第69話「同じ世界の人間とは、意外と話が合わなかった』

 夜中に歩き回ってると、バイトの夜勤を思い出す。


 社内は真っ暗なのに、僕の机のまわりだけ灯りがついてて、パソコンの画面と向き合いながら在庫管理の作業をやってたっけ。今はお隣──イリスんちに行くだけだから、まだ楽だ。異世界もいいよね。隣にはお姉ちゃんもいるし。


「でも、深夜の仕事は断ったっていいんだよ、アイネ」


 僕は並んで歩いてるアイネに言った。


 エプロンとヘッドドレスを取り去ったアイネのメイド服は、忍び装束みたいに闇に溶けてる。栗色の髪を、きゅっ、と肩の後ろで結んだ彼女はやるきまんまんで、夜目にもわかるくらい目が輝いてる。


「アイネは、なぁくんが一人で心細いので、お姉ちゃんに同行をお願いしたんだと思ってるの」


『はがねのモップ』を手に、きりっ、とした顔で見返してくるアイネ。


「それを断るなんて選択肢は、アイネの人生にはないんだよ?」


「……ひとりだと心細いってのはその通りかな」


 これから僕たちが向かうのは、イルガファ領主家の地下牢だ。


 眠いのに出歩いてるのは、そこに幽閉されてる、エテリナ=ハースブルクに接触するため。


 そのためにアイネの力が必要なのだった。


 イリスを襲った偽魔族もそうだったけど、あいつらチートスキルを持ってる上に、なにをするかわからないし。そもそもなにを口走るかもわかったもんじゃない。本当はパーティ全員で行きたいところだけど、さすがにそれは目立ちすぎる。


 だから──


「アイネにお願いしたのは、対人非殺傷スキルを持ってるからってのもあるんだ。アイネの『記憶一掃』なら、相手を静かに無力化できるから」


「理屈なんてどうでもいいんだよ、なぁくん」


 アイネが小声でうなずいた。


「なぁくんと二人っきりで出かけられることは、お姉ちゃんにとってはごほうびだから」


 ……さすが最強のお姉ちゃん。頼もしい。


 うん……やっぱり帰ったら、あの計画を実行するべきかな。


 そんなことを考えながら僕たちは森を抜けて、領主家の裏手にたどりつく。


 夜目にも威圧感を感じる巨大な館だ。僕は頭の中で、イリスから見せてもらった見取り図を確認しながら通用口を探す──見つけた。鍵は……開いてる。手はず通りだ。


 まわりに人の気配はない。


 イリスが正規兵の見回りに空白時間を作っておいてくれてるから、しばらく誰もこないはず。


 僕たちは通用口から、領主家の敷地に入る。地面には石が敷いてある。僕はもういちど見取り図を頭の中で確認する。確かここから右に進めば、地下牢の入り口があるはずだ。


 エテリナ=ハースブルクが町の牢獄じゃなくて領主家の地下牢に入っているのは、イリスの父親がノイエル=ハフェウメアの醜聞しゅうぶんを表に出したくないからって話だっけ。えらい人ってめんどくさいね。


 でも、今はありがたい。彼女が町の牢に移送されてたら僕が接触することなんかできなかった。


 エテリナ=ハースブルクに接触することについて、領主さんの許可は得ている。正確には、暗黙の了解だけど。


 イリスが『海竜の勇者』が侯爵令嬢こうしゃくれいじょうと話したがっています、って伝えてくれたとき、領主さんは静かに外を向いてたらしい。というか『ああ、あああああ。私が……巫女の代わりに祭りを……』ってつぶやいてたらしいから、それどころじゃなかったのかも。


 もっとも、正規兵はそのへんの事情を知らないから、見つかるわけにはいかない。


 それでもここに兵士がいなくて、通用口も開いてるってことは、領主さんは僕たちのすることを黙認してくれたってことなんだろうな。一応、あとで最低限の情報共有はしておこう。


『主さま。道案内がおる』


 不意に、僕の背中で魔剣レギィがつぶやいた。


 裏庭の植え込みの後ろで、青く光るものが動いてた。大きさはバスケットボールくらいの、半透明でぶよぶよしたもの。


 ラフィリアの使い魔『エルダースライムの分身』だ。僕たちを待っててくれたらしい。


「レギィ。あいつがなにを言いたいのかわかるか?」


『当然じゃ。我を誰だと思っておる!』


 えろい魔剣だと思ってる。


『発動「粘液生物支配スライムブリンガーLV1」!』


 ぽん、と、僕の肩のあたりに出現したフィギュアサイズのレギィが、白い衣の裾をひるがえして一回転。空中を指さし、華麗なポーズを取る。こういうところはかっこいいんだよな、こいつ。


 発動したのは魔剣レギィのチートスキル。半径10メートル以内にいるスライムと意思を通じ合わせ、コントロールすることができる優れものだ。


『……意思のリンクを確立したぞ。ふむ。スライムはあの巨乳エルフ娘の命令を受けておる』


「内容は?」


『地下牢の入り口まで、このスライムが案内するそうじゃ』


「わかった。スライムを先行させて。あれを偵察役にする」


『承知。メイド娘も、ついてくるならもう少し姿勢を低くせよ』


 レギィが僕の耳につかまりながら告げて、アイネがこくん、とうなずいた。


 僕たちは身体を低くして、スライムのあとをついていく。


 たぶん、ラフィリアとイリスも屋敷の中で、僕たちをフォローしてくれてるはず。


 内通者を使って屋敷の見取り図を見て、隅から隅まで覚えた上に、中から鍵を開けてもらって進入──って、どう考えてもチート行為なんだけど。まぁ、領主家に危害を加えるわけじゃないし、エテリナ=ハースブルグを捕まえるのにも手を貸したからチャラってことにしてもらおう。


 今の時刻は、日付がかわるちょっと前。屋敷の灯りはほとんど消えてる。


 お城みたいに巨大な屋敷だけれど、その分、影も多いし死角もある。そのあたりはイリスに教わった。イリスは10年以上も屋敷に閉じ込められてて、脳内で毎年100回は脱走コースをシミュレートしてた。だから屋敷の盲点も、兵士たちの死角もわかるって言ってた。たぶん、彼女以上安全なルートを知ってる人間はいないはず。


 そしてしばらく歩いて、僕たちは小さなほこらにたどりついた。


 背の高い樹に囲まれて、隠れるように建っていた。


 表面にはなにも描かれていない。色は黒。かたちは直方体。高さは人の身長くらい。正面には、頑丈そうな錠前がついた扉がある。


「レギィ」


『わかっておる。エルダースライムに命ずる。吐き出せ』


 ぷぺっ


 レギィの指示に従って、青いスライムはその体内から小さな鍵を吐き出した。アイネがそれをキャッチする。


 飾りひとつない、黒い鍵。目の前にある扉の鍵だ。さすがイリスとラフィリア、ぬかりない。


「レギィはエルダースライムとのリンクを維持。スライムにそのまま外の見張りをさせる。なにかあったら教えて」


『承知した。主さま』


「アイネは、いつでも『記憶一掃』を使えるように。誰かいたら、僕が気を引いてる間に眠らせて」


「わかったの。なぁくんは心置きなくお仕事をしてね?」


 アイネは穏やかな顔で笑ってる。


 さすが全身が包容力でできてるお姉ちゃん。こんな状況なのに、一緒にいると安心する。


 アイネがいてよかった。これから……会いたくない奴に会わなきゃいけないから。


 僕は地下牢に通じる扉の鍵を開けた。


 この下に侯爵令嬢、エテリナ=ハースブルクがいるはずだ。





「……ちかよるなみかいじん」


 声がした。


 扉をくぐったばかりなのに、よく聞こえた。


 地下牢への通路は壁も階段も、湿った石で出来ている。表面はぬめぬめしてカビが生えてる。地下水がしみ出してきているのか、通路には小さなみずたまり。頭上からも、ときどき水滴が落ちてくる。


 壁にランプが据え付けてあるおかげで、階段の先まで見通せる。階段を下りきった先の通路は、長さ10メートルに足りないくらい。壁には鉄格子がはまってる。


 その中に、両手を手枷てかせで拘束された女性がいた。


 正気に戻った『神命騎士団』の話では、彼女の能力は『触れたものに魔法を宿らせる』ものらしい。だから手が動かせないように固定された上、手首から先にはごつい手袋がついてる。


「私は──だぞ。本気を出したら、お前たちなんて瞬殺しゅんさつなんだぞ」


 牢屋の中は意外と広い。


 もともとは罪を犯した領主家の人間や──領主に逆らった巫女を幽閉するのに使われてたからだ。


 牢の中にいるのは、侯爵令嬢エテリナ=ハースブルク。


 それが本名なのかはわからない。本当に『来訪者』なのかどうかも。


「近寄るのか未開人。──の怒りを恐れよ!」


 でも、エテリナ=ハースブルクは甲高い声で叫んでるだけ。こっちなんか見てない。


 ……とりあえず、探りを入れてみることにしよう。


 こっちはこいつの配下──『神命騎士団』に殺されかけた身だ。情報収集に手段を選んではいられない。あんまり気は進まないけど──


「僕は地球人だ」


 乾いた笑い声が止まった。


「あんたは召喚された者だろう? 来訪者よ。話がしたい。とりあえず名前と、あんたの目的を教えてくれないか」


 わざわざこいつに会いに来たのは、『来訪者』の情報が欲しかったからだ。


 偽魔族は単独犯だったけど、こいつは組織的に動いてた。バックに誰かいるとしたら、それを知っておく必要がある。話が通じる相手だといいけど──


「…………どこかで聞いたようなセリフで、私を惑わせると思うか、未開人」


 ──どうもそうじゃないらしい。


 しょうがない。作戦変更だ。


 なんとかして、情報だけでも引き出せるか試してみよう。


「……疑っているのか? 侯爵令嬢を名乗る者よ」


「当然だ。私の仕事の価値さえもわからない未開人が!」


 鉄格子の向こうで、ためいきをつく気配。


「私の仕事はこの世界の重要マターを解決するためのもの。イノヴェーションにはリスクが付きもの。その成果は私のトロフィーとなるはずだったのに……」


 ……なんか横文字並べてきたよ。


 アイネが首を傾げてる。僕にはわかるけど、アイネには通じてないみたいだ。


「そもそも『神命騎士団』は人材フローと彼らのスキルをアクティベーションするためのもの。そんなことも理解できないバーバリアンが……」


 これがこいつの考え方で話し方ってわけか……。


 試しに話を合わせてみよう。


「なるほど。お前はこの世界のウィークポイントをオープンにしようとしたのだな。侯爵令嬢よ。僕はお前の戦果を高く評価している」


 言ってみた。


 吐き捨てるような口調でしゃべってたエテリナ=ハースブルクが、顔を上げた。


「…………え」


 反応が変わった。もうちょっとつっついてみよう。


「この町の中枢を一挙に陥落せしめようとするお前のストラテジーは見事だった。ノイエル=ハフェウメアをツール化するというメソッドに気づいただけでも、ノルマをクリアしていると言える」


「あ、あ、あ、あああああ」


「パーティメンバーにランクアップというインセンティブを与えることでモチベーションを高め、スキルアップを促し、クエストで人材をリストラクチャーする技術も見事だった。まさにセルフ・イノヴェーションだ。ただ、プロモーションをもう少しリスペクトするべきだったな……」


 自分でもなに言ってるのかわかんなくなってきた。


「故に、お前はこのような場所で果てる人材ではない。来訪者……いや、勇者よ!」


 がつん!


 エテリナ=ハースブルクが立ち上がった。


 がつん、がつん!


 内側から鉄格子を揺さぶってる。


 こっちを見てる。僕の言葉に反応して、目を輝かせてる。やっぱり、こういうのが好きらしい。


『神命騎士団』のシステムってのは、ネズミ講か完全にブラック企業的なやり方だった。


 エテリナ=ハースブルクが、そういう方法が好きなら、評価されるのに弱いんじゃないかって思ったんだ。というか、異世界にきてまで自分の嫌いなシステムを作り上げたりしないだろ。


「あなたは……『ギルドマスター』の使い?」


 やっとまともにしゃべった。


「その前に答えよ。お前の真の名前を」


 僕は壁際のランプの横に立ってる。


 用心のためだ。エテリナの側からは逆光になってるから、僕の顔はよく見えないはず。


「私の真名はカタギリ=エリナ。それで……『ギルドマスター』はまだ、私を見捨ててない? 約束は覚えてる?」


「……彼の目的は、お前も知っているだろう?」


 もう一度、探りを入れる。


 こういう話をしてると暗い気分になってくるからね。さっさと済ませよう。


「ええ、『ギルドマスター』が──に最適な仕事を紹介してくれていることは、周知の事実だから」


 エテリナ=ハースブルクが答えた。


「……それでお前はこの町に?」


「ズルをしている町を許せないって言われた。こらしめるだけの簡単なお仕事で、私はそれが向いているって」


「へー」


「海竜などがいては、この町の人も財力も駒として使えない。だから祭りを潰す。力を失った町を、私たちの力で援助する。それに中毒するまで」


 うわー。えげつない……。


「それもすべて、人々の平和のために?」


「魔王との戦いに勝つためにはすべての力を結集する必要がある。それを拒否できるような力ならいらない。私たち──が未開人を導く。

 ……あなたも、やはり?」


「ああ。僕も召喚された者だ」


 嘘は言ってない。


 でも、そろそろ気分が悪くなってきたなぁ。これ。


「だが、お前をここから出す力は僕にはないようだ。仲間は近くにいるのか?」


「いいえ。でも、道具を湖に沈めてあります」


 エテリナ=ハースブルクは、目を細めて笑った──ように見えた。


「私のスキル『魔器作製クラフトワーク』で作り上げた、異形のゴーレム。魔力の結晶体を組み込めば動くようにしてある。あれを使って私を救いなさい」


「……異形の、ゴーレム」


「魔力の結晶体を組み込めばゴーレムは動かせる。それで私を救って。私はこんなところで終わる人間じゃない。使命を果たせば、ギルドマスターはスキルを持ったまま私を元の世界に戻してくれるって言ったのに!」


 スキルを持ったまま……こいつを元の世界に戻す?


「……『ギルドマスター』ってのは、そんな力を持ってる人間(・・)なのか……」


 ぴくん


 エテリナ=ハースブルクが硬直した。


「………………あなた、誰?」


 ──あれ?


 エテリナ=ハースブルクの声から、感情が消えた。冷えた声。鉄格子をどん、と叩く音。違う。体当たりしてる。破ろうとしてる?


「貴様は彼を知らないんじゃないか! 未開人が私をだますか!? 私はカタギリ=エリナ。入社半年で主任代理補佐候補になった人材だぞ! その価値もわからない奴が私を閉じ込めて────っ」


 エテリナ=ハースブルクは目を剥いて叫んでる。


「わ、私は、元の世界に戻るんだ! 戻って、私の『魔器作製クラフトワーク』で、私を辞めさせた上司と、『指導』しただけなのに勝手にいなくなった後輩に思い知らせてやる! 私が正しかった! 自分たちが間違ってたって! そのために戦ってきたのに!」


「……ナニソレ」


 まじか。


 こいつ、そんなことのためにノイエル=ハフェウメアをだまして、わざわざ『神命騎士団』なんて組織を作ったの?


「僕は……未開人でもいいんだけどさ。あんたは、自分がなにをやったのかわかってるんだよな?」


 こいつは『神命騎士団』のひとを使い捨てにして死なせた。


 ラフィリアだって、むりやり仲間にされそうになった。


 ノイエル=ハフェウメアをあやつって、儀式を壊して、イリスをさらおうとした。僕たちだって、あいつらに殺されかけた。セシルたちがチートキャラじゃなきゃ死んでた。


 本当だったら、島の館ごと吹っ飛ばされても文句は言えないはずなのに。


「……なにが侯爵令嬢だよ。あんたこそ、ただの未開人じゃねぇか」


「う、うるさい! 待っていろ! 私が最後の──じゃない! 第2、第3の──がこの町を──」


「いや、僕はイルガファにあんまり義理はないんで」


 だん、と、扉を叩く音が止まった。


 鉄格子の向こうで、エテリナ=ハースブルクが目を見開いてる。


「僕はただ、巫女イリスをブラック労働から救いたかっただけなんだ」


「ブラック労働……はぁ?」


 かかか、と、エテリナ=ハースブルクは笑い出す。


「与えられた仕事を完璧以上にこなすのなんて当然じゃない。巫女を道具にするって決まってるならそうすれば? 文句を言うなんておかしいでしょ? まったく、巫女も『神命騎士団』の役立たずも……そんなこともわからないから、この世界の者は未開人なのよ」


「…………あんた、もう働くな」


「はぁ?」


「あんたは働いちゃいけない人間だ。あんたが働くたびに犠牲者がでる。少なくとも、あんたは指導者にも勇者にも向いてない。転職しろ! 今すぐ人と関わらない仕事に変えろ!」


 おかしいな。


 来訪者なのに、同じ世界からきた奴なのに、僕にはこいつの話がわからない。


 まるで、別の異世界からきた奴を相手にしてるみたいだ。


「う、う、う、裏切り者! すでに未開人に籠絡ろうらくされたか──っ!?」


 なんだ!?


 エテリナ=ハースブルクの口が、オレンジ色に光りはじめた。


 こいつ、まだなにか隠し持ってたのか!?


「殺す! お前の存在は私のレゾンデートルをコンフューズさせる。不快。お前は……あの後輩と同じ目をしている!」


 こいつのスキルは道具に魔法を宿らせるもの。でも、正規兵は牢に入れる前に、身体検査をしてる。指輪も、アクセサリも全部外したはず。残りは──


「……私のスキルは最強。虫歯も治せる──」


 光を放ってるのは、エテリナ=ハースブルクの奥歯だった。


 そんなところに魔法のアイテムを隠し持ってたのかよ? 歯に毒を仕込んでる間者スパイかお前は!?


「──レギィ! 来い!!」


『了解じゃ主さま────っ!』


 階段の上、少しだけ開いておいた扉から、青色のスライムが飛び込んでくる。


 階段の上で身体を縮めて──伸ばして──ジャンプ。まっすぐ、僕たちの方へ。


 高さは、アイネの腰のあたり。絶好のポジション。


 アイネが『はがねのモップ』を構えて、振り抜く!


「『魔物一掃LV1』──なのっ!!」


「食らえ裏切り者! 『炎の矢フレイムアロー』!!」


 アイネの方が速かった。


 エテリナ=ハースブルクの口から5発の『炎の矢』が撃ち出されるのと、奴の顔の前までエルダースライムが飛んでいくのが、ほぼ同時だった。


 鉄格子をすり抜けたスライムはゼリー状の身体を広げて、『炎の矢』を受け止めた。4発目までは耐えた。ラフィリアの汗で分裂した、かりそめの生命力はそれが限界だった。5発目をくらったところで、粘液質の身体はバラバラになった。


 そんなわけで──


「ぐわあああああああああっ!!」


『炎の矢』を食らって飛び散ったスライムの破片はへん(燃焼中)を、エテリナ=ハースブルクはまともに浴びることになった。


 髪の毛、服、手脚まで。煙をあげるスライムの破片が、彼女の身体にへばりつく。エテリナ=ハースブルクは悲鳴をあげながら転がり回り、床の水たまりで炎を消そうとしてる。


 あれが最後の切り札か。たぶん、移送される時に使って逃げるつもりだったんだろうな。こんなの普通は気づかない。不意打ちでくらったら、下手すれば重傷者が出るレベルだ。


 だけど……ここで使ってどうにもならないのに。


「……あんたはもう休んだほうがいいと思う」


 僕は手を振って、アイネに合図する。


「はい。なぁくん」


 べちゃ


 アイネは湿ったモップで、鉄格子の向こうにいるエテリナ=ハースブルクの顔を撫でた。


 ついでに、煙を上げてる髪と、服も。


 じゅ、って音がして、火が消えて、


 エテリナ=ハースブルクの目が、とろん、となった。『記憶一掃LV1』の効果だ。


「……おまえ、は。なに……もの」


「ただのなまけ者ですが、なにか?」


「…………わたし、は、こうしゃく……れい……えら…………ばれた」


「違うよ」


 僕は言った。


「お前は、この世界の人にとっては、ただの魔物でしかないんだよ、きっと」


「……っ」


 かくん


 エテリナ=ハースブルクの目が閉じた。


 アイネはそのまま、エテリナの顔をモップでなで続ける。しん、とした地下で、僕は耳をすましてる。まだ、正規兵たちが気づいた様子はない。ぎりぎりまで──できれば『記憶一掃』で、僕たちの記憶が消せるくらいまで粘ろう。


 そういえば……こいつの態度が変わったのは『ギルドマスター』について聞いた直後だった。


 なにが引っかかったんだろう?


『ギルドマスター』は『ひと』じゃないのか? デミヒューマン?


 そいつは王様の仲間なのか。配下の非合法要員なのか? 来訪者をスカウトして、仕事を斡旋してるのか? 元の世界に戻せるって本当か? それともブラフなのか──?


 今は、情報が少なすぎだ。もう少し粘れば──って、無理か。こいつとは、考え方が違いすぎる。合わせることはできるけど、こいつの考え方に合わせるのってすごい疲れる……。


 わかったことは、いくつか。


『エテリナ=ハースブルクは「ギルドマスター」って奴の命令でここに来た』


『「ギルドマスター」って奴は、自分たちがコントロールできない力を奪おうとしてる』


『そのために「来訪者」をスカウトしてる。元の世界に戻すのを餌に。実際に可能かどうかは不明。王様とも関係も不明。どっちかというと、汚れ仕事に向いてそうな「来訪者」をスカウトして、そっちの仕事をやらせてるって感じがする』


 最後に、


『エテリナ=ハースブルクが作った異形のゴーレムが、街道沿いの湖の底に眠ってる』


 くらいか。最後の情報は、領主さんにも伝えておいた方がいいかな。


 エテリナ=ハースブルクは、これから魔法実験都市に送られる。そして、スキルを封じる『ロックスキル』をインストールされる。尋問を受けたあと──場合によっては侯爵家に帰される、って話だ。


 力をなくしたあと、こいつがどんな風になるのか……興味がないわけじゃないけど。


 ……やっぱり二度と会いたくないなぁ。


「終わったの、なぁくん」


 気がつくと『記憶一掃』を使い終えたアイネが、記憶の結晶体を持って立っていた。


 ふわり。


 アイネのあったかい手が、僕の手を握った。


 そのままアイネは、ぎゅー、っと、僕の手を自分の頬に押しつけた。


「あの、アイネ……?」


「なんだか、なぁくんが疲れてるみたいだったから」


「別に疲れてはいないけど」


「なぁくんは、疲れると手が冷たくなるの」


「……そうだっけ?」


「少しだけ。お姉ちゃんじゃないとわからないくらい。それに、ちょっと怖い顔をしてたから」


 あー、してたかも。


 エテリナ=ハースブルクと話してたら、元の世界のことを思い出しちゃったから。


 それに……確かにいろいろあったから疲れてるかも。


 でも、それは僕だけじゃない。みんなもそうだ。


「じゃあそろそろ、あの計画を実行する時かな」


「計画?」


「ああ、落ち着いたら実行しようと思ってた、秘密の計画があったんだ。元の世界では、僕には絶対に実行できなかったもので、ずっと憧れてたもの」


 話してるうちに、地上に出た。


 エルダースライムはいなくなったけど、今のところは異常なし。


 通用口まではなにごともなく通り過ぎて、外に出たところで、僕たちは振り返った。


 窓際でランプがかすかに光ってる部屋があった。イリスの部屋だ。たぶん、あそこでイリスとラフィリアが、僕たちを見てるはず。


 僕とアイネ、それにレギィはそっちに手を振ってから、歩き出す。


 人目につかないように森に入る。葉ずれの音と、波の音が聞こえる。このあたりまで来ればいいかな、って僕が思ったと同時に、アイネが「それで、計画って?」って口を開く。呼吸を読まれた。さすが最強のお姉ちゃん。


「うん。みんな働きすぎたから、お休みにしようと思うんだ」


『お休みじゃと? 我は働いた記憶などないが?』


 僕の肩でレギィが、ツインテールの髪を振って首をかしげる。


 いや、お前も今回、結構働いてくれただろ?


『じゃが、くれるものはもらおう。我とメイド娘だけか?』


「全員だよ。明日ーーは、これから寝ると起きるの遅くなるからもったいないか。じゃあ、明後日」


 僕はアイネとレギィに向かって宣言する。


「ご主人様の名において宣言する。僕たちのパーティは明後日、全面的に休暇とする。そして──」


 アイネとレギィは息を詰めて僕の言葉を待っている。





「今回の休暇はパーティ全員に与える『有給休暇ゆうきゅうきゅうか』だ。パーティ全員に銀貨12枚──12アルシャを与える。これは僕の決定だから、くつがえすことは許さない。

 繰り返す。明後日は『有給休暇』だ。いいな?」




 いい響きだよね……『有給休暇ゆうきゅうきゅうか』って。


 一回使ってみたかったんだ。この言葉。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る