二章 墓参り

「次はどこに行こうか?」

 なんて予定を立てながら、八月の後半は瞬く間に過ぎて行った。

 水族館に海、山に登って温泉、喫茶店に行って買い物、映画館とお祭り。

 私と母は、十年分の母娘の時間を取り戻すように遊び続けた。

 母は心底楽しそうだったし、それは私も同じで、本心から、残ってよかったと思える日々だった。

 母が嫌いなわけじゃない、父も。

 今になって、殆ど帰らなかったことを後悔していた。

 きっと、母はこうやって一緒に過ごすことを楽しみにしていたはずだ。

 何気ない夕食の一時を、父は楽しみにしていたはずだ。

 私は、それを殆ど両親にしてあげることができなかった。

 帰ってしまえば、避けていた理由なんて言い訳に過ぎないと思えるほどに、自然に私は自分の生まれ育った街の中で夏を生きていた。


 そして、八月三十一日。

 最後のお昼ご飯は素麺だった。夏休みの終わりにふさわしい昼食。

「それじゃ、行って来るね」

「いってらっしゃい、あんまり誠治さんに迷惑かけちゃダメよ、仲良くね」

「あっちが私に迷惑かけるんだよ」

「夫婦ってのは、お互い様なの」

「うーん」

「元気でね」

「うん」

 ずっと黙ってた父が思い付いたように口を開く。

「……いつでも帰って来い」

 口数は少ないけど、父の言葉はいつも本心だ。

「もう、お父さんったら」

 母がその言葉を笑って流した。

「うん、ありがと。それじゃ行くね」

 これまで、帰りたいと強く思ったことはなかった。

 これからは、帰りたいと思っても、いつでも帰れるものじゃない。

 そうなって、ようやく私はこの家に帰りたいと思えた。

 迎えに来たタクシーのドアが開く。

 送って行こうと言う、父と母を説得してのタクシーだった。

 行かないといけないところがある。

 それは本当で、わざわざ忘れている人間にそれを思い出させたりしたくなかった。

「元気でね」

「うん」

「なにかあったら電話しなさい」

 それまでそんな素振りも見せなかったのに、最後の最後で母は少し涙ぐんでタクシーのドア越しに私を見送る。

 父は玄関の前から動こうとはせず、いつもの表情で少しだけ手を振った。

「うん、行ってきます」

 走り出したタクシーを見送って、母は手を振る。

 振り返って、私も手を振り返した。

 寂しいなんて感情はなかったけど、少しだけよく分からないなにかが溢れて、鼻の奥が熱くなる。

 私はあと何回、人生でこの家に帰って来ることがあるんだろう?

 そう思うと、私の部屋を片付けたことを今更後悔した。

 あの部屋はきっと、両親にとって私を感じることができる唯一の場所だったんだ。

 本当に最後まで親不孝な娘だった。

 運転手は、私を気遣うようにあえて話さないようで、行き先の変更を告げても、小さく返事をするだけだった。

 

 文ちゃんが眠っているのは、昔三人でよく通ったファミレスの裏手にある墓地で、周りを木で囲まれた、静かな雰囲気の場所。

 運転手は砂利敷きになった小さな駐車場に頭から車を入れた。

 途中で買った花を持って、タクシーを降りる。

「お待ちしてます、ごゆっくりどうぞ」

 運転手が私を見送って、ドアが閉まった。

 八月三十一日。

 最近は違うみたいだけど、私たちの頃はこの日が夏休みの最終日だった。

 今日は、ただ八月が終わるというだけじゃなくてもっと大きな意味合いのあるような日。

 なんだか夏さえこの日で終わってしまうような感じのする日。

 そして文ちゃんが死んでからは、なるべく日付を見ないようにして過ごす日だった。

 お墓は木々に囲まれているせいか、割と涼しくって、八月を惜しむ蝉が一生懸命に鳴く声が響く。

 文ちゃんは、こんなところで眠るなんて思っても見なかっただろう。

 あの夏、この墓の前を三人で何度歩いたことだろう。そこになにかしらの感慨があったわけじゃない、ただの風景に過ぎなかったこの場所が、こうして今、訪れるべき場所になるなんて、それはとても皮肉に思えた。

 無表情で並ぶ墓石を名前を辿りながら歩く。

 奥の方に、その名前は確かにあった。

高野たかの文子ふみこ

 彼女のお墓はちょうど今朝掃除されたばかりのように綺麗で、真新しい花が活けてある。

 きっと、彼女の両親がしたのだろう。

「久し振りだね、文ちゃん」

 一本だけ買った黄色い百合を花受けに挿す。

「ごめんね、ずっと来なくって、でも来たよ」

 お墓に話しかけても、当たり前だけど返事はない。


『結局、葬式とか墓参りは、生きている人間の為にある行為なのでしょうね』


 いつ聞いたかも忘れたけど、ふとそんな言葉を思い出した。

 確かに、今の私がしているのは文ちゃんの為じゃなくて私の為のお墓参りなのかもしれない。

「待ってるって、ここのことだよね?」

 私の言葉に、当然返事はない。

「私、結婚するんだ」

 文ちゃんに話すべきことがなにか分からないまま、途切れ途切れの言葉は、蝉の声に消える。

 お墓参りするだけなら、別にこの日まで待たなくてもよかった。

 これは、きっと言い訳だったんだと思う。

 文ちゃんを言い訳にした、私の夏休み。

 その気もないようなマリッジブルーとか、ホームシックみたいななにか、そういうのを埋めるための夏休みだったんだと思う。

 八月三十一日なんてキリのいい日に死んだ友達を使った夏休み。

 私は昔から、本当に嫌な性格だ。

 特に言うこともなくなって、私は目を閉じて手を合わせる。

 瞼の裏には文ちゃんの綺麗な後姿があった。

 そう言えば、私の思い出の品々の中に、文ちゃんの写真は一枚もなかった。

 卒業アルバムにすら、一枚だって彼女は写っていなかった。

 アルバムについては学校があんな事件の痕跡を消したかったからだと思うけど、私物で一枚もなかったことには少しだけ驚いた。

 あんなにいつも一緒にいたのに。

「あれ、今ポン?」

 ふと、とても懐かしい声がした気がした。

 その呼び方で私を呼ぶ人間は、この世に一人しかいない。

 その一人が、この日偶々この場所にいるなんて少し信じられなくて、半信半疑のまま目を開けて声の方に振り向く。

 セットされてないボサボサの髪、ジーパンとTシャツそしてサンダル。

 十年前とそれほど変わらない恰好で彼はそこに立っていた。

和泉いずみ君?」

「和泉君。なんて、まるでF子みたいな呼び方するね、昔みたいにイズイズでいいのに」

 十年前と全く変わらない風に彼は笑う。

 よく言えば無邪気で屈託のない、悪く言うなら年齢不相応の笑顔で。

「どうしてここに?」

「どうしてって、今日はF子の日だからね、今ポンこそ珍しいね、毎年来てないよね?」

「今年は偶々、帰る用事があったから。和泉君は毎年来てるの?」

「そりゃね、朝はF子のお父さんたちが来てるから毎年このくらいの時間に参るんだよね」

 F子。

 文子だからF子。なんて安直な呼び方だろう。

 彼は相変わらず、その呼び方を貫いているようだった。

 あの夏、文ちゃんに呼ぶ度に怒られていた愛称。

 半ば定型文みたいになってた、いつものやり取りを思い出す。

 

『F子聞いてる?』

『ええ、聞いているわ』

『それなら返事くらいしてよ』

『泉君。何度も言うようだけれど、あだ名というのは双方の合意があって初めて呼称として機能するものなの。その呼び方を許可した記憶はないわ』

 

 彼は、誰彼構わず変なあだ名をつけて、それで呼ぶ癖があった。

 いきなりあだ名で呼ばれるから最初は戸惑うけど、結局みんな彼のペースに乗せられる。

 不思議で変な人は、十年後も変わっていないようだった。

「文ちゃんの日か」

「そう、年に一回くらいは直接会わないと、F子も退屈だろうし」

 まるでまだ生きている人間を相手にしているように、和泉君は楽し気に話す。

「和泉君は相変わらずだね」

「そういう今ポンは綺麗になったよね」

 彼にそう言われた瞬間、なぜか分からないけど、一瞬で全身の毛が逆立つような変な感覚に襲われた。

「そう?」

「うん、ほら覚えてる? あの頃さ、僕がF子のことを綺麗って言う度に今ポンふてくされてたでしょ」

「そうだったっけ?」

 本当は覚えていた。

 和泉君はいつも私に可愛いって言ってくれるけど、綺麗って言われるのはいつも文ちゃんで、私のことを綺麗って言ったことは一度もなかった。

 あの頃の私はそれが不満で、誰にだって見境なく褒めるのが彼だと分かってても、彼にとっての可愛いも綺麗も私でありたかった。

 子供っぽい我が儘だ。

「そうだったよ、それでさ」

 なにかを言いかけた彼が、言葉を切った。

 私と和泉君の間を黒アゲハ蝶がフラフラと横切って、文ちゃんのお墓に止まる。

「やっぱり、F子は蝶だね」

「うん」

 きっとこの時、私と彼は同じ記憶を思いだしていた。

 

 七月十三日。

 夏休み直前の文ちゃんの誕生日。

 その頃には充分に仲よくなってた私は和泉君と一緒に文ちゃんの誕生日プレゼントを買いに行った。あの頃私がよく使っていたアクセサリー屋。

 和泉君が選んだのは蝶々の髪留め、それはとても綺麗で、文ちゃんによく似あっていた。

 

「私はまだ猫?」

 その時、一緒にイズイズが私にくれたのは黒猫のキーホルダー。

 文ちゃんの誕生日のおこぼれだったけど、それでも充分に嬉しいプレゼントだった。

「今ポンはそうだね、やっぱり猫って感じがするなぁ」

 キーホルダーをくれる時に、和泉君は私になんか猫っぽいからという理由も一緒にくれた。

 それまで、猫に特別な感情は抱いていなかったけど、それ以来猫が少し好きになった辺り、自分でも単純な生き物だったと思う。

「そっか、私は猫かぁ」

「蝶の方がよかった?」

「ううん、私も文ちゃんは蝶だと思うもん」

「だよね、でもF子はいいよね」

「いい?」

 彼は国語が苦手で、そのことで文ちゃんから何回も言い回しが変だと怒られていたけど、きっとこれも文ちゃんがいたら怒られるような言い回しだった。

「うん、僕の中のF子はずっとあの夏のままなんだよね、綺麗なF子のままでさ、きっとこの先一生僕の中でのF子はそのままなんだ、それって少し羨ましくない?」

「どうだろう、そんな風に考えたことなかったよ、でもそっか、そうだね文ちゃんは高校生のままなんだね」

 目の前のお墓を見る。

 止まった蝶は羽を休めるようにニ、三回ゆっくりと羽を動かして、制止した。

 死んだ人間はその時から動かない。

 私が十年間で変わっても、確かに文ちゃんは高校の頃のままだった。

「まぁ、僕も高校生のころから殆ど成長できてないけどね」

 自嘲っぽく彼は笑う。

 少なくとも恰好は高校の頃から変わっていない。

 でも、自分で変わっていないと言えるのもそれはそれでいいのかもしれないと思った。

 私は、たとえそうじゃなくても変わったと思いたいから。

「今もこっちにいるの?」

「うん、僕はずっとこっち、今はなんか何でも屋みたいなのやってるよ、今ポンは?」

「私は高校出てから殆どこっちには帰ってなかったなぁ。それとね、私もうすぐ今ポンじゃなくなるから」

 別に言う必要もない気がしたけど、私にとっての一番大きな変化はコレだったから言いたいと思った。

「あっ、結婚するの?」

「うん、大川になるよ」

「おめでとう! 大川かぁ、川っちとか、ビリーとかかなぁ、でもやっぱ僕の中だと今ポンは今ポンなんだよね」

「川っちは分かるけど、ビリーってなに?」

「大川だからビックリバーでしょ、だからビリー」

「ビリーはない」

「今のなんかすっごく、昔の今ポンだったね」

「え、そう? なんか、和泉君といると昔に戻っちゃうね」

 それがいいことなのか悪いことなのかわからない。

 私が言う昔は、そこにいつも文ちゃんもいた。

 ある意味で、今も三人なのかもしれない。

 そう思って、少し不謹慎な、そして寂しい気持ちになる。

「どういたしまして」

「別に褒めたわけじゃないけど」

「あれ、そうだった? でも、おめでとう、今ポンの旦那さんになる人だからきっと、すごくいい人だね」

「いい人……うーん、優しい人だよ」

 いい人と言うのとは少し違うような気がして、でも、誠治は私の我が儘を許してくれるくらいには優しいし、それをいい人と言うなら確かに誠治はいい人だと思う。私には勿体ないくらい。

「優しい人かぁ、いいね、優しい人」

「和泉君は絶対言われそうにないよね」

「あれっ、割と優しい一面見せてたはずなんだけどなぁ」

「あの頃の行いじゃ無理」

「無理かぁ、でも、ホント、今ポンに今日会えてよかったよ」

 イズイズが、この偶然の同窓会を終わりにしようとしているのが分かった。

 確かに、ちょうどいい頃合いだった。

 そこに、砂利を鳴らして、新しい車が入って来る。

 本当に丁度いい頃合いだったみたいで、何の気なしにその車が駐車場に停まるのを二人で見ていた。

 車から降りたのはスーツを着た中年の男性で、彼は和泉君を見ると手を挙げて挨拶をする。

「知り合い?」

「知り合いって言えば知り合いかな」

 歯切れ悪く言いながら、和泉君も手を挙げて挨拶を返す。

「今年も会いましたね」

 近付いて来ながら男性は視線を和泉君から私へと移して、少し不思議そうな顔をした。

「今年はお連れさんも一緒で?」

「偶然昔のクラスメイトと一緒になっただけ、今ポンだよ」

 誰に対しても、マイペースな彼は、本当に高校の頃から変わっていない。

 十代ならまだしも、二十代も後半に入った大人としては流石にどうかと思う。

「大川琴音です」

 益々不思議そうな顔をする男性に改めて自己紹介をする。

「大川さん?」

 しかし、更に疑問が深まっただけのようだった。

 思い返すと、私も国語の成績はそれほどよくなかった。

「今井から大川になるんです」

「あぁ、成る程。これは失礼、私はてっきり泉さんの彼女さんかと思ってしまいましたよ」

 男性の言葉に和泉君は笑って、私は少し困ったような顔をしたと思う。

「ありゃ、藪蛇でしたか」

「昔の話だよ」

 和泉君はどうってことなさそうに流す。

 確かに昔の話だし、私にとってももう思い出になっているから、いいけど、それはそれで少し寂しい。

「しかし、ここで偶々会ったということは大川さんも、高野文子さんのお知り合いだった?」

「はい、友達でした。よく和泉君と遊んでて」

「んん、大川琴音さん……今井琴音さん?」

 何か、考えるように男性は首を捻って私を見た。

「えっと、はい」

「あぁ、成る程。道理で、泉さんがあまりに高校の頃から変わらないので……そうですね、十年も経てば蛹も蝶になる。綺麗になられたので気付きませんでしたよ。十年前にお会いしましたね」

 合点がいったように男性は笑う。

 十年前、そして、この場所、それはつまり文ちゃんの事件に関連したことで私はこの男の人に会ったことがあるということだった。

 でも、全く覚えはない。

「覚えていないのも無理はありませんよ、私も随分変わりましたし」

 そう言って、彼はスーツの上からでも分かる膨らんだ自分のお腹を叩いて笑う。

「それに、会ったと言っても一度だけですから、あの事件の後少しお話を伺った時に同席してたんです」

 お話……?

 日記を見付けて、色々思い出しても、あの事件の後の記憶は結構曖昧だった。

 混乱していたし、色んな報道だとかがあったりして、一時期はテレビを見ることさえ嫌だった。

「クラスの、特に高野文子さんと高瀬たかせ祥子しょうこさんとに親しかった方に警察がお話をお伺いしたことがありましたよね、覚えていません?」

 釈然としない顔をしていた私を気遣うように、男性が補足を入れる。

 そこで、ようやく、思い出した。

 私を含めた何人かが呼び出されて、学校の確か応接室みたいなところで、学校での文ちゃんの様子とかを聞かれたことがあった筈だった。でも、その場に居た警察官の顔までは覚えていない。

「じゃあ、警察の方なんですか?」

「ええ、まぁ。しかし、十年も経つのにクラスメイトが参りに来てくれるなんて、高野文子さんは慕われていたんですね」

「大切な友達でした……でも十年間来れませんでした」

「心中お察しします。あの事件はお友達にとっても辛いものだったでしょう」

 男性は、私を慮るように深く頷いた。

 本当はそんなんじゃない。

 私は、文ちゃんを想って来れなかったんじゃなくて、自分の為に忘れたかったから来れなかったんだと、分かる。

「いっちーも毎年来てるんだよ」

 イズイズが説明をするように私に向かって言う。

 年上に向かっても容赦なくあだ名を付けるのは本当に変わっていない。

「ああ、自己紹介が遅れましたね、一ノ瀬いちのせと言います」

 いっちー、こと一ノ瀬さんはそんな和泉君の無礼も軽く流して、私に名刺を渡す。

 警察に名刺を貰うなんて初めてで少し緊張した。

「警察の人間がどうして墓参りなどと思われますか?」

「えっと、はい」

「直接関わった方は全員そうだと思いますが、私にとってもまた、この事件は忘れられないものなのですよ」

 一ノ瀬さんは少し遠い目をする。

「私が初めて関わった殺人事件ということもありましたが、同級生による殺人と、その容疑者の自殺というのは嫌でも記憶に残りますからね」

 そう。

 高野文子は殺された。

 同級生の高瀬祥子に。

 それが八月三十一日に起こった出来事で、私が今まで忘れようとしていた事だった。

「当時、マスコミはセンセーショナルな理由を色々と騒ぎ立てました。しかし、真実とはほど遠いと感じた。私はあの事件の真相を今でも探しているのです。」

「真相って、祥子ちゃんが文ちゃんを殺したって、そういうことですよね?」

「ええ、事実としては。状況証拠からもそれで間違いないでしょう。ただ、事件で重要なのはそれだけじゃない。なぜあの事件は発生するに至ったのか、私にとってはその方が重要なのです」

「僕もそれがずっと謎なんだよね、F子とS子はあんなに仲が良かったのに、なんであんなことになったんだろうって」

 和泉君が一ノ瀬さんに同意するように頷いた。

 高瀬祥子。

 あの事件を引き起こした犯人。

 クラスメイトで、文ちゃんの友達。

 だけど、私は祥子ちゃんについてはそれほど知らなかった。

 知っているとすれば、彼女は文ちゃんとは私たちより長く、中学校の頃からの付き合いだと言うこと。

 二人の仲は確かに良かったし、私たちと遊んでいない時、文ちゃんはだいたい祥子ちゃんと一緒にいた。

 あの事件があった日も、文ちゃんは祥子ちゃんの家に遊びに行ってて、そこから祭りで私たちと合流する予定だった。

 最後は祥子ちゃんのマンションの屋上で花火を見る予定。

 夏の最後にふさわしい、楽しい一日の予定。

「なんでって、そんなの分からないですよね」

「ええ、色々と当時を知る方に話を聞いたりしていますが、行き詰っていますね……捜査の方も打ち切りになっていますし、実を言うと個人的な興味の範囲で調べているに過ぎません、その報告も兼ねて命日にはこうしてお参りするようにしているんですよ」

「そうですか」

「そう言う訳で、よろしければこの後少しお話を聞かせていただけませんか」

 なんだか、その言い回しが本物の警察で少し緊張する。

「あの、この後帰らないといけなくて」

 これを断ると、秘密を抱えてるみたいで嫌だけど、本当のことだし仕方ない。

 私はチラッと私を待ってるタクシーを見た。

「やはり、あのタクシーは大川さんのでしたか。いえ、ご無理を言ってすみません、こちらにお住みではないのですね」

「はい、偶々帰って来てて、この後空港で」

「そうでしたか、お引止めしてすみません」

 一ノ瀬さんが言って、道を開けた。

「では、失礼します」

 お辞儀をして、その場を後にする。

 本当に丁度いい頃合いだった。

 というより、少し長居し過ぎた。

 少し早足で歩き出そうとする。

「あっ、ちょっと待って」

 そんな私を和泉君が引き止めた。

「今ポン、電話番号変えたでしょ?」

「えっ、うん」

 高校を卒業すると同時に、電話番号もメールアドレスも全て変更した。

 もう地元に帰ることもないと思ったし、あの事件のことを思い出したくもなかったから、当時の知り合いとの縁を切りたいということもあった。

「これ、僕の番号、なにかあったら連絡して」

 ジーパンのポケットからイズイズは汗で少しふやけた名刺を取り出し、私に手渡す。

「あ、ありがと」

 形はどうであれ、彼が名刺なんてものを持っているのが少し意外で、戸惑いながらそれを受け取る。

「じゃあね」

 名刺を受け取った私を見送るようにイズイズは手を振った。

 それは、いつも高校の帰り道で私を見送った、あの頃の和泉君のようだった。

「すみません、お待たせしました」

 本当に、待たせていたタクシーに早足で戻る。

「もうよろしいですか?」

 結構な時間を待っていただろうに、運転手は文句の一つも言わない涼しい顔で私を迎えた。

「はい」

 私に行き先を確認してから、タクシーは動き出す。

 墓地では和泉君が手を振って、一ノ瀬さんがお辞儀をしていた。

 動き出したタクシーの中で、受け取った名刺を改めて見る。

『何でも屋 泉和泉いずみいずみ

 そして電話番号。

 そう言えばなんか、何でも屋をやっていると言っていたような気がする。

 本当にそんな仕事があるのかと思うけど、じゃあ、どんな仕事なら彼っぽいかと言われても、少し困る。

 そう言う意味では、とても和泉君らしい仕事なのかもしれない。

 

『泉和泉です。よく、どっちが苗字で、どっちが名前か分からないって言われるけど、僕もよく分からないからイズイズって呼んでね』

 

 今でも覚えている、とても印象的な彼の自己紹介。

 結局、クラスで和泉君のことをイズイズって呼んでたのは私だけで、他の人は呼び捨てで読んでいた。

 あだ名の方が一字多くなるし、舌を噛みそうだし、そもそも高校生にしては少し幼稚で恥ずかしいあだ名。

 でも、あの当時の私は、そんな少し恥ずかしいあだ名を呼べるのが彼の特別みたいで、とても嬉しかったのを覚えてる。

 多分、連絡することはないだろうと思いながら、一ノ瀬さんの名刺と合わせてカード入れの中に入れた。

 

 空港に着いたのは結構ギリギリの時間だった。

 料金もまぁそれなりになっていたけど、多分、運転手さんはあの待ち時間分は加算していないみたいで、思ったほどじゃない。

 飛行機の中で、この夏とあの夏を思い出す。

 この夏は本当に楽しかった。

 最後にイズイズに会えるというサプライズまで含めて、多分、忘れられない夏になったと思う。

 それと同時に、十年前のあの夏だってあの日までは楽しかったと思い出した。

 殆ど毎日、三人で遊んだあの夏。

 そして、ふと、そこにあの事件の原因があるような気がした。

 ううん、きっとそれは、ずっと考えていたことだった。

 そして、考えないようにしていたこと。

 だから、私はあの事件を忘れたかったんだと。

 そこまで考えて、頭を振る。

 いや、そんなわけない。

『あの事件の真相を今も探しているのです』

 一ノ瀬さんはそう言っていた。

 でも、その真相なんて祥子ちゃん以外に知るわけはない。

 高瀬祥子。

 私が彼女に持っていたイメージは大人しい子。

 殆ど話したことはなかったし、文ちゃんも別に祥子ちゃんの話をしたりはしなかった。

 いつも自分の席で本を読んでいて、昼休みは図書館に居て、放課後は本屋さんにいる。

 そんな感じの子。

 彼女にそれ以上のイメージはない。

 あの事件を除けば。

 そして、あの事件後の彼女のイメージは殆どメディアの報道によって作られたもので、それが本当かも分からない。

 結局、私には高瀬祥子という人間は全然わからないままだった。

 それに、今更あの事件の真相なんてものが分かったとして、それでなにかが変わるわけでもない。

 やっぱり、忘れたままの方がよかったのかもしれない。

 文ちゃんが死んだってこと、それ以上のなにかがあの事件に必要だとは思わなかった。

 それだけで充分。

 明日からは誠治との暮らしが始まる。

 いつまでも、十年前に縛られているわけにはいかない。

 この街を出れば、もうきっと思い出したりしない。

 さようなら。

 動き出した飛行機の中で、小さく呟いて、私は目を閉じた。

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