第72話「戦いの末に手に入れたのは、落ち着いて眠れる場所だった」
ゴーレムの関節部には、大量の水が溜まっていた。
それは腕を伝い、捕まった領主の身体を容赦なく冷やしていく。自慢の黒服は濡れすぎて重いだけ。胸元を飾る宝石も、外れてどこかへ行ってしまった。
森の外では兵士と冒険者たちが、矢と魔法を放っている。森の手前で落下しているから、威嚇だろう。が、それに嫌なのか、ゴーレムは森から出ようとしない。
イルガファ領主は、何度目かわからないため息をついた。
どうしてこうなったのだろう。
……もちろん、わかってる。自分がこのゴーレムを起動したからだ。
イリスから話を聞いたとき、最初はこれを破壊するつもりだった。
だが、怖くなったのだ。
自分が将来、巫女の代わりに祭りを司る者となることを考えたら、震えるほど怖くなった。
巫女が命を狙われるなどというのは、今に始まったことではない。
だから子どもを残す前に死なれないように、領主家では巫女を幽閉してきた。イリスでさえ、まもなく
それと同じ立場に自分がなる? しかも子々孫々?
これが恐怖でなくてなんだという?
「……死ぬものか。私が死んだら、イルガファはどうなる……?」
『お前の代わりなどいくらでもいる』
ゴーレムの口から、うなり声が聞こえた。
このゴーレムの頭部は潰れたカエルに似ている。人と水棲生物の中間のようだ。歩くたびに腰の触手がびちびちと動くのがおぞましい。
『魔王退治の尖兵となれ。我に従え。我の主人を
「主人……だと」
あの侯爵令嬢のことだろうか。
『主人はお前ではない。主人の居場所を伝えよ。探せよ』
「…………あの女……は」
領主家の地下牢にいるといったら、どうなるのだ?
こいつはまっすぐにイルガファに向かう? 冗談ではない。ゴーレムの手に捕まった状態で、領主が町に入るなど、そんな恥をさらせるものか!
「誰か…………たすけてくれ。報酬は払う! 加護を! かいりゅううううううっ!!」
「休日に騒ぎを起こしといて、勝手なこと言ってるんじゃないわよ」
すたっ
不意に、ゴーレムの頭部に人影が舞い降りた。
金色の獣──のように見えた。違う。金色の髪と獣耳、尻尾を備えた、獣人の少女だ。
腕を組み、金色の髪を風になびかせ、冷えた目でイルガファ領主を見下ろしている。
「確認。あんたはイリスちゃんと『契約』済。私たちの情報は
「──なに、を。お前は──」
「海竜の勇者の仲間。だから、あなたはこのことを誰にも言えない」
GISYAAAAAAAA──ッ!!
領主が答える前に、ゴーレムが反応した。
自分の頭に乗られた怒りに、触手が一斉に動き出す。頭上にいる少女に、尖った先端を突き出す。それが殺到する直前、少女は頭部を蹴って飛び上がる。
少女は自分を貫こうとする触手を、細腕でさばいていく。叩く、蹴る、受け流す。まるで空中を舞っているかのよう。歌が聞こえる。歌いながら、少女の動きは加速していく。領主はそれを目で追うこともできない。速すぎる。どういうスキルなのかさえもわからない。
『GUGAAAAAAAAAAA!』
ゴーレムが怒りの雄叫びを上げる。潰れたカエルのような頭が、木々の間を飛び回る少女をにらみ付けている。すべての触手を投入しても、ゴーレムは少女を捕らえることができない。まるで空中に浮かんだ花びらを、槍で突き刺そうとしているかのよう。領主も目が離せない。ゴーレムの視線、触手、領主の視線、すべてが少女に集中している──
『我を攻撃するか! 魔王対策の尖兵となりし我を!』
「そのセリフは地下でさんざん聞いた。ご主人様はあんたたちの行動パターンなんかお見通しだもん」
空中で少女が、にやり、と笑った。
「だから、これも
少女の視線は、はるか地面を見ていた。
領主もつられて下を向くが、ゴーレムの指が邪魔をして見えない。ただ、声が聞こえただけ。
「発動! 『
巨大な剣風が、領主の目の前を通過した。
真下から現れた黒い刃がゴーレムの腕を難なく切り裂き、関節をばらばらにして──そして、
予想外の事態に耐えきれなくなった領主の意識まで吹き飛ばした。
「よっと」
降ってきた領主さんを、僕はなんとか受け止め────あ。
べちゃ
うん。ちょっと無理があった。
なんとか一度は受け止めたけど、ずるっと滑って、領主さんはそのまま泥の地面に落っこちた。
まぁ、落下の勢いは殺してるし、助けたことには間違いないから、いいか。
『GYAGULAAAAAAAA!!』
ゴーレムが吠えてる。触手はリタが引きつけてくれてるけど、長居は無用だ。
作戦は簡単。
正規兵と冒険者に威嚇射撃してもらって、ゴーレムを森に封じ込める。リタが木々を足場に飛び回り、頭上でゴーレムを引きつけている間に僕が下からゴーレムの腕を吹っ飛ばす。で、領主さんを救出。以上。
人質救出ってめんどくさいね。
倒すだけなら、セシルの魔法一発で済むのに。
『……魔王退治の妨害をするか。魔王退治の妨害を──』
「それはもういいよ」
インストールされた言葉しか言えない人形に用はない。
僕は気絶した領主さんを背負って走る。森の奥へ。
その先には、綺麗な褐色の肌を持つ少女が立っていた。
小さな唇が動いてる。呪文を詠唱してる。さっきから、ずっと。
「『魔と呼ばれし流れを原初に還す。浪々たれ。滔々たれ。其は身にまとって操るには、部に過ぎた力。ゆえに魔と呼び、尊ばれる。されどそれは原初へ還すべきもの』
やっと完成したセシルの魔法だ。
特殊魔法を古代語化するのに時間がかかったらしい。
セシルの隣ではアイネが『はがねのモップ』を構えてる。詠唱完了までの護衛役だ。
まわりの木には、吹っ飛ばされた魔物たちが張り付いてる。
町周辺にいる魔物なんかじゃ、アイネの『魔物一掃LV1』と『お姉ちゃん魂』の相手にもならない。
「『原初への帰還を堕と呼ぶ。堕するべし。堕するべし。漏出し、原初へと還れ。身に宿りし魔力も。物に宿りし魔力も。心に宿りし魔力も。それは巡り巡る車輪の如く』」
セシルは詠唱を続ける。
『GIGAAAAAAGAASYAAAAA!!』
ゴーレムが僕たちを追いかけてくる。腕が、再生を始めてる。領主さんが埋め込んだ魔力結晶のせいか。しかもうるさい。せっかくセシルがいい声で詠唱してるのに、聞こえないじゃないか。
「レギィ悪い。もう一回!」
『構わぬ! こんなでかいだけのガラクタ、狙いをつけるまでもないわ! やれい!』
背中で魔剣レギィが答えてくれる。
セシルの詠唱は終わりかけてる。もう逃げる必要はない。僕は領主さんを振り落とす。
両手で魔剣レギィを握りしめて。振って、振って、振って振って振って振って────振って!
「発動! 『
ふたたび巨大化した魔剣レギィの刃が、ゴーレムの触手をまとめて吹き飛ばす。貫通した刃が胴体に食い込む。切り裂く。それでも、体内の魔力結晶には届かない。それどころか、腕と触手が再生をはじめてる。さすがは来訪者が作ったチートゴーレム。
だけど、終わりだ。
セシルの詠唱は完了した。
「仕上げだ、セシル!」
「『故に、ここに魔と呼ばれる流れを根源に還す!』────『
そして、セシルの古代語版『堕力の矢』が発動した。
『堕力の矢』は、僕とセシル、リタと『能力再構築』で作り出した特殊魔法だ。敵の魔力を奪う力があるけど、特殊魔法なせいか古代語詠唱での解析に時間がかかってた。
古代語詠唱魔法の中でも、恐ろしく詠唱が長いし、魔力消費は『古代語火球』と同程度。
だけど、ガーゴイルやゴーレム相手には無敵の力を発揮する!
『GIA? A? 異様。それは魔王の──力か?』
「いいえ。愛の力です」
怯えたようなゴーレムの声に、セシルは平然と答えた。
セシルの腕から魔力がほとばしり、一本の漆黒の矢を作り出す。
サイズは数メートル。セシルの身長の数倍。
『矢』というよりも『
それが動いた──と、思った瞬間に数十メートルの距離を飛翔し、ゴーレムの胴体を貫いた。
同時に、セシルの身体がぐらり、と揺れた。
慌てて僕は駆け寄り、小さな身体を抱き留める。セシルのちっちゃな胸に手を当てる。
『能力再構築LV4』を発動して、魔力を送り込んでいく。
「…………はぅ……ぁ。ナギさま……ですぅ」
「大丈夫? 間に合った?」
「ふぁい。いつもより、からだ、楽です……ありがとうございま……す」
お礼を言うのはこっちの方なんだけど。『休日出勤』させちゃったし。
僕はセシルを抱き留めたまま、敵の姿を見ていた。
ゴーレムはぴくぴくと痙攣したまま、動かない。
奴の胴体に食い込んだ古代語版『堕力の矢』は、いつの間にか大きな枝のようなかたちになり、まわりに根を伸ばしはじめてる。
『根』はなにかを探すようにゴーレムの全身を這いすすみ──身体の中心にある、魔力の結晶体にたどりつく。
あとは簡単だった。
古代語版『堕力の矢』の黒い根が、魔力の結晶体を絡め取り、魔力を奪って
ゴーレムの身体を満たしてた魔力も消えていく。
魔力を失ったゴーレムは、ただの人形だ。
僕が斬った右腕も、触手も、胴体も、ぼろぼろに崩れていく。
残った腕は肩から落ちて、地面で砕け散る。領主さんがいたら今頃ぺしゃんこだ。
『堕力の矢』が消えて残ったのは、動かなくなったゴーレムの残骸だけ。
念には念を入れて、あとで粉々にしておこう。
休日出勤の恨みも込めて。
「どうも、ご当地キャラ『海竜の勇者』です」
目を覚ました領主さんに、自己紹介してみた。
森の木に寄りかかって座る領主さんは見開いて「ひぃぃぃぃっ!」って悲鳴を上げた。
「あなたにはなにもしない。というか、危害を加えるつもりなら助けたりしない」
僕は両手を挙げてみた。
セシル、リタ、アイネには席を外してもらってる。3人とも木の陰に隠れてる。
こっちのカードは、できるだけ隠しておきたいからね。
「お前が……いえ、あなたが我が娘の愛する者……?」
領主さんは、やっとそれだけを口にした。落ち着いてきたみたいだ。
「名前は、ソウマ=ナギ殿。海竜ケルカトルが認めた者、ですか」
「うん。で、さっそくだけど、提案があるんだ」
「提案?」
「………………『
できるだけ冷えた声で、言ったつもりだった。
「今回、あんたを殺しかけたゴーレム。『神命騎士団』の仮面。それらはすべて『異界の力』だ。エテリナ=ハースブルクのように、こちらを未開人と見下す者が絡んでいる。それらの力をあんたが制御することは叶わない」
「異界の、ちから?」
領主さんが呆然と僕を見てる。言葉がしみこんでいくのを待って、僕は続ける。
こういう設定考えるのは得意なんだ。ラフィリアにもお願いしようと思ったけど、彼女だと妙に格好良すぎるネーミングになるからなぁ。リアリティを出すためにも、ここは抑えめにいこう。
「ノイエル=ハフェウメアも、その力に魅せられた。イルガファ領主までが同じ愚行を犯すことを、海竜ケルカトルは望んでいない。そのような混乱を避けるために海竜は祭りのかたちを変えたのだ。それがどうしてわからない?」
「…………う」
「今回、僕はイリス=ハフェウメアから『領主救出クエスト』の依頼を受けた。あんたに支払い能力がない場合、彼女が身を切って報酬を僕に支払うことになる。
まったく……領主家はどこまで海竜の身内に負担をかければ気が済むのだ……?」
「…………ひ、ひぃっ!」
領主さんの顔が真っ青になり、がちがちと、歯を鳴らし始める。
「『
僕は言った。
「今後イルガファ領主家は『異界の力』には関わらない、と。それが今回、僕があんたを助けた報酬のひとつとする」
「……身を守るための力を欲してなにが悪い? 私は恐ろしいのだ……巫女の代わりの役目が」
「今まで巫女がやってたことだろ、それは」
そこまで責任は持てない。
「どうしても嫌なら、海竜と交渉すればいい。イリスがやったように。それか領主の地位を合法的に誰かに譲るとか。僕はいらないけど」
「…………あぁ」
領主さんはがっくりとうなだれた。
同情はするけど、今まで巫女を閉じ込めて道具扱いしてきたわけだし。同じ立場になったら怖いってのは、虫が良すぎるんじゃないかって思う。というか、海竜の加護は100年続くんだから別にいいだろ。祭りの代行だって、ずっと先の話だ。パニックを起こすくらい恐がらなくてもいいだろ。
「わかった…………もう二度と『異界の力』には関わらぬ。『契約』する」
「それが領主の役目だ。そしてあんたは僕たちに助けられたことを誰にも話さない。『海竜の勇者』のことも。仲間のことも。『異界の力』に触れられない理由も。抱えて歩け、領主よ」
領主は、僕たちの秘密を他人には話せない。
だから、どうして『異界の力』に触れてはいけないのかを、他人に話すことができない。
それが罰になるのかどうか、わからないけど。少なくとも抑止力にはなるはず。
「誰にも言えない秘密を抱えて生きろ。それが今回、あんたがやった愚行への責任だ」
「…………わ、わかった。それで」
イルガファ領主は怯えた顔で、僕を見た。
「イリスはあなたにどんな報酬を約束したのだ?」
「イリスの、報酬?」
「約束したのだろう? まさか、領主家の屋敷を? それとも港の収益の何割かを?」
ぎぎぎ、と歯がみしながら、領主さんが恨めしそうに僕を見てる。
ひとをなんだと思ってるんだこの人は。
「『救出クエスト』として適正な金額の報酬と……ついでに別荘を借りることになっている」
「…………は?」
領主さんの目が点になった。
たたみかけるように、僕は続ける。
「今回の事件により、我が配下たちは『有給休暇』を潰すこととなった。海竜の勇者が『休みを与える』という約束を違えてしまった。それはまさに痛恨の極み。
この悔恨を消すためにも、彼女たちにはより充実した休みを与えねばならぬ。大いなる力を振るう者には、その分の休息が必要なのだ。彼女らは祭りに関連する一連の事件の中で、数多くの力を振るってくれた。一ヶ月くらい休みを与えてもいいほどだが、残念ながらそれだけの余裕はない。
だが、今回の戦闘で失った
「な、なんだかよくわから──い、いや、わかった!」
領主さんは何故か怯えた顔でうなずいた。
いかんいかん、また熱くなってた。
よくないよな。『休日返上』とか『給与不払い』って単語が浮かぶとむきになるのって。
「二度と『異界の力』に関わらぬこと、汝等の情報を漏らさぬこと、我がイルガファ領主家が所有する別荘を貸与すること、金銭的報酬も与えることを、ここに『契約』する」
そう言って領主さんは胸元から『メダリオン』を取り出した。
「承知した。それをもって、今回、ゴーレムより汝を救出した報酬とする」
「「『
かちん
僕たちはメダリオンを打ち合わせた。
こうして、やっと。
『海竜の祭り』に関わる事件はすべて、終わりを告げたのだった。
その夜。
ピクニックの代わりに『事件解決お疲れさまパーティ』を開いたあと。
セシルは昼間の疲れから早々と眠ってる。魔力切れが心配だから、今日は僕が見てることにした。リタとアイネは後片付け、イリスとラフィリアは領主家の屋敷に戻り……僕は部屋でセシルの様子を見ながら、資料を確認してた。領主さんから借りた別荘までの地図と、その近くにある『魔法実験都市』についての本だった。
『魔法実験都市』は元々、魔族やエルフに比べて魔力が弱い人間が、対抗するために作った研究都市で、今も最新の魔法についての研究などが行われているらしい。そこに行けば『ギルドマスター』の噂くらいは入ってくるかもしれない。
魔法の研究者と接触することができれば、もしかしたら異世界からの召喚魔法の情報も。
うまく行けば、元の世界に戻るための魔法なんかも手に入るかも──
「……いや、そっちはいらないな」
この世界の生活拠点ができてきたから、元の世界に戻ってもしょうがないし。
奴隷契約したみんなを置いていくわけにもいかないし。
それに、領主さんから、ゴーレム退治の報酬はきっちりもらってる。これを置いて元の世界に戻るのはもったいなさすぎる。
もらったのは金銭的報酬と、別荘の
『無期限』ってところがちょっと気になるけど、領主さんとは『契約』して、僕の情報は漏らせないことになってるし、危害も加えられないようになってる。だから利益で縛っておこう、ってことかな。一応警戒はしておこう。
とにかく、これで資金に余裕ができたから、みんな水着を買うこともできるし、しばらくは別荘でのんびりできる。みんなの水着姿か……楽しみだな。
それに今回はいろいろ派手に動いたから、ほとぼりが冷めるまで町を離れた方がいいからね。
そんなわけで、明日は有給休暇の『代休』ってことで、みんなで水着を見に行こうということになってる。しばらく旅行の準備をして、余裕があったらクエストをこなして、その後は別荘地まで、のんびりと旅行だ。
僕はベッドの方を見た。
セシルは静かな寝息を立ててる。シーツの上に、長い銀髪が広がってる。薄い寝間着から、細い手脚を伸ばして、僕の方を向いて眠ってる。体調は落ち着いてるみたいだ。さっきまで「ナギさまのベッドで眠るなんて恐れ多いですっ」って抵抗してたけど。今回の魔法はかなり特殊だったからね。しょうがないね。
「……なぁくん、入っていい?」
不意にノックの音と、アイネの声がした。
「開いてるよ。ちょうど準備ができたところだ」
僕は紙とペンを机の上に置いた。
旅行の前に、レティシアに手紙を書こうと思ってたんだ。
彼女は落ち着いたらこっちに来るっていってたし、その時に入れ違いになっても困るから。旅行中の居場所を伝えておこうと思った。この世界には連絡網も
だから、アイネに手紙をお願いしようと思ってた。
こっちの世界の文字は、読む方はなんとかなるけど、書く方はまだ苦手だ。それにレティシアの住所を知ってるのはアイネだけだし、アイネの筆跡なら、レティシアも一目でわかるから。
「……お邪魔します、なの」
アイネはセシルの様子を見て、安心したようにうなずいた。
それから静かに、部屋に入ってくる。
「レティシアへのお手紙だよね? なにを書けばいいの? なぁくん」
「とりあえず一週間後に別荘の方に移動することと、その町の名前を。あとは……『ギルドマスター』と来訪者のことも。これはちょっとぼかして書いて」
「わかったの。他には?」
「あとは近況くらいかな。アイネに任せるよ」
「アイネの個人的なことも、書いていいの?」
「うん。そっちの方は、読まないようにするから」
「わかったの……えっと『なぁくんが勇者になりました。なぁくんに奴隷が増えました。なぁくんから「ゆうきゅうきゅうか」をもらいました。なぁくんは……』」
「いや、今ここで書かなくていいから。あと、レティシアが反応に困る文章入れるのやめて」
レティシアなら、普通ににやにやしながら読みそうだけど……それはそれで嫌だ。
「でも、近況を書くんだから、どうしてもなぁくんが関係してくるの。だからね、なぁくんが側にいてくれた方が、筆が進むと思うの」
椅子に座って文章を書き出そうとしたアイネは、首をかしげて僕を見た。
「なるほど」
そういうことならしょうがない。
「わかった。じゃあこのまま進めていいよ。でも、声に出さなくてもいいから」
「どうして?」
「なんか気恥ずかしいから」
「……わかったの」
「わかってくれてよかった」
「なぁくんが気恥ずかしくならないように、もうちょっと小声にするの」
「わかってくれてないよねお姉ちゃん?」
「アイネは、感情を込めて文章を書くとき、口に出しちゃう癖があるの」
アイネはペンのお尻で耳をつつきながら、つぶやいた。
そういう癖ってあるのか……アイネが言うんだからあるんだろうな。
「まぁいいや。お願いしたのはこっちだし、アイネの自由で」
レティシアにとっては、親友からの手紙なんだから。
僕が色々口を出さないほうがいいだろ。
アイネは再び机に向かい、ペンを走らせはじめる。
「『アイネは楽しんでお手紙を書きますから、なぁくんは休んでてくださいと思いました』」
「それ手紙に書かなくていいから直接言おうよ」
でもまぁ、お言葉に甘えて。
「…………ふわ」
僕はベッドに腰掛けた。
なんだか、眠くなってきた。
「『…………結局、この港町の事件を解決したのはなぁくんでした。でも……なぁくんはイリスさんを助けたかっただけだって…………』」
アイネの声と──セシルの寝息が聞こえる。なんだか、安心する。
「『…………だから、レティシアはなにも心配しないでね。でもね…………アイネは……ねぇ、レティシア』」
そういえば、いつも事件が終わったあとは、すぐに旅の空だったっけ。こんなふうにのんびりするのは初めてだ。
仲間の声を聞きながら眠るって気持ちいいんだな。
……この世界に来るまで…………知らなかった……。
「『…………アイネが、セシルさんやリタさんと同じものになりたいって思うのって──それは──』」
「……こんばんわー。レティシアさまへのお手紙だよね。私も書きたいことがあって──」
軽いノックと、リタの声。僕は「入っていいよ」って言った……ような気がした。
リタとアイネは机の前で手紙を書いて、セシルは僕の横で眠ってる。
調子が出てきたのか、アイネのペンはすごい勢いで動き始め──
リタはなんだかいろいろと意見を出して、それにアイネが答えて──
そんな二人の声を聞いてるうちに、いつのまにか、僕はセシルの隣で眠っていたから──
レティシアに送った手紙がどんなありさまになってたのかを知るのは、ずっと先のことになる。
こうして港町イルガファでの海竜と『来訪者』を巡る事件は終わり。
僕たちは落ち着ける居場所を、なんとか確保したのだった。
──────────────────
古代語版『
特殊魔法『堕力の矢』を『古代語詠唱』で解析したもの。
文法も魔力の運用も非常に特殊な魔法だったため、古代語化に時間がかかっていた。
もともとの『堕力の矢』は相手の魔力を奪うものだが、古代語版はそれを最大強化したものとなっている。
発動すると長さ数メートルの黒い矢を生み出し、高速で投擲する。
目標に刺さったあと『堕力の矢』は相手の身体にある魔力の流れに根を張り、魔力そのものを食い尽くす。ゴーレムや魔法生物などに対しては最強の魔法である。対人に使うとどうなるのかは、現在のところ不明だが、一瞬で最悪の『魔力切れ』を発生させることに間違いはないので、たいへん。
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