第4話 諍・鬼畜(2013お題:諍い・鬼畜)
何か良い物を食った方がいい。男はそんな顔色をしている。
目の前を何も言わず三度、行き来すると、一瞥してまた背を向けた。
その両肩にはそれが親しげと羽を休めている。死神を二匹連れているなんてのは、そもそも聞いたことがない話だ。いや、シチュエーションがそう錯覚させているだけか。
「昨日は何を食べました?」
問う男は振り返りもしない。
「ディナーのメインはビーフ、オア、フィッシュ?」
尻の辺りで組んだ手を、互いの指を探り合うように動かし答えを待っている。その素足にサンダルはひっかけられると、引きずり歩いて今度こそ振り返った。
「まさか、とびうおですか?」
顔を突き出し確かめる。
「いけませんね。それは、いけませんよ」
悲しげな表情だ。大げさなほど深く頭を振ってみせた。だからといって残念がっているわけでなく、証拠にそれきり屈みこむ。伸ばした指で他人の靴ひもをつまみ上げると、面倒くさげとそれを勝手に解き始めた。
「どんなに美味くってもこの世に一匹しかいない魚だ。それを食ったんじゃあ、諍いになりますな」
かかとを抜いて緊張にムレたソックスを脱がし、続けさまもう一方へも取り掛かる。その度に触れる指は真冬の鉛がごとく固く冷たい。生きちゃいない。思えばぬぐえぬ気がかりは、ついぞ口から飛び出していた。
「彼女は、どうした?」
車のハンドルを握っていたのは彼女だ。最後、怯えた様子でバックミラーをのぞきこんだ瞳が忘れられない。なら目も上げず、男は答えて返していた。
「ご心配なく」
どこがだ、と思わずにはいられない。
「用があるのは、あなただけだそうですよ。今頃、家に帰っていることでしょうな」
言って、裏返り指にまとわりついたソックスを振り払うように床へ叩きつける。脱がせた靴もまた、部屋の隅まで一思いに蹴り飛ばした。
「帰る足が残っていれば、ですがね」
持ち上げた顔でニヤリ、笑う。
刹那、飛びかかってやろうと力むが、やけに高い椅子の脚は踏ん張る地面から両足を遠ざけ、腰かけ後ろ手に固定された両手も、びくともしない。荒い息だけを、どうにか男へ噛みつかせる。
「何を知りたい」
単刀直入に問うていた。
「知りたい? それが今さら何の役に立つんです」
口調は実にとぼけたものだ。そうして重みに顔を歪めつつ、靴の消えた方向から台を引きずり前へと戻った。高さもちょうどと裸になった足元へあてがったなら、酷使した腰を伸ばして短くうめく。落ち着いたところで、きびすを返した。
「始まった諍いを止める術なんて、もうありゃしないですよ」
目指す壁際に作り付けの棚はあり、立ち止まって男は右から左へ眺めまわす。並ぶ中から一番端の一つへその手を伸ばしていった。
「一匹しか存在しないものを台無しにした。巡っての攻防戦なんて、もう無用の長物だ」
掴み、戻ってきたその手には、酷使されたことを示す鈍色のハンマーが頭を潰して揺れている。
「なら、何が目的だ」
「なに、この諍いのファンファーレを採取するのが私の仕事なんです」
そうして再び、足を乗せた台の前に腰を落とす。あの冷たい手のせいで縮こまった足の指を、慎重かつ丹念に、最も見栄えするよう台の上へ並べなおしていった。
一部始終に胃液はこみあげ、抵抗する術がないことを絶望的なまでに感じ取る。だからして声もまたうわずると、ただ「よせ」とだけ口走っていた。
「わたしに言わないで下さい」
並べ終えた男は身を起こしてゆく。困り果てたように肩をすくめて、提げていたハンマーの柄を肩へあてがった。そうして死神を払い落とすと執拗なまでに、並べたばかりの生白い足の指を眺めまわす。
「あなたの悲鳴を、そちら側へ送り付ける」
その目は確かに小指をとらえていた。
「それが上のリクエストなん、ですよっ」
刹那、軽く跳ね上がった体が振り上げるハンマーの重みに弓としなる。
溜め込まれた力は一息分だ。
それきり一直線と。
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