第6話 汚名返上

 八尋と宗一郎はビルの目の前に立っていた。

 仮囲いは一部が扉になっていて、ノブにボタン式の鍵がついており外からは開かない。仮囲いの上部には空間があり、そこから侵入できそうではあるが、常人のジャンプで届くような高さではなかった。

「なあ八尋。おまえが見た連中は、ヒトだったか。それとも、俺たちと〝同じ〟か?」

 宗一郎が訊ねてくる。

「売人の二人は〝同じ〟だ。ただ、どういう能力かは見ていない」

「了解。備えておこう。……しかし、つくづく羨ましいな」

 腕組みをした宗一郎がじろじろと八尋を見定めるように見た。

「何がだよ」

「八尋のセンサーは相手の存在を感じるんだろ? おまえと違って俺のは、力が使われるまでわからないからな。八尋みたいに存在そのものを感知できるのは稀少なんだぞ」

 宗一郎の言った「センサー」というのは、相手が〝同じ〟かどうかを感じ取ることができる第六感のことだ。感度の差はあれど、八尋や宗一郎だけではなく全員が同じセンサーを持っていて、相手が〝同じ〟かどうかを感知できる。

「珍しくても、そこまで便利なわけじゃないよ。大まかな方角と距離しかわからないから、人混みに紛れられると見分けがつかないし、そもそも意識を集中しないと感じ取れないからな」

「それでも有能であることには違いない。そこで教えてほしいんだが、中に何人いるかはわかるか」

「ちょっと待ってくれ」

 八尋は建物の外構に目をやった。二階の窓ガラスが光が漏れていて、奥で明かりが点いているのがわかる。そのフロアに四つの反応を感じた。

「二階に四人いる。他の反応はないよ」

 兄妹と売人の二人。数は一致する。

「サンキュー。それじゃ、さっそく子供たちを助けに行くとしますか」

 そう言って、周囲に人気がないことを確認してから、宗一郎は〝変身〟した。

 宗一郎の履いているパンツが今にも弾け飛びそうなほどに膨らむ。脚部を変身させたために膨張した筋肉が盛り上がったのだ。裾からちらりと、虎柄の肌が覗いている。

 宗一郎は、虎に〝変身〟する能力を持っている。

 仮囲いを難なく飛び越して向こう側へ回った宗一郎が、内側から扉を開けた。この手の扉は部外者の侵入を防ぐために設置されているため、逆側からは自由に開けられるようになっていることが多い。

「どうぞお入りください」とおどけたように言う宗一郎に、八尋は小さく笑いながら「やめろよ」と言って胸を叩いた。

 建物は特に工事をしている様子もなく、仮囲いはやはりただの目眩ましだったのだろう。細い廊下を進んだ突き当たりにエレベーターがあり、そのすぐ左側に一階室内への出入口があった。

 突き当たりまで進み、右手を見ると、通路を折り返す形で上階へ続く階段があった。八尋は宗一郎と目を合わせる。宗一郎が顔で示した先に目をやると、扉の脇に陶器製の小ぶりな傘立てがあり、彼の意図を察した。

「十五秒後だ」

 宗一郎が囁き、八尋は頷きを返す。宗一郎はそのまま階段を上った。

 八尋は秒数を数えながら、傘立てを掴み上げ、いったん仮囲いの扉まで戻る。

 扉を開けて外に出ると、自分の右腕を吊った三角巾を外し、適当に丸めて扉と塀の間に挟んで扉が閉まらないようにした。こうしておけばロックがかからない。

 一応、周辺に人の姿がないかを確認した。幸い、誰もいない。

 十五秒。時間だ。

 八尋は手にした傘立てを、2階の窓目掛けて放り投げた。

 投げると同時に八尋は走り出し、仮囲いの扉を再びくぐって階段を目指す。傘立てと衝突したガラスが割れる大きな音が背後から聞こえた。続いて、ガラス片が床に落ちて鳴る音や、誰かの悲鳴や怒号がする。間を置かず、階段の上から大きな音が起きた。宗一郎が扉を破ったのだろう。

 八尋は階段を駆け上がり、二階の廊下を確認する。室内への扉は一階と同じ、エレベーターの脇にあった。

 通路を突き進み、室内へ飛び込む。そこにはがらんどうの空間が広がっており、天井も床もコンクリートが打ち込まれたままの寒々しい姿を晒していた。

 五メートルほど離れたところで、虎の姿に変身した宗一郎が子供二人を背後にかばう形でいるのが見えた。八尋のすぐそば、扉の脇では買い手の男が倒れている。宗一郎に倒されたのだろう。

 窓際に二名の人影。売人の男女だ。

「あんたはそっちの虎男をやりな!」

 女が叫ぶと、男は矢庭に姿を変えた。

 蠅だ。巨大な蠅がそこに現れた。蠅男が宙を飛び、宗一郎に襲いかかる。

 それを尻目に、八尋は女の元へ走った。蠅男は宗一郎に任せて大丈夫だ。自分はこいつを制圧する。

 女が右腕を八尋へ向けて伸ばした。その右手は親指を立てて上に向け、八尋を狙うように人差し指と中指が伸ばされていた。子供が遊びでするような、指鉄砲そのものだ。

 人差し指と中指の先が輝いたのを、八尋は見た。

 光球が八尋目掛けて放たれていた。女が〝射撃〟したのだと八尋は瞬時に理解する。

 光弾は速く、躱すのは間に合いそうになかったが問題はない。八尋は女の元へ迫る速度を落とさずそのまま突進を続ける。

 当然のように直撃する光弾。しかし実際のところは、八尋に当たるかに見えたところで、突如ぱっと弾けるように消失した。無論、八尋にダメージはない。平然と近づいてくる八尋に、女が狼狽するのがわかった。

 八尋には相手の能力を〝吸収〟する力がある。当たらなかったのではなく、八尋の能力で光弾は吸収されたのだ。

 相手の力を吸収したことで、八尋の身体強化が始まる。右腕の刺された傷が見る間に修復されていくのを感じる。

 女が光弾を連射してくる。狙いは正確で、どれも八尋の上半身を狙い飛んでくる。構わず進み、先ほど同様、八尋の身体に触れる直前で吸収され消えた。

 不意にいくつかの光弾が軌道を変えた。直進していたものが放射状に広がり、八尋の視界の外へと消える。発射した後でも軌道を操作できるのだろう。恐らく背後から狙うつもりだ。

 八尋は光弾を目で追うことはせず、ただ前進する。八尋のその反応に女は怯み、しかし目の奥に意を決したような気配を感じた。

 途端、背中に光弾が当たる感覚──正確には吸収した感覚があった。女が八尋を背後から狙ったのだ。

 だが、八尋の吸収能力は〝バリア〟のように身体全体を常時覆っている。死角から不意を突いた攻撃でも、それが相手の能力によるものである限り八尋には効かない。

 吸収を重ねたことで八尋の身体機能が更に増強される。

 女まであと五メートル程度まで迫った。

 八尋は力強く床を蹴って一息に間合いを詰め、相手の眼前に踏み込んだ。同時に、女が前に伸ばしていた右腕を自分の左腕で払いながら、右の掌打を相手の鼻っ面にぶつける。その手でジャケットの後襟を掴むと思い切り手前に引き寄せ、バランスを崩し前屈みになった女の上体に右膝の蹴りを入れる。続けざまに後頭部に肘打ち、脇腹に左の膝蹴りで追い打ちを入れると、女は倒れて動かなくなった。

 宗一郎のほうへ顔を向けると、彼は両腕で蠅男の首を絞め上げているところだった。意識を失ったのだろう、男の変身が解けて男性の姿に戻る。宗一郎が腕を無造作に放し、男はそのままコンクリートの床の上に倒れ伏した。

 他に敵がいないか周囲を警戒しつつ、八尋は兄妹へ近づく。

 膝をついて目線を合わせながら「大丈夫か」と声をかけると、妹である少女のほうは怯えた様子で八尋を見るだけだったが、兄である少年は不審な目を向けつつも首肯して返してくれた。

 少年の眼は、ネコ科の動物のように縦に長い瞳孔をしていた。一方の少女は、爬虫類のような鱗のある肌をしていて、服の裾からは細長い尻尾が伸びている。

 間違いない。兄妹共に変身能力を持っている。

 まだ能力をコントロールすることができていないようで、見ている間にも身体の各部で変身と解除を繰り返していた。力を使いこなせないのは、幼い子供や能力を身につけたばかりの人にはよくあることだ。

「俺たちは味方だよ。安心していい」と声をかけても、兄妹は不安を露わにしたままだ。

「朝方、会ったよね。憶えてないかな。君たちのお母さんも俺たちと一緒にいるよ」と言うとようやく、兄妹の顔が輝いた。「お母さん?」「おかあさんどこ?」とにわかに元気を取り戻す。

「案内するから一緒に行こう」と言うと素直に頷いて大人しくなる。いい子たちだと思った。

 建物内には他に敵の姿はなかった。気を失った売人の二人と買い手の男を結束バンドで後ろ手に拘束し、花に連絡しようとしたところで、割れた窓ガラスの向こうから車のエンジン音が聞こえてきた。

 建物の真正面で停車したように聞こえたため、八尋は注意深く窓の下を覗く。どうやら組織の引継班が到着したようだ。

「ここを突き止めた時点で俺が滝澤さんに連絡しておいた。あの人が手配してくれたんだろうな」と、宗一郎が隣で同じように下を覗き込みながら言った。

 八尋たちは子供たちを連れて部屋を出て階段を下り、仮囲いの扉を開けて引継班を招き入れた。

 兄妹の身柄も引継班が母親と同じシェルターへ移送するようなので、後を任せて八尋と宗一郎は戻ることとなった。

「彼らが行くのはどこの施設になりますか」

「あんたが働いてるところだ。責任持って面倒みろってこったな」

 へへへ、と班員は下品に笑った。八尋は相手にせず「わかりました。ありがとうございます」とだけ応じる。

「またすぐに会えるからね」

 八尋が少年の頭を撫でながらそう言うと、不安そうにしていた顔が少しだけ和らいだ。

「すぐっていつ?」

 兄の背中に隠れるようにしていた妹がおずおずと訊ねてくる。

「明日には会えると思うよ」と言って微笑んで見せると、少女は「やくそくね。バイバイ」と小さく手を振った。八尋も手を振り返す。

 そうして、八尋と宗一郎はその場を離れ、宗一郎が乗ってきた車で帰路に着いた。

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