第86話「チートスキルの3連発は、軍勢を圧倒するほどのものだった」

『霧の谷』に向かって、兵士たちの行列が進んでいた。


 その中央にいるのは白銀の胸当てをつけた少女。


 彼女の名前はカルミナ=リギルタ。伯爵家の一人娘だ。


 カルミナは深紅のマントをひるがえし、叫ぶ。


「さあ、奴隷たちよ先に進みなさい! 自由が欲しくはないのですか!!」


 行列の先頭は、いそいで買い集めた奴隷たちだ。


 数は12人。武器は頑丈な棒。谷に入る直前に、一時的に魔法で強化することになっている。魔物と戦えるように。しかし、それまでは逃げることも逆らうこともできないように。


 奴隷の列の後ろには槍を構えた兵士たちが、にらみをきかせている。


 カルミナは満足そうにうなずき、叫ぶ。


「『惑わしの霧』の中で、見事に敵を討ち果たしたなら、主従契約をその場で解除し、自由を保障すると『契約』したはずです! 奴隷たちよ、自由が欲しくば働きなさい!」


「カルミナさま。本当に奴隷たちを送り込むつもりですか?」


 横を歩くヒゲの兵士が聞いてくる。


 小さい頃からのお目付役だ。カルミナは「じいや」と呼んでいる。


「中には魔物がおるのですぞ? せめて奴隷たちには、防具だけでも兵士と同等のものを」


「時間がないのよ、じいや。ここでためらったら、あの子爵家のあいつがなにをしてくるか……」


 カルミナは爪を掻んだ。


 本当なら、王子様と子爵家令嬢、それと、王子様の侍従である『賢者』と谷を攻略するはずだった。が、その前に成果を上げておきたい。あの子爵家令嬢に負けるわけにはいかないのだ。


「逆に聞きます。じいや。歴戦の兵士のあなたから見て、私の戦略は間違っている?」


「……いいえ」


 カルミナの横を進む老兵が、苦い顔で首を横に振る。


「今、必要なのは霧の谷の情報。そのためには人を送り込むのが一番いい。けれど、同士討ちで正規兵を傷つけたら、伯爵家の戦力をそこなう。ゆえに、奴隷たちを先行して送り込む。最小の被害で、最大の成果を」


 カルミナの言葉に反論できるものはいなかった。


 リギルタ伯爵家は、以前より第8王子クラヴィスを支援してきた。


 リーグナダル王家は成果主義だ。どれだけ優秀かによって、成人した後で与えられる領地と地位が決まる。王子には成果を上げてもらって、より広い領土を獲得してもらわないとこまるのだ。


 でないと、元が取れない。


「奴隷たちには『霧の中で魔物を倒せば、主従契約を解消できるだけの報酬と自由を与える』と『契約』しました。この上ない報酬でしょう。文句はないはず」


 奴隷解放の条件をつけたのは「じいや」にうるさく言われたから。それくらいの報酬を与えなければ、伯爵家の格が落ちる、と。生命の危険があるのだから、適切な報酬を、と。だから面倒な『契約』を交わしたのだ。


 なのに「じいや」はいつまでもぐだぐだと……。


「実際の戦場は想像通りには進まないものですよ、お嬢様」


「成功するかどうかは問題じゃないの! うまくいかなくても、努力したことをクラヴィス殿下にお見せすれば十分でしょう?」


 カルミナの言葉に「じいや」は諦めたようなため息をついた。


 隊列は進んでいく。


 やがて、獣道が開けていく。左右は切り立った崖になる。


 カルミナは、谷の少し手前で隊列を止めた。


「準備をしなさい。奴隷をすぐに、谷に送り込めるよう」


「偵察の兵が戻ってこないことが気になります。お嬢様」


「わかっています。ですが、遅れを取るわけにはいかないのです」


 カルミナの脳裏に、子爵家令嬢の顔が浮かぶ。


 王子様と一緒にパーティを組み『霧の谷』に入るはずだった少女のことが。彼女とは、王子様の取り合う仲だ。油断はしていない。そして、決して負けるわけにはいかない。


 買収した子爵家の従業員からは、さまざまな情報が入ってくる。彼女が奴隷を買い集めていること。冒険者に極秘でクエストを依頼していること。カルミナは彼女をみくびってはいない。向こうが動く前に、こっちが手を打つのが得策だ。


「私たちは谷には近づかない。奴隷のみを先行させます。兵士たちは左右を警戒。怪しい影が見えたら、矢を射なさい」


 先頭の兵士が奴隷たちの背中を押した。


 奴隷服をまとい、身長と同じくらいの長さの棒をもたされた奴隷たち。


 年齢は十代前半。男女はばらばらだ。時間がなかったから、健康さだけで選んだ。


「さあ、谷へと進みなさい、奴隷たちよ。自由のために」


「……はい。カルミナさま」


 奴隷たちが谷の入り口に向かって、歩き出す。


 地面は固い土。その上に小石が散らばり、まばらな木が生えている。奴隷と兵士の間をさえぎるものはない。どのみち、逃げられるわけはないのだ。


 諦めて奴隷たちは、早足で歩き出す。


 その足が、不意に、止まった。




「おお、恐れを知らぬおろかものよ。まもなくこの谷が崩れるのを知らぬか」




 声がした。




「ここは天竜が眠る場所。人々に眠りをさまたげられるのを嫌うがゆえに、この谷を崩すこととした。おろかなる者たちに警告する。すぐにこの場を離れよ。この場所におまえたちが望むものは、なにもない」





 霧の谷の入り口に人影が立っていた。


 王家が設置した、鉄の柵の向こうにいる。数は4人。霧のせいで、顔が見えない。


「空気を読まない冒険者が。ここはクラヴィス殿下が攻略すると言ったのに!」


 カルミナは吐き捨てた。


 ──谷が崩れる? そういえば地鳴りが聞こえるような。


 だったら、急がなければ。


 そうなったら、ここで得た情報はカルミナだけのものになる。それは王子様争奪戦でのアドバンテージになるはずだ。谷が崩れたとしても、奴隷が全員死ぬとはかぎらない。息があるものに『命令』して、情報を引き出すくらいはできるはず。


「進みなさい。奴隷たち。戦うのです! これは『命令』です!」


 カルミナは左手の指輪に触れた。


 同時に、兵士に混ざっていた魔法使いが、奴隷の棒に強化の魔法をかける。


 続いて発射された攻撃魔法が、谷への道をさえぎる鉄の柵を破壊する。


「敵に近づき、私に情報を伝えなさい。繰り返します。これはカルミナ=リギルタの命令です」


 捨て石をもって情報を得る。


 戦術としては完璧に正しい。教科書通りだ。戦略・戦術はじいやに教えてもらった。


 カルミナは優秀な生徒だった。間違えるはずはない。


「進みなさい奴隷たち! その血をもって私に奉仕するのです!」





「それが人をやとう者の言うことか──?」





 ずるり、と、霧の中でなにかが動いた。


 白いもの。


 巨大なもの。


 地面からゆっくりと起きあがろうとしているもの。


 カルミナも、兵士たちも、動きを止めた。




 起きあがろうとしているのは、竜のかたちをした骨だった。





 肉もない。皮膚もない。鱗さえ生えていない。


 真っ白で綺麗な『竜の骨』だ。


 長い首の先に、角の生えた頭蓋骨がついている。それも、巨大すぎる。


 霧からでているのは、頭と首だけ。それでも、ちょっとした塔くらいの大きさがある。頭と首だけであれなら、全身の大きさは──




 シャルカの町にある、天竜の翼をつけるのがちょうどいい大きさではないだろうか。




「まさか……あれは天竜の骨。ここは本当に天竜の墓所だとでも!?」


「お嬢様。奴隷を下がらせましょう」


「なぜ? じいや?」


「天竜は人の味方であったもの。武器を向けてはなりません!」


 ああ、そうか。「じいや」は知らないのだ。


 どうして王子様と自分たちのパーティが、この『霧の谷』の攻略をめざしていたのか。


「天竜の影」のうわさがなければ、わざわざ王子がこんなところにくるはずがないというのに。


「行きなさい奴隷たち! あれが本当に天竜の遺体なら、その欠片でも手に入れなければ」


「お嬢様!」


「兵士たちよ、矢を射なさい! あの得体の知れない人影だけをねらうのです!」


 言われて兵士たちは、弓に矢をつがえる。放つ。


 数十本の矢が、骨天竜の下にいる影に向かって飛んでいく。




「部下に汚れ仕事をやらせて、安全な場所から動かぬとは」




『竜の骨』が言った。




「恥を知れ」




 ひとかけらの肉もついていない口が開き、真っ白な歯をむき出した。




「他人に仕事を押しつけるなら、自分がそれをできると証明してからにするがいい!」




 ごぅ、と、風が鳴った。


『竜の骨』の左右に、小さな竜巻が生まれた。


「魔法『旋風防壁』です。お嬢様」


「わかっています。あんな低レベルの魔法で、この数の矢を防げるはず────え? あ? おおおおおっ────────!?」





 ぶぉ


 ごぉぉぉぉぉ


 ぐぉおおおおおおおあああああああああ──────────────────っ!!





 谷の入り口で首をもたげた『竜の骨』


 その左右に生まれた竜巻が、巨大化していく。


 人間サイズだったものが、巨人サイズに、さらに谷の入り口を覆うほどの大きさに。


「なんだこれは──!?」「て、天竜の怒り!?」「これほどの魔法は、宮廷魔術師でなければ使えないはず──!?」


 顔をたたく強烈な向かい風に、兵士たちが声をあげる。


 放った矢は跳ね返され、兵士たちの足下へと転がってくる。魔法さえあの風を突破できずに消滅する。まわりの木々がきしみをあげる。葉っぱが飛び散る。枝が折れる。まさに天竜の権威にふさわしい暴風だ。


「…………まさか…………こんな」


 あり得ない。


 カルミナたちが聞いたのは「天竜の影」のことだけだ。


 本体がアンデッドになって復活するなど、聞いていない。


「す、すすみなさい、どれいたち──っ! 『命令』です!」


 すさまじい向かい風で、前に進めない。自分も、兵士も。


 それでも、指輪の強制力なら──


「ここで諦めたら、今までに支払った費用が無駄になります。少しでも元を取らなければ──。進みなさい! あの怪しい者たちと戦い──私とクラヴィス殿下に情報を持ち──かえれ──」


 カルミナは『契約』の指輪を握りしめ、奴隷たちに命じる。


 予想外の事に頭の中は真っ白で──それしか言葉が出てこなかったのだ。






「これで帰ってくれれば楽だったんだけどな」


 僕たちがいる谷の入り口からは、兵士たちの動きがはっきりと見える。


 伯爵令嬢と兵士たちは、谷の手前でがんばってる。


 奴隷たちは必死でこっちに向かってきてるけど、かなり無理してる。


 前のめりになって、這うみたいして近づいてきてる。恐怖で顔がひきつってる。


「どうしてああいうことさせるのかな……」


 骨の天竜を作ったのは、イリスの『幻想空間LV1』だ。普通の天竜モドキでいいって言ったのに、イリスは「こっちの方が威圧感がありましょう!」ってゆずらなかった。


「『ああ、貴族とはなんと愚かに堕したのか──かつてこの国を作った英雄の子孫が』」


 僕の隣でイリスは、目をきらきら輝かせながら『竜の骨』を操ってる。


 スキル使用中は幻影に喋らせることもできるみたいだ。イリスの言葉どおり『竜の骨』はしわがれた声を出し、空気を震わせ、集まった貴族と兵士たちを震え上がらせてる。でも、地面に人骨を発生させてるのはやりすぎだと思うんだ。イリスの趣味なんだけど。


「『よかろう! 我の眠りをさまたげるものに、呪いと報いを与えてくれる────!』」


 イリスは腕を振り上げてジャンプ。


 負担がかかるのか全身汗だくだけど、ノリノリだ。


 骨でできた天竜モドキは、僕たちの頭上におおいかぶさるみたいにして、声をあげてる。


 これは幻影だから、攻撃力も防御力もない。


 僕たちを守ってるのは、ラフィリアの『竜種旋風りゅうしゅせんぷうLV1』だ。


 大きさは8階建てのビルくらい。『竜の骨』の左右で、周囲の空気を巻き上げながら回ってる。


 術者のラフィリアと、ご主人様の僕は影響を受けてない。


 だから僕らはイリスとセシルをかばうみたいに、ぴったりとくっついてる。


「これで魔力消費量4割です。もっと増やすですか?」


「このままで十分だよ」


「魔力消費量を8割まで増やせば、兵士さんたちを範囲内に巻き込むこともできますよぅ」


「いい。目的は、あいつらを殺すことじゃないから」


 殺したって、貴族のやり方は変わらない。


 だから、恐怖を与える。


 誰かに「ブラック労働」させようとしたら、即座に今回のことを思い出すようなトラウマを。


 その恐怖が他の貴族に伝われば、ちょっとはこの世界も変わるかもしれない。「ブラック労働」させると「動く労基署があらわれるぞ!」みたいな感じで。


「じゃあセシル、力を貸して」


「は、はい。ナギさま」


 僕が言うと、セシルは、はぅ、って、真っ赤な顔でつぶやいて、目を閉じた。


「わたしと……『がったい』してください」


「それはこっちがお願いすることだと思うんだけど」


「……わたしにとって……ナギさまに触れていただくのは『ごほうび』、ですから」


 セシルは恥ずかしそうに、両手で顔を押さえてる。


「うん。わかった。じゃあ言ってくれればいつでもするから」


「──わ、わたしから言うのは、その……ひゃぅっ!」


 僕はセシルの胸に手を当てた。


「はぅ……あ」


「ちょっとだけ我慢して、セシル」


 僕はセシルの胸に、『魔力の糸』をつないだ。


高速再構築クイックストラクチャー』を使ったせいで、僕はイリスやラフィリアと『魔力の糸』で繋がってる。なので、セシルへの魔力供給にも『魔力の糸』を繋ぐことにする。でないと、三人密着状態で、動けなくなっちゃうからね。


 でもって、今回使うのは新しい古代語魔法だ。


 鍵になるのは、伯爵令嬢の「霧の中で敵を倒せば奴隷を自由にする」っていう「契約」。それを利用させてもらおう。


「魔法のコントロールは僕がやる。セシルは魔法の詠唱と維持に集中して」


「わかりました。ナギさま……行きます!」


 セシルが「すぅ」と息を吸い込む。小さな唇が、詠唱をはじめる。


「『それは精霊界から呼び出す、無双の兵士」」


 きれいな声が、古代語の魔法をつむぎだす。


「『──炎をまといし、緋色ひいろの獣。われが汝らを使役する。声を聞け。われとわが主人の声を。そこに道があり、すべては主人が使役する。それはわれと主人との絆によりて──』」


 僕の目の前にウィンドウが開いた。


 今回は、見てるだけじゃない。僕も魔法の展開に参加しなきゃいけない。


 セシルが詠唱してる古代語『火精召喚サモニング・エレメンタル』は、そういう魔法・・・・・・だ。


 ウィンドウには火精サラマンダーをかたどった18個のアイコンがあって、その下にパラメーターが表示されてる。さらに魔力注入量を選択するメーターがあり、1体につきどれくらいの魔力を注ぐか、選べるようになってる。


 パラメータの横には『平均化』のボタンがある。これを選択すると、魔力が均等に配分されるみたいだ。


 でも……せっかくだから。


「『汝等は我が軍。汝等は我が兵士。古の契約により、来たれ、来たれ、来たれ!』」


 セシルのきれいな銀色の髪が、汗で褐色の肌に張り付いてる。


 ここまで働かせたんだから、それを無駄にしないようにしないと。


 ……そうだな。元の世界のゲームでも禁じ手だった、あの手を使おう。


 僕でさえしなかった。やったら確実にクソゲー認定される手だ。それを使って奴隷を解放して、貴族と兵士に思い知らせよう。


「『下級なれど、汝等は古代の言の葉により最強となれり──いきます! 火精召還サモニング・エレメンタル』!!」


 そしてセシルの詠唱が完成し──


 僕たちの周りに18体の、翼を持つ火トカゲ──「火精サラマンダー」が現れた。






「これは死ぬかも、スーラ」


「これは死ぬのよ、リーラ」


 やってくるサラマンダーの群れを見て、ふたごの奴隷少女は武器を構えた。


 頑丈、という理由だけで買われた、まだ十代前半の少女たちだ。種族はドワーフ。


 小柄だが骨太で、力はある。


 両親を失ったあとに奴隷化され、伯爵家に2人一緒に売り飛ばされた。そして、連れてこられたのがここだった。


『霧の谷』の探索が仕事だって言われた。


 霧の中で魔物を一匹でも倒したら、自由にしてあげるって『契約』させられた。


 まわりの奴隷たちは、みんな諦めたみたいに泣いてた。


 五感が狂わされ、人やデミヒューマンが魔物に見える谷で戦うってことは、同士討ちしろっていうことだ。それは奴隷同士の殺しあいを楽しむのと変わらない。


 でも、ドワーフの双子は、希望を捨てなかった。


 彼女たち、スーラとリーラは双子だ。


 五感を狂わされても、なにか通じ合うものがあると思った。


「でも、これはどうしようもないね、スーラ」


「そう、これは双子でも勝てないよ、リーラ」


 少女たちの目の前には巨大な骨でできた竜がいて、天にそびえる竜巻が回っている。


 あたりは土ぼこりで煙っていて、谷の方からは、真っ赤に燃える火の精霊が近づいてきている。


 逃げたいのに、ご主人様の『命令』がそれを許さない。


 屈強なドワーフの身体が恨めしい。


 スーラとリーラはこの暴風の中でも、少しずつだけど前に進めてしまう。


「この棒は、祝福されてるって言ってたね」


「折れにくいように、魔法がかかってるって」


「「だったら、通じるかもしれないね」」


 希望は捨てない。


 2人いっぺんにかかろう。


 火精は風に乗り、一気に近づいてくる。まわりの景色はよく見えない。足下が、白くなっていく。谷から霧が流れてきてるのかもしれない。


「うぉあああああぉおぉああぉ」


 翼を持つ火トカゲが、2人を見つけた。


 そのままつっこんできて、目の前で爪のついた腕を振り上げる。


 ふたりは目をつぶって、サラマンダーに棒をたたきつけた。


「「えい、やー」」


 ぱこん


 炎をまとったサラマンダーの頭に、木の棒が食い込んだ。


「ヤラレター」


 ぷしゅ、って音がして、殴られたサラマンダーが消滅した。




 サラマンダーをたおした!




「「…………え?」」


 ちゃりん


 涼しげな音がして、2人の身体から『契約の首輪』が外れた。


 ご主人様は『霧の中で魔物を倒したら、契約を解除できるだけの報酬を与える』と言った。それが無条件で実行されたのだ。契約金と相殺そうさいされたのだ。


 いつの間にかふたりの足元に霧がたちこめてる。条件が満たされたのはこのせいだ。


「霧が汝らを包み込む前に、ゆけ」


 顔を上げると『竜の骨』が2人を見下ろしていた。


「おまえたちは与えられた仕事を果たした。残業は必要ない。好きなところへ行くがよい」


「「……天竜さま」」


 スーラとリーラは、思わず手を合わせた。


 骨だけど、こわいけど、天竜は自分たちの味方だった。


『契約』のことを知っていて、助けてくれたんだ。


「「このご恩は忘れません! 天竜さまが困ってたときは言ってください!」」


 そう言って、2人は手をつないで走り出す。


 まわりでは、他の奴隷たちがサラマンダーと戦っている。みんな、同じだ。サラマンダーは、ぽかり、と殴られただけで消滅し、奴隷たちの主従契約は解除されていく。


「リーラ!」「スーラ!」


 ドワーフの少女たちは、伯爵令嬢と兵士たちの列に向かって走り出す。


 そうだ、ちゃんとお礼を言わないと。雇い主だったんだから。


「「ご主人様ありがとうございました。さようなら」」


 ふたりは元ご主人様の前で立ち止まり、頭を下げた。


「──え? ちょ!?」


 ご主人様は、よくわかってなかったみたいだけど。


 ドワーフの少女たちと、他の奴隷たちは、山のふもとに向かって走り出すのだった。







「なんだ、サラマンダーなどただのこけおどしではないかギャーっ!?」


 サラマンダーに切りかかった兵士が、剣を捕まれて叫んだ。


 そのままサラマンダーは剣を放してスライディング。今度は兵士の脚に抱きつく。鉄製のすねあてをほどよくあぶられて、兵士は地面を転げ回る。


 僕はウィンドウで、サラマンダーのパラメータを再確認する。


 悪い。そっちは速度重視で・・・・・設定した奴だ・・・・・・


 谷の前にいる僕たちからも、兵士たちが大混乱になってるのがわかる。


 セシルもイリスもラフィリアも、魔法とスキルを維持しながら、サラマンダーの群れを見つめてる。


 兵士たちの列から、魔法使いが現れる。魔法でサラマンダーを消すつもりだ。


「詠唱──『氷の矢』!」


 ばしゅん


 後衛の魔法使いが放つ矢が、別のサラマンダーの身体に当たった。


 身体が一部欠けるけど、サラマンダーは活動をやめない。敵に向かって突き進む。


 そっちは防御力最大で設定した奴だからね。


「……やっぱり禁じ手だよな。『全く同じ姿かたちで、能力がぜんぜん違う敵』って」


 自作ゲームで試したときは、ディスプレイを殴りつけたくなったから。


 基本、ゲームって同じタイプで能力が違う敵は、名前が違ったり色違いだったりする。


 そのお約束を打ち破ろうとして、全く同じ姿で能力だけがむちゃくちゃ違う敵を作ってみたら──お約束の大切さがよくわかった。自分でも区別がつかなかったから。


 今回はそれを、セシルが召還した『火精サラマンダー』に使ってみたんだ。





『古代語魔法 火精召喚サモニング・エレメンタル


 サラマンダーを最大18体まで召喚することができる。


 能力と行動パターンは、魔力を供給している者が自由に設定できる。





 セシルは、強力だけどコントロールが難しい魔法だって言ってた。


 それは魔法の詠唱と維持、それとサラマンダーの操作を同時にやらなきゃいけないから。


 だから、後の方は僕が引き受けることにした。能力をみんな平均化して、単純に突撃させるってこともできるけど、それはなし。目的は奴隷を解放して、敵に恐怖を与えることだから。


 18体のサラマンダーを、僕は4種類に分けた。




(1)HPヒットポイント1。奴隷解放用。やられやく12体。


 奴隷に倒されるための呼び出した奴だ。


『霧の中で敵を倒せば奴隷解放』だから、HPを1にしてある。具体的には、小石をぶつけられても消えるくらいの弱さに。


 HPがなくなれば、火精は召還解除されるので、倒されたことになるって思ったけど、成功みたいだ。


 割り当てる魔力を減らせたから、その分は他の3種類に注ぎ込んだ。




(2)速度重視型3体。


 魔力で速度を限界まで上げてる。


 移動・反応速度ともに、ちょっと素早い剣士レベルだ。


 こいつらへの命令は『ひたすら攻撃を避けてヒットアンドアウェイ』


 隙を見て敵兵の後方へ回り込むように指示してある。




(3)壁。体力。防御力重視型。


 2体はHPと防御力を上げて、壁になるように設定してある。




(4)攻撃力重視。威嚇型。


 強い剣士がいたときの対策。壁の後ろから一撃必殺で敵をダウンさせるための奴だ。


 攻撃力だけを限界まで上げてある。




 そして、この4種類のサラマンダーは、全員まったく同じ姿をしている。


 ウィンドウを見なければ、僕でも・・・見分けがつかない・・・・・・・・


 だから敵は、戦ってみるまでわからない。


 しかも僕の指示で、サラマンダーは隊列を入れ替えながら戦うようになってる。


 なので──


「魔法で剣を強化してるはずなのに、固い!?」


「固いんじゃない、速いんだ。追いつけない──」


「違うだろ!? 近づくな。鎧を一撃で焼かれ──がああああああ」


 実際は動きが微妙に違うから、見分けようとすればわかるんだろうけど。


 無理みたいだ。兵士たちは焼けた剣を落として、熱くなった鎧を脱いで、地面を転がってる。多少あらっぽくても武装解除しておかないと、これからが危険だから。


「じゃあ、そろそろ仕上げに行こうか」


 敵の戦闘能力は奪った。十分だ。


 ──そろそろあいつらのまわりを、霧がつつみ始めてるし。





「──帰れ」


『竜の骨』が叫んでいる。


「帰れ! この谷の主は、静かなる眠りを望んでいる」


「カエレ」「カエレ」「カエレ!」「カエレ!」


 サラマンダーも声をそろえてる。


「カルミナさま、撤退を!」


「じいや」が叫ぶ。


 カルミナもわかってる。この敵はまともじゃない。本当に天竜の使者かもしれない。


 恐怖で身体が震え出す。


 手を出したのは間違いだった。今すぐ逃げたい。宿に戻って、王子様にこのことを伝えたい。


 だけど、動けないのだ。


 細い山道で、契約解除された奴隷たちと兵士たちがぶつかり合い、大混乱になっている。身軽な奴隷たちは兵士の身体を乗り越え、山のふもとへと逃げていく。


「奴隷どもが、我々の邪魔を!」


「やめよ! お嬢様の『契約』に触れる!」


 剣を振り上げる兵士を、じいやが止めた。


 カルミナは奴隷たちと『霧の中で敵を倒せば、主従契約を解消するだけの報酬と自由を与える』と『契約』している。首輪がはずれたのは、それが実行されたからだ。ここで元奴隷たちを殺してしまえば『自由を与える』という契約を破ったことになる。カルミナに『契約』の罰が下る。


 奴隷たちが走り去ったあとに残ったのは、混乱した兵士たち。


 突き飛ばされ、倒された兵士たちは道をふさぎ、隊列は向きを変えることさえできない。


「のんびりしている時間はないのに……ああ、霧が!」


 伯爵令嬢のまわりが白く染まり始めていた。


 いつの間にか谷から『惑わしの霧』があふれだしていたのだ。


 骨の竜の左右にある竜巻のせいだった。谷の入り口に配置されたそれらは、外向きに回転し、谷から霧を吸い出す役目をしていたのだ。


 あの竜巻は防御用のものではなかった。


 谷から『惑わしの霧』を吸い出し、凶悪な範囲攻撃を作り出すためのものだったのだ。




「──霧に巻かれた」




 いつの間にか『惑わしの霧』は、カルミナと兵士たちを完全に包み込んでいた。







──────────────────




「今回使用したスキルと魔法」


「竜種旋風LV1」


ラフィリアが使用する風魔法。

本来は高さ2メートルくらいの竜巻をひとつ、呼び出すものだが、4概念チート魔法になったせいで、岩をも砕く巨大竜巻を作り出せるようになっている。その威力は、まともにぶつければ家を破壊し、海水を空まで巻き上げるほどのもの。ただし、魔力消費を考えないとすぐに消えてしまう。

なお、パンチと共に発動すると「コークスクリューブロゥ」ごっこもできるが、まったく役に立たない。



「幻想空間LV1」


イリスが手に入れたチートスキル。周囲数十メートルに幻影を作り出す。

幻影を作り出せる範囲は決まっているが、ある程度の離れた距離からでも、それを視認することはできる。(あんまり離れると効果がなくなります)

幻影は自由に動かすことも、喋らせることもできる。

威圧だけでなく、たとえば川の上に橋があると見せかけることもできるため、トラップとしてはかなり凶悪である。


なお、これでナギの幻影を作っていちゃいちゃすることは禁止されている。「見つけたら報告するように」と、ナギはラフィリアに頼んでいるが、たぶんラフィリアも一緒に幻影といちゃいちゃするので、まったく効果がないと思われる。



「古代語魔法 火精召喚サモニング・エレメンタル


レベル3の古代語魔法。サラマンダーを18体まで呼び出すことができる。

呼び出したサラマンダーは魔力を与えた者の命令で動かすことができるが、通常は詠唱と魔法の維持に集中力を食われるため、単純な動きしかさせられない。

が、ナギは自分が魔力供給を担当することで、それを一軍を相手にできる凶悪な魔法に変えた。


やろうと思えば1体1体にリアルタイムで細かい命令を出し、さらに能力値まで設定できるようになった。さらにサラマンダーはほとんど同じ姿をしているため、敵は自分が今、どれを相手にしているのかを見分けることがほとんどできない。


18体召喚は魔力を食うため、召喚を維持できる時間が短くなるという弱点がある。

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