第18話 狼(2)

 狼は止まり木のメンバーだ。

 主に情報収集を担当していて、ホルダーにまつわる各種情報──たとえば保護を必要としている人がいるとか、ギフトを使用した犯罪が計画されているなどの情報を集め、それを花のような監督官や、八尋や宗一郎たち現場人員に流している。つい先日、八尋が赴いた人身取引現場の情報も狼からもたらされたものだ。

 狼はその名の通り、狼に〝変身〟するギフトを持つ。むしろ、狼に変身するから「狼」と呼ばれており、本名は別にあるようだが八尋は知らない。花は知っているようであるものの、教えてはくれない。とはいえ、特に困ることもないので、誰もが狼と呼んでいる。変身後の移動力と持久力、長距離まで感知できるセンサーを持つこともあって自然と情報収集担当になったらしい。

 八尋は母屋と離れを繋ぐ渡り廊下に出た。その廊下には屋根と柱があって石畳が敷かれているが、壁はなく吹きさらしだ。渡り廊下へと出る勝手口に、恐らく狼が使っているのだろうサンダルが置いてあったので拝借して履き、歩き出す。

 母屋の勝手口は廊下を突き当たった西端にあり、渡り廊下はそこからまっすぐ南へと延びて離れに接続している。敷地の上空から見ると、渡り廊下と二つの建物で英字のLを描くような配置になっている。

 ふと左を見ると、母屋の軒下に花がちらほらと咲いていた。あれはコスモスだろうか。まばらに生えていて手入れされてる様子がないので、自生しているのだろう。なんとなく癒やされるようで気持ちが明るくなる。

 さらに、前庭にある一本の立派な大樹が目についた。頂点は母屋の屋根よりも高いのではないか。広葉樹の葉はところどころ枯れた色に変わっていて、ちらほらと落葉している。秋が深まりつつあることを実感する。

 十時過ぎの空は曇っていてずいぶんと暗い。障子戸越しに見た外は明るかったように思えたが、室内が暗かったからそう感じたのかもしれない。

 これまで母屋に入ったことはなかったが、狼の住んでいる離れには何度か訪れたことがある。渡り廊下から見るいつもと視点が違う前庭は新鮮な光景に感じたが、敷地を囲む漆喰の外塀と、威容溢れる巨大な木製の門扉には見覚えがあった。門の内側には閂が通されていて、どうやって外から開けるんだと思ったものだが、実はあの門扉は使っておらず横の小さな扉からしか出入りしていないと知ったのはずいぶん後になってからだ。そこを出ると、敷地の南側の通りに出られる。

 離れは門の左脇、塀に近接するように建っていた。

 そこは土蔵の内部を無理矢理改築したもので、当たり前のようだが外からはただの年季の入った土蔵にしか見えない。二階建て家屋ほどの高さがあり、外壁の下半分が板張り、上半分に漆喰が使われている。

 大きな敷地や立派な母屋といい、かつてここで生活していたであろう家族の裕福な生活が想像できたが、狼はここを敷地ごと買い上げたらしい。どういう経緯でここに住み着くに至ったかには興味が湧くが、狼は自分の過去を話そうとしないので八尋はいまだに知らない。

 離れのライフラインは下水道以外整えてあり、トイレだけは母屋を利用しているという。立派な母屋があるのにわざわざ手間をかけてまで土蔵に住む理由は「こっちのほうが門に近いから」らしい。人にはそれぞれのこだわるポイントがあるのだなと八尋は納得することとしてそれ以上は訊ねなかった。

 離れの扉は二重になっており、外側の巨大な漆喰塗の観音扉は常時開放されている。内側にある年季の入った木製の引き戸は、上半分が格子状、下半分が板張りになっていて、狼は上半分に磨りガラスをはめ込んで屋内の機密性を高めている。

 引き戸を開けて敷居をまたぐと土間の玄関があり、そのすぐ先に膝の高さまで床を嵩上げした和式の居室があった。十畳ほどのスペースの中心に木製のローテーブルが置かれていて、そこだけ見ると温泉旅館の一室のようでもある。木製の渋い茶箪笥も、雰囲気によくマッチしていた。茶箪笥のガラスの引き戸の向こうにはびっしりと本の背表紙が並んでいる。

 狼はテーブルの傍らに置かれた高座椅子にゆったりと腰掛けて、本を読んでいた。

「きたか」

 八尋を一瞥すると、狼は本を閉じテーブルに置いて立ち上がった。眼鏡を外してシャツの胸ポケットにしまいながら八尋に近づいてくる。

 190cmを超える身長を持つ狼の歩く姿は、土間との高低差もあってまるで巨人が近づいてくるようだった。

 がっしりした体格の宗一郎と対照的に、狼は細身だった。すらっと長い手足が上下黒色のスーツに通されている。ただし狼は右腕を失っているため、右袖は主がいないままに布だけがゆらゆらと揺れている。シャツの第一ボタンは外されていて、細い首ととがった喉仏が目立つ。目元にかかるほどの長めの髪はセットされておらず無造作で、どことなくライオンのたてがみを思わせた。

 和室の端まで歩いてきた狼はいつもの無愛想な顔で八尋を睨むように見下ろしている。だが機嫌が悪いわけではない。

 彼はペナルティによって表情を失っており、感情を顔に表すことができない。それを知っているので八尋も特に気に掛けないようにしている。

 とはいえ、無表情な長身の男が近づいてきたら反射的に身構えてしまう気持ちは正直言えば、ある。

 狼は、力士がする蹲踞のような姿勢でその場にしゃがむと「手を出せ」と告げた。わけもわからず従った八尋の手の中に、何かが落とされた。鍵だった。

「表門の鍵だ。なくすな。母屋に鍵はないから貴重品は置くな。トイレは俺も使う。週一回掃除しろ。それ以外は好きに使え。返す時は原状復帰しろ」

 それだけ言うと、狼は再び立ち上がり背中を向けて高座椅子へ戻ろうとする。

「ちょっと待ってくれ」と呼び止める八尋。狼は足を止めて振り返り「なんだ」と短く訊ねてくる。

「呼び出したと思ったら賃貸契約みたいな説明して終わりか」

「……? 借りるんじゃないのか」

 何を言っているんだ、という様子の狼。

「借りるよ。貸してくれるのは本当に助かる。ありがとう。でも借りるのは俺じゃない。夜空だ」

「俺が貸したのはおまえだ」にべもない態度で狼が告げる。「おまえとあの女──夜空が一緒に住むと滝澤から聞いている」

「やっぱりか」八尋は頭を抱える。「違うよ。それは花が勝手に言ってるだけだ」

「それはおまえと滝澤の問題だ。俺には関係ない」

「いや、だけど」

「俺はおまえだから貸した」と言って、狼は再び背中を向けると、戻って高座椅子に座り眼鏡をかけた。本を取って膝の上に置き、左手だけで器用にページを繰る。話は終わりだ、と言われているように感じた。

「おまえが借りないなら、それでもいい。そこに鍵を置いておけ。そして彼女を連れてここを出ろ」

 それ以上何も言えず、八尋は鍵を手にして母屋に戻るしかなかった。

 離れを出て渡り廊下を歩きながら花に電話した。もちろん、文句を言うためだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る