ジョバンニの後悔 2
「その人でしょ? おじさんの組織が探してた人、僕が見つけてきた!」
自身が投げた生首を指さして、山猫が誇らしげに胸を叩いた。
ごろりと床に転がった生首は、何も映すことのない目を見開いたままだ。無精髭を生やし、どこか情けない顔立ちをした40代後半と思しき首だけになった男の顔は、ラットの知っている人物だった。
「は? コイツ新見会の会長、だよな……?」
ラットよりも早く、柄シャツ男が声を出した。荒事には慣れていても、首だけになった無惨な死体はショッキングだったのか、口元を抑えている。
柄シャツ男の言う通り、右頬に大きな切り傷の跡が残る顔はラットのクライアント、新見会会長に間違いなかった。
『あらぁ……あなたヤバい人達たくさん敵に回して? 依頼も失敗して? お終いじゃない?』
「……そうかもな」
返す言葉もなかった。失敗しただけでなく、クライアントが命を落としてしまった――何らかの落とし前をつけなくてはならないだろう。今後の商売に影響が出るのも確実だ。
しかし、ラットにとっては今後のことよりもこの状況をどうにかすることが優先だった。
『助けて欲しいでしょ? ……早く私の名前を呼んでちょうだい?』
「絶対に呼ばないからな」
山猫の登場で終わったと思っていた話を出されて、ラットは苛立ちを隠せなかった。その様子が不満だったのか、女がふん、と鼻を鳴らした。
『私がいなきゃ、あなた今頃その辺で死んでたくせに』
柄シャツ男と山猫を刺激しないようにしていたラットだったが、思わず舌打ちを漏らした。
昔何処かで同じようなことを言われた記憶がラットの脳裏にちらつく――だから、この女にだけはそう言われたくなかった。
「ねぇ、君なんで寝てんの?」
ラットの舌打ちが聞こえたのか、山猫が近づいてくる。山猫が動いたのに視線を向けた柄シャツ男と一瞬目が合った。
さっきから気になってたんだよね、と言いながら山猫がしゃがみ、仰向けになったラットの顔を覗き込む。逆さまになった山猫の前髪から下がった血の雫が、ラットの頬に垂れた。山猫の表情から敵意は感じられない。
「そこのおっさんに蹴られた」
「えっひどいね! おじさんダメだよ!」
未だに状況が飲み込めず、目を白黒させている柄シャツ男に、山猫が頬を膨らませた。
人の首切ってから言う台詞じゃないわねぇ……と山猫以外が同時に思ったであろうことを女がラットの脳裏で呟く。
「ん、てかもしかしてオツベルが言ってたのって君かな? おじさんの仲間っぽくないしね」
1番にラットの頭に浮かんだのは、昔読んだ物語の登場人物だった。しかし、山猫の口ぶりからすると、それとは違うものだろう。山猫が所属していると思われる『イーハトーヴォ』という組織の構成員か。
巽会以外に自分を探している組織があるのなら、余計に面倒なことになりそうだとラットは眉をひそめる。
「何だっけ? あ、聞いとけって言われてたんだ……君さ、『切符』を持ってるよね?」
柄シャツ男に聞こえないようにしたかったのか、ラットの耳元に顔を近づけ、山猫が囁いた。
『……『切符』のことを知ってるのは、私達しかいないと思ってたのだけれど』
ラットが反応するよりも早く、女の声が脳内で響く。
『切符』と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、電車やバスの交通機関に乗るために必要な証票だろう。しかし、女が言っているものは違う『切符』のことだ。
「君の『切符』は何色?」
『切符』の色——これで山猫の言う『切符』が、自分達の『切符』と同じ意味を持つものであることが確定した。
「……お前は『切符』を持ってるのか」
「無いから探してるんだよぉ。イーハトーヴォはそういう人が集まってるからね」
『あら……なかなか興味深い団体ねぇ。是非お伺いしたいわ』
「おれはごめんだな」
「嫌でも来てもらうけどねー、ていうか、僕ら仲良くできると思うし」
これ取ったげるね、と山猫がラットを椅子に縛り付けているロープを指さした。ラットとしては、山猫に返事をしたわけではなかった。女に返したつもりだったが、それは他の人間には見えないのだから、度々こんなことが起きる。
ラットを縛り付けているロープは、ホームセンターなどで売っているような業務用のものであるため、手では解けそうにない。山猫もそれがわかっているのか、すぐに解こうとはせず、背負ったリュックサックを床に下ろし、中を開けた。
中から取りだしたのは、大ぶりの肉切り包丁だった。一般的な肉切り包丁よりも大きく、鉈の様にも見える。所々刃の部分に浮いた赤錆びと、ニスの禿げた木製の柄から、年季が入ったものだと予想することができる。
「お前何勝手に逃がそうとしてんだ!」
先ほどまで呆然とした様子だった柄シャツ男が、山猫の動きに気づいたのか、包丁を持った山猫の手を掴んだ。
面倒くさそうに山猫が男に視線を向ける。
「にゃーん、いいでしょーもう僕がお仕事したんだし、この人いらないじゃん」
「そんな簡単じゃねえんだよ……コイツも潰さないと上からシメられる」
そう簡単に解放してもらえるとはラットも思っていない。表の社会から外れたこの世界では、私的制裁が基本だ。ラットのクライアントが死んだのを報告したとしても、巽会のトップが納得するとは思えない。
ここで何も無しにラットを逃がしたことが知れ渡れば、面子は丸潰れだ。
「ええー、僕もこの人連れて来ないと怒られちゃうんだけど……じゃあ本人に決めて貰うことにしない? 君は僕とおじさんどっちがいい?」
「そんなこと聞く必要もねぇだろ!」
勝手に話を進め始める山猫に、柄シャツ男が声を荒げる。
どちらか聞かれたところで、どうせこっちの意思は尊重されないであろうとラットは予想する。こうなってしまえば、どちらに転んでも同じだ。
「そっちの血だらけのやつ」
「はい僕の勝ち~おじさんは黙って組織でもお家でも帰るといいよ」
山猫が男の手を振り払い、包丁でロープを切る。手元が狂えばラットの腕も切れてしまいそうだが、包丁の扱いには慣れているのか、山猫は器用にロープを切ることに成功した。
自由になったラットは体を起こして座り込む。長時間同じ体制だったせいか、体の節々が痛む。蛇に巻き付かれたかの様にロープの跡がしっかりと手首に残っているのを見て顔を顰めた。
「やっぱり助けてくれる僕の方がいいに決まってるもんねー」
ラットの意思ではなく、直前の会話で山猫の所属している団体に女が興味を持ったのを考慮して決めた。
ふふふ、と脳内を這いずり回るようにノイズ混じりの女声が響く。ぞわりと鳥肌の立つような感覚を覚える。
『ね、私のこと考えて決めてくれたのよね……わかってるわよ』
「別に、そういうつもりじゃない」
「にゃん、素直にお礼を言ってもいいのにー」
女に図星をつかれたのをラットは適当に誤魔化す。またしても自分に言われたと思ったのか山猫が返事をしたが、ラットは無視した。
――女が高性能な人工知能だから間違いはないと思ったのだ、とラットは自分に言い聞かせる。この女の言いなりになるのだけはごめんだった。
突然、ラットの頭を柄シャツ男が背後から蹴飛ばした。それなりの衝撃が走り、思わず蹴られた箇所を押さえようとしたが、髪の毛を掴まれる。
「そんな簡単に引き下がるワケねぇだろうが」
『あなた今日ボコボコね……』
女が同情でもするかの様に囁いたが、ラットに答える余裕はない。事態はラットの想定の範囲を超えて拗れている。大体山猫のせいだ。
いっそ本当にボコボコにされるのが1番簡単かもしれない、という考えが浮かぶ。
「えー、おじさん負けたのに往生際が悪いなー? しつこいと嫌われるよ? というか、僕は結構嫌いかも!」
「……」
山猫と話しても無駄だと判断したのか、柄シャツ男はラットを引き摺って部屋を出ていこうとする。引っ張られた頭皮が悲鳴をあげる。今日ほど髪を伸ばしていたことを後悔したことは無かったかもしれない。
ラットも素直にされるがままにはならまいと、床にしかれたブルーシートを掴んだが、特に力が強いというわけではないラットはそのままずるずると引き摺られていく。荒事が専門のヤクザものには敵わない。
「……もしかして、僕が嫌いかもって言ったから怒っちゃった? ゴメンねー、でも嘘は良くないしー」
『彼、悪気は無いのだろうけど、コミュニケーションに問題がありそうね。私を見習うといいわ!』
お前も大概だ、とラットは思ったが、口には出さなかった。
ラットを引き摺った男が扉に手をかける。それを見た山猫が焦ったように男の肩を掴むが、乱雑に振り払われた。
「待って待って待って! ホントに僕が怒られちゃうんだってー!」
おそらく、自然に体がうごいてしまったのだろう、山猫が手に持った肉切り包丁で、柄シャツ男の首を薙いだ。
包丁は切れ味が良さそうには見えなかったが、骨や筋に刃が引っかかることなく柄シャツ男の首が胴体から離れる。
少し斜めになった首の断面から勢いよく血液が飛び出すのと同時に、柄シャツ男の胴体が地面に崩れ落ちる。遅れて、切り離された首が少し離れたブルーシートの上に落ちた。
「ああーやっちゃった……まあいいや、お代足りなかったしなぁ。貰っちゃうか」
悪びれる様子もなく、新たに自分の頬についた柄シャツ男の血を軽く拭うと、山猫は切り離した柄シャツ男の胴体の肩を掴み、肉切り包丁を胸元に突き立てた。
首を飛ばされた際の出血が激しかったためか、胸元からの出血は少なかった。山猫が胸元から胴体を縦に裂くように包丁を動かし、臍のあたりで止める。
そのまま切れ込みの入った胸元に手を突っ込むと、すでに動きの止まった心臓を引っ張り出す。鼓動の止まったそれは、徐々に鮮やかな赤色から黒へと変色が始まりだしていた。
ラットの脳裏で女が気持ち悪いわね、とそうは思っていないような淡々とした口調で呟くのが聞こえた。何回も死体の処理や隠蔽をした事のあるラットにとっても、見慣れたものではあるが、それにしても胸が悪くなるような心地がして思わず奥歯を噛みしめる。
「ねぇ『キミ』、お腹すいてるよね?」
山猫が振り向き、人に手渡すかのように丁寧な所作で、冷たくなった心臓を自身の背後に差し出す。
しかし、そこには山猫が心臓を渡すような相手はおらず、灰色のコンクリート壁が聳え立つだけだった。
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