第11話 出発(2013お題:出発)
目覚めた彼女は何度も礼を言っていた。
ホームは長く、先頭車両を降りた今、その端に立つ。
改札をくぐるまでだ。世話した彼女ならどこか名残り惜しい。立ち去るまでを見送った。
「良い物語を」
と、背へ声はかけられる。
「紡がれたようですね」
車掌だ。アゴを引けば肩ごし、検札のあった昨日、今夜はレールがたわみますから十分お気を付けください、などとキザなことを言って去った彼をみつける。
「どうかな」
言ってやってもかまわないと思う。なら車掌は提げたかばんも重たげに、今まさに視界から消え去らんとする彼女を指し示してみせた。
「まさか。ほら、足取りが違う。わたしはこれでも旅立つ人の足取りをごまんと見てきましたからね。間違いはありませんよ」
片目もまた閉じる。
「アンタもけっこういい話を紡ぐじゃないか」
調子がいいのか愛嬌なのか、その仕草に笑いももれる。だのに「いいえ、いいえ」と首を振って返す車掌こそ、芝居がかっていた。肩をすくめたその後に、持ち上げた腕をひねってこうも問いかけてみせる。
「で、これからどちらへ? 次の便までまだ三時間はありますよ。それをお待ちですか?」
だが教えてしまえばそれこそせっつかれそうで、車掌の腹を試していた。
「そうだ、と言ったら?」
ホームにはもう誰もいない。走り詰めて熱を持った機関部だけが、冷えてカンカン、音を立てている。
「そう聞かれますと、こりゃ言いにくいですな。さて、わたしにもひとつ物語を、なんてね」
案の定、明かして車掌は照れたように笑ってみせた。
「あんたには必要ないよ」
迷わず返す。
「いやいや、これでも迷える子羊です」
うやうやしく頭を下げる仕草はやはり、芝居がかっていてかなわない。
「レールがあるさ」
「いやねぇ、これがずっと先まで敷かれているとですな、つい外れて走りたくなる妄想にとりつかれるんですよ。この歳になってもそのための新しいビジョンが欲しい、って願ったりするものなんです」
なるほど、どうやらこいつはとんだ不良中年らしい。思うままに眉を跳ね上げる。
「次の列車には乗らない」
おさめて真顔と返して教えた。
「ああ、そうでしたか」
車掌の相槌はえらく残念そうだ。
その場に残して背を向ける。
「で、どちらへ?」
などと再び車掌が確かめるのは、繰り出す足が改札とは真逆の方向だったからだろう。
なら「紡ぐ者」の行く先はいつも他者の中にあり、列車に揺られて一晩、探しあぐねた己の目的地は瞬間にもひとつと定まる。
「ああ、物語ってのは」
口を開けば体ごとこちらへ向きなおったか、車掌の靴が踏みつけた小石に、ジャリ、と音を立てるのを聞いていた。
「言葉だけで紡ぐもんじゃないってことさ」
つまり今だと見せつけて、車掌へ向かい走り出す。
「嘘か真か」
両の手もまた予兆とばかり、左右一杯、広げてやった。
「信じるのはアンタ次第だ」
などと、ちょいと助走が足りないか。だが元より端のホームはそこで切れると、柵は立っているのだからこの不良中年のためにも思い切るほかない。
力の限りにホームを蹴った。
同時にふわり、浮き上がった体の感覚を逃したくはない。羽ばたきなんて格好だけのものは必要なく、舞い上がる浮遊感だけを強く、強く、イメージする。
大丈夫だ、逃したりはしていない。
証拠に背後で「ああっ」と声は上がっていた。空へ舞い上がったこの身を追いかけ、ホームを走る車掌の足音がけたたましく鳴り響く。
飛んでるよ、あなた、飛んでますよ。わたしには見える。
子供そのものと、言葉は無邪気に繰り返されていた。
振り返れば柵の向こう、落ちんばかり身を乗り出すと帽子を振る姿は見えている。
わたしには見える。
振って車掌はただ続けた。
ありがとう。見せてくれてありがとう。決して忘れやしませんから。
いやいや、いい大人がそんな風に瞳を輝かせるなんて、こっちこそ忘れられなくなりそうだ。
いってらっしゃい、良い物語を。
声が遠ざかってゆく。
いってらっしゃい、素敵なビジョンを多くの人に。
だがそれには「残念ながら」と言うほかないだろう。なぜなら俺にとっての行き先は、そこしかないのだから。
2013年お題連作 完
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