第18話 詐欺師と少女と、小説と。(2016お題:招き猫・くるみ・黄金・

「重症だな……」

 明かりを消した病室にVRV(バーチャルリアリティービュアー)の放つ青白い光だけが反射している。

「ええ」

 答えてわたしは後味の悪さに閉口した。

 「クルミ症候群」を発症した患者は今、目の前に横たわると委縮してゆく幸福感を懸命に振り絞り、夢の中で少女を小学校まで送り届けようとしている。様子は患者の頭部に取り付けられた専用のマニュピレーター、弊社の最先端医療機器VRVを介して三次元映像化されると、こうして治療に専念する私たちの前にドラマのごとく再生されていた。

 眺めて私はこの夢に、ひどく郷愁をくすぐられていると感じ取る。いや、ありきたりだからこそ、そう感じるのは私だけではないはずで、この夢に「良い思い出」の原形すら見出していた。しかも望むからこそ患者は懸命と夢見ているなら、「ありきたり」さえ切望せねばならぬ症状の重篤さに胸を詰まらせる。

 輪をかけて、この映像の中には患者本人が登場していない。果たしてこの症例に関わってから、夢の中でさえ幸福を味わえないほどの患者がいたろうか。私は振り返り、思い当たらないならなおさら気を重くしていった。

「先生、一体この患者はどうなって……」

 どうなってしまうのか。

 機器が最先端であるように、くるみ症候群は発見されて間もない、いまだ治療方法さえない難病だ。口にせずにはおれず、VRV測定モニターもスキャンされ続ける患者の幸福感を、その名の通りくるみそっくりの茶色に委縮させ、失意の果てに衰弱してゆく患者そのものと映し出していた。

「木元くん」

 と先生が、やおら私へ呼びかける。

「VRVのメーカー元として、君に聞きたいことがあるんだが」

 そんな先生へ、わたしは顔を上げていた。

「マニュピレーターから脳波を取ってここへ映像化させることが出来るなら、ぼくから取った脳波を逆に患者へ映像として送り込むことは出来るんだろうか」

 先生の目と目はそこで合う。

「干渉させることで、患者の波動を増幅させることは不可能か?」

 前にして私は少なからず「えっ」と驚いた声を上げていた。

 確かにわたしは最新鋭ゆえ、機器の取扱いをサポートするべく先生に同行している技術者だ。だからして質問に答えることは可能でもある。だが問題はそこにない。

「先生、それはつまり……、幸福感の人工呼吸のようなもの、というわけですか?」

「君、例えはうまいけれど、どっちでもいいよ。技術的に出来るのか出来ないのか、それが知りたい。少なくとも今のぼくには、この患者以上の幸福感が抱けていると自覚している」

「で、出来るとは思いますが、無認可の臨床試験はその……。いえ、先生が逆に患者からの干渉を受けることになるかも知れませんが」

 言う私の答えが的を射ていないことは、分かっている。それすら見抜いて先生は「なら、やってみよう」と動き出していた。だから医者は医者でおれるのだとして、私はといえば、そんな医者を技術面からサポートするメーカーの営業マンでしかない。

「……先生、準備はよろしいですか?」

 暗い部屋にはVRVを介し、患者と先生が繋がっていた。ベッドに横たわった患者は相変らず身動きひとつせず、先生だけが丸椅子の上で深くうなずき、ひどく集中した面持ちで腕を組んでいる。

「では、いきます」

 こんな無認可の人体実験が表沙汰になってしまえば、おそらくこの新型機器も使用中止に追い込まれるだろう。しかし私はスイッチを入れる。即座に先生の波動を読み取ったVRVが映像化を始め、さすが金と名誉とやりがいに彩られた毎日を送る先生だ、ぱあっ、と三次元映像は光り輝いた。おさまったなら奥からだ。黄金色した招き猫たちが持ち上げた腕を骨折し、マスクをつけ、延々こちらへ行進してくる。

 え、それはもしや、患者が金ずる。

 過るが、それ以上を考える暇がない。

 すぐにも流れ込んできた患者の波動が、VRVの中で干渉した。映像はたちまちまだらに色褪せてゆき、招き猫の隊列は夕暮れの豆腐屋へ姿を変えて、そこに楽しげと手をつないで帰るあの老人と女の子を歩かせ始める。かと思えば阻止して女の子の頭からネコの耳は生えてゆき、老人は小判を抱えて、豆腐屋から功労を賞しスタンディングオベーション、人々がどうっと通りへあふれ出した。

 埋め尽くされた空に烏が飛ぶ。

 一番星は光り輝き、塗り替えてシャンデリアは吊るされた。その下から螺旋階段は伸びて、シルクハットにドレスの紳士淑女がジャズバンドを背に降りてくる。足元に敷かれた畳からは……。

 先生、負けちゃダメです。

 何しろ万が一にも先生に何かあったなら、この場の責任は全て私がかぶることになるのだ。わたしは手に汗握り見守った。だがどうにも埒があきそうにない。

 ダメだ。

 攻防が勢いを増すにつれて先生のそれは、あろうことか幸福ではなく欲望へ逸れてゆく。

 いてもたっておれなくなって、私は営業鞄を開いていた。

 先生、「幸福」とはそういうものではないんです。

 中から予備のマニュピレーターを掴み出すと、自分自身へ装着する。

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