第62話「奴隷をきれいに洗うには、いろいろ儀式が必要だった」
僕たちが家に戻ってしばらく後、イリスの家から伝令が来た。
ノイエル=ハフェウメアの尋問の結果と、侯爵令嬢エテリナ=ハースブルクの情報を伝えるためだった。
聖地を出たあと、正規兵たちはすぐに侯爵家の別荘に駆けつけたらしい。
けど、そこはもぬけのからだった。
慌てていたのか、食器は出しっぱなしで、服も置きっぱなし。
暖炉には燃え残った羊皮紙があり、椅子の下に一枚だけ、燃やし損ねた書類が残っていた。
書類に書かれていたのは、他の港町に宛てた覚え書きで、内容はイルガファを没落させるかわりに、彼女が指定する荷物を優先的に取り扱うようにものだった。
そして燃え残りは、なにかの『契約』書の破片だった。
報告を受けたイリスは、推理した。
侯爵令嬢の目的は『海竜の祭り』を妨害して、イルガファが『海竜ケルカトル』の加護を受けられなくすることだったんじゃないか、と。
ここ港町イルガファは、対魔王戦のために辺境へ物資を送っている。
手数料は『海竜の加護』のおかげで他の港町より優遇されている。
侯爵令嬢エテリナ=ハースブルクは、それをねたんだ他の港町の依頼を受けて『海竜の祭り』を破壊しにこの町へやってきた。そのためにイリスの兄に近づいたんじゃないか、って。
イリスの推理を聞いた、ノイエル=ハフェウメアは、地下牢でのたうちまわって絶叫してたらしいけど。
僕もイリスの推理に賛成だ。8割くらいは。
問題は、この事件で使われた『チートスキル』がどこからきたか。
あのアイスゴーレムはたぶん、チートスキルの産物だ。あれを仕込んだのが侯爵令嬢だってのは、ほぼ確定してる。で、ゴーレムは僕たちと戦ったとき『対魔王のノルマ』について話してた。
そして『神命騎士団』を支配してた『銀の仮面』もまた、この世界ではレア中のレアだ。
それを量産してたことを考えると……やっぱり、背後にはチートスキルの持ち主──来訪者がからんでるんじゃないかって思う。
まぁ、僕たちのクエストは終わってるから、ここから先は正規兵たちの仕事なんだけど。
正規兵たちは現在、町の出入り口に検問を敷いてる。
港にも人を派遣して、船の出入りをチェックしてるって話だ。
イルガファ領主家も、王都にあるハースブルク侯爵家に使者を出した。
手配は完璧だ。
あとは侯爵令嬢エテリナ=ハースブルクが捕まれば、すべてははっきりするはず。
……捕まればいいんだけどね。
「それでは、なにかありましたらお知らせいたします」
そう言って、イリスの伝令は帰っていった。
リビングの椅子に座って、僕はそれを見送った。
アイネが煎れてくれたお茶を飲みながら、これからのことを考える。
侯爵令嬢には、必要がない限りは関わらない。
イリスの祭りに立ち会うかどうかは……こっちの問題が解決してから決める。
今は、最優先でしなきゃいけないことがある。
これはパーティの問題で、僕たちの戦力を左右する重要事項だ。
だから──
「早く『再調整』を済ませようよ、リタ」
僕はリビングの隅に積みあがってる、布の山に声をかけた。
毛布にクッションにテーブルクロス。そこらじゅうからかき集めてきた布が窓際で山になってて、隙間から金色の尻尾が突きだしてる。
さっきからずっとこの状態だ。
「あのね、ナギ」
布の山から、声がした。
「暗闇って人を大胆にするよね?」
「するね」
「顔が見えないからって、普段は言えない話をしたりすることもあるよね?」
「うん。あるよね」
元の世界では、友だちの家に泊まりに行って、電気を消したとたんに恋バナが始まったりするらしいし。したことないけど。
「ダンジョンの中っていうのも、ひとつの暗闇だと思うの」
「ひとつの暗闇だよな」
「だから、うっかりその場の雰囲気で、恥ずかしいことを歌っちゃってもしょうがないと思うの」
「しょうがないよな」
「うー」
ぱたぱた
金色の尻尾が揺れてる。
毛布からちょっぴりはみ出してる爪先が、火照ってピンク色になってる。
リタは帰ってくるなり、部屋中の布をかきあつめて、頭からかぶって、窓際でうずくまった。
『
戦闘中はハイテンションになってたけど、冷静になったら恥ずかしくなったらしい。
「あ、あんなの誰も聞いてないよね? 私の歌なんて、みんな興味ないもんね?」
「いや、聞いてなかったら『束縛歌唱』の効果は発動しないだろ」
「いやぁあああああっ!」
どったんばったん
布の山が左右に揺れた。
「私ってば。なんであんなこと言っちゃったのよぅ。もっと穏やかな歌詞にすればよかったよぅ。あんな……思い出しただけでも心臓止まっちゃうみたいな……『ナギ好き好き』ソングを……見ず知らずの人前でえええええええええ……はっ!」
突然、リタはがばっ、と、毛布をはねのけて顔を上げた。
桜色の目を見開いて、まっすぐこっちを見て、それから──
「で、でも、嘘は歌ってないからね!」
リタの顔が、ぼっ、と真っ赤になった。
「中身はほんとのことだから。私がいつも思ってることだから。でもでも……」
がばっ
再び毛布をかぶって、尻尾だけぴこぴこの繰り返し。
「気にしなくていいから、早く『再調整』しようよ」
「…………わぅ。むりいい。汗でびっしょりだもん。綺麗にしてからじゃないと……」
「大丈夫です、リタさん。たった今お風呂がわきました!」
リビングの入り口から、セシルが顔を出した。
「冷めないうちに入ってください。ナギさまとご一緒に」
「わぅうううううううううっ!」
僕の右腕からは魔力の糸が、リタに向かって伸びてる。
これのせいで僕とリタは離れることができない。
魔力の糸の長さは、約3メートル。
そしてこの家の風呂場は無駄に広くて、風呂桶から脱衣場まではそれ以上あるんだ。
だからお風呂に入るためには、僕とリタが一緒に入るしかない。
しょうがないのだ。これは。
「むり、無理だもんーっ! こんな気持ちの時に、ナギの前で……はだかになっちゃったら……心臓がこわれちゃう……ぜったい、無理………………今日はむりいいいっ」
「じゃあ、先に『高速再構築』の再調整をする?」
「こんな潮風でべとべとの身体で、ナギにだっこしてもらうなんてだめだもん……。ご主人様に、そんな失礼なことできないもん……」
「僕は気にしないけど」
「そんなのわかってるもん。でも、おとめごころが許さないんだもん……」
布の山から顔を出して、リタは自分の腕に鼻を近づけた。
それから、うわー、って顔になる。
獣人のリタは、僕より嗅覚が発達してる。潮のにおいや、汗のにおいが気になるのもしょうがないか。それなら、
「じゃあ僕が目隠しして入るってのは?」
「…………そんなことご主人様にさせられないもん」
ふるふるふるっ、って、毛布の山が震えた。
わかった。
そういうことならしょうがない。方法を考えよう。
そもそも僕がリタに『
リタの悩みは、潮でべとべとなのと、汗びっしょりなのが気になること。そのせいで、僕に『再調整』されるのに抵抗がある、ってことだ。
つまり、その前にリタはお風呂に入って身体をきれいにしたい。
だけど僕とリタは魔力の糸で繋がってるから、リタはひとりでお風呂に入れない。
ゆえに、問題を解決するには……あれ、簡単じゃないか?
「わかった。じゃあセシル、手伝ってくれ」
「え? わたしですか?」
「リタが身体を洗ってる間、僕から見えないように、セシルが視線をブロックしてほしいんだ」
「…………はっ! わかりました! さすがナギさまです!」
さすがセシル。
僕が言いたいことを、すぐにわかってくれたみたいだ。
「わたしがナギさまとリタさんの間に立って、リタさんの動きに合わせてカバーすればいいんですね?」
「うん。セシルはリタの方を向いて、どんな動きをするかじっと見つめて、それに合わせて動いてくれればいい」
「なるほど。すばらしい作戦だと思います」
「でも、気をつけて。リタは素早い。セシルの予想もつかない動きをするかもしれない」
「リタさんの運動能力はすごいですからね……それに、わたしはちっちゃいです。リタさんの身体を隠しきれないかもしれないです」
「わかった。じゃあアイネとラフィリアにも頼もう」
「3人がかりですか?」
「うん。3人でリタを取り囲む。完全包囲だ。3方向からリタを見つめていれば、動きについていけないってこともないだろう。セシルがリタをカバーしそこねたら、他の2人がフォローすればいい」
「パーティの連携を利用した見事な作戦です! それなら完璧ですね!」
魔力の糸は約3メートル。
物理的な障害物には邪魔されない。
僕とリタの間にセシル、アイネ、ラフィリアがいても問題なしだ。
3人にはリタの動きをしっかりと観察してもらって、僕の視線をさえぎってもらう。
もちろん、僕もその間は後ろを向いてるつもりだけど──うっかり理性がぶっちゃけて、というか、女の子が身体を洗う音に負けて振り向いたりするかもしれない。
だから3人に、リタの挙動ひとつひとつを見落とさないように、6つの目で見ていてもらう。
そして動きに合わせて僕の視線をさえぎってもらえば、リタも僕の視線を気にせず身体が洗えるはず。
完璧だ。
「これならリタも落ち着いてお風呂に入れるよな」
「そんなわけないでしょ!? みんなが私を見つめて、動きに合わせてナギの視線をブロックって、それどんな宗教儀式なのよーっ!!」
大不評だった。
おかしいな。一番コストが掛からなくて、手っ取り早い方法を考えたのに。
「しょうがないな。リタが誰にも見られずお風呂に入れるスキルを『再構築』しよう」
「それどんなスキル!?」
「数分間、所有者の意識を飛ばす、とか?」
「そこまでしてくれなくていいです。ご主人さま!」
がばっ、と、リタが毛布をはねのけた。
「もういいもん。私、ナギと一緒にお風呂に入るから!」
そう言って、少し湿った『格闘系神官の服』を着たまま、僕の前で胸を張る。
片手で胸を押さえてる。やっぱりどきどきしてるらしい。
僕としては、奴隷に無理をさせるつもりはないんだけど。
文明世界からやってきたご主人様だからね。
一緒にお風呂とか…………そういうのは、生活がちゃんと落ち着いてからだよな。うん。
でもリタは、金色の髪をくるくる指に巻き付けながら、小さな声で話し出す。
「もういいもん……覚悟、決めたもん。ナギと一緒にお風呂に入ります。わがままは言いません。だって……私はナギのものだもん。心の準備が……したかった……だけ」
「そんなリタさんに朗報なのーっ!」
「なのですーっ!」
アイネ、ラフィリア?
普段着に着替えた2人が、小さな箱を持ってリビングに入ってくる。
いつの間にでかけてたんだ。2人とも。
「こんなこともあろうかと! アイネは『湯浴み着』を手配しておいたの!」
「「な、なんだってーっ!?」」
セシルとリタの声が重なる。
僕だってびっくりだ。
いくらなんでも手回しが良すぎる。
そもそもこの世界に湯浴み着なんてあったっけ?
あっても庶民は使わないから、結構高価いんじゃないか?
「もしかして、イリス護衛の報酬で買ったのか?」
「正解です。さすがはなぁくんなの」
アイネは満足そうにうなずいた。
今回のクエストで、アイネとラフィリアは僕たちとは別に、イリスから護衛の報酬をもらうことになってた。アイネのことだからたぶん、自分のものなんか買わないんだろうなって思ってたけど……そっか、これに使ったのか。
『ちょうこうきゅうな湯浴み着
王族や貴族が、ちょっとした旅行などで使う湯浴み着。
高貴なる者同士が、一緒に湯に浸かって親睦を深めるためのもの。
特殊な繊維でできていて、水も空気もよく通す。
表面には複雑な文様が編み込まれていて、糸に色がついているため、濡れても人目に肌をさらすことはない。
身体をお湯で洗い流すだけなら、着たままでも可能』
「イリスさん、すごいの。帰りにお願いしたらすぐに手配してくれたの」
「……すごい高級そうなんだけど」
手触りがなめらかで、きめ細かい。
それが人数分ある。男性用が1つ。女性用が4つ。
「まさかとは思うけど……アイネの分の報酬、これに全額つぎ込んだりしてないよね?」
「なぁくんってアイネのこと、なんでもお見通しなの!?」
あー、やっぱりかー。
さすが最強のお姉ちゃん……。
今回のクエストでは、アイネとラフィリアの報酬は別会計ってことになってる。アイネは『湯浴み着』に、自分がもらった分を全額、つぎこんじゃったらしい。
護衛の報酬って──いくらくらいなんだろう?
今回のクエストの報酬が4000アルシャ。アイネたちの護衛任務の報酬はそれより低いはず。1000は行かないとしても……数百アルシャは稼げたんじゃないのかな。1ヶ月の生活費くらいは……。
「……だって、アイネはなぁくんの背中を流したかったの」
アイネは、つん、つつん、と左右の人差し指を合わせた。
「湯浴み着を着れば、アイネが一緒にお風呂に入るのを許してくれるかな、って」
アイネ、
……こんなことなら背中くらい流させてあげればよかった。
昼間仕事してもらって、夜にもそういうことをさせるのは、残業をお願いしてるみたいでなんか嫌だったんだけど。
「わかった。じゃあ、これを着て一緒にお風呂に入るのはオッケーにする。アイネにも今日は無理させたから、そのごほうびってことで」
「なぁくん……」
アイネは両手を祈るかたちに組み合わせて、ぱぁ、と笑った。
「よかったの。これでなぁくんを縛り上げずに済んだの」
「縛る気だったの!?」
「……たまにそういうことをしないと、アイネの『お姉ちゃんスピリット』が暴走しそうになるの……」
そう言ってアイネは、胸を押さえたのだった。
いろんな隠しパラメータがあるんだね。アイネ。
「ラフィリアの報酬は……」
「貯金しておくです」
「意外とまともだな」
「…………人生、なにが起こるかわからないですぅ。いざという時に……最低でも……生き残れるように…………」
過去を思い出したのか、ラフィリアの目から光が消えていく。
そういえば元不幸体質だったね。
スキルを書き換えても、警戒心はすぐには消えないか。
「……アイネ。ありがとう」
気がつくと、リタがアイネの手を握りしめてた。
桜色の目を輝かせて、真剣な顔で。
「ううん。アイネがなぁくんと一緒にお風呂に入りたかっただけだから」
「ご主人様とのお風呂は、私たちのパーティにとっては最大級の課題だもんね」
「生き死にと家族計画に関わる問題なの」
アイネも真面目な顔で、つぶやく。
うちのパーティは他とは違うことわりで動いてるらしい。
「私、アイネが仲間になってくれて良かったって思ってる。本当に」
「そんなの。いまさら他人行儀なの」
「ううん。そんなことないもん。本当に感謝してるの。アイネのためだったら、なんでもしてあげたいくらい」
「そうなの?」
「うん。このリタ=メルフェウスの名誉にかけて」
「わかったの。じゃあアイネも、なぁくんとリタさんと一緒に、お風呂に入るの」
アイネはリタの手を両手で包み込んで、
「あ、あの。アイネ?」
「理由いち。なぁくんの背中を流したいの。気持ちがはじけそうなの。
理由に。アイネが買った『ちょうこうきゅうな湯浴み着』の使い心地を見てみたいの。
理由さん。リタさんは『高速再構築』して、不安定だから、なにかあった時はアイネが面倒を見てあげたいの」
完璧な理由だった。
完璧な、お姉ちゃんだった。
もはや非の打ちどころがなかった。
反論の手段さえ見つからなかった。
「いいかな? なぁくん、リタさん」
アイネはにっこり笑いながら聞いてくる。
僕とリタは顔を見合わせたけど、パーティのために報酬をすべて投げ出した『お姉ちゃん』に敵うはずもなく……。
結局、お風呂には3人で入ることになったのだった。
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