第二章

第11話 花と夜空(1)

 花が指定してきたのは、宗一郎と別れた駅から電車で三十分ほど移動した先にある駅だった。

 八尋は降りたことがない駅だ。というか、この辺りに住む一般人は、あまりこのエリアに近づかない。理由は単純で、治安が悪いからだ。

 その区画には通りを一本渡るだけで誰でも入ることができるが、そこは反社会的勢力を中心に素行の悪い人間が跳梁跋扈していて、違法営業の風俗店やら住民登録はないはずなのに無数の人の気配がするバラック小屋やらがそこら中に見られ、まるで異世界のようだった。

 これまで何度も警察による浄化作戦が実施されており、そのたびに主立った違法営業店や掘っ建て小屋が一掃されるのだが、なぜか効果は一時的で、しばらくして気づいた時には元の状態に戻っている。

 殺しても死なないから「アンデッド街」なんて名前で呼ばれたりもしているらしく、隣接区域の住民は忸怩たる思いをしているようだ。しかし脛に傷持つ身の連中はかえって面白がり、街を根城にしている連中には「ゾンビ」を自称する者も多くいる。アンデッド街を蠢いている住人で、無防備な生者は大好物、死体だって喰い散らかす存在、ということらしい。

 〝呪い〟のギフトを持つ人物はゾンビに追われている。花の話ではそういうことのようだった。

 八尋の降りた駅はアンデッド街の東端近くに位置している。駅を出て西へ少し歩くと、南北を走る細い川にぶつかる。両側はコンクリートで護岸され、普段はわずかな水が流れているだけの用水路みたいなこの川は、三途の川のように此岸と彼岸を隔てている。向こう側はもう魔境の入り口だ。

 花はそこに架かる小さな橋のたもとで待っていた。

「来たね。助かるよー」

 花が珍しく素直に感謝を述べる。八尋も悪い気はしない。

 通りすがった男性が橋を渡りアンデッド街へ入っていく。その際、男は不躾な視線を花に送り続けていた。カットソーにダウンベスト、パンツでコーデしている花は、目を惹くルックスであることを除けば一般人にしか見えないはずだ。娼婦以外の若い女性がこの辺りにいるのが珍しいのだろう。八尋がそばにいなければ花に声をかけてきたかもしれない。

 よかったな、あんた命拾いしたよ、と内心呟く。

「んじゃこれ。はい」

 そう言った花がおもむろに何かを放り投げたので、反射的に受け取って、ぎょっとした。

 生首だ。

 いや、違う。人の顔を模したマスクだった。その顔はところどころ皮膚がただれたり血を流したりしている。これは。

「なんなんだよこれ」

「ゾンビだよ。ゾンビマスク」

「見ればわかる」

 パーティーグッズにしてはずいぶんと精巧な作りのマスクだった。

「ほら、わたしってただでさえ目立つからさ。関係ない連中に絡まれたら面倒でしょ」

 そう言いながら花も別のゾンビマスクをごそごそと被っている。

「こんなもん被ってるほうが目立つ」

「いいからいいから。それじゃあレリゴー」

 すっかりノリノリで歩き出す花。こうなるともう止められない。破れかぶれだと八尋もマスクを装着して花の後を追って歩き出した。

 見てはいけないものを見るような周囲の視線を浴びても全く気にかけない様子でずんずんと進んでいく花。八尋は身を縮こまらせる思いでそれについていく。

 バラックの立ち並ぶ通りを抜けると、両側に長屋がずらりと連なっている細い道に出た。三階建ての長屋は扉から次の扉までの間隔がやけに狭い。扉のガラス窓からはどぎつい赤やピンクの明かりが漏れていて、路上を妖しく染めている。

 花は道を進んでいき、等間隔に配置された引き戸の前を次々に通り過ぎる。どこまで行くつもりだと思い始めたところで、とある扉の前で花が止まった。

「入るよ」

 八尋の返事など待たずにさっさと中へ入っていく花の後ろにくっついていく。玄関は靴を脱いで上がる仕様になっているが、構わず花は土足で上がっていくので八尋もそれに倣う。室内は一畳程度の狭いスペースを横切った奥にカーテンがかかっていて、その向こうはすぐ階段になっていた。花がそれを上っていく。

 二階に上がると常夜灯が点いているだけの薄暗い室内に誰かいた。

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