第10話 兆し(4)
商店街を通り抜けると、すぐに駅へ到着する。宗一郎とは帰路が逆方向なので、ここでお別れだ。
「よかったら飯でも行かないか。こないだうちの最寄り駅で良さそうな店を見つけたんだよ。八尋、ワイン飲めたよな」と宗一郎が誘ってきたのは、改札を通り過ぎてからだ。
誘いは嬉しかったが、「あいにくだけど今日はちょっと」と八尋は断った。
「用事でもあるのか」
「いや……たぶん、そろそろ発作が起きるからさ。家に帰っておかないと」
理由を説明すると、宗一郎は少しだけ気まずそうな顔をして、それから笑顔を作り「そっか。それじゃ仕方ないな。また今度行こうぜ」と八尋の腕を叩いた。八尋も笑顔を返し「悪いな」と伝える。
「いいって。それじゃ、またな」
「ああ」
宗一郎と別れ、自宅方面へ戻る路線の電車が入ってくるホームへ上がる。ホームドアの待機列最後尾に付き、時計を見ると午後五時を回っている。
今飲んでおけば帰宅する頃にはちょうどいいだろうと考え、ジャケットのポケットに入れておいたピルケースから錠剤を二錠、手の平の上に取り出した。怒りや不安を抑制する効用のある漢方薬と、睡眠導入剤だ。
ギフトを発現して以降、八尋の身体に定期的に起こる発作がある。
症状は、自制の喪失と、同時に発生する狂暴性の異常な亢進。
八尋が自分の両親を無惨に痛めつけたのは、これが原因だ。
ホルダーは例外なく、ギフトを発現すると同時に、心身に何らかの変調をきたす。
症状は人によって異なり、八尋のように発作が起きる者や、身体機能を徐々に失う者、特定の対象に恐怖症を抱くようになった者など様々だった。
ギフトは超常の力だ。人智を超えた能力を得た代償を我々は払っているのだと主張した誰かがいたらしい。その誰かにあやかったのかどうかは知らないが、いつしかギフトと同時に現れるこの症候は、〝ペナルティ〟と呼ばれるようになったそうだ。
八尋は自分の発作を、二種類の薬で対処していた。漢方はほとんど気休めだ。これで症状を抑えることはできない。寝付きやすくするために飲んでいるようなもので、つまり睡眠導入剤が本命だ。
そう、対処と言っても何のことはない、寝てやり過ごすという原始的な方法だった。現代医学ではペナルティそのものは克服できない。少なくとも、今はまだ。
とはいえ、今のところはこれでなんとかなっている。発作に一定の周期があることもわかってからは、かなり上手く付き合ってきているほうだ。全く不定期に症状が現れる人もいるので、そういう人に出会うと、大変だろうなと八尋は同情している。
ペナルティの厄介なところは、進行性だということだ。八尋の発作は、ホルダーになったばかりの十年前は半年に一度起こるかどうかといった具合の頻度だったが、今ではほぼ三か月に一回ペースで発生するようになってしまった。間隔が短くなってきている。
これからもまだ短くなるのだろうか、と不安に思うことはある。どんどん短くなっていけば、いずれまともな日常生活を送ることすら難しくなっていく。考えても仕方がないので、八尋はそれ以上考えないようにしているが、そうすることができない人だっているだろう。
今まで通りの社会生活を営めなくなっていく心身の症状。それは、望んで身につけたわけではない能力の代償としてはずいぶんと重いようにも八尋には思えた。
薬を口に含もうとしたところで、不意にパンツのポケットが振動した。スマートフォンに着信があったのだ。画面には「滝澤花」の文字。通話に出る。
『あ、八尋? おっはー』
脳天気な花の声がした。
「もう夕方だ」
『悪いんだけどさあ、ちょっと今すぐ来てほしいんだよね』
八尋の指摘には構わず、花が要件を告げてくる。
「今朝は四時起きだったんだ。もう疲れてるんだよ」
『さっすが八尋。頼りになるう。場所は地図アプリで送っとくねー』
勝手に話を進める花。だめだ。まるで聞く耳を持たない。
「いや本当に今からは駄目だ。発作がくる」
『あれ、もうそんな時期だっけ。めんどくさいねー』
ペナルティはホルダーにとっては割とセンシティブな話なのだが、あっけらかんと「めんどくさい」と言われるとむしろ怒る気にもならない。
『わかった。発作が起きたら責任持ってお花さんが対処してあげるからさ。お願いだから来てよー』
「対処って、どうするんだよ」
『え? それはこう、頭をね、ポカリと』
「却下」
『心配しなくて大丈夫だって。痛みなんて感じないからさ。一瞬で落ちるから』
「そういう問題じゃないっての」
『うーん。とは言ってもなー。こっちも八尋に来てもらわないと困るんだよね』
八尋は怪訝に思った。なんだか今日はずいぶんと食い下がってくる。
「俺じゃないとできないことでもあるのか」
『おっ、ビンゴ。その通り、八尋じゃなきゃできない仕事だ』
否定されると思っていたので、八尋は面食らって「そんなわけあるか」と強めに口にしていた。
「俺にできておまえにできない仕事なんてあるはずないだろ」
『それがあったんだなあ。お花さん、一生の不覚』
わざとらしくしょげ返ったような声を出す花。
八尋は彼女の言うことが信じられなかった。体よく面倒を押しつけようとしているだけではないかと疑った。
だがそれ以上に、花にはできないが、八尋にならできることが本当にあるとしたら何なのか、好奇心が勝った。
「なんだよそれは」と、気づいたら訊ねていた。
電話口の向こうで花がほくそ笑んだような気がした。
『呪いだよ』
「のろい?」
咄嗟に浮かんだ漢字は「鈍い」だったが、『呪い殺すほうの、呪い』と花が補足する。日常で滅多に使わない単語だ。
「日頃の行いが悪くていよいよ呪われたか」
『日々の心がけが良かったからついに出逢っちゃったんじゃないかな』
「善行を積むと呪われるのか。どういう設定なんだそれ」
『誰かにとっての善いことは、他の誰かにとっての悪いことなのさ』
「そうとも限らないと思う」
『まあとにかくさ。さしものお花さんでも、どうやってるのかわからない、見えない攻撃は防ぎようがなくてね。そこで八尋の出番ってわけ』
つまり、相手を〝呪う〟ギフトを使うホルダーが現れたのだろう。でもそれだけで花が八尋を頼るしかない状況になるとも思えなかった。彼女なら、相手に呪われる前に攻撃することくらい容易なはずだ。
『そういうことだよ』と、まるで八尋が考えていたことを読んだように花が言った。
『わたしからは手が出せない相手だ。手を出せば、呪われる。単純だけど厄介だ』
「呪われたら、どうなるんだ」
少し緊張しながら八尋は訊ねる。
『死ぬよ』
端的な花の台詞。言葉にすると呆気なさ過ぎて、現実味がない。
ふと気づく。発動すると死ぬギフトなら、花はなぜそれを知っているのか。
「おまえ、見たのか」
『鋭いねえ』
なぜか花は嬉しそうに言った。
『その子は今、追われてる。ただし、危ないのは追ってる連中だ。このままだとみんな死ぬぜ』
電話を切る。八尋は花の元へ向かうことを承諾した。やむを得ない。
ふと手の中にある薬に気づく。少しだけ考えて、漢方の錠剤だけを口に含み、噛み砕いて飲み込んだ。
わかっている。ただの気休めだ。
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