第87話「異世界の労働環境について、ちょっとだけ文句を言ってみた」
「私は……正しい戦術を使ったはずなのに……どうして」
谷からあふれだした『惑わしの霧』の中で、
自分は成果を得るために、一番効率のいい方法を選んだだけなのに。
それなのに、どうしてこうなった?
「……すべてを逆手に取られた。
カルミナの身体が震えだす。
この敵は……本当に、天竜の使者なのか。
それとも、こっちの思考を読んで先手を打ってきた、悪魔のような策士なのだろうか……。
「そろそろいいかな」
僕はラフィリアの『竜種旋風LV1』と、イリスの『幻想空間LV1』を解除させた。
谷からあふれ出した霧は、伯爵令嬢と兵士たちを包み込んでる。もう十分だ。
もともと伯爵令嬢は谷を攻略するつもりだったんだし、霧に巻かれても文句はないだろ。あっても知らん。
「警告はしたんだけどな」
やっぱり竜みたいな
威厳とかないもんなぁ。
ごめん『天竜の卵』
天竜っぽい姿と、天竜の名前は借りたけど、思ったほどの効果はなかったよ……。
「しょうがない。直接おどしに行こう。めんどくさいけど付き合って。セシル、イリス、ラフィリア」
「はい。ナギさま」「しょうちいたしました」「ですぅ」
『魔力の糸』で繋がった少女たちと、僕は『惑わしの霧』の中へ。
『天竜の卵』の効果は、霧の無効化。
僕たちには兵士たちの様子がはっきり見える。
さて、と。仕上げだ。
奴隷にブラック労働をさせてた奴を、ちょっとだけ注意しに行きますか。
「ひぃ────────────────────っ!」
カルミナは悲鳴を上げた。
頭を抱え、うずくまる。それでもまわりの景色から目が離せない。
見るもの聞くもの、自分の感覚すべてが信じられなくなっていた。
視界は真っ白。足は地面を踏んでいるはずなのに、その感触さえもぼやけてる。
歩くのも、体勢を変えるのも怖い。
知らなかった。気づかなかった。自分はなにもわかってなかった。
五感が狂うとは、こういうことなのだ。
「GIGIGAAAAAAAAっ!」
彼女の隣で、ゾンビ化したオーガが剣を振っている。
あれは「じいや」?
じゃあ、この鼻をつく腐臭は?
あのリザードマンは? サラマンダー? 人間?
敵と味方が入り交じり、戦っている。いや、そもそも誰が敵で誰が味方なのかも、もうわからなくなっている。聞こえるのは獣のような雄叫びだけ。たぶん、カルミナの悲鳴もそんなふうに聞こえているのだろう。
「こ、この場合の最適な戦術は──」
なにも思い浮かばない。
頭の中が真っ白だった。
「GUGOAAAAAAAAA!」
ゾンビ化したオーガが振った剣が誰かに、ぐるん、と、受け流されるのが見えた。
倒れたオーガに、霧の外から飛んできたものが、べちゃ、と張り付く。
顔を押さえてオーガが転げ回る。なにが飛んできたの?
「HIIIIIIAAAAAAA!」
オーガを倒したのは、ねじれた角を持つ化け物──魔神だった。
背中には緑色の翼がある。お腹のあたりが銀色に膨らんでいる。左腕が奇妙に太いのは、それだけ筋肉がついているからだろうか。
「HIIIA、AAA」
魔神が手の中からなにかを差し出してくる。カルミナは思わず手を伸ばした。
柔らかいもの。見た目は違うけど。干し肉?
「──発動『
…………伯爵令嬢カルミナ=リギルタさまでいらっしゃいますか?」
反射的に、カルミナが干し肉を受け取ると、人の声がした。
安心する声だった。
『惑わしの霧』のせいで、魔神のような姿をしているけれど、この人は人間──味方だ。
「いかにも、カルミナ=リギルタである。よくぞ見つけてくれました」
「お嬢様で間違いありませんか? 本当に?」
「ええ。すぐに私をここから連れ出してください。できる限りの報酬を約束しましょう。兵士長の地位がいいですか? いえ、話は私をここから助け出したあとで──」
「あんたを助けたりしない」
恐ろしく冷たい声で、魔神の姿をした
ぴた
なにか、剣のようなかたちをしたものが、カルミナの首に触れた。
「あんたは今ここで、二度と奴隷や部下を
カルミナの顔が真っ青になる。
目の前にいる魔神は、谷の入り口にいた、あの人影。カルミナの敵だ。
「私は──どこで間違えた?」
気がつくとカルミナは口走っていた。
「私の計画に間違いはなかった。どうして私はこんな目にあっている? 偉大なるお父様の娘カルミナ=リギルタが、なんでこんなところで死ななければいけないの!?」
「お前は奴隷を使い捨てにしようとした。だから間違えた」
魔神の腕が、カルミナの肌に食い込んだ。
「お前は、最後まで安全なところから動かなかった。だから、自分が敵わない相手を前にしていることに気づけなかった。それだけだ」
「どうして、奴隷を犠牲にしてはいけない? 奴らは使われるためにいるのに!」
「……やっぱりわからないか。めんどくさいな」
はぁ、と、魔神がため息をつく気配。
「警告はした。この谷の役目は終わり、まもなく崩れ去る、と。地鳴りも聞こえていたはずだ。危険なのはわかっていたはずだ。せめて、しばらく様子を見るくらいはできたはずだ。お前はそれでも奴隷を危険地帯に送り込もうとした。ちょっと待ってればいいだけだったのに。違うか?」
「うう……」
「去れと言ったのは、天竜の慈悲だ。誰の血も流さず、静かに眠るための……。
その言葉に従わなかったこと。人を使い捨てにしようとしたことに罰を与える。
『契約』しろ。カルミナ=リギルタ」
『惑わしの霧』が立ちこめる中で、魔神の炎のような視線がカルミナに突き刺さった。
「……『契約』を?」
「お前の命と引き替えにするには安すぎる『契約』だがな」
魔神は大きく裂けた口で、笑ったようだった。
カルミナの足が、がくがくと震え出す。
下着が濡れているように感じるのは、きっと霧のせいだ。そうに違いない。
「契約の条件は次の通りだ。
『お前はここから立ち去り、二度と奴隷や部下を迫害しないと誓う。そして、解放した奴隷たちにも、危険手当として適切な報酬を支払う。そうすればこちらは、この場でお前を見逃す』」
「……それだけで、いいのですか?」
「では、もうひとつ付け加えておこう。『もしこの契約に違反した時、お前は即座に今の恐怖を思い出す』、とな」
「わ、わかりました。『契約』します」
少し考えてから、カルミナはうなずいた。
彼女としては、部下や奴隷たちを苦しめたことなんか一度もない。
ただ、彼らにふさわしい仕事を与えていただけだ。『契約』したとしても、それが発動することなんかないはず。
「では『契約』だ。私はお前をこの場で見逃してやる」
「わ、私は部下や奴隷を傷つけること、迫害することはしない。報酬も払う! 払います!」
「「『
少女と魔神は、かちん、とメダリオンを打ち鳴らした。
魔神もメダリオンは持っているのね。
おびえながら、カルミナはそんなことを考えていた。
「そういえば……お前は、干し肉を食べたな」
言われてはじめて、カルミナは口の中に残る塩味に気づいた。
恐怖でお腹が空いていたのだろう。
魔神が差し出した干し肉を、いつの間にか食べてしまっていた。
「ならば『生命交渉』が成立する。ついでに、王子様と一緒にいた黒髪の少年について聞きたい。彼を派遣したのは誰だ? 王様か? ギルドマスターか?」
「どうしてそんなことまで? 私は脅迫されているのに? クラヴィスさまと一緒にいるのが賢者とか、王様から派遣された方だということまで話すいわれはないのよ!」
「そうか、王様経由で来た奴か」
カルミナは思わず口を押さえた。
自分はどうして、こんなことを?
──自分は今、なにを?
口が勝手に動いたようだった。かみ砕いて、飲み込んで、自分の一部になった『干し肉』から、なにかが身体の中にしみこんで、自分を突き動かした。そうとしか思えない。
「もうひとつ聞く」
「……う、あ。あ、ひぃ」
「お前は『天竜を名乗る者』に攻撃をした。それは我々が偽物だと思ったからか、それとも、本物でもかまわないと考えていたのか?」
「そ、それは……」
「海竜も天竜も、人間やデミヒューマンの味方だ。だが、それを排除しようとする者がいるようだ。お前なら、なにか知っているのではないか?」
「……」
「答えよ!」
「……り、竜は、ひ、ひとに、選択肢を、与えてしまう、から」
カルミナは、絞り出すような声で言った。
「人間やデミヒューマンは、王家と貴族を頼らなければいけない……魔王や魔物から民を守れるのは、王家と貴族しかないのだと。なのに、竜は人の味方をしてしまう……助けてしまう、から」
「……どういう意味だ?」
「人に『王家と貴族に頼る』『王家と貴族の支配下で働く』以外の選択肢を与えてはいけない。人が竜に頼るようになったら、王家の権威は失われる。人は命令を聞かなくなる!」
「はぁ?」
「港町イルガファがそうでしょう? あの町の者は王家や貴族と『交渉』をしてくる。賃金や労働条件で、対等な立場で意見をしてくる! それは海竜ケルカトルが奴らを守っているから。竜の加護を得た他の町が同じことをしてきたら? こちらの命令を聞かず、対等の交渉を持ちかけてきたらどうすれば!?」
「対等に交渉すればいいんじゃね?」
「なんでそんなことを!?」
「……殴りてぇ」
「ひぃっ!」
「いや、嘘だ。続けろ」
「だから、竜の祭りは破壊しなければいけないし、竜の遺物は王家が独占しなければいけない。天竜が復活しようとしているなら、その前に潰さなければいけない。
民を救ってしまう竜なんかいらないの。邪魔なの! 魔王や魔物から民を守る力を持つのは我々だけ。他に居場所がないとわかれば、民は我々に従うしかないでしょう!?」
「つまり、こういうことか」
魔神はとても、長いため息をついたようだった。
「魔王に対抗できる力を持つのは、王や貴族たちだけじゃなくちゃいけない。冒険者はせいぜいそのサポートをするだけ。
竜のように、話がわかって人間の味方になるような強大な存在は……滅ぼすか追放しなきゃいけない。竜がいたら、王と貴族は民にとって、絶対の支配者ではいられないから……ってことか」
魔神は本当に小さな声で……「もしかしたら魔族が滅ぼされたのも……」と、つぶやいたようだった。
「じゃあ、こっちはその逆をすればいいわけだ」
「……え」
カルミナは魔神の言葉の意味がわからなかった。
「ど、どういう意味です!? なにをするつもり!? 魔神!!」
「話は終わり。時間切れだ」
霧が、薄まってきている。
地面の鳴動が激しくなってる。
「信じるか信じないかは別として、『霧の谷』はもうすぐ崩れる。離れろ。死にたくなかったら。あと、これはもらった情報分の忠告だ。帰り道には注意しろ」
「帰り道……?」
「あんたにはライバルがいるんだろう? 僕がそいつだったら、あんたの家に内通者を作っておく。そして、あんたの帰り道を襲う。ここであんたが死んでも、魔物に殺されたとしか思われない。事故で片づけられる」
「ど、どうして。そんなことを……私に?」
「情報料代わりだ。あと、あんたはもう自分より身分が下の相手を迫害できないから、生きてても問題ない。せいぜい他の貴族とつぶし合ってくれればいい。それじゃ」
「まって、まって……あ、あああああああああっ!」
恐怖と、尊敬、そして畏怖。
今まで味わったことのない感覚がうずまき、カルミナは頭を抱えて座り込む。
魔神の姿はすぐに見えなくなる。五感はまだ狂っている。動けない。
「……あの魔神は、いつでも私たちを殺せた…………」
考えただけで、震えが止まらなくなる。
ここが天竜の墓所だとするなら、あれは天竜の使者とでもいうのだろうか。
「…………クラヴィスさまに……このことを……」
話してどうする?
ぬけがけして谷を攻略しようとして、天竜の使者の怒りを呼んでしまったと?
「言えない……そんなこと、言えるはずがない……」
しばらくして霧が薄まってきて、まわりの兵士たちが元の姿で見えるようになる。
兵士たちは全員、剣と槍を取り落としていた。
手足にやけどをしているものがいるが、軽傷だ。死者どころか、重傷者さえいない。
そして──
ごごごごごごああああああごごごごおごががががががががが
轟音をたてて、谷が崩れた。
谷の間にあった細い道が埋まり、人の頭ほどもある岩が足下まで転がってくる。兵士たちはあわてて楯を構える。耳をふさぎたくなるほどの音がしばらく続いて、楯を岩が叩く衝撃がカルミナの足を震わせる。
しばらくして、音が消えると──『霧の谷』は完全に崩れた岩にうずもれていた。
ぎりぎりだった。
あと少しでも谷に近づいていたら──カルミナたちは潰されていただろう。
「…………いつでも殺せる……だから、殺す必要さえもない……」
「全員撤退します。後方に注意しつつ。全力でふもとを目指しなさい」
カルミナは『霧の谷』に背中を向けた。振り返っても魔神や人影はもうない。
『契約』はかわした。追ってくるつもりはないのだろう。
「それから、前方に軽装の兵を走らせなさい。別の敵が兵を伏せている可能性があります。戦う必要はありません。こちらが、相手の存在に気づいているとわからせればいい」
不意を突けないとわかれば、逃げるだろう。
「なにをしているのですか兵士たち! さっさと隊列を整えなさい! お前たちの代わりなどいくらでも……」
ぞくん
カルミナの背中に寒気が走った。
心臓をつかまれたような、恐怖。
息が思わず止まる。あの魔神が、背後からのぞき込んでいるような感覚。
とろけかけた意識を、カルミナはなんとかつなぎ止めながら、兵士たちを見回した。
「……いくらでも……いるわけではないのです。働いてください。給与分の仕事をしてくれれば、いいのですから」
不思議なくらい熱い吐息とともに、彼女は言葉を口にしたのだった。
僕たちは離れた場所から、『霧の谷』が崩れるのを見ていた。
「クエストは達成したよ。お疲れさま。ミイラ飛竜のライジカ」
僕は眠りについた飛竜に向かって手を合わせた。
伯爵令嬢と『契約』したあと、僕たちは『惑わしの霧』が消える前に兵士たちの列を抜けて、獣道に入った。そのまま山の上に向かったのは、下山すると伯爵令嬢とでくわす可能性があったからだ。
ラフィリアが道を知ってたおかげで、僕たちは簡単に谷を見下ろせる場所まで登ることができた。
「確か、山の上の方に、古い洞窟があるですよぅ」
『古代エルフ』と魔族が、泊まり込みで『霧の谷』を作ってたときのものです、って、ラフィリアは付け加えた。
今日はそこを使わせてもらおう。まだ、きちんと残ってれば、だけど。
「お疲れさま、みんな」
イリスは僕の背中でぐったりしてる。セシルはリタにおんぶされて、ぐっすりと眠ってる。背負ってるリタの方はにやにやしてるし、元気そうだ。アイネは『動体観察』でみんなの状態をチェック。問題ないってわかったのか、指で丸を作って笑ってる。ラフィリアはほわほわしてるから、疲れてるのかどうかわからない。大丈夫かな。
「『天竜の卵』も……お疲れさま」
腰の袋に入れた卵は、あれから全く反応がないけど……大丈夫だよな。
そんなわけで、僕たちはラフィリアの先導で、山の上の方を目指して歩き出した。
「ナギ、聞いてもいい?」
僕の後ろを歩いてるリタが、ぽつり、とつぶやいた。
「さっき伯爵令嬢に『その逆をすればいい』って言ってたけど、あれって……?」
「アイネも聞きたいの」
あー、あれかー。
「ただの思いつきだけど、言葉通りの意味だよ」
僕はふたりに告げた。
「王家と貴族が、竜を──自分たちに対抗できる力を滅ぼそうとしてるなら、僕たちは逆に、それを復活させればいい、って思っただけ」
来訪者エテリナ=ハースブルクは『海竜の祭り』を潰そうとした。
クラヴィス王子たちは、天竜の残り物がないか、谷に探りに来た。
王家と貴族は、竜とか……たぶん、魔族とかの、自分たちとは違う力を恐れて、潰して、隠そうとしてる。
「だったらこっちは、竜や魔族、古代エルフ、そのほかの失われた種族を復活させる。彼らの遺産を使って、魔王や魔物に対抗できるようにする。そうすれば王家と貴族の権威は失われる。あいつらも少しは大人しくなるかもしれないだろ?」
僕は言った。
リタとアイネ、びっくりした顔してる。
ラフィリアは「さすがマスター」って普通に感心してるけど。
「別にこれを人生の目的にするわけじゃない。ただの趣味、みたいなもんだよ。
だけど、生きる場所を選べるようになったらいいよね? 王家と貴族の下で働くのが嫌になったら、別の場所で仕事ができるように。まぁ、王様と貴族への嫌がらせみたいなもんだよ」
「ナギらしいね」
リタはそう言って笑った。
「面白そうなの。アイネも手伝うの」
アイネは静かにうなずいてくれた。
「なるほど……マスターはあたしを使って『古代エルフ』を復活させるのですね……」
『そして魔族も増やすということじゃ』
「『……つまり!』」
ラフィリアと、僕の背中で魔剣レギィが声を揃えた。
「そういう意味じゃないから。遺産を探すだけだから!」
素早く突っ込んでみる。でないと、それがパーティの確定事項になりそうだから。
「それに、他のみんなの協力がなければどうにもならないだろ。アイネやリタにも手伝ってもらうことになると思う……それも、余裕があればの話だよ」
でもまぁ、そんな必死にやるわけじゃない。ぼんやりとした目標、みたいなものだ。
そのために必死になって、気がついたらみんなにブラック労働させてたら笑えない。
僕たちの目的はあくまでも『働かないでのんきに生きること』なんだから。
そんなわけで、僕たちはラフィリアの指示のもと、隠された道を進み──。
しばらくしてから、山の頂上近くにある、隠れ家のような洞窟を見つけたのだった。
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