第16話 夜空の力(3)

「なにこいつ。勝手に苦しんでんだけど。ウケる」

「仮病じゃね?」

「ばかだな。それで見逃すとでも思ってんのか?」

 誰かの声がしたが、八尋は顔を上げることができない。その場でしゃがみこんでしまう。油断するとあっという間に自我を失ってしまいそうだった。

「もしもーし。だいじょぶですかー。キューキューシャ呼びますかー」

 派手な髪色の男がからかうような口調で八尋を覗き込んだ。八尋は男を睨みつけながら、その気持ち悪い顔を殴り潰してやろうかと考えていた。

 いいじゃん、やろうぜ。誰かが八尋に囁く。

「キミ可愛いね。いくつ? 一緒に遊ぼうよ」

 夜空の姿が脳裏に浮かび、少しだけ自我を取り戻す。まずい。逃げろ。よぎった言葉は声にならなかった。

 八尋がぶるぶると震えながら顔を上げた時には、遅かった。別の男が夜空の胸を掴んだ。

「ぶっは。いきなり胸触るとかありえねー」と、傍らで眺めていた坊主頭の男が笑いながら手を叩いて囃し立てる。

 胸を掴んだ男が痙攣を始めていた。夜空の身体を離れた手が宙をさまようように揺れたあと、だらんとぶら下がる。夜空は無表情に男を見ている。男の全身が大きくがくがくと震えたかと思うと、一気に力が抜けてその場に尻餅をつくようにへたり込み、そして横たわった。目を見開いて泡を吹いている。

「は?」囃し立てていた坊主頭の声が不穏になった。「え。何」と八尋の顔を覗き込んでいた派手な髪色の男が振り返る。

 坊主頭は「てめえ何した」と言っていきなり夜空を殴りつけた。夜空の華奢な身体が吹っ飛び、倒れる。

 殴った坊主頭の男が汚い雄叫びを上げた。

 とても大きな声で、聞くに堪えない。これが断末魔の叫びというやつなんだろうか。八尋はわずかに残った意識でそんなことを考えた。

 不意にぴたりと声が止むと、坊主頭の身体は砂が崩れるようにして消え、後には何も残らなかった。

 八尋の感じていた苦しさが突然消えて気分がよくなった。

「な、なんなんだよこれ。おい!」

 残された男が八尋を見たのが不愉快だったので、その顔の中心に拳骨をめり込ませた。

 倒れた男に馬乗りになり、相手の肉に何度も拳を叩きつける。痛みが走る。歯が当たったらしい。構わず殴り続ける。何度も殴っていると、相手の反応がなくなった。気絶している。反応がないとつまらないので殴るのを止め、八尋は次の玩具を探す。

 そうだ、夜空がいるじゃないかと気づき、彼女に近づく。

 路上で倒れたまま自分を見上げている夜空の首を掴み、強引に立たせると、そのまま絞め上げた。女の細い首に八尋の指が食い込んでいく。女は苦しそうな顔をして喘いでいるが、しかし目だけはしっかりと八尋を見ていた。

 ふ、と指の力を緩めた。間を置かず、するりと背後に回りながら女の首に腕を絡ませる。片手で顎を、もう片方で頭頂部を掴む。

 そのまま勢いよく女の頭を傾けた。

 鈍い感触があり、女の身体が力を失ったように倒れた。これが首の骨の折り方か、なるほどと八尋は考えた。初めてにしては上手くいった。

 他に遊べる玩具はないのかと辺りを見回していた八尋は、驚いた。夜空がゆっくりと立ち上がり、八尋を見た。折ったはずの首も元に戻っているのか、外見に変化がない。そういえば、この女は死なないと言っていたなと思い出す。あれはやはり本当だったのか。

 これは面白い。何度でも壊せる。そう考えたところで、八尋の世界が回転した。

 自分が倒れていることに気づく。目の前に自分を見下ろす花の姿があった。何をされたのかわからないが、倒されたらしい。花は傍らにしゃがみこんで八尋を覗き込んだ。殴ってやろうと思ったが身体の自由が利かなかった。

「おやすみ八尋」

 花の繰り出した拳が顔面にぶつかる感覚があり、八尋の視界が真っ暗になる。

 ほどなく意識が途絶えた。

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