第9話 兆し(3)
八尋と宗一郎は駅へと続く商店街を歩いていた。
車がようやく一台通れる程度の細い通りの両側に軒を連ねる個人経営の商店や飲食店。今や珍しくなった昔ながらのスタイルを保つその商店街は、この国らしさを感じるスポットとして海外から人気のようで、そこかしこに観光客らしき外国人の姿がある。
「それで、実物に会ってみてどうだった」
少しわくわくした気持ちで宗一郎に感想を訊ねる八尋。他の人が彼女にどういう印象を抱くのか興味があった。
「想像以上だった。俺の手には負えないと思ったね」とわざとらしく肩をすくめる宗一郎に、八尋は思わず噴き出した。
「よくあんな人と長く一緒にいられるな」
宗一郎は感心するように八尋に視線を投げてくる。そう言いたくなる気持ちはよくわかる。
「でも、あれほど自由な人が、どうして止まり木なんて一組織に留まっているんだろう」
独り言のように呟く宗一郎。八尋も以前同じ疑問を抱いたことを思い出す。そして花に訊ねたのだ。
花は意味ありげに笑いながら「利用されてるのさ」と嘯くように言って笑っていた。
「利用されてる?」
宗一郎が眉をひそめる。
「うん。あと、『自分としても都合がいいから』とかなんとか。よくわからなかったけど、あいつの言うことがよくわかんないことなんてしょっちゅうだから、こっちもそれ以上突っ込んで聞かなかったんだよな」
「聞いたところで煙に巻かれて終わりだろうな」と苦笑する宗一郎。彼も花の人となりを理解してきたようだ。
「花の亡くなった親父さんが、止まり木の理事長と懇意にしていたって繋がりもあるらしい。あいつの家系は代々、先天性の優秀なホルダーを輩出してきた名家らしくて、だから止まり木が発足した当時から付き合いがあるんだとか」
「ああ、なるほど。この辺りは滝澤家の地盤だもんな。地域で活動してる団体と繋がってても不思議はないか。むしろ、関係がなかったらかえって奇妙だ」
何かを得心した様子で宗一郎が頷くのを見て、八尋はわずかな劣等感が芽生えたのを自覚する。
八尋はある日突然ギフトに目覚めた、後天性のホルダーだ。十一歳の時にギフトを身につけるまでは、ホルダーのような人間が存在することを知らなかった。
一部の酔狂な人間や犯罪者を除き、ホルダーはそのほとんどが正体を知られないよう息を潜めるように生きている。だから関係者にでもならない限り──つまりは、自分や家族がホルダーにでもならない限り、その存在を知らずにいるのは仕方ないことではある。
宗一郎も八尋と同じく、後天的にホルダーとなるまではこの世界と無縁の生活を送っていたらしい。ギフトを発現したのも十歳頃だというので、彼と八尋はずいぶんと似たような経歴を持っていた。
しかし宗一郎はギフトやホルダーにまつわる知識が豊富だった。当事者となって以降に習得したのだろうが、先ほど宗一郎が見せた反応は、一定の理解があれば「滝澤」の名を聞いただけである程度の見当がつけられることを示していた。八尋は、ふとした折に花からその話を聞くまで、何も知らなかった。
自分の教養の無さが露呈した気分になり、不勉強を恥じ入ると同時に情けなくなる。
「宗一郎はすごいな」と素直な感想を口にしていた。だが同時に、自分を卑下する気持ちを振り切るのに宗一郎を利用したような感覚に陥り、すぐさま自己嫌悪を感じた。
「なんだよ急に」
宗一郎が笑いながら妙なものを見るように八尋の顔を覗き込む。
「知識とか、技術とか、いろいろ俺にないものを持っている。すごいよおまえは」
八尋の言葉に宗一郎は「ええ?」と大げさに驚くような仕草をして見せた。
「酔ってるんじゃないだろうな」
からかうように言う宗一郎に、「酔ってないって」と八尋も笑う。
「おまえだってすごいと、俺は思ってるけどな」
「え」
宗一郎の言ったことが思いがけず、不意を突かれた気分になる。
「だけど、八尋は自分を評価してないだろ」
そのものずばりを指摘され、八尋は言葉に詰まる。確かに、その通りだ。
「でも」と、気づいたら口にしていた。「でも、俺が大したことないのは事実だよ」
「過小評価だと思うぞ」
「そんなことはない。俺はこんなものだよ」
自分の信頼する友人が自分を評価してくれているのに、それを信じられず否定したくなるのは何故なのだろう。八尋は自分で不思議に思いながら、それでもなお、その衝動に抗えずにいる。
「さっき言っただろ。きっかけは滝澤さんだとしても、止まり木に居続けるのはおまえがいたからだって。俺はおまえを買ってるんだよ、八尋」
「それは、もちろんありがたい、けど」
素直に受け止められず、口ごもる。
少しの間、会話が途切れ、二人とも無言で歩き続ける。商店街の先にある駅舎が見えてきた。
「できれば俺は」と宗一郎が口を開いたのはその時だ。
「俺が止まり木を出る時、おまえが一緒に来てくれたら嬉しいと思ってるよ」
八尋は足を止めた。宗一郎も止まって八尋を見る。太陽の赤い光が彼の顔を照らしていた。流した前髪がわずかな風に煽られ、額の痣をくすぐるように揺れていた。
唐突に花の顔が浮かんでくる。花は、なんて言うだろうか。八尋が止まり木を抜けるとして、彼女はどんな反応を示すのだろう。
「……まあ、八尋にもいろいろあるだろうから、無理を言うつもりはないよ」
言葉を返せずにいる八尋を見かねたのか、宗一郎が困ったように笑顔を浮かべながら助け船を出してきた。
「俺はそう思ってるって、知ってくれるだけでいいさ」
「うん。ありがとう」
嬉しいと感じたのは事実だ。率直な礼を述べる。
「それに、まだまだしばらくはご厄介になるつもりだからさ。よろしく頼む」
「こちらこそ」
ややぎこちなさを残しつつも、話題を切り上げて再び歩き出す。
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