第31話「番外編その1『ナギとセシルと白き結び目の祭り』前編」
[今回は番外編です]
時間的には第10話の後半あたりのお話です
ナギとセシルがメテカルの町についてから、リタと合流するまでの間に起こった出来事になります。
──────────────────
「『白き結び目のお祭り』?」
セシルと一緒にメテカルについた翌日。
町を散歩していた僕たちは、古い店の敷地にある石碑に気づいた。
ずいぶん古そうだ。
表面には苔がびっしり張り付いてて、刻まれた文字も消えかけてる。
「……『白き結び目のお祭り』は奴隷をねぎらう祝祭。互いの絆を確かめるための……セシル、続き読んで」
「はい。5年周期でそういうお祭りがあるみたいです。一番近いのは……あれ?」
「どしたのセシル」
「今日ですね。『白き結び目のお祭り』」
子犬のように首を傾げて、奴隷少女のセシルは言った。
「あー、そんなお祭りもあったねぇ」
宿に戻った僕たちは、宿の女主人に祭りのことを聞いてみた。
「『白き結び目の祭り』ってのは、かなり古い祭りさね。『契約の神様』に関わるものなんだけど、もうやってる人もいないんじゃないかねぇ」
「奴隷をねぎらうお祭りなんですよね?」
「……興味があるのかい?」
女主人は、値踏みするように僕を見た。
それからセシルを見て、肩をすくめてため息をついた。
「うちに記録が残ってたはずさ。先祖がこの町のそばに住んでた魔法使いと知り合いだったんでね」
女主人は手を挙げて店員を呼んだ。
『奴隷をねぎらうお祭り』かぁ。
つまり、いつも一生懸命働いてくれる人を、雇い主がもてなすってことだよな。
「……社員旅行みたいなものかな?」
「なんだいそれ?」
「いえ、こっちの話です」
僕たちはここまで旅してきたわけだし、社員旅行みたいな旅先のイベントって考えるとわかりやすい。
『白き結び目の祭り』、普段働いてくれてる人をねぎらうお祭り。
つまり、ごほうびとしての社員旅行。宴会つきのやつってことか。
……実は社員旅行って、結構あこがれてた。
バイト先で社員の人たちが「楽しかったんだぜ! すげー楽しかったんだ信じてくれよ! 写真見ろよ話聞けよ!」って、旅行のあと必死に訴えてたから。
不思議なくらいやつれてたけど。
きっとそれくらい必死で楽しんだってことなんだろうな。
「『白き結び目の祭り』は奴隷に報いるための社員旅行……それなら、やった方がいいかな」
僕はテーブルの向かい側でパンを食べてるセシルを見た。
細い身体。着ているのは丈の短い布の服。肩の上には革の首輪。
固いパンを少しずつちぎって、スープに漬けてもぐもぐと食べてる。
セシルは僕に文句も言わずについてきてくれてる。
でも、僕はセシルにたいしたことしてあげてないんだよな。
……よし、奴隷をねぎらう祭りがあるなら、それでセシルにお返しをしよう。
でないと、僕がブラックな雇い主になっちゃうかもしれないし。
「よければ、その『白き結び目の祭り』について教えてもらえませんか?」
僕は女主人に聞いた。
でっぷりとした体系の女主人は、たるんだ顎を揺らしながら。
「まずは『
「『契約』?」
「あんたが奴隷に対して『今日一日、指輪の拘束力を使わない』って『契約』するのさ。すべては奴隷の自由意思に任せる。ねぎらうってのはそういうことだろ?
もうひとつ。奴隷が嫌がったら儀式をやめる。重要なのはそこさ」
そう言って、女主人は店員が持ってきた羊皮紙の束を、僕に差し出した。
「詳しいことは、ここに書いてあるよ。まぁ、やってみるんだね」
ふん、と、女主人は鼻をならした。
それからセシルを見て、僕をまたにらみつけてから、離れていった。
部屋に戻った僕は、もらった羊皮紙を読んでいた。
かなり古いものらしく、ところどころ変色してる。
ということは歴史あるもの。つまり本物の可能性が高い。
あの女主人が適当に考えたものだとしても、セシルをねぎらえればそれでいいんだけど。
羊皮紙は4枚。
それぞれに、主人と奴隷の絆を深めるための儀式が書いてある。
今日一日、指輪を使わないって『契約』はさっき済ませた。
で、最初の儀式は、
『最初の儀式
普段の働きに感謝しながら、主人が奴隷の背中をすみずみまで拭いてきれいにする』
そして部屋のドアの前には、ほかほかのお湯が入った手桶がある。
身体を拭くための布までついてる。
気を聞かせた宿屋の従業員が、さっき持ってきてくれたんだ。
そっか。僕がセシルの背中をあれで綺麗に拭くのかー。
確かに、社員旅行で温泉に行ったりするけどさ。
そっか、社員の人たちは旅行先で、社長や管理職に背中を洗われたりしてたのか。あるいは逆か。
ハードル高いよなぁ。そりゃやつれるのも無理ないよ。
「あのさ、セシル」
僕はベッドに腰掛けて、セシルに問いかける。
「はい、ナギさま」
セシルは相変わらず床にぺたん、と正座して、僕を見上げてる。
「僕はセシルをねぎらいたいと思ってる」
「はい、ナギさま。ありがとうございます」
「でも、セシルが嫌がるようなことはしたくない」
「もちろん、わかってます」
「というわけだから、1枚目と4枚目の儀式はなしにしようと思うんだ」
「わかりました。ナギさまがそうおっしゃるなら」
しゅる
セシルは僕に背中を向けて、服を腰のあたりまで下ろした。
褐色の、きゃしゃな背中が現れた。
つやつやした、なめらかな肌。
セシルは自分の肌の色が嫌いだっていう。
別に嫌うことないと思うんだけどな、
セシルは肩に手を回して、長い髪を左右に分けて、前の方に流した。
細い首に巻き付いた首輪の金具が、ちゃりん、と、鳴った。
そのままセシルが胸を手で押さえたから、
無駄な肉なんかついてない。
もうちょっと肉がついた方がいいんじゃないかと思う。きれいだけど。
異世界に来てびっくりしたのは、こんなきれいな女の子が本当にいて、生きて動いてるってこと。
セシルは僕の目の前で、僕が背中に触れやすいように身体の位置を調整してる。お尻が見えそうになるくらいずり落ちた服を、上げたり戻したりずらしたり。ちっちゃな足の指を握ったり閉じたり開いたり。
目の前の光景に頭がぼーっとなる。同じような言葉しか出てこない。
フリーズしたかショートしたのかこの脳味噌。
「……お願いします、ナギさま」
銀色の髪を押さえながら、セシルが肩越しに振り返る。
セシルはこんな小さな身体で、いつも僕をサポートしてくれてるんだよなぁ。
よーし、今日は全力でセシルをねぎらおう──って、
「…………ちょっと待った落ち着け自分」
今、なにしようとした? どうしてベッドから降りた?
おちつけー、おちつけー。冷静になれー。
「……あのさ、セシル」
「は、はいナギさま」
「背中を拭く儀式はしないっていったよな?」
「はい、うかがいました」
「じゃあなんでそんな格好に?」
「ナギさまがどうしてためらうのか、わからなかったからです」
「セシルだって抵抗あるだろ。男のひとに身体を拭いてもらう、なんて」
「ナギさまなら、いいです」
またそういうこと言う。
「ナギさまはいつも、わたしの肌がきれいだって言ってくださいますよね?」
「うん。だって
「でも、わたしは、自分の肌が嫌いです。魔族──ダークエルフってわかるこの肌のせいで、邪悪なものとしてみんなに嫌われてます。ナギさまだって、わたしと一緒にいるせいで白い目で見られてるかもしれないです」
言いながら、セシルは自分の腕を撫でた。
「それでも、ナギさまにこの肌を洗っていただければ、好きになれるような気がするんです。わたしの大事なひとが綺麗にしてくれたものを、嫌うわけにはいかないですから」
……逃げちゃだめな場面だよな。ここは。
『セシルの肌は綺麗。でも触れるのは嫌だ』なんて言えないもんな。
覚悟を決めよう。
僕はセシルのご主人様なんだからさ。
「わかった。でも、嫌だったらちゃんと言って」
僕は桶に手を入れて、お湯の温度を確認する。
よし、適温。
布をお湯にひたして、セシルの背中に当てた。
「────ひゃぅっ」
「熱かった?」
「だ、だいじょうぶです……続けてください」
「うん」
手早く。
僕はセシルの首筋に、布を置いた。
汗ばんだセシルの肌が、ぴくん、と震えた。
僕は上から下へ。セシルの背中をなぞっていく。
背骨に沿って、その位置を確かめるみたいに。
「………………」
儀式としては「綺麗にする」だよな。
背中全体を拭けばいいよね。
右から、左へ。
僕は肩胛骨をなぞるように、ゆっくりと拭いていく。
「……セシル、くすぐったくない?」
「………………まったくどうってことないです」
セシル、ぜんぜん動じてないな。
僕が意識しすぎなのか。そうだよなぁ。
元の世界の社員旅行では、(たぶん)普通にやってることなんだから。
「……ナ、ナギさまがためらう理由がわからないです。まったくどうってことないです。普通に気持ちいいだけです。毎日だってかまわないです」
そっかー。
毎日は僕の精神が保たないけど、たまになら。
セシルは平然としてるわけだし。
両手で口を押さえてるのと、呼吸が早くなってるのを除けば、いつも通りだ。
「もうちょっとで終わるから、続けても平気?」
「…………ま、まったく……どうってこと……」
そっか。じゃあ続けよう。
これはセシルをもてなす儀式なんだから、本人が望むなら続けないと。
…………ところで、わき腹って背中に含まれるのか?
まぁいいや、一応拭いておこう。
「………………っ!?」
ふるふるふるふるふる
こら。こっちだって緊張してるんだから、あんまり身体動かすな、セシル。
ぺちゃ
セシルの肘に当たって、僕が持ってた布が落ちた。
上げた僕の手はそのままセシルのわき腹を、ついーっ、っと──
ふるふるふるふるっ!
セシルの身体がすごい勢いで震えたかと思うと──
「……………………ぁぅ」
かっくん
セシルはそのまま前のめりに倒れた。
「セシル?」
「だいじょぶですなぎさま、わたしはまったくもんだいないです」
「魔族には他人に触れられてはいけない場所があったとか?」
「いえ、これは女の子としてとても正常な反応です」
こくこくこくこく
ぶんぶんぶんぶん
セシルは必死にうなずいて、それから首を横に振った。
なにがなんだかわからないってば。
「一応、背中は全部拭いたから、これでいいよな」
「これで大丈夫じゃなかったら困ります」
「でも、僕があんまりうまくなかったから、もうちょっと念入りにやった方が」
「ナギさま」
「なんだよ、セシル」
「ナギさまはわたしの理性が無限にあると勘違いしてませんか?」
なんで涙目でこっちを見てるの?
僕はおとなしく部屋を出た。
まったく。
「理性が無限にあると勘違いするな」なんて……こっちのセリフだ。
廊下でセシルの身支度が整うのを待ってると、宿屋の女主人が前を通りかかった。
彼女はドアの外に立ってる僕を見て、満足そうに顎をゆらして笑った。
『第2の儀式
奴隷と主人が手ずから同じものを分け合って食べる』
うん。これはわかる。
要するに、宴会でお酌をするようなものか。
そんなわけで、僕とセシルは町に出た。
大通りには屋台が並んでいる。商業都市だけあって、人通りも多い。
僕は一番人が並んでる屋台を選んだ。
なにがおいしいのかなんてわからないからね。ここは現地の人を信じよう。
「お待たせ、セシル」
僕たちは通りの隅の植え込みに腰掛けた。
屋台で売ってたのは「ケルパナ」っていう食べ物だった。
刻んだ肉を生地で包んで、上からソースをかけてある。
甘くないクレープか、柔らかい春巻ってイメージだ。
「同じものを分け合って食べるんだよな?」
「はい、手ずから」
「手ずから?」
「奴隷の身でこのようなことをお願いするのはとても心苦しいです」
セシルは立ち上がり、僕に向かって深々とお辞儀をした。
「けれど、わたしをねぎらってくださるという、ナギさまのご意志にお応えしたいと思います」
そう言ってセシルは僕の目の前でひざまづいた。
目を閉じて、小さな口を開けた。
親鳥からご飯を与えられるのを待つ、
……僕は自分の手で、このケルパナをセシルに食べさせなきゃいけないわけだ。
難易度高いな『白き結び目の祭り』
大通りは人であふれてる。みんな買い物に集中してて、僕たちのことなんか見てない。
よかった。
セシルみたいな女の子を目の前でひざまづかせて、口を開けさせて──僕の世界だったら職務質問その後確保されてるレベルだ。
「じゃあ、いくよ、セシル」
僕は小さくちぎったケルパナをつまんで、セシルの口元に持って行く。
「ここでなにをしている?」
声がした。
振り返ると、フードをかぶった男性が僕たちの後ろに立っていた。
「例の冒険者と邪悪なダークエルフか。ここでなにをしているのだ?」
「……イトゥルナ教団の人?」
見覚えがあった。
街道で、僕とセシルをリタ神官長に取り次いでくれた奴だ。
レヴィアタンの攻撃で麻痺してたはずだけど、回復してメテカルに来てたのか。
「お前はまだダークエルフの奴隷などを連れ歩いているのか」
「余計なお世話だ」
「言っておくが、魔族とダークエルフだけは信用してはならぬぞ」
あたりをはばかるみたいに、男性はこっちに顔を寄せてくる。
「魔族やダークエルフはすぐに裏切る。一見、忠誠を誓っているように見えても、その本心は人とは相容れない」
「普通の人間とは、だろ」
僕は異世界からの来訪者だし、そのカテゴリには当たらない。
「セシルは僕を助けてくれてる。あんたにとってはどうなのかは知らないけどさ、僕はセシルを信じてるんだ」
「それが甘いというのだ。こいつらは人間を見下しているのだぞ!」
こっち指さすな。あと大声出さないで、目立つから。
「魔力に長けたデミヒューマンが、人間を触れるのも
「へー」
「へー、ではない! こいつらは常に指輪の力で縛っておくべきなのだ!」
……早くどっか行ってくれないかな。
でないと、セシルがずっとお座りポーズのままだから。
なのにイトゥルナ教団の男は、僕に向かって話し続ける。
「お前はわかっていない。ダークエルフは人間を汚れたものだと思っている。決して心の底から忠誠を誓ったりはしない。この少女も、お前に触れることさえも嫌がっている──はず」
ちゅ
いきなりだった。
ひざまずいていたセシルが、僕が持つ異世界クレープ「ケルパナ」に触れた。
首を伸ばして、顔を寄せて。
桜色の唇で。
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