第28話 詐欺師と少女と、小説と。(2016お題:音・カフェ・後悔)

 約束の場所とは、電話ボックスのことだった。

 他の人たちと別れた後、姫から聞かされ小夜子は驚く。だからしてどこの電話ボックスなのかも尋ねたが、姫が言うには「どれ」と決まっていないということだった。

「わらわとあやつは、そこで初めて、おうたのじゃ」

「じゃ、その電話ボックスじゃ?」

 だが姫はおさげを振る。

 そうしてその日、急に降り出した雨のせいで目に留まった電話ボックスへ飛び込んだことを、動けず困っていたなら彼の方から「もしかして雨でお困りなんじゃないですか」と声をかけてきたことを、小夜子へ話して聞かせた。それが二人の出会いだったなら、小夜子はドラマのような出来事にただ目を輝かせて聞き入る。

 きっかけに言葉を交わすこととなった彼は、ことあるごとに「もし何かあった時は手近な電話ボックスで待っていて」と姫へ話していたらしい。そこを二人の約束の場所にしよう、と。必ず迎えに行くからと、告げていたのだということだった。

 だから小夜子は電話ボックスを探す。

 近頃、めっきり見なくなったせいで、目についたカフェへ飛び込み店員さんに聞きもした。なら教えられた近くのそれは、小夜子もお見舞いの帰りに立ち寄る公園の中にあると知る。公園は病院の斜め筋向かい、見えるかどうかの距離にあった。これほど近くなら、きっとこんなに曖昧な約束でも間違いなく二人は会えるはずだと思えてならない。

 息せき切って病院へ後戻る。

 その脇を、そうっと通り抜けて公園を視界にとらえた。

 そのさいのぞきこんだあの場所は、先ほどの乱闘に少しざわついていたものの、もう警察官が一人、二人、立つのみだ。もしかしたら男の人はすでに電話ボックスを見つけて待っているかもしれない。小夜子の気ははやり、電話ボックスは滑り台から少し離れた木陰にひっそり建っていた。


 傍らで待ち始めてもう、一時間は経つだろうか。

 さすがに小夜子も遅いなぁ、と思ってしまう。

「もう、よい」

 聞こえたように言ったのは姫だった。

「会わぬ方がよいと、天がわらわに申しておるのじゃ」

「そ、そんなことないと思うよ」

 ここまで来たのだ。神様がそんなに意地悪じゃ、神様も名倒れだろう。

「いや、わらわには秘密があるのじゃ。知らぬから、あやつは……」

 だが公園の果てを睨みつけた姫の眼差しは揺るがない。やがて小夜子へこう告げる。

「わらわは人ではない」

 振り返った。

「ろぼっとじゃ。あやつをだますだけの、ろぼっとなのじゃ」

 言葉を、小夜子は何のたとえだろう、とただ聞いていた。いや、それとも本気で言っているのか。思うほど姫の目は笑っておらず、そしてとても澄んでいた。

 そんな二人の真後ろで、カサリ、落ち葉の踏まれた音はする。近すぎて、小夜子と姫は驚くままに振り返っていた。

「遅くなって、ごめんね。お巡りさんがうるさくて」

 そこに男の人は立っている。あちこちにガーゼを張りつけた顔が、やっぱり微笑み姫を見ていた。とたん姫の表情にも体にも、ぐっと力が入ったのを小夜は目にする。

「なぜ、来た」

 それはヒヤリ、とするような声だった。

「だって姫は、ぼくの一番だから」

 繰り返すその人に屈託はない。

「そのようなわけがなかろう。それはうぬが無知なだけじゃ」

 叱りつける姫の拳が握りしめられる。

「そんなことないよ」

「わらわの秘密も知らぬくせをしおって」

 譲らない彼もまた、笑みを絶やしはしなかった。

「それはもう知っているよ」

「違う。うぬの思い浮かべておるような、そのようなつまらぬ秘密などではないわっ! もっと大事な。明かさねばならぬことが、わらわにはあるのじゃ」

 前で姫は激しくおさげを振り、それでも男の人は穏やかにただ微笑んでいた。

「大丈夫だよ、言ってごらんさ」

 ただ促す。

「こっ、後悔しても、知らぬぞよっ」

 言う姫の唇は震えていた。

「本当は、わらわは……!」


『彼をだますために送られた詐欺集団のアンドロイドだった。明かしたところで彼はやはり勘付いており、だからしてあの時「逃げろ」と促したのも、いずれ駆けつける警察から彼女を守るためだった。ずいぶん前から悪事から抜けさせるため、姫へ求婚もし続けている。そしてそれが非力な彼の、唯一の方法だったことも明かした。

 そうまで信じ、彼が大事にしたかったのは、雨の降りしきる電話ボックスの中、不安そうな顔をした、まだ誰にも嘘をつていない姫だけだ。助けてあげたい。そう心に決めたのも、その日からで間違いなかった。

 二人はやがて歩き出す。

 行き先はまだ分からない。

 雨がまた二人を包み込もうとしていた』


 ふう、と小夜子は息をつく。

 そうして握り続けたペンを置いた。

 最後まで聞いてしまうなんて、あの頃の自分にさえずうずうしくて、だから男性が現れてすぐ小夜子は公園を後にしている。ゆえに本当は彼女らが何者で、彼とどうなったのかなど知る由もなかった。

 ただあの日、見舞いの帰りに電話ボックスはどこかと、そこで人と待ち合わせしているのだけどと、女性たちに話しかけられたことだけは事実で、教えて男性が現れたそのあと、なんだか釈然としない思いがこうして巡らせる想像の種となっていた。

 詐欺集団だとか、彼女が本物のアンドロイドだったとか、細かいところはちょっと盛り過ぎではあるけれど、それこそ創作家の特権というやつだ。そのためにも駆使するものが妄想なら、衰えぬまま小夜子は三十を越えた今、幾つかのスランプを乗り越え商業作家として活躍を続けていた。

 そんな最新作のしめくくりは半年続いた連載に相応しい、小夜子の願うあの日の結末で間違いない。

「おーい、さよー。芋、焼けたぞー」

 と、机の向こう、ガラス窓を震わせ夫の声は吹き上がってくる。

「わー、うれしい。ちょうど書き終わったところなの。今、行くっ!」

 開けた窓から小夜子は返した。

「三つあるから、お母さんも呼んでこいよー」

 もちろん。

 閉めた窓へ背を向け返す。

 そうして「あ」と小さく声を上げていた。

 この年になってもまだ時々、見るのだ。そこに小説の神様は尻尾をなびかせ飛んでいた。一瞬だったので見間違いかもしれないが、その尻尾には今も確かと父親は乗っている。


 飛べ飛べ、飛び続けろ。


 小夜子は念じた。

 その胸に、あの声は今も響き続ける。


 よく来たね、勇者君。

 さあ、ペンをとりたまえ!

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