002

 五月の大型連休が終了した翌日。

 昼夜問わず放送されていた特別番組のせいで寝不足気味なりつつも、その日はいつもより早く目が覚めてしまった。外がやけにやかましい。複数の大型車のでかいエンジンの音、それらの走行音、なにやら物を出し入れしている音や、人の声がとにかく忙しなく聞こえてきた。ここいらの住宅街は、比較的静かだ。だからすこしの物音にも敏感になってしまう。それもそのはず、防音工事を済ませた家がとても多い。だが、例外として宮澤家はまだしていなかったのだった。

「一体なんなんだ」

 眠りを邪魔されて不機嫌になった俺は、パジャマのまま、外に出て様子を見に行った。文句を言うつもりではない。近くで繰り広げられる騒音の理由が気になっただけだ。

(トラックか……この辺りだとすると、引っ越しか?)

 家を出てすぐ横に目をやると、二台のトラックが並んで、道路を占領していた。家に物を運んでいる人も何人かいる。早朝にするのは構わないが、もう少し静かにできないだろうか。

 場所はどうやら隣のようだった。と、いうことはご近所さんになるわけで、付き合いが生じることは間違いない。どのような人が越してきたのか確かめておかないと。……なんて、謎の責任感に駆られて駐車されたトラックの横を通る。トラック二台を慎重に通り抜けると、見たことのない家が現れた。ああ、確か最近工事していたような。どうやらリフォームしたみたいだった、中学とは逆方向だったので、あまり気にしていなかったが。

 俺の脳内に存在していた昔の姿は、跡形もない。

(新居みたいにキレイな家だ)

 他の家々にはない、真新しさがその家にはあった。家を上から下までじっくりと見て、その家の存在を改めて認識した。次は、ここの入居者を探そうと周りを見渡すと、あっさりと発見できた。家からすぐ近くに、小柄な少女の姿を認めた。両手を後ろに回して、先ほどの俺のように家を眺めていた。横顔はとても端正で幼さの残る顔立ちに縁の無い楕円型のメガネを掛けていて、服装は学校の制服である。

 彼女は俺の視線に気づいたようで、照れくさそうに後ろを向いてしまった。こちらも気まずいので、その場を後にすることにした。

 二台のトラックを必死になって再度通り抜けて玄関に入ると、眠たそうに目を擦った妹が立っていた。

「どうしたのお兄ちゃん」

「起こしちゃったか」

「うん、ドアの音がしたから起きちゃった……むにゃ」

「悪い悪い。まだ眠いだろ。ほら、さっさと中に入ろう」

 俺達が家に戻っても、音は相変わらず響き続けた。作業は、どうやらまだまだ終わりそうにないことを示唆した。


 一度起きて、どうやら覚醒してしまったようで、再びベッドに横になってもまったく眠くない。仕方なく身体を起こして、昼用の弁当を作ることにした……のだが、弁当箱を探すのに手間取ってしまい(妹が片付けてどこかに置いてしまったようだ)、作る時間が充分に取れず、慌てて並行して作ることになった。むちゃくちゃな出来になってしまったが、この際関係ない。それを持って、登校することにした。


 休み明け初日、久々に教室に到着するとクラスメイトがなんだか騒がしい。なんでも「転校生がやってくる」という話で持ち切りのようだった。今日の日直が教師からそれを聞き、一瞬にして広まったようだ。休み明けの、このタイミングというのは珍しい。

 転校生は「男」なのか「女」なのか、どのクラスに入るのか、そもそも転校生なんていないのではないか……などと、色んな疑問が飛び交う中、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴り響き、噂話をしていた生徒らは慌てて自分の席に座った。

 チャイムが鳴り終わって、少し遅れて担任がやってきた。担任の姿を認めると、まだ少しやかましかったクラスが一気に静寂に包まれる。担任は教壇につくと、軽く鼻息漏らして、話し始めた。

「おはようございます。朝から皆さんがずっと話題にしていた転校生の話ですが、このクラスに転入することになりました」

 担任の言葉に、教室内は一斉にザワついた。しかし、「静かに」という担任の低く鋭い声で、またもや静寂が訪れる。まだまだ教師の一言で静まるところは、新入生らしさを感じる。

「それでは、入ってきてください」

 担任の言葉に反応して、誰かが外側から教室のドアを開けた。入ってきたのは、小さな女の子だった。教室は静かなままで、ガラガラという教室の引き戸の音のみが響いた。

「あっ」

 静まり返った教室で一番最初に声をあげたのは、俺だった。

 なぜなら、入ってきたその少女は、俺が今朝見た少女に相違なかった。隣に越してきた、あの女の子。

 転校生が来るという話を聞いても、今朝存在を知った彼女のことが全く浮かばなかった。

 しかし、その少女の姿を見た瞬間に、すべての合点がいった。

「どうしましたか? 宮澤さん」

 声を発した俺を、担任がきょとんとした顔で尋ねる。

「あ、いえ……」

 予想以上に大きな声が出たわけではないが、静まり返った空間の中では、とても目立つ声だった。

 軽く首を捻りつつ、担任は何事もなく、転校生に自己紹介するように促した。


 彼女の制服の着こなしは優等生で、言葉少なな、声のボリューム不足の自己紹介だった。その言葉の一つ一つは教室の小さなどよめきにかき消され、ほとんど俺の耳に入ってこなかった。話している最中に、教師が『篠瀬しのせ ゆい』と名前らしきものを黒板に書き上げた。自己紹介を終えた彼女は、緊張しつつも担任が指定した席に座るり、すぐに教科書を用意をしだした。ホームルームが終了すると、教科書を熟読し、授業開始を待っていた。そんな姿を見て、誰も彼女に声をかけようとはしなかった。というか、できなかったのだった。

 オマケにメガネを掛けているってだけで「地味で真面目なメガネちゃん」というイメージが、転校早々についたのだった。

 転校生ブームは、早々に終焉を見てしまったのだった。

「なんか、ハズレだな」

 一人の男子がうなだれた。

「やっぱり漫画みたいに、可愛い娘なんてのは来ないんだな」

 そう言ってもう一人の男子もため息をついた。そういう話はもっと静かにすればいいのにと思いつつ、『注目の的』になっている女子を見やる。横顔は、やはり今朝見たときと同じように、とても綺麗で整った顔をしていた。睫毛は長く、唇はキュッと閉じており、顔が常に冷静で、全体が引き締まっているように見える。周辺にいる大きな声で下品に笑う女子とは大違いの、大人しさを伴っていた。

 どうやらこのクラスでは顔よりも、服装や行動から見られる『雰囲気』というものが重要視されているのかもしれない。

 小学校の頃と引き続き、足が速いやつがモテる。社交性のあるやつがモテる。そういうことなのだろう。

 「地味な奴は何をしようがとことん地味」という、中学に入って急に色気づいた連中共は定義付けがされているらしく、彼女から「地味」というイメージが離れることはないと悟った。


 放課後になると、少女はすぐに教室を後にした。なんとも中途半端な時期の転校だったために、彼女が仮入部期間を過ごすことがなかったので、強制的に帰宅部になった。もちろん自分から申し出れば、仮入部はできずとも正式に部活に入ることは可能だろうが、そのようなことを自分から言いそうもない生徒に見えた。俺もゆっくりとバッグを持って、下校することにした。


「ただいま」

 帰宅するも、いつものような妹の出迎えがない。少し残念に思いつつ、居間に行くと、妹はこちらに背を向けて、うんうんと呻いていた。

「舞、ただいま」

「あ、お兄ちゃん。おかえり~」

 今気づいたようで、可愛らしくニコッと笑いかけてくる。そして、またうんうんと呻いている。妹の前には、小さな箱があった。

「どうしたんだそれ」

「今さっきもらったの。『これからよろしく』って」

「『これからよろしく』?」

 ああ、なるほど。反芻してすぐに思い出す。恐らく隣に越してきた家族が家に挨拶にやってきたのだろう。今日、転校生が急いで早く帰っていたのはそのせいかもしれない。

「メガネかけた人だったか?」

「ううん。挨拶した二人ともかけてなかったよ。あ、娘さんはお兄ちゃんとこの学校の制服着てたよ。女の人だった」

 当てが外れた。メガネをかけてなかったのか。帰宅途中に壊れでもしたのだろうか。

「一人で中を見ていいのかどうか、ずっと迷ってたの。お兄ちゃんが帰ってきてくれてよかった。はいっ」

 ハニカんで箱を手渡してくる。ワクワクしながら、開けるように煽ってくる。大したものではないと思うが、とりあえず開けてみる。

 中には小さなハンカチが入っていた。

「あ、これ友達がよく言ってるのだ!」

 ハンカチを見て、妹がビックリしたような顔をした。肌触りを確かめると、質は良さそうだった。

「流行りものかな。可愛いな。舞にやるよ」

「やったー!」

 ぴょんぴょんと元気に飛び跳ねて喜び、俺に抱きついてくる。妹の愛らしい仕草に癒される。

 あとで調べたのだが、そのハンカチは数万するらしく、俺の背筋がゾッとしたことは言うまでもない。妹にも大事にするように伝えた。

 それにしても、何故こんな高価なものを……金持ちなのだろうか。


 例の転校生のイメージは、俺の中では「真面目でメガネでお金持ち」になっていた。ハンカチの件で「地味」は突如「お金持ち」に変化した。

 しかし、それから何度もイメージは変わっていった。彼女は運動ができるし、勉強も完璧だった。ただの真面目ってだけではなさそうだ。だが、言葉数が少ないので、教師やクラスメイトに誉められても軽く会釈するくらいで、それ以上の会話は誰も成り立たなかった。

 教室ではひたすら本を読んでいる。だから話しかけづらく、誰も寄せつけないオーラを出していた。昼食はというと、一人でさっさと食べて、また本を読む。何度か誘っていた女子もいたが、いてもいなくても全く喋らず、反応もないので、誘う者は次第にいなくなった。正直に言えば、間違いなくクラスから孤立していた。そして俺の彼女に対する興味も、だんだん薄れていった。

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