第32話「番外編その1『ナギとセシルと白き結び目の祭り』後編」

 僕が人差し指と親指で挟んだ異世界クレープ「ケルパナ」


 セシルはそれに歯を立てる。僕の指を傷つけないように、そっと。


 赤い目で僕を見上げながら、大切そうにそれを噛んでから、飲み込む。


 それから、僕の手に残ったケルパナのかけらを見て──


「……失礼します、ナギさま」


 ちゅぷん


 セシルは僕の人差し指を、口に含んだ。


 そのまま、小さな舌がケルパナのかけらを舐め取っていく。


 全部綺麗にしてから、セシルは僕の手を取り、親指と掌に唇をつける。小鳥がついばむみたいに、ソースと、生地の粉を舐め、吸い取っていく。


 邪魔にならないように、銀色の髪を片手で押さえて、セシルは一生懸命に小さな頭を僕の手に押しつけてる──。


 ごめん。なにが起こってるのかわかりません。


「ど、奴隷どれいでありよめであるとはこういうことか!?」


「いきなり叫ぶなイトゥルナ教団の人っ!」


「こ、これが嫁? 奴隷嫁どれいよめかっ? なんてことだ!?」


「あれ真に受けてたの!?」


「そういうプレイ……こんな小さな少女に、毎朝毎日毎晩こんなことをさせているとは……」


「させてねぇよ。今日はたまたまだよっ」


「もはや貴様の魂は深淵まで汚れてしまっているに違いない!」


「汚れとか関係ねぇから。というか、これってお祭りの儀式じゃないのか?」


「祭り? まさか……『白き結び目の祭り』か?」


 イトゥルナ教団の男性が、信じられないものを見るような顔になる。


「おまえたちは正式な儀式にのっとって『白き結び目の祭り』を行っているというのか?」


「うん」


「指輪の力を使わずに?」


「使ったら奴隷をねぎらうことにならないだろ?」


「……ありえない。ダークエルフの少女と人間の少年が……なんとうらやま、いや、汚れて──いやそれでもうらやま──違う。あの、そのあの」


「わかるように頼む。20文字以内で」


「……一緒に冥府の爆炎に灼かれてしまえ異端の者めええええええええええっ!」


 イトゥルナ教団の男性は、不意に僕たちに背中を向けて走り出した。


 そして、あっという間に見えなくなった。


 なんなんだ一体。






 神官は息を切らせて立ち止まった。


 信じられない。


『白き結び目の祭り』が行われなくなったのは、最後まで実行するのが恐ろしく難しいからだ。


 奴隷とそこまでの信頼関係を築いている主人などいない。


 いるとしたら、それは信頼を超えた関係。たとえば──


 あーっ! やめだやめだ!


 自分は女神イトゥルナに仕える神官なのだ。


 あんなうらやまし──汚れた少年のことは忘れろ!


 さっさと教団支部に行こう


 怪魚に襲われた件とリタ=メルフェウスの扱いについて、報告をしなければ。






「……なんであんなことしたんだよ、セシル」


「つい、かっとなってやりました……うぅ」


 反省はしてなさそうだった。


 真っ赤になるくらいならやらなきゃいいのに。






『第3の儀式


 契約の神様の神殿の前で主人と奴隷が共に、一緒にいられることに感謝する』




 これは社員旅行で神社仏閣に行くようなもんか。


 僕はセシルの歩幅にあわせて、『契約の神殿』に向かった。


 神殿は僕の世界の教会と似たかたちで、誰でも入れるようになっていた。


 中はだだっぴろい部屋の奥に、大きな女神像があるだけ。


 優しそうな笑みを浮かべてた若い女性の像で、手には錠前と鍵束を持っている。


「ここでは普通にお願いをしてもいいんですよ、ナギさま」


「『契約』関係じゃなくても?」


「はい。『契約の神様』は『結びつける神様』って言われてますから」


『契約』は人と人とを約束で結びつけるもの。


 それが転じて今の自分を、未来の──夢を叶えた自分と結びつけるって御利益があるってことだ。


 とりあえず僕は「働かないでも生きていけますように」って願った。


 セシルは隣で「──魔族の血──未来へ──ナギさまとの」って言ってるような気がしたけど、よく聞こえなかった。というか、人のお願いを聞くってのはマナー違反だよね。


 神殿には『契約』の由来が書かれた銅板があった。




『契約の神様』がこの地に『契約』のルールを作ったのは、善意から。


 人の欲望には歯止めがない。


 それをとどめるために神様は、人間と対等のものとしてエルフやドワーフなどのデミヒューマンを作った。


 けれど、それでも人間の欲望をとどめるには足りなかった。


 だから『契約の神様』は『契約』の強制力を作った。


『契約』した分だけは、自分の欲求を満たしてもいい。


 でも、そこで満足するべきなのだ。


 人の欲望を押さえ込むことはできない。


 だから『契約の神様』は限定して解放することにした──




 そういうルールだったらしいけど……あんまり目的を果たしてないよね。


 異世界人の僕が文句を言えた義理じゃないけどさ。


 僕の世界では書面での雇用契約だってちゃんとしてなくて、善意やなぁなぁで仕事させられてたからなぁ。


『契約の神様』──僕は奴隷をできるだけ大事に扱いますから。


 ブラックな雇い主にはならないようにしますから。


 どうか、こっちの世界では楽に生きられるようにしてください。ぱんぱん。


「主人と奴隷がそろって契約の神殿に詣でるのは珍しいのぅ」


 長い髭を生やし、ローブを来た老人が、神殿の奥から現れた。


 この神殿の神官かな。


「主人が、奴隷を無理矢理連れてくることはあるがな。お主たちもその口か?」


「僕たちは社員旅行です」


「しゃいんりょこう?」


「たまにはセシルにごほうびを──って、あれ?」


 神官の老人が、どん引きしてる。


「今日この時に? まさか『白き結び目の祭り』かっ!?」


 だからなんでいつもその反応なんだよ。


 そろそろ不安になってきた。やめようかな、これ。


「このお祭りって、やっても問題はないんですよね?」


「お主たちに異論がなければ」


「もしかしてこれ……魔法の儀式ですか?」


「それはわからぬが、この儀式は魔族がはじめたものと言われておる」


「魔族が?」


 ぴくん、と、セシルの耳が動いた。


 僕と老人の話の邪魔をしないようにしてるのか、黙って僕たちを見てる。


「『契約の神』のルールを魔族が研究したことで生まれた儀式だと言われておる。すたれたのは、最後まで実行できるものがいなかったせいじゃ。ただ、これを行うと奴隷と主人が絆が強まる、という話だけが残っておる」


「強まるって、どんなふうに?」


「互いが本当の信頼関係を結んでいた場合、それを証明することができる、と」


「他には?」


「魔族の儀式の効果なんぞ詳しく知っておるものがおるものか」


 そういう差別ってよくない。文化遺産って大事なのに。


「……ナギさま」


 くい、と、セシルが僕の袖を引いた。


「わたし、最後までこのお祭りをしたいです」


「うーん」


 僕としては、このへんで止めていいと思ってるんだけど。


 だんだん話が怪しくなってきてるし。


「もうちょっと研究して、また次回ってわけにはいかない?」


「ナギさまが……そうおっしゃるなら」


 だから、そんな泣きそうな顔しないで。


 わかるけどさ、セシルにとって魔族がらみのものが特別だっていうのは。


 とにかく……今のところ情報は「この儀式は主人と奴隷を強く結びつける。絆を深める」だけだよな。


 それが『契約』によるものなら、僕が最終的に解除することもできるはず。


「わかったよセシル、最後までやろう」


 僕はセシルの頭に手を載せた。


 銀色の髪を、くしゃ、と撫でると、セシルはやっと笑ってくれた。


『白き結び目の祭り』は、セシルのための社員旅行みたいなものだから。


 セシルの希望通りにしよう。


 ただ……最後のはかなりハードルが高いんだけどさ。






 老神官は自室で羊皮紙にペンを走らせていた。


 今日はめずらしいものを見た。


 主人ともに奴隷がこの神殿に来たのだ。しかも、奴隷が自ら望んで。


 そんなことがありえるのだろうか? いや、きっと冗談だろう。


 奴隷が、自らを縛り付けている契約の神に祈りを捧げるなど……。


『白き結び目の祭り』は、契約の神がこの地に降りた時、魔族とふれあい、生まれたものだという。


『契約』が従わされるものを縛るものではなく、希望であると。


 主人と奴隷が深くつながることによって、新たなる力を発揮して欲しいと──一人ではたどりつけない未来を切り開いて欲しいという願いのもとに、作り出されたものだと聞いている。


「しかし……伝承にある、主人と奴隷の時を超えた結びつきとは一体……。

 いや……いかんな、これは異端の考えだ」


 老人はため息をつき、書きかけの紙を暖炉に投げ入れた。






 ぽわん


 ぽわん ぽわん




 目の錯覚じゃないよな。




 ぽわん ぽわん ぽわん




 さっきから、僕とセシルのあとを、小さな光の玉がついてくる。


 さわろうとしても手がすり抜ける。他の人たちは反応してない。


「セシルには見えてる?」


「魔力のかたまりみたいです」


 金色のシャボン玉みたいだな。これ。


 悪いものじゃないならいいけど。


「最後の儀式はこのあたりでどうでしょう。ナギさま」


 セシルはすっかりその気だ。


 光の玉を連れて、僕たちは宿屋の裏へ。


 まわりに人気はない。背の低い石壁と植え込みがあるだけ。


「……えへへ」


 僕の前を歩いていたセシルが、銀色の髪を揺らして、振り返る。


「今日はまるで夢みたいな一日でした。こんなに楽しかったのって、生まれてはじめてです」


「そっか」


 楽しんでくれたのなら、よかった。





『最後の儀式


 今日一日のねぎらいに感謝して、奴隷が主人のひたいにくちづけをする』




 僕はセシルの前で膝をつく。


 そうしないとセシルが届かないから。


 白い魔力の球体が、僕たちを取り巻いてる。


 セシルに語りかけるみたいに、ふわふわと。


 セシルは銀色の髪をかきあげてる。長い耳を見せて、球体の声を聞いてるみたいだ。


 僕には聞こえない声が、魔族のセシルには聞こえるのかもしれない。




「わたし、セシル=ファロットは、ソウマ=ナギさまがくださったすべてのものに感謝します」


 呪文を詠唱するように、セシルは語り始める。




「ナギさまはわたしの身体を洗ってくれました。おかげで、わたしはこの肌が好きになりました。ナギさまがきれいだって言ってくださったものを、わたしが嫌うわけにはいかないですから」




「ナギさまはわたしに手づからご飯を食べさせてくれました。この身体の中に、ナギさまを少し、取り込んでしまったような気がします」




「ナギさまと神殿で一緒にお祈りしました。わたしは、心の深いところでナギさまとつながりました」




 ちょっと待った。


 セシル、なんでこんなにスラスラと言葉が出てくるんだ?


 まさか、ここまで来て、セシルにはこの儀式がどういうものかわかったとか?


 僕はセシルの中から伝承記憶として「古代語詠唱」を引き出した。


 同じことがこの儀式の中で起こっててもおかしくない。


「待ったセシル。この儀式の正体って──」




「だからわたし、セシル=ファロットは、ナギさまとのもっと強い絆を望みます。この『白き結び目の祭り』の儀式をもって」




 セシルは白い光を綺麗な銀髪に宿らせ──目を閉じて、ゆっくり近づいてくる。


 どうする?


 このまま儀式を完成させて本当にいいのか?






「おかみさーん。本当にあの羊皮紙渡しちゃってよかったんですか?」


「だから何度も言ってるだろ。儀式そのものは秘密でもなんでもないって」




 突然、僕たちの頭の上で、宿屋の女主人の声がした。




「あいつはどうせダークエルフの少女を指輪で縛ってるだけだって」


「そりゃわかってます。でも万が一、儀式に成功しちゃったら?」


「ありえないって言ってるだろ、しつこいねぇ」




「奴隷が『来世もあなたのものになりたい』と心から願って額に口づけることで、来世もその先も……未来永劫ふたりを主従として『契約の神様』が結びつける儀式なんて、成功するわけないだろ? 成功するとしたら、それはひとつの奇跡ってやつだよ──」






 ちょっと待った。


「セシル、ストップ。儀式について再確認を」


「だめです、ナギさまっ! 未来永劫わたしをもらってくだ──」


 セシルが地面を蹴ってジャンプするのと、僕が立ち上がるのと、同時だった。


 細い腕が、僕の首にまわされる。


 小さな身体が、必死にしがみついてくる。


 そして──




 ちゅっ




 あごだった。




 僕たちを取り囲んでいた白い球体が、一斉にぱちん、とはじけて消えた。


 儀式不成立ってことらしい。






「……ナギさま……いじわるです」






「結局セシルは、あの儀式のことをどこまで知ってたんだ?」


「くわしい内容がわかったのは、たくさんの魔力に触れてからです」


 僕たちが儀式を途中まで成功させたことで、地面や空気に宿る魔力がかたちを取ってあらわれた。


 そして、セシルに儀式の内容を伝えた。


 あれは奴隷に最終意思確認をするために現れたんだ。




 ──生まれ変わっても、あなたはこの人のものになりたいですか?──って。




 それにセシルがどう答えたかは……このつやつやした顔を見ればわかるよね。


 ほっぺた膨らませてるけどさ。


 というかわかった時点で言えよ。僕の同意も得ようよ。


 未来永劫『主従・・』にするって時点で駄目だろ。


 結びつけるだけなら、僕だって別に文句はなかったんだ。


「だってナギさま。わたしに恩返しさせてくれないじゃないですか」


 そんなジト目で見られても。


「わたしにはこの心と魂と身体しか、ナギさまにあげられるものがないんですよ?」


「恩返しとかいいって。セシルはしっかり働いてくれてるんだからさ」


「……いつになったらナギさまはご主人様としての立場を自覚してくださるんでしょう」


「なんで上から目線なんだよ!?」


「わたし、今まで自分が嫌いでした──魔族の自分が」


 すぐ近くで僕を見上げてくる、セシルの顔。


 最後の方は、もちろん小声だったけど。


「でも、ナギさまに出会って、自分を好きになれるようになったんですよ? わたしの血が生み出したスキルが、ナギさまをお助けすることができたんですから」


「僕だってセシルに助けられてるんだから、それでいいだろ?」


「もー! ナギさまってば、もーっ!」


 だからなんで怒ってるんだよ。


 しかもうれしそうに怒るって器用だな!


「おや、戻ってきたのかい?」


 宿屋に戻った僕を、女主人が出迎えた。


 僕にトラップを仕掛けた元凶だ。


「これ、お返しします。羊皮紙」


「……ふん」


 ひったくられた。


 そして宿屋の女主人は、心配そうにセシルの顔をのぞき込んだ。


「大丈夫だったかい?」


「え? あ、はい。もちろん大丈夫です。でも……不本意な結果になりました」


「がつんとやってやったかい?」


「? あごのあたりに、ちょん、とだけですよ?」


「そうかい。それでも、こいつも思い知っただろうよ」


「……?? ……確かにナギさまにはもうちょっとわたしの気持ちを思い知って欲しいですけど……?」


 ひどいこと言われてる。


 結局、この女主人は僕がセシルを無理矢理支配してるって思ってたわけだ。


 だから『白き結び目の祭り』を利用して僕の指輪を封印した。


 そうしてふたりの絆を試す儀式をさせることで、セシルが嫌がって本心を表すようにし向けた。


 奴隷にブラック労働させてる(と思われる)僕に思い知らせるために。


 ……まぁ、小さなセシルを連れ回してれば、そう思う奴もいるのかもしれないけどさ。


 ちなみに、4つの儀式にはこんな意味があったらしい。




 奴隷を洗う=儀式のために、主人の手で身体を清める。


 ご飯を食べさせる=これからも食を共にする誓いの儀式。


 神殿=三つの儀式をクリアしたことを「契約の神様」に報告する。


 キス=すべての儀式が完了したことの証。




 僕たちが全部クリアするとは思ってなかったんだろうな。


 女主人はセシルに向かって


「……希望を捨てちゃいけないよ?」


「今のわたしは希望ばっかりです。未来にはもっといいことがあるはずです」


「その意気さね」


 涙目でうんうんうなずいてる女主人に手を取られたセシル。


 でも、セシルは真っ赤な目をきらきらさせて僕の方を見てた。


 正確には、僕のひたいのあたりを。




「5年も経てばわたしだって少しは背が伸びますから、次のお祭りの時には届くと思います」




 なぜか決意を秘めた顔で、セシルは宣言したのだった。






【番外編】「ナギとセシルと『白き結び目の祭り』」おしまい

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