第2話 夢(2)

 夢の後半は、目の前に血塗れの顔をした中年男性がいるところから唐突に始まる。

 八尋の意識は夢の中で、十一歳の八尋と同化している。といっても進行に干渉できないのは変わらず、八尋はただ、彼の目を通した世界を見ていることしかできない。

 八尋は男性に馬乗りになっていた。これは八尋の父親だ。幼少期の八尋が宿していたような、怯えた目の色をしながら八尋を見ている。

 父はうわ言のように「ごめんなさい」と繰り返している。八尋が言わせたのだと知っている。

 殴りつけ、「謝れ」と指示をし、相手が指示通りに行動しても、やれ「声が小さい」だの、「心がこもってない」だのと適当な理由をつけては何度も拳を叩きつけたのだ。

 少し離れたところに、父と同じく恐怖で染まった瞳をぎらぎらと輝かせながら、身を屈めて震えている女性がいた。母親だ。

 母の顔も赤黒く腫れ上がっていて、父に負けず劣らずの酷い顔をしている。こちらも当然、八尋がやったことだ。

 父親を殴りつける八尋を止めることができず、警察を呼ぼうとしたのでそれを制止するために殴ったのだった。警察がくることよりも、自分の時だけ警察に頼ろうとした母親が気に入らなかった。

 あんた、今まで俺がどれだけ親父に殴られても、知らないふりをしてたじゃないか、今更ふざけんなよ、と怒りながら、彼女に「警察は呼びません」と「ごめんなさい」を交互に何度も言わせながら繰り返し殴った。

 夢は、母が大人しくなったので、再び父親を痛めつけようと倒れた彼の身体に跨がった八尋が、我に返るところから始まっている。

 そう。この時この瞬間まで、八尋は正気を失っていた。だが、自制をなくし狂暴性にまかせて暴力を振るう自分の様を、八尋は全て憶えていた。

 血で塗れ、痛みで感覚がない両の手を見て、八尋は恐怖した。自分のしでかした行為よりも、何より両親の復讐が怖かった。

 八尋の様子が変わったことに、両親が勘づいたような気がした。怯えることをやめた二人が、不意に気配を変え、大きくおぞましい獣へと姿を転じ、獲物をいたぶる機会を窺い始めたような錯覚に陥った。

 気づくと八尋はその場を逃げ出し、家を飛び出していた。夢はここで終わる。後ろから追いかけてくる両親の声に怯えながら、必死で逃げ続けるところでフェードアウトしていく。

 逃げた後どうなったのか、記憶が曖昧で憶えていなかった。

 家を逃げ出した十一歳の少年が、何らかのきっかけで滝澤たきざわはなと出会い、彼女の所属する組織に身を寄せたというのが現実の顛末だ。

 あれから十年が経つ。

 八尋は二十一歳になっていた。

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