、他のみんなも、なにか言いたそうだったけど。


 でも、この世界に「正しい休暇」を定着させるためにも、ここは譲れない。


「みんな、返事は?」


「「「「「「……はいっ!」」」」」」


 そういうわけで、明日24時間は「働いてはいけない1日」になったのだった。







 ただし、報酬として出かける場合は……その限りではないみたいだ。


「それじゃ一緒に出かけるの。なぁくん」


 僕とアイネは一緒に出かけることになった。


『霧の谷』を攻略するときに約束したから、リタとアイネには「僕と一緒に過ごす時間」をあげるって。


 リタの希望も聞きたかったけど、彼女は今日になっても照れまくってて、部屋から出てこない。


 ……一昨日の夜、お風呂に入ったあとのこと、まだ気にしてるみたいだ。


 いや、僕も覚えてるけど。忘れるつもりもないけど。


「リタ、どうする? 一緒に行く?」


「わぅぅぅ………………まだ、むりぃ…………」


 部屋のドアをノックすると、かすかな声が返ってくる。


 しょうがないなぁ。


 お休みだからね。無理強いするわけにもいかないか。


 そんなわけで、報酬はアイネが優先になり──ふたりで出かけることになったのだった。


「アイネ、今日は『働いてはいけない日』だってわかってるよね?」


「わかってるの。これは、アイネの報酬なの」


「冒険者ギルドに行って情報収集して、町を回って売れ筋商品とかを調べて、あとは周辺地理も……ってのが僕の予定なんだけど」


「いいの。アイネはそれに一緒するだけだもの」


 いいのかなぁ。


 魔剣のレギィでさえ今日はお休みだから、僕は、予備のショートソードを装備してるのに。


「アイネ、以前のワーカホリックが残ってないよね? 働かないと落ち着かないとか?」


「なぁくんは、勘違いをしてるの」


 そう言ってアイネは、メイド服の胸を押さえた。


「なぁくんとご一緒するのは、アイネにとって『魂の休暇』なの」


「……はじめて聞いたよその単語」


「なぁくんと歩いて、お話をするだけで、アイネの魂は安らいでいくの。だから、いいの」


『魂の休暇』か。


 いい言葉だけど、ブラックな企業には悪用されそうだよな。


『休みをください』『魂の休暇をやっただろ』とか。


 でも、アイネは穏やかに笑ってる。


 本人は満足してるみたいだし、僕がアイネを働かせないように気をつければいいか。


「それに、なぁくんと休暇を過ごすのは、みんなにとってもごほうびだよ?」


 そう言ってアイネは廊下の向こうを指さした。


 さっ、ささささっ


 リビング、キッチン、階段の上。


 のぞいていた人影が、さっ、と、姿を隠した。


 銀色の髪と、緑とピンク色の髪。それと、金色の尻尾と、赤いツインテール。


 かすかに見えただけだけど。


「心配しなくていいの」


 アイネは僕の耳元で、小さくささやく。


「今日のアイネは『すべてをかけて働かないようにする』から。ご主人様の命令は、守るの」







 僕たちが最初にやってきたのは、保養地ミシュリラの冒険者ギルド。


 人の出入りが多い場所だから、情報収集にはぴったりだ。


 まずは酒場で飲み物を頼んで、席について。


 僕とアイネはクエストについて話し合うふりをして、まわりの声に耳を澄ませていた。


「……それにしても、混んでるな」


「……混んでるの。びっくり」


 この前来たときとは、様子がぜんぜん違う。


 受付には行列ができてるし、クエストボードの前には人だかりができてる。


 張り出されてるクエストをみる隙間もないくらいだ。


「アイネ、なにか気づいたことはある?」


「このお茶、蒸らす時間が足りないの。葉っぱが開ききってない」


 アイネはカップに口をつけて、渋い顔。


「こんなものをなぁくんに飲ませるなんてできないの。アイネが煎れなおしてくるの!」


「それはどうでもいい。というか、今日は仕事をしない日だろ?」


「……むぅ」


 立ち上がりかけたアイネは、しぶしぶ座りなおした。


「他に気づいたことは?」


「『正規雇用のチャンス』だって、みんな言ってるの」


 やっぱり、アイネもそこに引っかかったか。


 みんな大声で話してるから、僕にもよく聞こえる。


 クエストボードには王家から依頼されたクエストが張り出されていて、そこには普通の報酬の他に、正規兵への登用について書いてあるらしい。




『第8王子クラヴィス殿下じきじきの依頼。成果によっては近衛として正式に雇われる可能性もあり』


『王家直属の魔法使いとしての道も開けるかも』


『やる気のある方を求む』


『二度とないかもしれない、大量採用』


『この機会を見逃すな!』




 ……鳥肌が立ってるのは、元の世界での経験からか。


 こういう条件を見ると、問答無用で『怪しっ』って思ってしまう。特に『正式雇用』『やる気のある方』『二度とないかも』って文字から、怪しい気配が漂ってくる。


 でも、こっちの世界では違うのかな。


 みんな大慌てで、ギルドの人に問い合わせてるし。


「つまりクラヴィス王子依頼の、冒険者を大量に雇うクエストがある、ってことか」


 まわりが大声で話してるから、こうして座ってるだけで、いろんな情報が入ってくる。


「『霧の谷』攻略が中止になったのは、みんな知ってるみたいなの」


 アイネはカップを手に、うんうん、ってうなずいてる。


「……これは勝手に聞こえてくるだけなの。情報収集じゃなくて自然現象なの」


「まぁ、しょうがないよね」


 ずず、ずずず。


 薄いお茶を飲みながら、僕たちはギルドにあふれる声に耳を澄ます。


 聞いた話によると『霧の谷』は自然崩壊したことになってるらしい。


「偶然様子を見に行った」伯爵令嬢がそれを見つけて、クラヴィス王子に伝えた。


 でも、クラヴィス王子は「それがわかっていたように」別のクエストを準備していた。


 それは冒険者を大量に必要とするクエストで、現在、ギルドはそれ目当ての冒険者でにぎわってる。


 もう少し詳しい情報が欲しいけど、クエストボードには近づけない。ギルドの人は対応で手一杯だ。


 手が空いてそうなひとは──


「わっと」「わっち」


 こつん


 不意に、僕の足に細いものがぶつかった。


「申し訳ありません。お客様」「お掃除中だったのです。お客様」


 小さな少女たちが、酒場の床をモップがけしてた。


 身長が僕の胸くらいまでしかない少女たちで、ふたりで一本のモップを持ってる。


「ドワーフの女の子なの」


 アイネが教えてくれる。


 ヒゲはない。ドワーフって、女の子でもヒゲがあるもんだと思ってたけど、この世界では違うらしい。小柄で、ちょっと骨太のデミヒューマンって感じだ。


 この子たち、どこかで見たような……そっか。


『霧の谷』で、前線にたたされてた奴隷たちだ。


 今は首輪はしてない。『主従契約』からは解放されてるみたいだ。よかった。


「あなたたちは……新人の職員さん、ですか?」


「スーラです」「リーラなのです」


 ドワーフの少女たちは、ふたりそろって答えた。


 双子なのか、顔はそっくりだった。髪型は、片方がポニーテールで、もう片方はサイドテール。ちょっと目がつり上がってるのがスーラさん、眠そうな目をしてるのがリーラさん、らしい。


「お優しい伯爵令嬢さまの紹介で」「ここで働くことになりました」


「「どうか、よろしくお願いいたします」」


 ぺこん


 ドワーフの少女たちは、ふたり同時に頭を下げた。


 なるほど。


 ふたりが伯爵令嬢に仕えていたなら、なにか情報を持ってるかもしれない。


 クエストボードのまわりは、まだ大混雑。


 ギルドの職員はクエストの受付であわあわしてる。


 話を聞くなら、彼女たちがちょうどいいな。


「すいません。この子たちと、ちょっと話をさせてもらっていいかな?」


 酒場のウエイトレスさんが回ってきたタイミングで、僕はドワーフの少女たちと話す許可を取った。チップは、ウエイトレスさんとドワーフの少女たち、それぞれ銀貨1枚ずつ。


「この子はギルドに来たばっかりですよ? なにも知らないと思いますけど?」


「故郷の風習で、クエストを受ける前にギルドの職員に話を聞けって言われてるんで。場の空気を知るために」


 とりあえず適当な話をでっち上げてみた。


「こういうのって、やっとかないと気持ちが悪いからね。いいかな?」


 ウェイトレスさんは変な顔をしてたけど、「短時間なら」って許可してくれた。


「君たちは伯爵令嬢カルミナさまに仕えてたのか……」


 僕はドワーフの少女たち、スーラとリーラに目を向けた。


「それは大変だったね。伯爵令嬢は残酷な方だと聞いてるから」


「「そんなことはありません!」」


 少女たちはそろって声を上げた。


「カルミナさまは私たちに仕事を紹介してくださいました」「今回のクエストにだって、出資してくださってます」


「「伯爵令嬢カルミナさまは、良い方に変わられたのです!」」


 探りを入れたら、予想外の反応が返ってきた。


 ってことは、僕が伯爵令嬢と交わした『契約』は効いてるみたいだ。


「悪かった。前にいた町で、伯爵家の悪い話を聞いていたものでね」


 これは嘘じゃない。


 伯爵令嬢の父親、リギルタ伯爵には、アイネがひどい目にあわされてるから。


「カルミナさまが良い方に変わられた、ってことは……今までは?」


「今までのカルミナさまは、焦っていただけなのです」「貴族は、王子様を支援して、争っていますから」


 ドワーフの少女たちは、声をひそめて話しはじめた。


 この国の王子様は、どれだけ成果を上げたかで、成人後の地位と領地が変わってくる。


 そのため王子様にはそれぞれパトロンとなる貴族がついていて、さまざまな援助をしているらしい。貴族たちは自分が支援する王子様が実績を上げて、いい領地をもらえるように願っている。


 クラヴィス王子が『霧の谷』攻略をめざしたのも、実績のため。


 伯爵令嬢カルミナは、家のために王子様を支援している。


 そのために功を焦っていたけれど、今はいいひとに変わっているそうだ。


「今回のクエストは良い伯爵令嬢も出資してるのか? だったら安心かな」


「出資はされてますが、それだけであります」「クエストそのものは、王子様が出されたものです」


「どんなクエストかわかる?」


「朝のおそうじの時に見たのであります」「正義のクエストなのです」


 ドワーフの少女たちは、えっへん、と胸を張った。


「とある廃棄された砦に、魔物が集まっていて」「それを取り戻すための、補助として」


「「冒険者たちが求められているのです!」」


 魔物に古い砦が奪われた……ってことか。


 魔王がいるだけあって、治安が悪いな。やっぱり。


 それを取り戻そうってのは、すごくまともなんだけど。


 確かに砦の攻略なら人手がいるし、魔物退治になれた冒険者が呼ばれるのもわかる。


 今まで見たクエストの中では、びっくりするくらい普通だ。


「それで『大量採用』『正規雇用あり』なわけだ」


「まずは砦の外にいる魔物と戦うのであります」「優秀な方はそこで正規雇用されて正規兵となり、砦に入ります」


「そうでない冒険者は?」


「外で魔物退治の補助をするのであります」「砦に突入するのは、正規兵だけです」


 ……もしかして王子様って、すごくまともな人なのか?


 話だけ聞くと、このクエストは理にかなってる。


 つまり、クエストを受注した冒険者は、その能力によって振り分けられる。


 優秀な者は正規兵として採用されて、危険な砦内部の攻略を行う。


 それほどでもない者は、外から砦攻略の支援を行う。


 ファンタジー世界だから、廃棄された砦を奪われるってこともあるのか。海の向こうには魔王がいて、魔物を率いて戦ってるわけだし。こっちに一軍を送ってきてもおかしくはない。


「優秀な冒険者なら、名を上げるチャンスでもあるよな」


「お客様も」「優秀なのですか?」


 気がつくと、ドワーフ少女リーラとスーラが、目を輝かせて僕を見てた。


「いや、ぜんぜん」


「「そうですか? 強そうに見えますけど」」


「どこが?」


「気配です」「雰囲気なのです」


「優秀だったら、とっくに受付に並んでるよ」


 クエストボードの前は、まだひとだかりができてる。

 第8王子クラヴィスじきじきの依頼となれば、仕事の内容に間違いないだろうし、正規兵や直属の魔法使いにしてもらえれば、生活も安定する。


 正規雇用されなかったとしても『王家依頼のクエストに参加した』ってキャリアは残るから、次の仕事にもつながる。


 みんなやりたがるのも無理ないよな。


「……僕がひねくれてるだけかな」


 鳥肌が立つのも。絶対に受けたくないって思うのも。


「お客様には、なにか研ぎ澄まされたものを感じるのであります」「なので、念のため説明します」


 クエストの開始時期はまだ不明。


 まずは冒険者を規程人数まで集めてから、ということになる。


 拘束されるのは、実質14日間。


 それで砦が攻略できなければ撤退して、再度作戦を練ることになる。


 報酬は4800アルシャ。


 クエストの間は、食事と寝床と武器が支給される。


 神官たちによる回復魔法つき。


 腕を振って、身体をぐるぐる回して、魔法を使うジェスチャーを混ぜて──


 ふたごのドワーフ少女は、丁寧に説明してくれた。


「わかった。ありがとう。時間を取らせて悪かったね」


「アイネもひとつ聞いていい?」


 黙って話を聞いていたアイネが、ふたりに声をかけた。


「あのね、リーラさん、スーラさん。ここのギルドマスターは、お年寄り? それとも若い人?」


 アイネの問いに、ふたごのドワーフ少女は首を横に振った。


「若い人であります」「男の方なのです」


「そう。ありがとう。これはお礼なの」


 そう言ってアイネは、ドワーフ少女たちに銅貨を渡した。


「「またなにかありましたら、遠慮なく声をかけてください」」


 彼女たちは、ぺこん、と頭を下げてから、掃除に戻っていった。


「アイネ、今のはどういう意味?」


 僕は聞いた。


「『庶民ギルド』にいたとき、おじいちゃんと話したことがあるの」


 アイネは薄いお茶を飲み、顔をしかめてカップを置いた。


「保養地の冒険者ギルドマスターはお年寄りで、王家とも繋がりがある、立派な人だったって」


「王家とも繋がり? もしかして、ここが保養地だから」


「そうなの。静養にくる王家のひとたちの依頼を受けたりしてたの」


 メテカルの『庶民ギルド』と、この町のギルドは繋がりがあった。だからアイネは情報を持ってるし、僕たちも『霧の谷』の資料を見せてもらえたわけだけど。


「アイネがその人に会ったとき、言われたの『アイネちゃんがうちの子供だったら、こっちの冒険者ギルドも安心なのに』って」


 アイネが子どもだったら、冒険者ギルドも安心。


 ってことは、そうじゃない今は安心じゃないって意味だから──。


「……それはつまり、2代目に不安があるってこと?」


 アイネは僕の問いに、こくん、とうなずいた。


「いい人なんだけど、お客にも冒険者にもギルドの職員にも、いつもいい顔をしたがるんだって。なにを言われても『はい、わかりました』って」


「そういう人いるよね……」


「手に負えなくなると、申し訳ないって言いながら部下に丸投げしちゃうんだって。基本的には、いい人なんだけど」


「上司には向かないタイプだよね……」


「もちろん、昔の話なの。今がどうかなんて、わからないの」


 ギルドの中を見回して、アイネはため息をついた。


 やめたとはいっても元ギルドマスター見習いだから、ギルドの状態が気になるみたいだ。


「でも、ギルドの中がこんなに大騒ぎになってるのに、その人、この場にいないみたいなの」


「……なるほど」


 僕たちはここに登録してるわけじゃない。


 取引先でもないし、関係者でもない。


 特になにか口出しする権利があるわけじゃないんだけど──


「王家が公式に頼んだクエストが、ひどいことになるはずない……とは、思うの」


 アイネは、どよーんとした顔になってる。


 まずいな。


 せっかくの休暇なのにこんな顔させてたら、ご主人様失格だ。


 今日は仕事のことは考えないつもりだったのに。


 ……こうなったら。


「アイネ、一緒に水着を見に行こう」


「……みずぎを?」


 アイネは顔を上げて、不思議そうに僕を見た。


「休暇中、海水浴に行くって約束をしてたよね。だったら水着が必要だろ?」


「でも、水着はイリスさんのお父さんが、たくさん差し入れしてくれたはずなの」


 うん。確かにそうなんだけど。


 領主さんをゴーレムから助けたあと、なぜか十数人分の水着をイリスとラフィリアにくれたんだ。


「でも、それはイリスとラフィリアの体型に合わせたものだから」


 イリス用は、セシルとレギィも着られる。


 ラフィリア用は、リタでもなんとか着られる。


 だけどアイネはちょうどその中間くらいの体型で──つまり、どっちも合わない。


 イリス用は小さすぎるし、ラフィリア用は、いろいろな部分が余ってしまう。


 そういうわけで、アイネの水着は別に買わなきゃいけない。


 アイネと同行することにしたのは、そういう理由もあってのこと。


 ここにくる間に水着を売ってるお店を見つけておいた。そこでついでに、アイネ用の水着を買えばいいかな、って思ってたんだ。


「……あのね、なぁくん」


 僕が説明を終えると、テーブルの向こうで、アイネがじーっとこっちを見てた。


「なぁくんって、お姉ちゃんの体型を、ちゃっかり観察してるの?」


「………………………………………………あ」


 いや、だって再構築もしてるし、一緒にお風呂にも入ってるし。


 それに、アイネって意外と密着してくるから、つい。


「そ、そんなじっくりは見てないよ?」


「でも、サイズがわかるくらいは見てるんだよね?」


「……うん。それは、ご主人様だから」


「そうなの……よかった」


 アイネはメイド服の胸を押さえて、ふんわりと笑った。


 それから、なぜか首をかしげて。


「あれれ? よくないの? ここは『なぁくんのえっち』って怒るところ? お姉ちゃんをそんなふうに見ちゃだめって言わなきゃいけないの? でも、アイネ……うれしい。あれ、あれれ?」


 なぜか額に汗をかいて、腕をふりまわして、あわあわしはじめるアイネ。


「ちょっと待って。時間が欲しいの。アイネはしばらくこのままで……」


 アイネは頭を抱えて、僕から顔を逸らした。


 つられて横を見ると──クエストボードが空き始めてた。


 みんなクエストの内容を見終わって、ギルドの人たちの前に集まってる。


 僕はドワーフ少女たちから話は聞いたけど、自分の目で確認しておいた方がいいよな。


「アイネ、ちょっと荷物を見てもらってもいい?」


「いいの。アイネはこんらんしてるから、このうすいお茶を飲んで落ち着くの。しばらく置いておいてほしいの……」


「わかった。すぐ戻るから」


 そう言って、僕は席を立った。


 大丈夫かな。アイネ。






「……困っちゃったの」


 アイネは長いため息をついた。そして、身体の力を抜いた。


 とたんに顔が赤くなる。


 さっきまではごまかせていたけど『なぁくん』が席を立ったタイミングが限界だった。


 いけないいけない。アイネは、お姉ちゃんなのに。


「……でも、なぁくん、アイネのことちゃんと見ててくれたの……」


 声に出した瞬間、心臓が、どくん、と鳴った。


 どうしよう。大丈夫かな。別荘に帰るまでもつかなぁ。


 これから水着を買いに行くということは、なぁくんに水着姿を見られちゃうのに。


 なぁくん、アイネのことを考えてくれたのに、見せないなんてだめだよね。


 どきどき、保つかな。顔、真っ赤になっちゃわないかな……。


「……だいじょうぶ。アイネはお姉ちゃん。なぁくんは弟」


 言い聞かせて、アイネは深呼吸。


 そして──気づいた。


 いつの間にか、自分にそれを言い聞かせなきゃいけなくなってる──そのことに。


 こんなふうに思うようになったのは、いつからかな。


 なぁくんとリタさんが『魂約エンゲージ』したとき、少しだけ声を聞いちゃったときからかな……。


「……アイネはそういうの……急がなくていいって思ってたのに」


 だめだなぁ。


 お姉ちゃん……失格なのかな。


 アイネはパーティの『お姉ちゃん』でもあるから、ぬけがけなんかしない。


 みんなの後押しの方が大切。自分のことは後回し。


 セシルちゃんも、リタさんも、イリスさんも、ラフィリアさんも、みんななぁくんが大好きだから。


 アイネも、奴隷仲間のみんなが大切だから。


 自分はみんなをサポートして……一番最後に…………って思ってたのに。


「…………アイネ、いつの間に、こんなに弱くなってたの……?」


 レティシアがいたら、なんて言っただろう。


『今更気づいたんですの?』って笑うかな。


 それとも『いけいけですわー』って背中を叩いてくれるかな。


 誰かに話を聞いてほしいな……。


 でも、アイネはみんなの『お姉ちゃん』だから──


「……あれ?」


 かたかた、って、なぁくんが座ってた椅子の上で、音がした。


 おさいふや小物を入れてる革袋が動いてる。


 まるでなぁくんを追いかけようとしてるみたいに。


「だめだめ、落っこちちゃうの」


 アイネは袋を手に取った。さわると、中に丸いものが入ってるのがわかる。


 ──『天竜の卵』なの。


 そういえばなぁくん、卵に気に入られたみたいだって言ってたっけ。


 ついてきたがるから、こうして持ってきたのかな。


「なぁくんは、すぐ帰ってくるから、おとなしくしててね?」


 アイネがつぶやくと、言葉がわかるみたいに『天竜の卵』は動きを止めた。


 袋越しにもわかる。ほんの少しだけ温かい。安心するぬくもり。


 天竜は人の味方で、その翼は旅人の守り神。


 きっと優しい竜だったんだろうな、って、アイネは思う。


「………………アイネの話を聞いてくれますか?」


 気がつくとアイネは、革袋に唇を寄せて、声に出さずにつぶやいていた。


 卵がうなずくみたいに、かすかに震えるのがわかった。


「アイネは、なぁくんのお姉ちゃんなの。でも、それと違うものを望んでいるアイネがいるの」


 言葉にすると、はっきりとわかってしまう。


 アイネにとっての『なぁくん』は、ご主人様で、弟みたいなもので、アイネたちを導いてくれるひと。


 どんなかたちでもいいから、ずっと一緒にいたいひと。


 アイネは、なぁくんの奴隷。


 だけど、アイネをつなぎ止めているのは『契約』じゃなくて、なぁくんへの『想い』


 あったかくて、せつなくて、きもちよくて──


 それがどんどん大きくなって、いつの間にか『お姉ちゃん』の枠をはみ出しそうになってる。


「……アイネは、自分がこんなにぜいたくだなんて、思わなかったの」


 なぁくんの『お姉ちゃん』であることを望んだのは、自分なのに。


 それだけで幸せだって、思ってたはずなのに。


 ……いつの間にか、それだけじゃ足りないって、思ってしまってる。


 今はまだ、見ないふりもできるけど。明日は……明後日は、もう、わからない。


 胸が熱い。どきどきが、止まらない。どうしよう──どうしようって思う──けど──


「……それでも、この気持ちを知らないでいるよりは、幸せなの」


 さわがしい、冒険者ギルドの酒場。


 誰にも見えないように、荷物を抱きしめるふりをして。


 声に出さずに、ただ、自分に言い聞かせるみたいに。


「あなたは、きっとアイネたちより、ずっと長く生きるから。覚えてて。アイネの大好きな、ご主人様のことも。そのひとにこんな想いを寄せてる、こまった奴隷さんのことを……お願い、なの」


 騒がしい、酒場。


 それでも、なぁくんの足音はすぐにわかる。


 とても不思議。


 アイネはすぐに『お姉ちゃん』の顔になり、戻ってきたなぁくんに荷物を差し出す。


「もー。だめなの。この袋、大事なものが入ってるの」


 なぁくんは「しまった」って顔になる。


 ほらね。


 なぁくんは賢くて、強くて、すごい人だけど、たまに危なっかしいの。


 というより、仲間を信じすぎてるところがあるのかな……?


 うん。やっぱり『お姉ちゃん』がしっかりしないと。


「……なんか卵──じゃなかった、袋の中身が鼓動してるみたいだけど、アイネ、なにかした?」


 荷物を受け取ったなぁくんは、不思議そうな顔になる。


「…………アイネは、見てただけなの」


 これは本当。声に出してなかったから。


「なぁくんの手に戻ったのが、嬉しいの。きっと」


「それはないと思うけど」


「アイネだったら『ひゃっほー』なの」


 これも本当。なぁくんから離れたあとで戻ったら、踊り出しちゃう。


 きっと、想いがあふれだしちゃう。


 だから、できるだけ離れないようにしないと。


 アイネがちゃんとなぁくんの『お姉ちゃん』でいられるように。


「じゃあ、水着を買いにいくの。お姉ちゃんにばっちり似合うものを、なぁくんに選んでもらおうかな?」


 どきどきする胸を押さえて、アイネは立ち上がる。


 なぁくんに荷物を渡して、空いた手を取って。


 ──今日は『働いちゃだめな日』だから。


 ──アイネの中の『お姉ちゃん』も、ちょっとだけお休みしてるの。それだけ。


 どっちにしても、幸せなのは変わらないから。


 さてさて。


 ──『お姉ちゃん』だけ、どきどきしてるのは不公平だから。


 ──ご主人様をどきどきさせる、とびっきりの水着を選んでもらうの。


 そんなことを考えながら、アイネはなぁくんの手を引いて歩き出す。




 お姉ちゃんメイド、アイネの休暇たたかいは、まだ始まったばかりだった。

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