第19話 花との会話

『やっほーやひろぉー。おはよぉー』

 第一声から違和感があった。花のろれつが怪しい。

「花、おまえ、酔ってんのか?」

 花は少し黙って、『にゃはは。ばれたかー』と誤魔化すように笑った。

 八尋は呆れてため息をついた。相手に聞こえるようにわざと大きく。今何時だと思っているんだ。まだ昼前だというのに。

『あー。朝から飲んれるとおもってるれしょお。ちがいますぅー。二日酔いれすぅー』と言い訳をしてきたが、どうでもいい。

「もういいよ。それよりおまえ、なんで狼に俺が一緒に住むとか説明してるんだよ。了解した覚えはないぞ。大体、一緒に住まなきゃならない理由はないだろう」

 堰を切ったように疑問や不満が口をついて出る。母屋に到着した八尋はサンダルを脱いで勝手口から入り、そのまま廊下で会話を続けることにした。夜空の話題を本人の前でするのは気が引ける。

『うー、ちょっと待ってよぉー。あたま回ってないんらからさぁー。いっぺんにさべらないれよぉー』

 泣き言を言う花に、八尋は二度目のため息をつきながら「二日酔いなんて自業自得だろうが」と悪態をつく。とはいえ、花が二日酔いになるほど酒を飲むというのも珍しい出来事ではあった。

『きついなぁー。もう少しやさしくしてよぉー。……あーでも、ちょっと待ってね。治まりそう』

 そう言ってしばらく無言の時間が続いたかと思うと、突然『うん。もう大丈夫』と声がした。確かに先ほどまでと違う明瞭な発音になっているので八尋は驚く。

「そんな急に回復するわけないだろ」

『しちゃったんだからしょうがないでしょ』

 ケロッとした様子で言う花。

「……もしかして、悪ふざけか?」

『んふふ、さてどうでしょうねえ』と空とぼける花に対し、問い詰めても無駄だと八尋は悟る。

『それで、なんだっけ』

「狼への説明についての不満だよ。一緒に住む必要性がどこに」

『ああー、ちょっと待って』と八尋の言葉を遮る花。それから『そうそう、わたしも言うことがあった。しばらく留守にするから夜空をよろしくねって伝えようと思ったんだ』と告げてきた。

「おいおい」いい加減にしてくれと文句を言いたい気分だった。「俺に全部押しつけるな」

『こっちだって仕事なんですう』と花はぶうぶう言っている。

「そもそも、あの子はなんなんだよ」八尋は核心に切り込む。「不老不死のホルダーなんて聞いたことがない」

『実在するんだねえ。世界は広いネ』

「わかってて保護したのか」

『あはは、まさか。偶然だよ。絡まれてる女の子を気まぐれで助けようとしたら、とんでもない力を持ってたってだけ』

「危険な能力だ」

 花は『わかってるよ』と事も無げに言った。そして『だけどさ』と口にしてから一呼吸置いて、どこか揶揄するような口調で『八尋は放っておけるの?』と言い放った。

『夜空のことを知ってしまったのに、あの子の存在を無かったことにして生きていける?』

 ずるい質問だった。八尋がそうできないであろうことを、花は知っているのだ。

 好むと好まざるとに関わらず、容易く他者の命を奪う能力を持ち、不死の身でありながら死を望む夜空の絶望。知ってしまった以上、見て見ぬふりをすることはできない。

 とはいえ、だ。

「どうすればいいのかわからない。見当もつかないんだよ」

 それも目を逸らすことのできない現実に違いなかった。

『それを知るためにも一緒に住むのがいいと思ったのさ』

「無茶苦茶だ」

『だって、そんなことができるのは呪いが効かない八尋しかいないんだから。ずっとそばにいればそれだけいろんなものが見えてくるでしょ。夜空自身も気づかずにいることとかね。大事な役割だというのに、自分にしかできない仕事を投げ出すっていうのかい』

「ぐ……」

 言葉に詰まる。そこを突かれると、相手の言うことがもっともなように聞こえてくる。

「だけど、女の子だぞ」

『だから何なの?』とあっさり聞き返してくる花。『八尋は立場を利用して女の子に迫るような卑劣漢じゃないだろ』

「それはもちろんそうだけど」

『だったら何も問題はないね。よかったよかった』

 花は明るい声で言った後、『大体、相手は二百年生きてるんだよ? 外見に騙されて女の子扱いしてると痛い目見るよ』と忠告するように付け加えた。

 完全に言い負かされてしまった。それでも何か反論できないかと言葉を探していると『これはお願いじゃない。命令だよ』と花が告げた。

「……了解」

 こうなるともはや、同居の件は諦めて従うことにするしかなかった。

『それで、夜空はなんて言ってるの。何かやりたいことがあるんじゃない』

「死にたい、ってさ」

『あー。それは無理な相談だなあ。呪われることはなかったみたいだけど、八尋でも彼女を殺すことはできなかったでしょ。正確には殺した瞬間に元に戻ったって感じだったけど』

「おまえ、見てたのか」

『遠目にね。止めるのは間に合わなかったけど』

 嫌な記憶が感触と共に甦る。

『ねえねえ、夜空とは気まずくならなかった?』

 面白がるように訊いてくる花に「悪いけど」と強く言い返す。「愉快な話じゃないんだ。止めてくれ」

『そりゃそうか。ごめんね』と素直に謝罪する花。珍しい。八尋のほうが調子が狂ってしまう。

「……ペナルティの進行が進んでる」

 胸の中で眠っていた恐怖心が再び頭をもたげたような感覚。腹の底から怖いとはよく言ったものだと思う。確かにその辺りから冷たい何かが身体を這い上がってくるような気がした。

『みたいだね。とはいえ、昨日は無理させたわたしのミスでもあるんだからさ、そんなに気にするなよ』

「気にするに決まってるだろ。人を殺したんだぞ」

『取り返しがつく相手でよかったじゃないか』

 あっけらかんと言う花だが、八尋はとてもそんな風には考えられなかった。

「怖いんだよ」八尋は正直な気持ちを吐露する。「いつかまた、大切な誰かを傷つけてしまうんじゃないかと考えてしまう。それがたまらなく怖い」

『大丈夫だよ』とあっさり言う花。八尋が反論する前に、彼女が言葉を継いだ。

『そうなる前にわたしが殺してあげる』

 それは、いつもの冗談のようでもあり、八尋を安心させようとした台詞のようにも聞こえた。

 だが確かに、八尋は自然と、花が殺してくれるなら大丈夫か、と考えていた。膨れ上がった恐怖心が急速にしぼんでいくのを感じる。

「……その時は任せるよ」

『おうとも。お花さんに任せなさい』と明るく言い放つ花。それから『八尋も、逆の立場になったら、ちゃんとわたしを止めに来るんだよ』と付け加える。

「荷が重いな」

『そうだろうねえ』と花は愉快そうにしている。『でも頑張ってよ』

「善処するよ」

『うふふ。期待してるね』

 電話が終わった。

 期待してるね。最後の言葉が頭の中で再生される。

 我ながら単純だと八尋は自嘲するように笑う。期待していると花に声をかけられればそれだけで、頑張ってみるかという気になっているのだから。

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