第19話 詐欺師と少女と、小説と。(2016お題:レモン・里親・喫茶店)
一度、放り上げてキャッチする。
空は青く、レモンは真っ黄色に輝いていた。
ままに踏み出した左足で振りかぶる。
握った手から、そうっとレモンを宙へと押し出した。弧を描いて飛び行くそれは、やがて彼女の手の中に落ちる。
「ナイスキャッチ!」
受け止めた彼女の髪が揺れていた。ロゴの入ったエプロンもコチラを見て笑っている。
「すみません、助かりました」
レジ袋から落ちたレモンは、あの歪な形がラグビーボールそのものだ。右へ左へ器用に跳ねると、私の前まで転がり込んできていた。
「いつもご利用、ありがとうございます」
「え?」
二度と落ちないようレジ袋へ突っ込み駆け寄った彼女が、ひょっこり下げた頭で二言目に言う。
「あ、覚えられてる?」
「今日はAが生姜焼きで、Bがミートグラタンですよ」
驚いて、私は自分の顔をさし示した。下げた頭を持ち上げた彼女の笑みは、やはり私を覚えているソレだった。
県下屈指の大学病院。その周囲はまさに城下町の賑わいだ。昼時にもなれば外来患者や見舞客のみならず、医師にインターン、学生に職員から出入り業者までが昼飯を求めて繰り出してゆく。
内科にウチの画期的な機材を卸してから二週間。医師がその取扱いに慣れるまでサポートすることとになった私もその一人なら、ボリューム満点の学生食堂は安いが食指が動かず、ワゴンに並ぶ弁当屋の弁当は食べる場所がないせいで却下され、中華料理屋こそ定番と飽きたせいで、日々、彼女の勤めるちょっとシャレた喫茶店で昼食をとっていた。
だからして並んで歩き出した方向は同じだ。
「常連さんの顔は覚えるように」
言う彼女へ、ああそうか、と思ったことはつまり「自分だけ」を期待していた証だろう。
「真面目なんだ。で、どちらがおすすめですか?」
あるわけないなら、聞いてみる。
「生姜焼き定食はもう召し上がられました?」
店はもう、この角を曲がったすぐそこだ。
「いや、どちらもまだで」
「だったら生姜焼き定食を」
言う彼女が先立ち、ベルを吊るした店のドアを押し開ける。「じゃあそれで」と返せば彼女は厨房へ「A定食」と声を張り上げ、荷物置場と化したカウンターのスツールへレジ袋を乗せた。
聞きながらわたしは空いている席を探し、間にも手早くエプロンを整えた彼女は客が立ち去ったばかりのテーブルを片付け始める。
形の異なる皿が器用に積み上げられていった。少し力を入れてテーブルを拭き上げるリズムに小気味いいな、と感じてみる。
だから「ああ」と、わたしはその時ひとりごちていた。小気味いいなどと、刷り込まれたリズムは母と同じで間違いない。もちろんそれは里親の方の母で、わたしはいまだ実の親を知らない。そんなことも忘れていたが。
先の客が残して行ったのか、わたしの傍らにはたたみおかれた新聞があった。
だったらどうした。
思うしかなく、紛らせわたしはそれを広げる。
「もう少々、お待ちくださいね」
読み始めて呼びかられ、グラスとおしぼりを持った彼女と目を合わせていた。
だがはやはり気のせいではないと思う。なぜなら「予感」ってものは、かつて学習したものの再来なのだから、知らせてピンと心に閃くものなのだ。
彼女もきっと他人じゃない。
不思議なほどにそう感じている。
そうなれる気がしていた。
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