第22話「もらった屋敷にはオプション契約がついていた」

 ぼ────────っ。


 椅子に座ったまま、アイネさんは宙を眺めてる。呆然としてるみたいだ。


 そりゃそうだよなぁ。


 記憶は戻ったけど『庶民ギルド』の権利を全部なくしちゃったんだから。


 ここは、レティシアが用意してくれた隠れ家。


 彼女の知り合いの道具屋の倉庫だ。


 セシルとリタは、イルガファへの旅に必要なものを買いに行ってる。


 レティシアは道具屋と話をしに行ってる。僕が残されたのは「なぁくん」が側にいた方が、アイネさんが落ち着く、って言われたからだ。


 でも、アイネさんは椅子にだらりと腰掛けて、ぼーっとしてるだけだった。


「……助けてくれてありがとうございました、ナギさん……」


 しばらくしてから、アイネさんはやっと口を開いた。


「でも……アイネは、これからなにをしたらいいんでしょう……」


 テーブルの上のお茶を、とっても長い時間かけて、一口飲んで、それから僕の方を見た。


「『庶民ギルド』を取り返すのは──」


「無理です。『契約』しちゃいましたから」


 アイネさんはさみしそうに呟いた。


『庶民ギルド』メンバーを助ける代わりに、アイネさんがギルドのすべての権利を手放す契約。


 それはもう完了しちゃったから、どうしようもないらしい。


「ナギさん……今だけでいいですから『なぁくん』って呼んでいいですか」


「うん」


「なぁくん、アイネは少し、おかしいの」


 アイネさんは首をかしげて、僕を見た。


「『庶民ギルド』がなくなったのに、つらいはずなのに、楽になってるの。おかしいの……」


「そういうのは……僕にも経験あるな」


 僕の場合は、ブラックなバイトが終わって楽になった、だけど。


 明日から働かなくていいって解放感は同じかもなぁ。


「アイネはナイアスが死んでから、あの子との思い出の場所を守ること──ギルドの跡継ぎになることだけ考えてきたの。だから、これからなにをすればいいかわからないの。なぁくん」


「今までどれくらい働いてきたの?」


「一日二十二時間かなぁ」


「平均睡眠時間は?」


「睡眠? なにそれ? 食べもの?」


 ちょっと待った。


「アイネさん」


「なぁに? なぁくん」


「記憶なくしてた時のこと覚えてるよね?」


「はい。あの時はなぁくんに甘えちゃったの。ギルドマスターの後継者失格なの……」


「あのときしっかり寝てたよね?」


「そっかぁ、あれが『眠る』なの……? そういえば仕事してると、時々意識が遠のくことがあったの。それがまとめてやってきたみたい。あれが、睡眠ってこと……なの」


「あの、ちょっと……」


『庶民ギルド』って、登録してる僕たちにはホワイト企業だったけど。


 そこで仕事してるアイネさんにとってはどうだったんだ?


「試しに、一日のスケジュールを言ってみて」


「朝4時に建物と前の道の掃除。それからやり残した書類の整理をしてから、ギルドのみんなに出すお菓子を作るの。それを朝ご飯代わりにつまんで、町の人たちからもらったクエストに優先順位をつけて、クエストボードに掲示。だいたい冒険者のみんなが集まってくるのが9時過ぎだから、そのあとみんなの相談に乗ってるうちにお昼かなぁ。お菓子の残りをつまんで、午後からは『貴族ギルド』からのクレーム対応。町の人たちからのクレーム対応。新人冒険者の人たちのオリエンテーションをして、夜になったら酒場が開くので、従業員のひとたちと話をするの。だいたい冒険者のみなさんはケンカしちゃうから、アイネが仲裁をして、ギルドが閉じたら会計なの。収益を計算したあと、余ったお金で『貴族ギルド』のクエストの報酬不足を補うの。こっちのギルドは赤字になるので、商人のひとたちに援助をお願いするお手紙を書いて、そのあとは建物のお掃除を夜明けまで──」


「うわああああ! やめてやめてやめて!」


 痛い! 聞いてるこっちの心が痛い!


 なんだそのワーカホリック。というか自主的ブラック労働!


「他の従業員のひととかいないの!?」


「一階の酒場の人には給料を払ってるの。それと、たまに町の人たちが自主的に手伝ってくれるよ? 後見人の伯父さんも。でも、どうしても細かいところはアイネじゃないとだめなの。クレーム対応はアイネじゃないと怒る人もいるから……」


 知らなかった。


 今回の事件は『貴族ギルド』っていうブラックギルドと、『庶民ギルド』っていうホワイトギルドの対決だと思ってた。


 でも『庶民ギルド』がホワイトだったのはギルドメンバーに対してだけで、アイネさん自身にとっては超絶ブラックギルドだったのか。


 一般人向け冒険者ギルド、通称『庶民ギルド』は、アイネ=クルネットのブラック労働によって支えられています。ワンオペによる経費節減により、『貴族ギルド』のピンハネに対抗し、冒険者の皆さまの生活を支えています──って。


 これ、どうがんばってもアイネさんは救われないよね。


「こんなこと続けてたら死んじゃうよ」


「でも、立派なギルドマスターになるには、これくらい当然だって伯父さんが……」


「いくらなんでも無理があるってば」


 僕だって、22時間労働は2週間が限界だった。


 しかも、あっちの仕事は納期が見えてたんだ。


「まぁ、『貴族ギルド』のピンハネがなければ、人を雇えてたんだろうけどさ」


「それもありますけど、根本的にお金が足りなかったのは、伯父さんの金遣いが荒かったせいです」


「そんな伯父さんは追放しようよ……」


「アイネにとっては唯一の身内ですから」


「アイネさん放って逃げちゃったけどね」


「ナギさんのような、優しい冒険者のひととも出会えました」


「ダンジョン拒否して別のクエストやってたけどね」


「でも、他のみなさんみたいにクエスト料を倍にしろって言いませんでした」


「言われてたの!?」


「パーティ全員分のお弁当が欲しいとか、お酒をつけて欲しいとかも言いませんでした。ナギさんのおかげで、自分の食費を切り詰めることも、酒屋さんに土下座することもありませんでした」


「断ろうよ! というかそいつら除名しようよ!」


 ありえねー。


 見張りのゴロツキたちが言ってたことは本当だったのか。


「でもアイネは、今回の『魔剣クエスト』で、みなさんに迷惑をかけてしまいました」


 アイネさんは木製のカップに入った、冷めたお茶を口に含んだ。


「たくさんの人が怪我をしました。町を出なきゃいけない人たちだっています。アイネなら、それを防ぐことができたのかもしれないのに……」


「しょうがないよ。タナカってチートキャラがいたんだから」


「それでも、です。アイネはギルドの次期後継者だったんです」


 カップをつかんだアイネさんの手が震えていた。


「アイネに力があれば……『魔剣を手に入れて貴族ギルドに思い知らせれば、あいつらからのクエスト料を5倍くらいにふっかけられるんじゃ?』って盛り上がってたみなさんを止めることができてれば……誰も傷つかずに済んだのに……」


「そいつらの自業自得だと思います」


 奥が深いな、異世界。


『庶民ギルド』が一方的に正義ってわけじゃなかったのかー。


 僕らもダンジョンに潜ってたら、あいつらと一緒に討伐されてたかもしれないのか。


 アイネさんに感謝しないとなぁ。


「どっちみち限界だったんだよ、アイネさん。『庶民ギルド』をなくして良かったとまでは言わないけどさ。もう、楽になっていいと思うよ?」


「でもおじいちゃんの『庶民ギルド』を守るのは、ナイアスとの約束だったの……」


「……ああもう」


 僕はまわりを見回した。


 誰もいないよな。セシルとリタは外に行ってるし、レティシアはまだ戻って来てない。


「もういいんだよ『お姉ちゃん』」


 僕はアイネさんの手を握った。


 か細い指が、ぎゅ、って、僕の手を握り返す。


「……なぁくん」


「お姉ちゃんはナイアスとの約束を果たしたんだよ。できることは全部やった。あとはもう、自分のために生きていいんだ」


「その通りですわ、アイネ」


「──────っ!?」


 心臓が止まるかと思った。


「ど、どこにいたんだ。レティシア」


「外でドアに耳を押しつけてましたの」


「趣味悪いな!」


「いい雰囲気でしたので」


 青色の髪を掻きながら、真面目そうな顔でレティシアは言う。


「ナギさんの言う通りですわよ、アイネ」


「……レティシア」


「あなたは精一杯やりました。ギルドのために自分の全部を使い果たしてまで。今なら、わたくしの忠告も聞いてくれるでしょう? もうあなたは、自分のことを考える時が来たのですわよ」


「でも、わからないの」


 アイネさんはエプロンに包まれた胸を押さえた。


「『庶民ギルド』がなくなったアイネはからっぽで、なんにもないの」


「あ、それはおいといて、大事なことを忘れてましたわ」


 アイネさんのセリフを無視して、レティシアが僕を見た。


「ナギさんへの報酬が先ですわ。『契約』しましょう」


「今アイネさん結構大事なこと言ってたよね! いいの!?」


「こういうことはきちんとしないと落ち着かないので」


 レティシアは服の襟元から『メダリオン』を引っ張り出した。


「アイネの記憶を取り戻してくれて、ありがとうございました。あなたへの報酬は次の通りですわ。


『レティシア=ミルフェはソウマ=ナギに、イルガファにある別荘の権利を譲り渡す。


 含まれるのはレティシアが所有する建物、家具、それに付属するものすべて。


「契約」をかわして、わたくしたち二人がこの倉庫を出たあと、すべての所有権はレティシアからナギに移動する。


 ただし、譲渡後も大切に扱うこと。建物や調度品や付属するものを意図的に壊したり傷つけたりした場合は、所有権は無効とする』


 以上ですわ」


「……あれ? 貸してくれるんじゃなかったっけ?」


「あげますわ」


「くれるの? まじで?」


「よくわかりませんがまじですわ」


 レティシアは腰に手を当てて胸を張った。


「わたくしは正直『鋼のガーゴイル』を倒すのを半分諦めていましたもの。あなたたちはそれだけの価値があることをしたのです。別荘のひとつくらい、惜しくないですわ」


 すげー。太っ腹だ。


 レティシアみたいなのを本当の貴族、って言うのかもしれない。


「でも、なんで『この倉庫を出たあと』?」


「まぁ、一区切り、ってことですわね」


「一区切り、ねぇ」


「ここを出て、みんなでイルガファに向かう。それをすべてのクエスト終了の合図といたしましょう」


「……なんか引っかかるな」


「嫌ならいいんですわよ? 失礼ですわね。こちらは礼を尽くしているというのに」


「あ、ごめん」


 確かに失礼だった。


 レティシアの提案は……うん。別におかしいところはないな。


 こっちを引っかけるような文章もないし。


 別荘はもともと母親の遺産だって言ってたし、大切に使うことって条件がついてるのもうなずける。


 今までも、レティシアは約束を守ってくれてるし、いいかな。


「わかった『契約コントラクト』しよう」


「『契約』」


 かちん


 僕たちは『メダリオン』を打ち合わせた。


 これで正式に契約完了だ。


 そっかー。僕もこれで家を持つことになるのか……すごいな。


 元の世界ではアパートを転々としてたのに。


 異世界に来て良かった。扶養家族ができたけど。


 まぁ、これ以上は増える予定もないし……。


「次はアイネ、あなたですわ」


「……え?」


「わたくし、アイネにお仕事を紹介したいんですの。そうですわね。別荘の管理人なんていかがかしら?」


 はい?


「ちょうど、これから人に譲ろうと思っている別荘がありますの。でも、その相手があんまり生活力がなさそうな人で、掃除とかちゃんとしてくれるかどうか心配なのです。ほら、譲るとは言っても、母の形見ですもの。やっぱりきれいに使って欲しいですわ」


 あの、レティシア?


 なんで「してやったり」って顔で笑ってるの?


 アイネさんも、どうして真剣に聞き入ってるのさ。


「アイネなら家事は得意でしょう? わたくしの母の形見のお世話をしてくださらないかしら?」


「でも……アイネは」


「なにをしたらいいのかわからない、ですわよね? だったら、やりたいことが見つかるまで、とにかくなにかしなさい。今のあなたが急に止まってしまったら、それは高速回転している水車を急停止させるようなもので──きっと、壊れてしまいますわ。無理矢理にでもなにかした方がいいんですのよ」


「でもね、なんだかふわふわして、落ち着かないの」


「じゃあ、わたくしがあなたに鎖をつけて差し上げます。別荘の付属品になりなさい、アイネ」


 レティシアは『メダリオン』をアイネさんに向けた。


 ──って。


「ちょっと待った!」


「なにか不審な点でも?」


「付属品ってなんだよ」


「使用人……まぁ、この場合はメイドですわね」


「いや、親友を使用人あつかいっておかしいだろ」


「あなたがアイネを大切に扱えば済む話ですわ」


「僕が?」


「ええ、あくまでアイネは別荘に仕えるメイドになるんですもの。当然、別荘の所有者のものになるのですわ」


 ……やられた。


 最初からそのつもりだったな、レティシア。


 僕がレティシアから受け取るのは、別荘の建物、家具、付属するものすべて。


 別荘に仕える使用人がいるなら、それだって含まれる。


「もちろん。アイネの意思は尊重しますわ」


 親友の目を見つめながら、レティシアは言う。


「けれど、今のアイネには『からっぽ』を埋めるなにかが必要だと思いますの。それがナギさんのメイドになることなら、それもいいと思いますわ」


「……メイドは……いやなの」


 ぼんやりしてたアイネさんの目に、意思の光が灯ったように見えた。


 よかった。


 そうだよなぁ、いきなり僕の使用人になれなんて言われたら嫌だよなぁ。危ないところだった。さすがアイネさんは常識人で──


「もっとなぁくんに近いもの……どれいが、いいの」


 ──って、そんなこと全然なかった!?


「……アイネ、本気ですの? いくらなんでもそれは……」


 そうだレティシア、アイネさんを止めてくれ。


 奴隷になりたいなんて、いくらなんでも無茶すぎるって……


「だって、メイドは家のために働くものだから。なぁくんとの距離を感じるから。アイネはもっと近いものになりたい。深いところで繋がりたいの。なぁくんとずっと寄り添う存在になりたいの」


「そうですか。まぁ、アイネがそう言うなら」


 よわっ! レティシア弱っ!


 アイネさんに対して素直すぎるだろレティシア。もしかして……だからアイネさんのブラック労働を止められなかったのか!?


「おかしいだろアイネさん! せっかく重労働から自由になったのに、なんで奴隷になんかなりたがるんだよ!?」


「だってこれくらいしか、アイネにはあげられるものがないの」


 アイネさんはすっ、と立ち上がる。


 さっきまでぼーっとしてたのが嘘みたいに、きびきびとした動きで。


 僕の目の前で膝をつき、祈るように見上げてくる。


「ギルドマスター見習いとして、働いてくれた冒険者には適切な報酬を、だよ?」


「報酬はレティシアからもらうことになってるってば」


「レティシアからの報酬は別。これはアイネの魂があげたがってる報酬だから」


「でも奴隷だよ?」


「知ってるの」


「『契約』で、他人のものになるんだよ?」


「なぁくんなら、いいよ」


「なにその無条件の信頼」


 そこまで信頼されることした覚えないんだけど。


 でも、アイネさんは僕に言い聞かせるみたいに、


「なぁくんはさっき、奴隷の女の子たちにお使いを頼んだよね?」


「うん。レティシアから、タナカの鎧を売ったお金もらったし、旅に必要なものもあるし」


 あとセシルとリタの服とか、着替えとか、そういうの一切合切。


 僕にはなにが必要かよくわからないから「よろしく」って丸投げしたんだけど。


「普通、奴隷におさいふをまるごと預けたりしないよ?」


「……え?」


「どうしてもってときは指輪を使って『命令』するけど、なぁくんはしてないよね? それはあの子たちがお金をごまかしたり、使い込んだり、逃げたり……そんなことするってまったく考えてないってことだよね? 心の底から信頼してるってことだよね?」


「わ、わが奴隷セシルとリタに命ずる! おやつは20アルシャまでにするがよい!」


「指輪触ってないから意味ないの」


「いや、だってお使い頼むのにわざわざ命令とかしないだろ。そんなことするくらいなら自分で行くってば。買い物に行け、しかしお前たちを信用しないなんてそんなのありえないし」


「それが、あの子たちがなぁくんの側で笑ってる理由なんだよ」


 僕の手を取って、アイネさんはほほえむ。


 なんだか、もう全部決めちゃったみたいな顔で。


「それが、アイネがあの子たちと同じものになりたい理由なんだよ?」


「『庶民ギルド』は? アイネさんがなくしたものは? お金や財産は?」


「アイネにとって大切なのは家族との思い出だってわかったから。新しい家族ができるなら、もういいの」


 建物の権利や財産は伯爵にあげた。


 怪我をしたり別の町に行くことにした『庶民ギルド』メンバーには、レティシアを通してお金を渡してある。彼女への借りは、いつか返す。


「だから、ギルドのすべては欲しいひとにあげる。アイネのすべては、なぁくんにあげたいの」


 どうしよう。


 アイネさんはすっかりその気だ。


 確かにパーティメンバーとしては欲しい人材なんだけどさ。タナカとの戦闘では防御魔法使ってたから、セシルが魔法を使うまでの後衛防御としてはもうしぶんない。ギルドマスター見習いやってたなら、魔物の情報や他の町の事情にだって通じてるはず。


 料理も得意。おまけに経理だってこなせてしまう。


 いつの間にか栗色の髪を後ろできっちりと結んで、エプロンを着け直した、ご奉仕準備完了の「お姉ちゃん」


 問題は僕がだんだん人として間違った方向に突き進んでるってことだけなんだけど……。


「勝負はつきました」


 不意に僕とアイネさんの間に、レティシアが割って入った。


「わたくしは、アイネの意思を尊重しますわ」


「いや、だって僕の別荘だろ」


「それは、わたくしとあなた、二人がこの倉庫を出た瞬間に発動する『契約』です」


はかられた!?」


「ナギさんは賢いですけれどね、わたくしも昨日一晩寝ないで考えましたの。アイネを幸せにするにはどうしたらいいか。これはその結果ですわ」


「なぁくんは、アイネが一緒だと、いや?」


 まるで迷子の子供みたいに、アイネさんが僕を見た。


「嫌、というか、その」


「アイネ、がんばってごはんを作るよ? 洗濯もするよ? 掃除もするよ? だめ?」


「僕は、アイネさんの弟の『なぁくん』じゃないよ?」


「知ってるの」


 アイネさんは、ふわり、と笑った。


 まるで、重い荷物をおろしたみたいに。


「ナギさんは、アイネを助けてくれたすてきな冒険者の『なぁくん』だよ」


 嫌?


 アイネがそばにいたら、だめ?


 記憶は戻ってるはずなのに、小さな子供みたいな声で、聞いてくる。


 ああもう。


 ……よく考えたら、レティシアから『祝福された鎧』を売ったお金を貰ってるし、


 これからは住む家もあるわけだし、


 扶養家族がひとり増えても、なんとかなる。


 僕は、多少はごはんも作れるけど、この世界はなにが美味しいのかわからないし。


 セシルやリタに着せる服のセンスもないし──つまり。


「……嫌じゃない」


「うん、わかった」


 アイネさんはレティシアに向き直る。


「「『契約コントラクト』」」


 ふたりの少女の声が重なる。


 しゅる、と音がして、首輪がアイネの白い首に巻き付く。


 契約の指輪はレティシアの左手に。黒いクリスタル。


 たぶん、この倉庫を出た瞬間、僕の手に移動するんだろうな。




 ここん




 倉庫のドアを、誰かがノックした。


「ナギさまー」


「ただいま戻ったわ……って、奴隷がまた増えてる!?」


 戻ってきたセシルとリタが、アイネの首輪を見て荷物を取り落とした。


 セシルは呆然と突っ立ってる。


 リタは鼻をくんくんさせながら、アイネに顔を寄せる。


 それから僕のにおいをかいで、アイネの匂いをかいで、うん、とうなずいて、


「ナギ、ちょっと表に出ましょうか」


 大きな胸を揺らしながら、リタは腕をぐるぐる回す。


 なんだその「かかってこいや」ってポーズ。


「リタ、誤解してるだろ」


「なにが誤解よ。アイネさんに首輪がついてるじゃない。ナギのにおいするじゃない」


「僕の指輪をよく見て。クリスタルはふたつ──セシルとリタの分しかないだろ? アイネさんはレティシアの奴隷になったんだ」


「あ、そうなの」


 リタはぽかん、とした顔になる。


「なぁんだ。びっくりした」


「びっくりさせてごめん」


「ナギがまた奴隷を増やしたのかって思っちゃった。そうなの。アイネさんは、レティシアさんの奴隷になったのね? ナギのじゃないのね?」


「うん。そうだよ。この倉庫を出るまでは」


「なぁんだ。この倉庫を出るまでは……って、えええええええっ!?」


 あ、やっぱりごまかせなかった。


 リタは金色の髪を振り、こほん、とせきばらいしてから、優しすぎて怖くなる笑顔で僕に迫ってくる。


「説明してくださいませんか、ご主人様。これは私たちの家族計画にも関係する問題なんですから、ね?」

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